第129話 夢の中って思うとおりに動けないよね
目が醒めると、そこは一面の花畑だった。しかも、周囲に咲き誇る花弁は全て透明なクリスタルでできており、上空からの光を反射して柔らかな輝きを放っていた。
これだけだと寝ている間に死んで、あの世に送られたのかと誤認しそうになる光景だが、オレはこの光景に見覚えがある。
深異界の一つ『
もっとも、それが分かったところで事態が好転したかと言えばそうでもない。いや、むしろ、死んでいる方がマシだったかもしれない。
ありとあらゆる異界の中で深異界は特別だ。基底現実、オレたちが普段生活している現実世界に切除不能なほどに深く食い込んでいるというだけではなく、その危険性も、存在する怪異の脅威度も通常の位階とは比較にならない。
……前回はそばに先生という規格外中の規格外がいたからある程度の安全は担保されていたが、今はどうだ。今のオレは果てしなく無防備――、
「ってなんだ!? 裸!?」
そこまで考えたところで、急に自分が全裸であることに気付く。クソ、バカすぎる。どうしてこんなことに今まで気付かなかったんだ!?
い、いや、それどころじゃない。まずは六占式盤を展開して、周囲の警戒を……、
「…………落ち着け。そういうんじゃないだろ」
異能を励起させようとした瞬間、感覚の違いがオレの思考に冷や水を掛ける。
そうだ。問題はオレが裸なことでも、ここが深異界であることでもない。オレがなぜここにいるのか、それが一番の問題だ。
答えはわかっている。あとは確かめるだけだ。
「……ここは夢現境、なら、これは夢。だったら」
脳裏に描くのは、制服を着ているオレ自身のイメージ。それが明確な像を結んだ瞬間、オレの姿は思い描いた通りの制服姿に変わっていた。
やっぱりそうだ。オレは今、夢を見ている。より正確にいえば、睡眠中にオレの意識だけが夢現境の入り口に飛ばされているのだ。
だから、脳裏にイメージを描くだけで姿を変えられるし、最初に裸だったのもむき出しの精神だけがこの異界に来ていて、無意識下の印象が反映されていたからだ。
迷い込んだのか、あるいは呼ばれたのか……、
「そういえば――」
制服の上着のポケットに何かが入っている。取り出してみると、それが何か分かった。
鈍い光を放つ銀色の鍵。前回この夢現境を訪れた際に、魔人の一角である『眠り姫』、アリアから渡されたものだ。彼女はこの鍵を自分の領域に繋がる鍵だと言っていた。
貰って以来、厳重にしまい込んでいた代物だ。それがオレの上着に入っていたということは、オレは招かれたの……か?
「……待つか。進むか」
おおよそ状況は呑み込めたが、どうすべきかは難しい。
今ここにいるのはオレの精神だけだ。だから、襲われても死ぬ心配はない、というわけじゃない。むしろ、肉体がない分、今ダメージを受ければそれらは全て精神に還元される。精神力が持つうち、つまり、立ち直れる程度のダメージなら問題はないが、強烈なショックを受ければ肉体は無事でも自我が崩壊しかねない。
一方で、自衛手段である異能は十全とは言えない。
肉体と言う枷がない分、自由に行使できそうにも思えるが、オレの陰陽の術はオレの肉体が蘆屋家の一族のものであるから使えるものでもある。
いわば、心技体の内、体が欠けている。感覚的な問題だが、今複雑な術の制御を行えば手ひどいしっぺ返しを食らう。
原作でも似たような状況はあった。その時は主人公である『土御門輪』がヒロインである谷崎さん、谷崎しおりの精神に潜っていたが、今のオレと同様異能の制御が難しくなっていた。
危険な深異界をそんなおぼつかない状態で歩き回るのは無謀を通り越して、自殺行為だ。
かといって、ここで迎えを待つというのも得策には思えない。事実、最初に来た時と同じどこか彼方からこちらを覗くなにものかの視線を感じる。
先生は決して目を合わせるなと言っていた。その忠告には従うとして、ここで待っていたらいずれは耐えられなくなる、そんな予感があった。
仕方がないので歩き出す。改めて考えるにしてもまずは安全な場所を見つけないと。
最低限、方位陣での危険探知は行うが、ここは深異界。遠近問わず周囲にやばい怪異が溢れすぎていて、警報はなりっぱなし。ほとんど機能してない。
怪異がこちらに接近してきた場合は感知できるだろうが、そもそも、ここは夢の中。物理的な距離にどれだけの意味があるのか――、
「――ん?」
そうして歩き出した瞬間、何かを見つける。肌色のシルエットがクリスタルの花畑の最中に転がっていた。
……人だ。この柔らかな隆線は女性で間違いない。幸い横向きに寝ていて、背中しか見えない。しかし、不本意ながらこの背中には見覚えがある気がする。
シミ一つない白い背中。筋肉が付いているが、柔らかさもあって、それでいてどこか頼りになりそうなこの背中は――、
「山三屋先輩……?」
「だ、だめだよ、あしやん、もうたべられないよ。あ、でも、けーきはべつ、ばら……むにゃむにゃ」
オレがそう呼びかけると、先輩が寝言で返事をしてくる。器用なことするなぁと感心していると、先輩が寝相を変えてあおむけになってしまう……!
「うおっ!?」
慌てて視線を背けるが、一瞬見てしまう。
引き締まったおへそに、健康的な張りをもった双丘。触れずとも分かる肌の柔らかさ、なにもかもが煽情的で……い、いや、考えるな! 欲を封じるんだ、
だが、やっぱり綺麗だったな、先輩の
水着の時も思ったが、先輩の肉体美はアオイのそれともまた種類が違う。アオイが機能美、強くなるために得た美しさならば、先輩のは美のための美、いわば装飾美だ。
いや、こんな風に対比すると誤解を招きそうだから言っておくが、この二つに優劣などない。
そもそも目的が違う。先輩の扱う異能はかの出雲阿国に連なる『阿国流柔拳法』。拳法とはついているが、歌舞伎の祖とされ、踊り子でもあった阿国由来の技術だから、当然その技には神楽や舞踊のエッセンスが含まれている。だから、先輩の鍛え方はダンサーや役者の体作りに近い。ようは、肉体で美しさを表現することで己の異能の精度を上げているのだ。
先輩がよく食べるのもこの異能がゆえだ。大量のカロリーを摂取しても、戦いや修練の際には、それでも足りないほどに先輩はエネルギーを消費している。だから、この美しい肢体を保っていられるというわけだ。
と、先輩自身のことは一旦わきに置くとして、分からないのは先輩がなぜここにいるか、だ。
これはオレの夢なのだとしたら、目の前の先輩も夢の中の先輩というのが一番端的な可能性だが、どうにも違う気がする。
夢の住人ならオレが先輩が服を着ている姿をイメージした時点で、先輩も服を着ているはずだ。それが起きていない、ということはこの先輩は先輩自身、先輩の精神体という可能性が高い。
……確かめるしかない、か。
「……先輩起きてください」
制服の上着を脱いできちんと先輩にかけてあげてから、声を掛ける。
「え、ぷりんもいいのぉ? うれしーむにゃ」
「先輩、起きてください。そのプリンは幻です」
「そんなことないよー、こんなにおいし――んにゃ?」
気持ちよさそうに寝ているところを起こす罪悪感にさいなまれつつも、何度か声を掛けて先輩を起こす。
瞼がゆっくりと開いて、眠気眼がオレを捉えた。そうして、最初はっきりしていなかった意識がしっかりしていき――、
「ちょっ!? なにっ!?」
寝た姿勢のまま、3メートルほど飛び上がった。そのまま少し離れた場所に音もなく着地した。びっくりした猫でもこうはいかない。さすがの身体能力だ。
そして、よかった。とっさに掴んだオレの上着で前は隠れている。それでも色々はみでているが、丸見えよりはいい。
「どどどど、どうして、道孝くんがここに!? というか、なんであたし裸で……!? ゆ、夢!?」
「先輩、落ち着いてください。まずは服を着ている自分をイメージして……」
「い、いきなりなんて、そんなはしたなさすぎるよ!? あ、でも、あたし水着で抱き着いたこともあるし、そう考えると……い、いや、でもでも!」
状況に脳がオーバーヒートしたのか一人芝居を始める先輩。微笑ましいが、このままだと延々悶々としてそうなので、なだめることとする。
「先輩、ここは夢ですが、夢の異界で、オレたちは今意識体の状態です。なので、落ち着いて、服を着ている自分をイメージしてください」
「ふ、服!? どんな服!?」
「なんでもいいです。でも、できれば落ち着けるやつで」
そう答えると先輩は念仏のように「落ち着けるやつ」と繰り返す。数秒もすると、ポンという音ともに先輩がピンク色の煙に包まれた。
……えらいファンシーな効果音と特殊効果だな。やはり、夢の中での想像は本人の無意識に引きずられるのだろう。
「……ウサギ、ですか」
煙の名から現れたのは、ピンク色のモコモコ生地で、うさ耳のフードのついた寝間着姿の先輩だ。
これはまさか、設定資料集に設定画だけが掲載されていたあの伝説の『ほのかちゃんフカフカ寝間着』では……!?
オレを含め全オタクから映像化、商品化を望まれながらそのフカフカ感の再現の難しさからついぞ叶わなかった、フカフカ寝間着ほのかちゃんが今、オレの目の前に実物として存在している……!
ありがとう、運命……! オレはこの光景だけであと千年は戦える……! 写真撮りたい……!
「あ、アシヤン、見惚れすぎ―! あ、あーしの魅力にワンパンされちゃった?」
「はい。もう今生に悔いはありません」
「だ、だめだよ! 生きないと! 今度おいしいパフェのお店、一緒に行こ?」
オレが感激に涙を流していると、先輩が慰めてくれる。
……天使や。天使がここにおる。寝たまま深異界に放り出されて正直、心細かったが、先輩のおかげで勇気10000倍だ。
「――つまり、ここは深異界の一つってことね。な、なーるほど、あーし、深異界デビューしちゃったんだ、こ、これで、あーしも、エリート探索者の仲間入り、かなー」
現状分かっていることを説明すると、先輩の笑みがひきつる。いつものギャルムーブも心なしか不安そうだ。
なんてことだ。先輩が不安になっている。しかも、おそらく先輩がここにいるのはオレの巻き添えだ。
どうにかして先輩を安心させて差し上げなければ――、
「あ、アシヤン、あれ見て! な、なんか矢印!」
「……ですね」
先輩の指さした方向を見ると、そこには水晶の木が生えている。しかも、自己主張著しく矢印型に葉を茂らせ、前に進めと告げていた。
「とりあえず、行ってみましょうか。多分害はないと思います」
「そ、そう? じゃあ、アシヤン、エスコートしてよ。夢の中で会うなんてメ、メルヘンでいいかもだし」
「ですね、オレも先輩に会えてほっとしてます」
差し出された手を取る。先輩の手にはかすかな震えと緊張がある。それを俺が引き受けられるように強く握った。
先輩の思い描くような王子様じゃないけど、それでも今はオレが先輩を守る。
……矢印の先にあるのが何かは分からない。
でも、分かったことが一つある。
先輩がここにいるのはオレのせいだ。オレが無意識下で先輩と話したいと、謝りたいと思ったから、ここに先輩はいる。そう考えればすべての説明がつく。
おそらく、オレはここに招かれたんじゃない。オレの無意識に鍵が反応した。
誰にも知られず、誰にも聞かれずにみんなと話のできる場所を望んでいたオレを銀色の鍵がここに導いたのだ。
――――――――
あとがき
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