第132話 すべて一夜の夢

 『BABEL』原作、いや、この世界におけるかの大陰陽師『蘆屋道満』を祖とする異界探索者の大家だ。

 その歴史は平安の御世から数えて千年を超え、権威、勢力共に日本国内においては最大と言っても過言ではない。


 これらの設定に対してオレは前世ではそれこそ設定だけのものだと思っていた。『BABEL』本編において登場した蘆屋の一族はかませ犬として死ぬ『蘆屋道孝』のみであり、強大な戦力であるはずの蘆屋本家は一切活躍しなかったからだ。

 数だけは多い烏合の衆、せいぜいフレーバーテキストで処理される程度のよくいるかませ犬の集団。それがオレの認識だった。


 その認識はこうして今の蘆屋道孝オレに転生してからもそう変わってはいない。

 実際、本家に常駐している術者、異能者は実戦経験のない素人が大半だ。中には例外もいるにはいるが、1000人いたとしてもそのうち999人は今のオレなら戦う前に無力化できる。


 問題は、そのたった一つの例外だ。その例外に対してどう対処にするかによってすべてが左右される。

 その例外の名は『蘆屋道綱』。当代の蘆屋本家の当主『道摩法師』であり、目の前にいるオレの義妹『蘆屋盈瑠みちる』の実の父親でもある。


 オレはこの世界に転生してから10年近くこの人物を倒すために準備をしてきたと言ってもいい。 実妹『彩芽』に掛けられた『隷属の呪い』を解くにはそれしかないと考えてのことだ。

 あの四辻商店街で盈瑠のことを知ってからはどうにかことを穏便に済ませようとも考えた。命のやり取りをせずとも、圧倒的な力を示して、彩芽のしがらみさえ解き放つことさえできるのなら、それでもよいのではないか、と。


 だが、今は状況が変ってしまった。変わりすぎてしまった。もはや、オレ一人ではどうにもならないほどに。だから――、


「盈瑠。先に言っておくことがある。まずは聞いてくれ」


「兄様。うち、うちは――」


 盈瑠の言葉を遮って、オレはその場に腰かけてあぐらをかく。


 目の前の盈瑠は今にも泣きだしそうな顔をして、白い寝巻を着ている。寝る時まで着物と言うのは実に盈瑠らしい。

 だが、今はかわいらしさにかまけてはいられない。 オレはその場で頭を下げ、妹にこう告げた。


「――すまん。お前には辛いことになる」


 オレがそう言うと、盈瑠が後ずさる。顔は見えないが、どんな表情をしているかは想像がつく。

 悲しくて、怒っていて、涙を堪える顔だ。当然だろう、実の父親が解体局の理事でありながらそれを裏切っていて、しかも、その父親が兄と慕うオレを殺そうとしていて、ついでにこの世界を滅ぼしかけないんだ。平静でいられるはずがない。


 妹にそんな重荷を背負わせてしまった不甲斐なさに、今更ながら舌を噛み切りたくなるが、それは許されない。

 

 もう一人の妹を、この場にはいない、いることのできない彩芽を救うためならば、オレは恥知らずにでも何でもなる。

 その上、世界の命運さえも左右するとなれば、もはや手段は選んでいられない。


「聞いての通り、これ以上、オレの味方をすればお前は伯父上と、いや、父親と対立することになる。それも、ただの権力争いじゃない。今までなら蘆屋家うちわの揉め事ですんだが、叔父上が八人目と、フロイトと繋がっているなら、解体局どころか基底現実全体に影響が出る」


「……それは、わかっとります。うちかて今は解体局の一員、その意味は重々…………」


 この世界が原作『BABEL』の大きな流れから逸脱しつつあるように、あるいは、オレやアオイやみんなが様々な経験を経て変わりつつあるように、盈瑠もまた変わった。


 学園に来る前の盈瑠なら蘆屋家の利益を最優先に考えて、基底現実、つまり、この世界がどうなるかなど気には留めなかっただろう。

 少なくとも、この世界が薄氷の上にあり、常に危機の最中にあるということを事実として認識していても、そこに実感は伴っていなかったはずだ。


 ここら辺は名家に共通する問題点ではある。

 普段の生活からして人間社会と隔絶しているし、なにより、基底現実が崩壊しても千年も歴史が続いているような家には大抵の場合、対抗手段がある。


 一族とその本拠地だけしかいない異界を一つの世界と定義するか否かはおいておいても、ともかく、名家の連中の危機感のなさはそこらへんに起因している。


 盈瑠はそれから脱却している。これはオレの影響ではなくここにいるみんなのおかげだ。谷崎さんやリサが同じ部隊の隊員として、アオイ、凜、リーズが一個人として友人になってくれたから、今の盈瑠がある。


 盈瑠は自分の父親をこのまま放置すれば何が起こるか理性で理解している。今の世界が基底から崩れ去れば、自分たち以外のすべてが失われてしまうのだと。

 

 そのことに感謝しつつも、オレは盈瑠に言わなければならない。、と。


「その上で、お前は好きにしていい。いや、好きにすべきだ。このことを全部伯父上に報告するのもいい。その、オレについてくれたら助かるし、嬉しい。でも、全部忘れてくれてもいい」


「全部、忘れる……?」


「ああ。夢現境ここは夢の中だからな。夢は醒めたら忘れるもんだ。覚えていようと努めない限りは」


 覚えていようと思わなければすべて忘れられるし、忘れようと思ってもそれですべてを忘れられる。この異界にはそういう法則ルールが働いている。

 

 二度訪れたことでそれを理解できた。眠り姫のアリア本人の性格がこの異界そのものにも影響しているのだろう。

 ここは危険な異界だが、同時に優しい場所でもある。


「だから、ここで聞いたことは全部忘れられる。こんなことを言うのは卑怯なのはわかってる。それでも、選択権はお前にある。それをまず、わかってほしい」


「……わかった。でも、うちには…………」


 ああ、オレは最低の兄貴だ。盈瑠の顔を見ているとそれを嫌と言うほど理解する。妹にこんな思いをさせている時点で罪万死に値する。

 でも、それでも、オレは盈瑠に縋らないといけない。彼女がいてくれなければ、


「その上で、お前に頼む。オレに力を貸してくれ。お前が協力してくれなきゃオレは勝てない」


「……それは、とと様を、殺すってことですか……?」


「違う。そうしないで全部を解決するために、お前の力を貸してほしい」


 オレの答えに、盈瑠は戸惑ったように瞬きをする。

 当然の反応だ。オレとて簡単なことだとは思ってない。


 異能者同士の戦いは必ず命の取り合いになる。

 どれだけ防御手段を用意しても、術や異能の大半は一撃必殺。戦いになれば互いにそれを行使する以上、決着はそのままどちらかの死を意味する。


 だから、双方によほどの実力差がなければ、あるいは生け捕りに特化した術でも用意しなければ、生け捕りは不可能と言ってもよい。

 

「……正直に言えば、今のオレなら本家の戦力の大半はどうとでもなる。でも、伯父上、道摩法師は違う。理由は、お前も知ってるだろ?」


「……初代様の御霊ごりょう、『道摩星満陣どうませいまんじん』」


 盈瑠の答えに、オレは頷く。

 あの陣、いや、一つの異界とも言うべきものは蘆屋家の人間であるならば皆知っているものだ。

 

 深結界『道摩星満陣どうませいまんじん』。

 かつて初代道摩法師が自らの一族を保護するために張った結界。それは今や変質し、一つの意志を持つ異界へと変容した。


 その意志とは『いかなることがあろうとも蘆屋の家を存続させる』というもの。

 初代道摩法師の残留思念ゆえか、あるいは住民の願いが通じたのか、そのような意志を持つに至った異界は代々の道摩法師に力を与え、一族に連綿と受け継がれる式神との契約、そのすべての管轄権を与える。


 つまり、『黄幡神』を含めた蘆屋の一族共通の式神は本家との戦いに使えない。一応、契約には手を加えまくって式神との契約そのものは握られないようにしているが、『陣』の中ではオレの式神の半数は力を発揮出来ないというわけだ。

 

 無論、対抗策は用意している。用意しているが、道綱伯父がフロイト本人、もしくはその協力者であることが明らかになった今では少々、いや、めちゃくちゃ心許ない。

 鏡月館で見たような『複合怪異』や他の戦力が出てきたら、どう考えてもオレ一人じゃ対抗できない。


 ……いや、違う。

 。ここ半年でオレは力を付けた。うぬぼれではなく直感として確信している。

 だが、それこそが、オレには解決のできない問題の本質と言ってもいい。


「なので、困っている。いや、困り果てている。だから、みんなに、お前に、オレは縋りつくしかない」


  伯父上をどうにかしなければ彩芽は救えない。だが、伯父上を殺せば盈瑠に消えない傷を刻むことになる。

 この矛盾を解消することはオレ一人では不可能だ。オレだけでは2人の妹を救うことができない。情けない話だが、身内の恥を雪ぐにはみんなの助けが、盈瑠の助けが必要だ。


「……うちが兄様に味方すれば、全部うまくいくって言うん? 彩芽ねえさんは解放されて、父様を殺さずに止めて、世界も救えるなんて、そんな保証がどこに――」


「ない。信じてくれとも言えん。お前の協力がないとオレはなにもできない。どうしようもない兄貴だと思ってくれていい」


「…………情けない話やね。じゃあ、なに? ぜんぶうち頼みってわけ?」


 オレのあけすけな言葉に、盈瑠は呆気に取られて、それから短くため息を吐く。すると、口元には観念したように微かな笑みが浮かんだ。


 よかった。断られたらどうすることもできなかったし、なにより、妹に悲しい思いだけをさせて終わりにはしたくなかった。


「あんまり情けなくて哀れやから、話だけは聞いてあげます。でも、あんまりくだらなかったら全部忘れたるから、覚悟してくださいね?」


 無理して悪戯っぽく笑う盈瑠。ありがとう、と再び頭を下げて、今度は皆を見る。皆も皆で呆れたような感心したような表情でオレを見ていた。


「みんなも聞いてくれ。その上で、盈瑠と同じように忘れるか、覚えているか、決めてほしい」


 そうしてオレはその『作戦』をみんなに話す。

 10年考え続けてきた作戦。状況が変わってしまった今、それを成立させるにはみんなの協力が不可欠だった。



――――――――


あとがき


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