第126話 依頼人たち

 凜のポイが水盆から掬い上げた魚の色は彼女の宣言通り、蒼色だった。

 光沢のある美しい鱗のその魚はポイの上でぴちぴちと跳ねている。色が変わる様子はなく、しばらく動いた後、その魚は青色の絵の具へと変わって水盆の中に落ちていった。


 つまり、オレ達の勝ちだ。凜とオレとの協力、主に凜の運命視の魔眼の力によってオレたちは語り部との賭けに勝利したのだ。


「やれやれ、やっぱり負けちまったか。柄にもないことはするもんじゃないね」


 そう言って左手で後ろ頭を掻く語り部。言葉とは裏腹に、彼女は満足げに煙管を吹かした。

 張り詰めていた空気が緩んで、天幕の中の景色も最初の星空へと戻っていた。


「ぼ、僕達、勝ったんだよね?」


「ああ、そのはずだ」


 不安になった凜に、そう答える。

 オレたちと語り部の間の賭けはランダムに変化する魚を掬いあげ、その色を的中させる、という単純なものだ。他に複雑な条件やルールはない。

 だから、語り部の認める通り、この賭けにオレたちは勝った、はず。オレが今回の一件を通じて知った語り部の性格上、自ら定めた勝負の勝敗に後からケチをつけるような真似はしないだろう。


「ああ。お前さんたちの勝ちだ。なかなか見ごたえのある物語わざだったよ。このおれが認めるんだ、誇るといい」


「光栄だ。だが、約束は守ってもらいたい」

 

 オレの言葉に、むっとした顔をする語り部。オレから約束を守るかどうか心配されたことが気に障ったのだ。

 やはり、語り部は気高い人物だ。異界内での契約であろうとなかろうと自分がした約束を破るようなことを決して容認しない。


 そして、今回の賭けの報酬としてオレたちが求めているのは、二つの名前だ。

 一つは語り部にオレの暗殺を依頼した人物の名前、もう一つは語り部本人の名前だ。前者は暗躍する謎の人物『フロイト』、かの八人目の魔人にも繋がっており、後者に関してはオタクとしてのオレの矜持アイデンティティに関わる。


「――アシヤミチツナ。それがおれにお前さんを殺すように依頼してきたやつの名だ」


 そうして、語り部はその名を口にした。

 アシヤミチツナ、漢字では蘆屋道綱と書く。それはオレと彩芽の叔父、死んでしまったクソ親父の弟であり、蘆屋家本家の当主にして現『道摩法師』の名前だった。


「……アシヤってことは」


「ああ。オレの親戚だ。ついでにいえば、その人は解体局日本支部の理事の一人でもある」


 オレが頷くと、凜はショックを受けたような、悲しそうな顔をしている。

 おそらくオレが親族から命を狙われていることを憐れんでくれているようだ。優しいな、凜は。でも、当の本人であるオレはひどく乾いたような殺伐とした感情を抱いていた。


 道綱、叔父上の名前は裏切り者として候補者のリストには含まれていた。というか、オレのことを殺したい人間をリスト化したら筆頭に来るのが叔父上だ。

 だが、信じたくはないという気持ちもあった。まさか解体局の理事まで務める人物が自らの家の利益のためだけに八人目の魔人に、フロイトに協力するはずがないと信じたかった。


「…………盈瑠」


 それに、道綱叔父上は盈瑠の実の父親だ。盈瑠が家族に対して想うところがあるのは知っているが、オレが実の父親と正面切って敵対するとなればあいつを傷つけることは避けられない。


 いや、それ自体はもともと不可避ではあったが、オレの殺しを依頼したのが叔父上本人であれば、話が違ってくる。

 オレはずっとフロイトは解体局の人間でそれに本家の人間がたぶらかされてオレの排除に動いているのだと思った。何らかの理由でオレを排除したいフロイトと跡目争いを起こしかねないオレを殺したい本家の意図が一致したがゆえの現状なのだ、と。

 

 だが、殺しを依頼したのが叔父上本人であるならば、別々だと思われていた『フロイト』と蘆屋本家の人間をイコールで結べてしまう。解体局の理事である叔父上ならば鏡月館での一件のようにオレたちの任務を事前に把握、操作することも可能だ。

 

 ……この仮説が正しければ、叔父上との対決は単にオレ一人の因縁ではなくこの世界の行く末すらかけたものになる。最悪の場合、ただ無力化するだけではなく殺さなければならないかもしれない。


 ああ、くそ。兄と慕うオレが実の父親を殺す、盈瑠をそんな状況に追い込んでしまっている自分と運命が今は憎らしくてたまらなかった。

 オレがもっとうまくやっていれば、あるいはオレがいなければもっと――、


「蘆屋君」


 凜に呼ばれて、ハッとする意識を戻す。

 オレは弱い。考えても仕方ないのないことは考えない、そう決めていたはずなのにいまだに迷いと情を断ち切れないでいる。


「蘆屋君。ダメだよ。そんな顔してたら。山縣さんも怒るし、僕も怒るよ」


「そんな顔って……」


 言われてオレは自分の顔に触れるが、分からない。いつも通りのしかめっ面だとしか理解できない。


「そういう自分なんかいなくなっちゃえばいいって感じの見てられない顔」


「…………そうか」


「そうか、じゃない!」


 凜が立ち上がる。俺は何を怒られているのかわからなくて彼女の顔をただただ見つめるしかなかった。


 そんな凜の瞳には涙が溜まっている。まったく泣きそうなのはどっちだ。


「僕のこと、信じてるんでしょ? ううん、僕だけじゃない、山縣さんやリーズ、ほのか先輩、盈瑠ちゃんや谷崎さん、朽上さんのことだって、蘆屋君は信じてるんでしょ! それとも、いつもの態度は演技なの!? 違うでしょ!」


「それは、そうだが……」


「だったら、もっと頼ってよ! 蘆屋君が何を背負い込んでるのか知らないけど、そんな顔をするくらいなら僕らにも分けてよ! 友達や仲間ってそういうものじゃないの!」


 涙交じりになりながらも、力強い声で凜が言った。ぐっと作った握りこぶし、その震えに彼女の心の痛みが現れていた。


 想いが胸に突き刺さる。その深さと強さにオレは自分の傲慢さを思い知った。


 そうだ。オレは何を背負った気になっていたんだ。オレの役柄はもともとかませ犬。もともと世界の運命を背負えるほどの器じゃない。主人公のようにたった一人で運命に立ち向かうなんてことはできない。


 だったら、かませ犬はかませ犬なりのやり方で運命に抗うしかない。誰かの助けを借りて、皆に手伝ってもらって、無様に戦うんだ。


 そのことを凜が気付かせてくれた。オレ一人では盈瑠を傷つけてしまうが、皆で知恵を絞れば別の道が見つかるかもしれない。


「……あとで、必ず話す。それとすまん。心配させた」


「うん。許すけど、お詫びが欲しいかも」


「何が欲しい?」


「今度、ランク上げ手伝って。それでちゃら」

 

 オレが分かったと頷くと、凜がほほ笑む。


 美しい笑みだった。見惚れるほどに、オレが自分オタクであるほどを忘れてしまうほどに、綺麗だった。


 ああ、本当、こいつと一緒の世界に転生できてよかった。性別の違いなんて些細なものだ。土御門凜の中にはオレの愛している信念と勇気、思いやりが確かに生きている。

 今はそのことがただただ嬉しくてたまらない。あふれ出る心の涙をとめることができそうにない。


「結婚式にはぜひ呼んでくれ。試したい術があるし、余興は引き受けるよ」

 

 そんなオレたちを揶揄うように、語り部が言った。その口ぶりは心底楽しそうで先ほどの敗戦のことなどすっかり忘れてしまったようだった。

 

 実際、この勝負の結果はオレたちにとってはともかく語り部本人にとってさして重要なことではなかったように思える。彼女にとって大事だったのはむしろ、――、


「け、けけけ結婚!? ま、ままだそんなの早いです! そ、それに、日本は一夫多妻制じゃないし…………蘆屋君、一夫多妻制がOKな国ってどこ!?」


「いや、落ち着け。そもそもなんでオレが複数人と結婚する前提になってるんだ」


 オレにそのつもりはない、今のところ。

 というか、思考が飛躍しすぎだ。そこはこう、もう少しステップを踏んでほしい。例えば、そう、複数交際とか。

 あと、異能者界隈じゃ別に一夫多妻はそんなに珍しく――、


 ……オレもだいぶ毒されてるな。


「いや、本当、若いってのはいいね。おかげでこっちは破産だが、いいものは見られた。でも、いいのかい? 宴もたけなわ、うかうかしていると本殿への門が閉まるよ」


「……やっぱりそうか」


 祭囃子が近づいてきている時点でそんな気はしていたが、やはりか。

 

 四辻商店街のように時間の動かない異界もあるが、この異界では少しずつ祭りが盛り上がっていっていた。

 ということは時間経過があるということであり、時間経過があるということは終わりがあるということだ。

 

 この終わりの意味するところは異界によってまちまちだが、少なくとも今のオレたちにとってはプラスになるとは思えない。

 それは語り部にとっても同じことだ。


「まあ、別に祭りが終わったところで死ぬわけじゃない。ただ、一年後の同じ日まではここに閉じ込められることになる。だから、急がないとお前らも――」


「――だったら、貴方も一緒に行こう」


 オレがそう言うと、語り部は眉を顰める。驚いているうえに、困惑しているようだった。


「……アンタ、本気で言ってんのかい?」


「ああ。もちろん、もう山三屋先輩を狙わないって約束してくれるなら、だが」


「そいつは構わないよ。依頼してきたクロキは死んだし、もとからお姫様をさらってバカな王子に引き渡すなんてのはおれの好みの役じゃないしね。でもね、おれはアンタを殺そうとしてたんだぜ? だっていうのに、助けるのかい?」


「まあ、そうだな。でも、オレはそのことは気にしてない。アンタが暗示をかけた先輩のご両親にも後遺症はなかったし、先輩も攫われずに済んでいる。だから、オレとしてはアンタに恨みはない。山三屋先輩がどういうかは別の話だがな」


 この機会を逃せば、語り部はこの異界の中であと一年過ごさなきゃいけなくなる。それで彼女ほどの術師がどうこうなるとは思っていないが、ここにいるのは彼女以外には顔のない屍者ばかりだ。


 それではあまりにも寂しすぎる。相手が百戦錬磨の殺し屋で、片手じゃ足りない数の人間を殺しているだろうことも承知している。

 そのうえで、ほのか先輩に手を出さないと約束してくれるなら、オレはこの人をここから出したい。オタクの悪いサガだ。こんなところであの語り部がくすぶっているなんてのは――、


「――アンタがこんなところに閉じ込められてるんじゃつまらない」


「ふ、ふふふ、はははははは! まったくいい度胸だよ、本気で言ってんだからね!」


 堰を切ったように大爆笑をする語り部。まあ、この反応は予想通りだ。隣の凜もポケ―っとしているし、オレの行動は狂気の沙汰もいいところ。解体局の人間が解体局が指名手配している人間を自由にしようって言うんだから。


「あー笑った。アンタ、気に入ったよ。いつか仕事があれば格安で受けてやる。でも、その気遣いは受けられないな。おれは仕事でここにいんのさ」


「仕事……?」


 オレが聞き返そうとすると、語り部はしっーと口の前に指を立てる。そのまま煙管を胸元にしまうと、ゆっくりといすから立ち上がった。


「そこらへんのことは本人から聞きな。まったく割りに合わない仕事だったが、なかなかに楽しめたよ」


 そのまま語り部は困惑するオレたちの横をすり抜けるようにして天幕の外へ。すると、先ほどまでオレたちを照らしていた星空が一瞬で消え去った。


「なにやってんだい。ついてきな。祭りの最後だ。役者がそろってなきゃ始められないよ」


 出口から首を出して、語り部が言った。

 オレと凜は顔を見合わせてから、彼女の後をついていくことにした。


 そのまま語り部はゆっくりと参道を昇り、境内にある本殿へと近づいてく。オレたちの心音に合わせたかのように祭囃子の音はどんどんと大きくなっていった。


 語り部の依頼人とは一体何者だ……? 語り部はそもそも誘先生によってこの異界に軟禁されているはずだ。だとしたら、誰かから依頼なんて受けられるはずが――いや、そういうことなのか? 


「ついたよ。此処が境内だ」


 語り部が言った。


 境内には無数のかがり火があり、周囲を照らしている。その奥にあるのは古びた社。苔むして壊れている部分もあるが、荘厳で震えがくるような冷たさがあった。

 賽銭箱の先、社内部には巨大な岩が鎮座している。その岩を見ていて、気付いてしまう。


 見てはいけない。

 近づいてはいけない。

 考えてはいけない。

 あの岩の向こうにあるのは――、


「――やあ、よく来たね、二人とも」


 耳慣れた声がオレを引き戻す。視線を声の方向に移すと、先ほどまで誰もいなかったはずの賽銭箱の前にその人が立っていた。


 誘命いざないみこと。七人の魔人の一角、『死神』がそこにいた。


 ――――――――

あとがき

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