第135話 醒め行く者たち

 夢現境むげんきょうの星空に巨大な瞳が浮かんでいる。

 黄金の虹彩と長いまつげをしたそれは俺と谷崎さんの2人を興味深そうに見ていた。


 この瞳の正体は、深異界『夢現境』の支配者にして七人の魔人の一角『眠り姫』ことアリアだ。


 無邪気で、ある意味無遠慮な視線。悪意や敵意の類は微塵も感じない。感じないが、オレはともかくとしてアリアのことを知らない谷崎さんにはすこししんどいかもしれない。


「ひっ!?」


 予想通り、頭上を見上げた谷崎さんが短い悲鳴を漏らす。

 ……アリアにはかわいそうだが、こればかりは仕方ない。のぞき見してたのはアリアの方なわけだしな。

 

「谷崎さん、大丈夫。敵じゃない」


「……う、うん、でも、こ、この感じって誘先生と同じ……」


「ああ。作戦会議の時に話した、『眠り姫』だ」


 ひきつった表情で頷く谷崎さん。恐怖と緊張が隠しきれてない。

 気持ちはわかる。


 オレとて敵じゃないと理性で理解していても、本能、いや、精神体である今は魂がっている。

 今俺達を見ている巨大な瞳。それは矮小な人間など及びもつかないほどに強大で、恐ろしい存在なのだ、と。


 恐怖を覚えるのは当然の話だ。今オレたちは渦を巻くブラックホールの淵に立っているようなもの。一歩踏み間違うどころか、空気の流れが少し変わるだけで即死しかねない。


 だが、このブラックホールは可愛らしい姿をしていて、会話もできる。そして、なによりオレの怪物ともだちだ。

 畏れることは大事だが、過度に恐怖する必要はない。


「アリア。話を聞いてたんだろ? 降りて来てくれるか?」


「え? いいのですか? アリア、てっきり道孝さまにお叱りを受けるものと……」


「𠮟るにしても、話すにしても顔が見たいよ。お礼も言いたいし」


「っはい! じゃあ、そちらに行きますね!」


 アリアがそう言った瞬間、空中の瞳が一瞬で消え失せる。

 代わりに現れたのは一粒の涙。人間大のそれは星空から零れ落ちて、地面で弾けると同時に、一人の少女へと変わった。


 メルヘンなドレスを着て、黒色のテディベアを抱えたその少女こそが『眠り姫』アリア。オレ達から少し離れた場所に降り立った彼女は白い、星の色の髪をなびかせながらこっちに歩みよってくる。


「え……? なに、あの子、すごいかわいい……お人形さんみたい……」


 谷崎さんが思わずそう漏らす。

 まったく同意だ。ありがたいことにオレの周りは美少女揃いの環境だが、その中でもアリアの容姿はやはり特別だ。


 まさしく夢の美少女。容姿も含めて存在そのものが現実味がないほどに理想的だ。


 一方で、やはり魔人の一角。その権能の万能性たるやすさまじく一歩ごとに、異界が作り替えられていき、俺たちの前に来る頃には美しい花々の咲き誇る庭園へと周囲の空間が変化してしまった。


 以前にアリアに招かれたのと同じ場所だ。すぐ傍には前回のお茶会で使用した円卓があり、椅子が3脚用意されていた。


 机の上にはカップが3つ。すべてに甘い香りのするココアが注がれていた。

 

「どうぞ、お掛けになってお二人とも。アリアの庭に歓迎いたしますわ」


「ど、どうも。谷崎しおり、です。よ、よろしくお願いします」


 優雅に腰かけるアリアに釣られて、谷崎さんも丁寧にあいさつを返す。その様子を微笑ましく思いつつ、オレも席に着く。


 相変わらず少し動く椅子に体重を預けて、少し息を吐く。夢の中で妙な話だが、オレもだいぶ気を張っていたらしい。ここに来てようやく人心地着くことができた。まあ、魔人のお膝元で安心するというのもどうかと思うが、アリアは少なくとも敵じゃないし、理由もなく襲ってこないだけで安心材料になる。


「よろしくお願いしますね、谷崎しおり様。どうぞ、アリアのことはアリアとお呼びください。他にも呼び名はたくさんありますが、その、お友達の前ではアリアはアリアのままでいたいので……」


「わ、わかりました。じゃ、じゃあ、アリアさんって呼ばせてもらいますね。わ、わたしのことはしおりって呼んでください。き、気軽に」


 それに、ロリ系美少女二人の会話も非常に癒される。こう、互いに最初は距離感が探り探りなのが実にいい。

 親しい間柄で交わされるフランクで、距離感の近い会話もまたよきものではあるが、新鮮さはこういう新しい組み合わせでしか見られないからな。


 ああ、オレの心のオタクオアシスが満たされていくのがわかる。久しぶりに壁の一部になって見守りたい気分だった。


「先ほどは盗み聞きなんてはしたないことをしてしまって申し訳ありません、しおり様」


「は、はい。そ、その謝ってもらえるなら、許します。そ、それにこの世界自体、本当は貴女のもの、だし……」

 

「それでも、ごめんなさいです。普段は誰かの夢の中でのお話は覗かないようにしているのですけど……その、しおり様にはどうしても惹かれてしまうをしていらっしゃいますし、それに、お相手も道孝様でしたので、つい……」


「香り……?」


「はい。深い海の、懐かしい香りです」


 アリアの答えにピンと来ていない様子の谷崎さんだが、オレには見当が付く。

 匂いというのは同族の匂い、あるいは同系統の異能を持つ者同士の共鳴のようなものだ。


 オレも自分と同じ陰陽道系統の業を使う相手はなんとなくわかる。

 理論的には引っ張て来ている力の源パワーソースが同じであるからこその現象だ。


 アリアと谷崎さんの場合はそれよりも遠い繋がりではあるが、という共通点がある。

 といっても、谷崎さんに憑いているダゴンはあくまで後付けで取り込まれているだけなのだが、だとしても、繋がりは繋がり。アリアはそれを香りと表現したのだ。


「そういえば、アリア。今回はありがとう。君の庭先を貸してくれて助かったよ。おかげでみんなといろいろ話ができた」


「まあ、お礼なんていいのに。道孝様は鍵をお持ちなんですから、いつでもここに来ていただいていいんですよ? それにどんな用途でお使いになられても、アリアはあずかり知らぬこと。何の差し障りもありませんわ」


 オレが礼を述べると、アリアは優雅な手つきでティーカップに口を付ける。

 つまり、自分は場所を貸しただけでそこで行われた企みについては感知していないし、協力もしていない、そういう体裁をとることで七公会議の誓約を回避したというわけだ。


 屁理屈ではあるが、異能の理屈は基本的にそんなものだ。体裁さえ整っていれば多少の無茶は通る。


「えと、そ、そのアリアさんと蘆屋君の関係って……」


「お友達ですよ? そして、なんとアリアの世界おにわに来てくださった初めての人間のお客様でもあるのです!」


「そ、そうなんだ。初めての……じゃあ、大事な友達、だね」


 「はい!」と頷くアリアに谷崎さんも微笑む。

 思えば、異能だけではなくその過去もこの二人は似ている。


 谷崎さんは取り憑いた神のせいで孤独となり、アリアも夢の世界の支配者としてただ独りで眠り続けなければならない。二人とも性格は違うが、自分ではない誰かを守るために自ら独りになることを選んだのだ。


 オレはその勇気と優しさに敬意を表したい。控えめに見える人間こそ深いところに意思の強さを秘めているもの。これは原作『BABEL』でも一貫して描かれていたことで、その中でも谷崎さん、谷崎しおりはその象徴といってもいい人物。オレも前世のころから大いに尊敬している。

 

「そ、それでですね、しおり様は2人目のお客様になるのですけど……その、よろしければ、しおり様もアリアのお友達になってくださいませんか? も、もし、アリアのような怪物でもよければですけれど……」


「う、うん、なるよ、友達。そ、それに、アリアさん、すごくかわいいし、人間じゃないかもしれないけど、わたしは好き、だよ?」


 だから、普通ならビビり倒してしまいそうな魔人からのお友達申請にも、自然にこう返せる。その効果のほどは花の咲くような笑顔でこちらを視線を送ってきたアリアからも明らかだ。


 オレじゃ同じことはできない。下心が混じるし、オタク心も出てしまう。純粋な気持ちでアリアに応えられるのは谷崎さんだけだ。


「うれしいです! アリアに2人もお友達ができるなんて! 夢のようです! 今日は記念日です! ああ、本当にうれしい!」


 アリアの感情に影響されてか、周囲の花々が一気に色づく。ただ鮮やかなだけではなく爽やかな風が吹き、芳醇な香りがする。ここら辺一帯の季節が春になったかのようだ。


 かなりの超常現象だが、この異界の主であるアリアの感情が周辺環境に影響を与えるのは当然ともいえる。ましてや、アリアは魔人の一角、その気になればオレたちを太陽系一周ツアーに連れ出すのも簡単だろう。


「――で、では、基底現実にはそんなにたくさんの物語があるのですか!? この100年で夢の種類がすごく増えたのでそんな気はしてたのですが、驚きです……!」


「う、うん。ジャンルも色々あるよ? ノマカプだけじゃなくて、リバースとかマイナーとか。あ、そうだ、アリアちゃんって呼んでもいい? そ、その、さんだとすこし距離があるし」

 

「も、もちろんです! ぜひ! ちゃん、だなんて、アリア実は密かに憧れていたのです!」


「そ、そうなんだ。じゃあ、わたしのこともしおりって呼んで? と、友達なんだし」


「は、はい! しおり様、いえ、しおり!」


 うーん、何と尊い光景だろう。目の前で親しげに言葉を交わす美少女二人。その一挙手一投足を、オレは一枚絵として脳裏に焼き付ける。


 オタクとしてのオレは今ここにいられるだけで幸せいっぱいだが、ただ幸せなだけではいられない。

 

 このなんでもない幸せが簡単に消えてしまうことを今のオレは理解している。

 だからこそ、勝たないといけない。彩芽いもうとを救うためにも、皆とこの世界で生きていくためにも、使える手はすべて使って戦いに勝つ。


 ――それが今のオレのオタクとしての矜持プライドだ。



 ――――


あとがき


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