第130話 みんな大好き夢の国

 深異界の一つ『夢現境』に迷い込んでしまったオレと山三屋先輩は慎重に奥へと進んでいた。

 オレも先輩も現実の肉体はベッドの上で眠っていて、ここにいるのは精神体のみ。おかげでどうにも普段より調子が出ない。術師であるオレでさえそうなんだ、肉体そのものが異能とも言ってもいい先輩にとってはなおのことだろう。


 そのせいもあってか、先輩は先を進むオレの手を強く握ってる。仮初の精神体の身体でも痛みが感ぜられるほどに。


 気持ちはよくわかる。オレたち探索者は怪異や異界という一般人が対処不能な理不尽に対して、異能という理不尽で対抗している。その異能が不調をきたしているということは、裸でジャングルに放り出されたようなもの。それこそ、いつどんな理不尽に遭遇して死んだとしてもおかしくはない。


 普段は気丈な先輩が弱気になるのも頷ける。実際、ピンクモフモフなうさ耳パジャマでおっかなびっくりついてくる先輩はめちゃくちゃかわい――もとい、お労しい。早く不安を解消して差し上げたいのだが……オレもこの状況について確信があるわけじゃない。


「あ、アシヤン! な、なんかいる! なんか見たことあるけど見たことない感じのちょっとハゲたおじさんがこっち見てる!」


「そのおじさんは無視してください。たぶん、有害なので」


 先輩のいう通り、水晶の花畑の向こうからスーツを着たおじさんがこちらを見ている。どこかで見たような見たことがないようなにやけ面だが、あまり意識を向けているとこっちの夢にまで付いてきかねないので、無視する。


 ここ、夢現境は個人の夢じゃなくて人類全体の夢の集積地でもある。そして、夢とは無軌道で、無秩序。なんでもありの世界だ。

 それこそ、突然、花が喋り出して、ついでに歩き出して、ミュージカルを始めるなんてこともありうる。

 

 いやいや、夢だからな。眠り姫は比較的人類に好意的とはいえ、一度世界が滅びてそれが夢でしたなんてオチの夢も――、


 そこまで考えたところで、自分の馬鹿さ加減に気付いて思考を打ち切る。ここは夢の中、オレが裸の状態から考えるだけで制服を着られたように思考がそのまま事象として出力可能だ。

 妙なことを考えれば、それがそのまま起こりかねない。思考の手綱をきちんと握っておかないといけない。


「こっちだよー、こっちだよー」


 実際、余計なことを考えたせいで水晶の花が喋り出して、オレたちを誘導している。先輩はファンシーさとメルヘンさに感動しているが、オレにその余裕はない。

 

 ……行くべき方向はわかっている。ここに先輩を含めたを呼んでしまったのはオレだ。だから、皆の安全は確保されている、はず。

 いや、逆だ。オレがみんなと先輩が無事だと思い込んでいれば、この場においては安全が確保される。原理的にはそうだ。


 だから、オレが今すべきことは皆の無事を信じて、先輩と話をしながら、進むこと。

 オレと先輩が今こうして二人きりになっているのにはそういう意味がある、はずだ。


「すっごいキレイ! マジテンションアゲアゲ丸! カミノマニマニ!」 

 

 さすが先輩。頑張ってギャル語を使っているが、素の育ちが良さが漏れ出ている。かわいい。


 ではなく、覚悟を決めて話をしないと。オレは先輩に謝らなければならないことが一つある。


「――先輩。話があるんですが、いいですか」


「へ? な、なに、きゅ、急にシリアスな顔して、あ、あーし、なにかしちゃった……?」


「いえ、何かしたとすればオレです。ともかく聞いてください」


「ひゃ、ひゃい。そ、その、優しくしてください……?」


 何かを勘違いしている先輩のかわいさを目に焼き付けつつも、オレは話を始めた。


 凜とのデートで迷い込んだ異界とそこで起きた出来事の顛末。そして、あの『語り部』が今どうしているのか、を。


「――つまり、アシヤンはあの指名手配犯で、アシヤンの命を狙ってた上に、あーしも誘拐しようとしていた語り部を逃がしちゃったってことね」


 オレが話し終えると、先輩がそう事態を要約してくれる。

 ……繋いだ手は離れてはいない。でも、先輩の表情はフードで隠れて伺えない。


 怒っている、のだろうか。いや、怒るべきだ。語り部は山三屋先輩にだけではなく、先輩のご両親に暗示をかけて利用していた。娘である先輩にしてみれば許しがたいことだ。


 そんな語り部を前にして、オレは何もしなかった。

 実際に逃がしたのは先生とはいえ、オレもそれに反対しなかった。いや、それどころか、先生が逃がさなきゃオレが逃がしていた。


 オタクとしては正しいかもしれないが、人間として、友人としては別だ。

 ……いまさら何をって話だが、オレは先輩に対して、いや、皆に対して誠実でありたいと思っている。実際は秘密ばかりだし、話せていないこともたくさんあるけど、それでもそうありたいとは考えている。


 だから、先輩に語り部について話した。黙っていれば誰も傷つかないのかもしれないが、それがいい結果を招くとはどうしても思えなかった。


「……道孝くん」


 歩き続けていた先輩が足を止める。普段とは違う呼び方に、オレも振り返った。

 つないだ手が離れる。オレは覚悟を決めて目を瞑り、頭を下げようとして――、


「先輩ごめんな――あだっ!?」


 小さな衝撃がこめかみに当たる。咄嗟に目をあけると、先輩にデコピンされたのだと分かった。

 精神体なのにきちんと痛い。それはつまり、この一撃にきちんと感情が籠っていたということでもある。


 目の前の先輩の表情は真剣そのもの。怒っているようにも、悲しんでいるようにも思えて、胸が張り裂けそうだ。


「道孝くん。あたしは怒ってます」


「……はい」


 真剣な先輩の言葉に頷く。デコピンどころかビンタ、いや、右ストレートでぶん殴られても文句は言えない身だ。どんな非難も覚悟の上だ。


「でも、それは道孝くんが語り部を逃がしたからじゃなくて、道孝くんがあたしたちのことを分かってないから怒ってるんだよ。そこ、ちゃんと、理解して?」


「オレが、先輩のことを、分かってない……?」


 ショックのあまり、心臓が止まる。

 

 オレが……このオタク《オレ》が、山三屋先輩のことを分かっていない……? そ、そんなことが、そ、そんなことが………あっていいはずが、ない……!


 で、でも、ほ、ほかならぬ先輩がそう言っているんだし……この世界が原作の世界とイコールでないことはオレも分かっている。分かっているけど、分かっていても、直接分かっていないと言われるのはショックだ。それこそ、生命活動が停止しそうなほどに。


 だ、だが、悪いのはオレだ。し、心臓が止まりそうな程度、オタクの意地で耐えてみせる。

 ……どうにか持ち直した。理解できていないなら理解すればいいんだ。

 

 涙が出るほどありがたいことに、先輩はその機会をくれている。オレも本気の本気で向き合わないと。

 

「マ、真剣マジ顔……! ず、ずるい! かっこいい顔されるとお説教しづらい!」


「す、すいません。でも、お説教はお願いします……! どうか!」


 オレの顔がかっこいいかどうかはこの際わきに置くとして、先輩のお説教は絶対に受けておきたい。オレ自身の根源オタク的な成長のためにも……!


「み、道孝くん、ときどき変な感じになるよね……まあ、そういうところも可愛く見えちゃうのは、あたしの負けかな……」


「はい?」


「な、なんでもない! ともかく、道孝くんはあたしたちを分かってない。というか、ナメてます」


「オレが……みんなを……ナメてる……?」


 それは……物理的な意味で……?


「そ、そんなわけないじゃん! まさか道孝君、ほかの子と会う時はそんなことしてるの!?」


「してません! で、でも、オレ……」


 オレがみんなをリスペクトしていることは伝わっていると思っていたが、そうじゃないのかもしれない。というか、オレ自身自覚して無くともそう思われるような行動をしていたとしたら…………もしそうなのだとしたら、万死に値する。


 なぜかハーレムを築いているみたいになっている時点で死刑不可避なのに、この上、ディスリスペクトなことをしていたとしたら、オレは……オレは……!


 なんだか、周囲の花々もしおれてきた気がする。というか、このまま沈んで消えてしまいたい……、


「し、死にそうな顔! い、いや、道孝君がみんなのことを大好きなのはわかってるから! そこじゃないっていうか、なんというか……そうだ、好きすぎて過保護になっちゃってるんだよ! あたしが言いたいのはそこなの!」


「オレが、過保護……?」


「そ、そう、あ、あたしのこともだけど、いろいろ気をまわしてくれてるじゃない? 前に、お父さんとお母さんのお見舞いにも来てくれてたんでしょ? 暗示の残渣検査が早く終わるように手も回してくれたって聞いたよ?」


「それは当然だと思いますが……」


 どうやらオレが思っていた感じの話ではなかったようで少し安心したが、そっちはバレてたか。少し気まずい、と言うか、恥ずかしい。

 ……先輩がオレに余計な気を回したり、借りを作ったと思わないでいいように内緒でお見舞いに行ったり、先生に掛け合ったしたのは事実だ。


 なにせ、暗示を掛けられた後の残渣検査には時間がかかる上に、順番待ちだ。セキュリティの関係上、仕方がないのはわかるが、見る人が見れば暗示が残っているかどうかの検査は一瞬で済む。

 

 実際、先生とオレが検査を代行することで先輩のご両親は退院できている。語り部はお2人に強力な暗示を掛けてはいたが、それは同時に精神に対して何ら悪影響を残さないクリーンなものでもあったのだ。


「それだけじゃないじゃん。異界に潜るときも自分だけじゃなくてみんなの分の形代を用意して、いざという時は自分が身代わりになれるようにしてるし。今だって、あたしに危険がないようずっと気を張ってる」


「それも、当たり前のことをしているだけで……」


「ううん。ちょっとやりすぎ。語り部を逃がしたことだって、道孝君なりにきちんと考えて下した結論ではあるんでしょ? 語り部ももう二度とあたしには手を出さないって約束してくれだって話だし。だったら、そこまで気にしなくてもいいんじゃないかなーってあたしは思うよ。だいたい昔から狙われてたりするのは慣れてるし、なんなら、うちのパパママだって元探索者なんだから覚悟はできてる。幸い今回はみんな無事で済んだし、ノープロブレムなの」


 先輩は優しい。自分の気持ちよりもオレの罪悪感を慮ってこう言ってくれている。

 その優しさが、心が温まるように嬉しく、胸を引き裂かれるように辛い。

 

 でも、甘えてしまう。先輩の両手がオレの頬に添えられ、俯いていた顔が上を向いた。


「でも、まったく怒ってないわけじゃないよ? だから、デコピンしたの。語り部を逃がしちゃったことも、自信をもてなくて、ときどき変なところも、すぐに女の子を口説いちゃうところも、気が多いところも、今日のところはあれで許してあげる」


「でも、先輩」


「でもも抗議も聞きません! それでも気になるなら今度、パパママに会ってあげて。助けてくれたお礼言いたがってたから」


 そのくらいお安いご用だと答えると、先輩がほほ笑む。外伝小説の挿絵にあるような、いや、それ以上に魅力的な、彼女の笑顔に、呼吸さえ忘れる。

 この瞬間を永遠に脳裏に刻みつつ、オレはこれ以上、甘えてはいけないと自制しようとする。


「……先輩、オレは」


「反論はNG! たまには年上のお姉さん先輩として、いい女ぶりたいほのかちゃんであったー!」


 でも、ダメだ。どうしても先輩には勝てない。そう言って手を離して、照れくさそうにオレを指さす彼女が魅力的過ぎて、もう、心が蕩けてしまう。

 それこそ、『ほのかちゃんかわいいやったー像』を建ててもいい。いや、建てるべきだ。誰も建てないなら、オレが建てる。それくらいの気持ちだ。


「え、えと、銅像はいいかな。あの、恥ずかしいし……?」


「先輩!? 読心能力があったんですか!?」


「そ、そうじゃないかなー。そ、その後ろ見て?」


 言われて振り返ると、そこには『ほのかちゃんかわいいやったー』という看板のついた先輩の1分の1銅像が建っていた。

 ……ここ、夢現境だったな。我ながら浮かれすぎだ。


「と、ともかく先輩、その、ありがとうございます。なにもかも」


「よろしい。謝るんじゃなくて、感謝の言葉を言えたので花丸あげちゃいましょう!」


 気を取り直して、再び先輩の手を取る。今度は先輩が先で、オレが後。先輩は時には甘えることも信頼の証だと、身をもって示してくれているのだ。


 ……本当、オレなんかにはもったいない先輩だ。山三屋ほのかはやっぱり、憧れの先輩で、お姉さんで、主人公なのだ。


「――あれ? 人影? てか、この気配」


 しかし、歩き始めた瞬間、先輩が何かに気付く。オレも釣られて、同じ方向を見つめる。

 そこには、確かに人影があった。数は6。そのどれもに見覚えがある。


 ……みんなだ。向かって右側にアオイに、凜、リーズ。左側には盈瑠、谷崎さん、朽上さんことゴマさん改めリサ。

 よかった。みんなちゃんと服を着ている。寝間着だけど。


 今までみんなが見えなかったのは、おそらくオレの無意識の影響だろう。先輩に対して2人きりで謝っておきたいという思考が……って、待てよ。この距離、もしかしてさっきまでのやり取り全部聞かれてた……?


 瞬間、同じことに気付いた先輩が羞恥のあまりに沸騰した音が聞こえた。具体的に言えば薬缶で湯が沸く音。まあ、夢の中だからね、イメージが投影されちゃうからね、仕方がないね。


 だが、今みんながここに現れたということは、その時が来たってことだ。

 八人目の魔人と暗躍するフロイト、そのことについてみんなに明かすべき時が。


――――――――

あとがき

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