第128話 この夏が終わったら
先生の管理する異界から退出したオレと凜は平坂神社でのお祭りデートを楽しんだ。
金魚すくいやくじ引き、綿あめにりんご飴。最後には2人で神社の裏手で一緒に花火を見た。
どこにでもある思い出だ。特別に記録しなければならないほどの
でも、それでいい。本当に大切なものは大抵の場合、こんなものだ。ふとした時に、あるいは何かの節目に思い出す、幸福なんてものは結局、その程度のものでいいのだ。
ともかく、きっちりデートを堪能したオレは凜を寮に送り届けて、門限である22時前に屋敷に戻った。
凜はまだ遊びたそうだったが、また今度と約束して別れた。思い出と同じく約束も人と人を繋いでくれる。
最初の予定通りの時間に戻れたのは先生が異界にいた間の時間経過をなかったことにしてくれたおかげだ。まあ、それを言うなら、そもそも時間に間に合わなくなりそうだったのは先生のせいだから、ただプラスマイナスゼロになっただけではあるのだが。
館の門の前にはアオイがいた。以前のデートで来ていた青いジーンズのジャケットを羽織って、壁に背を預けている。
オレにはまだ気づいていない。考え事でもしているのか、夜空を見上げてため息を
……アオイにしては珍しい表情だ。彼女は基本的に思ったことを迷わず口に出す。恋でも、友情でも、戦いでもあれこれ考えるよりも行動で示す方が手っ取り早くて、正しいというのが彼女の信条だ。
なので、物思いにふける描写は原作にもほとんどない。表情差分にもこういう顔はなかった。
なんかこう、アンニュイな表情のアオイも綺麗だ。だが、これは、もしかして、オレを待っているんじゃないだろうか。だとしたら、申し訳ない。珍しい表情を網膜に焼き付けてから、オレは彼女に声を掛けた。
「ただいま」
「…………おかえりなさい」
オレが姿を現すと、アオイは一瞬、気恥ずかしそうな表情を浮かべた後、そう迎えてくれた。
「待っててくれたのか」
「……ええ。夫を待つのも妻の務めですから」
今度は拗ねたような顔をするアオイ。立ち絵も立ち絵で素晴らしいが、やはり、実際のアオイは表情豊かで一味も二味も違う。
それに、なんだ、男としてもオタクとしても美少女が自分のことを待っていてくれたという事実はとても嬉しい。相手があの山縣アオイともなればなおさらだ。
もっとも、そんな歓びとは同時に後ろめたさや申し訳なさ、心配も覚える。
今更ではあるが、オレの一週間をみんなで分け合っている現状はひどく不道徳な状況ではあるわけだし、付き合う付き合わないはわきにおいてもアオイは正当な許嫁だし、本当ならこの状況に甘んじてくれているだけで特例中の特例なのだ。互いに納得の上のこととはいえ、アオイには悪いことをしている。
ついでに言えば、夜とはいえ夏。今日は比較的涼しいが、この時期は熱中症の心配もある。アオイの体力は超人的で大抵の病気や体調不良にはかからないし、少し気合を入れれば治ってしまうが、だからといって心配しない理由にはならない。
……そういえば、いいものを持っていた。
「アオイ、これ」
ショルダーバックから未開封のラムネを取り出し、アオイに差し出す。
平坂神社の方の祭りで飲もうと思って買ったはいいものの、結局、バッグの中に入れっぱなしになっていたものだ。
うん、まだ冷たい。お土産というわけじゃないが、夏まつりの雰囲気くらいは感じられるだろう。
「なんです、これ?」
「ラムネだ。もしかして、飲んだことない?」
「え、ええ。詰まっているのは、ビー玉?」
アオイはラムネ瓶の上部を見つめて、心底不思議そうな顔をする。まあ、確かに初見だとどうやって飲んでいいかわからないよな、ラムネ。
アオイの生家である山縣家は家格で言えば蘆屋本家と同格の名家だ。うちのように派閥を形成したりはしていないが、異能者の家らしく外部とは没交渉で基本的に摂津の山奥の異界に閉じこもっている。
アオイが一般常識に疎いのはそのせいでもある。今までラムネを飲む機会がなかったとしても不思議じゃない。
「貸してくれ。やり方を見せるよ」
一度返してもらってから、ビー玉を押し込んでラムネをあける。からんという音ともにビー玉が瓶の中に落ちた。
「……面白い飲み物ですね。炭酸飲料ですか」
「ああ。夏の風物詩ってやつだ。飲んでみてくれ」
オレがそう促すと、アオイは恐る恐る口を付ける。そうして、戸惑いは花が開くような微笑みに変わった。
う、うわあああああああ! 初めて見る表情だ! スクショ、スクショボタンはどこだ!? ちくしょう現実だ、目に焼き付けるしかない。
いつものアオイの表情はどちらかと言えば艶やかであったり、力強かったり、クールだったりすることが多いのだが、今回はマジでかわいい系、いや、その極致と言ってもいい。年相応の少女が初めての甘味を楽しむ様子、キュートを通り越してもはやインパクトだ。あまりの衝撃に、オレの心臓は停止する。
「……なんです、人の顔を見てニヤニヤして。私が相手でなければ犯罪ですよ」
「すまない。顔に出てしまった。少し座ろう」
オタクがあふれ出してしまったか。気を取り直して、玄関前の階段に2人で腰かける。いろいろあって疲れてはいるが、今はアオイと話をしたい気分だった。
「それで、その顔からすると、何かあったようですね。またぞろ面倒ごとを抱え込んできたと見ましたが」
「……わかるのか?」
隣で一息吐いていると、アオイに指摘される。タイミングを見て話すつもりではあったが、こうも簡単に見抜かれるとそんなに表情に出やすいのかと不安になる。
「分かるに決まっているでしょう。愛とはそういうものです」
「……分かる気はする」
オレもオタクとして皆の些細な変化を見逃さないし、その理由についても常に考察している。それもまた愛ゆえだ。アオイがオレに同じことをしてくれているのだと思えば、納得ではあった。
いや、納得どころの話ではない。嬉しすぎるし、面はゆい。毎度のことだが、こんなことがあっていいのか、これは夢なんじゃないかとそんな気持ちさえ湧いてくる。
だが、これは現実だ。ここまで愛されて、今は話せないとは言えない。
「――実は」
「はい、これ」
しかし、話しだそうとした瞬間、口元にラムネの瓶が突き出される。
プラスチックの飲み口に唇が触れて、さわやかな炭酸飲料が舌先に触れた。
……これってもしかしなくても間接キスだな。そう自覚した瞬間、いろんな熱が全身を駆け巡って頭にまで昇ってくる。ことあるごとにキスさせられているし、しているし、間接キスも二度目だが、どうにもこればかりは慣れない。
「ふ、今日は私の勝ちですね。こちらばかり照れているのでは面白くない」
口元に手を当てて、いたずらっぽく笑うアオイ。そんな彼女の耳も真っ赤になっている。どうやらこの間接キスは自爆攻撃だったらしい。
あまりにもかわいすぎて、衝動的に抱きしめてしまいそうになるが、どうにか堪える。
だが、こんなことをしたということはアオイは――、
「…………話さなくていいのか、その何があったのか」
「貴方次第です。話したいのなら聞きますし、私も本心を言えば聞きたいです。でも、二度手間になりそうですしね」
「二度手間?」
「ええ。貴方は私だけに秘密を明かすなんてことはしてくれないでしょうし、話すなら、全員揃った場所で全員に、でしょう?」
「…………そんなことまで分かるのか」
そう答えると、アオイは頷いてから、オレの肩に頭を預けてくる。他人の石鹸の香りがして、心臓が跳ねるのが分かった。
それはともかくとして、アオイはオレの考えを正確に把握している。さすがと言うべきか、なんというか。
……これからの戦い、蘆屋本家との抗争、フロイトの正体と思しき蘆屋道綱の捕縛、八人目の魔人の誕生の阻止はオレ一人でどうにかできる規模の戦いじゃない。
みんなの協力がいる。そのためにはここ数か月隠し続けていた八人目の魔人について話す必要がある。それも、ここ数日の間に、だ。
そして、そのみんなには当然、アオイが含まれている。だから、二度手間。ここでアオイに全てを話したら、彼女に二度同じ話を聞かせることになってしまう。
そこまで察してくれるアオイには感謝と尊敬しかない。オレは彼女に甘えっぱなしだ。
「その、いろいろありがとう。いつもごめん」
「いやに殊勝ですね。まあ、良しとしましょう」
機嫌のいい猫のように、頭を動かすアオイ。そんな彼女の表情が見たくて、視線を向けると胸元が目に入る。谷間は深く、吸い込まれそうだ。やはり大きい。オレの目算では原作での85cmから少なくとも5cmほどは成長している。あ、あれかな、彩芽の料理の栄養が――、
「視線がやらしいですよ」
「す、すまん。つ、つい、目が引き寄せられて……」
「咎めてはいません。どうせなら見るだけじゃなくて、手を出してほしいですが」
「……それは――」
何を求められているかは分かっている。それについては光のオタクとして葛藤がないと言えばウソになるが、男として応える覚悟はできつつある。
だが、今はダメだ。今のオレにはしがらみがおおすぎるし、命を狙われている。関係を持ったとして、その後オレが死んだらそれこそ無責任で、取り返しがつかない。
少なくとも、本家と決着をつけるまでは――、
「――この夏で決着をつける。だから、それまでは」
「はい。分かってます。でも、今だけは貴方の隣を独占させてください」
アオイはそのまま全身をオレに預けてくる。彼女の重量を受け止めたまま、オレは瞠目する。
この幸福がオレのようなかませ犬に分不相応なことは分かっている。でも、だからこそ、この瞬間を守りたい。そのためなら、どんなことでもできる、そう思った。
◇
その後、一時間ほど夜空を眺めてからオレとアオイは家の中に戻った。
中では彩芽が待っていてニヤニヤしていたが、たぶん、全部盗み聞きしていたのだろう。なんて妹だ、でも、タオルとスポドリを用意してくれたのはナイスだったぞ。
今夜に限って言えば、風呂場に誰かが乱入してくることもなかった。いい加減、風呂に入るたびに警戒するのもやめたいが、しばらくは大丈夫だろう、たぶん。
そうして、日付が変わる頃にはベッドに入った。明日は木曜日、淑女協定の当番は山三屋先輩だ。確か先週、かき氷食べ放題がどうとか言ってたな。
そんなことを考えていると、気付いた時には意識が途絶え――、
「――どこだここ?」
次に目覚めたときは、オレは花畑のど真ん中にいた。それもただの花ではなく水晶でできた花に囲まれていた。
…………すごく見たことがある光景だけど、どういうことだ?
――――――――
あとがき
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