第125話 星を手繰るもの

 作戦会議を終えたオレと凜は確かな自信を胸に天幕の中に戻った。


 聞こえてくる祭囃子の音は刻一刻と大きくなっている。この祭りの終わりが近づいてきている、そんな予感があった。


「おや、お早いお戻りだね。それに顔つきが変わった。いいね、いい勝負ものがたりが見られそうだ」


 戻ってきたオレたちを見て語り部が言った。彼女が右手の煙管を一回転させると、煙の軌跡が三日月を描く。

 すると、頭上の天幕、そこに閉じ込められていた星空がその相を変えた。


 先ほどまで存在していた小さな星々が姿を消し、現れたのは輝く三日月。その表面には目があり、鼻があり、さながら童話の挿絵にあるような三日月だった。


 そして、オレたちの周囲に広がるのは夜の砂漠。頬を叩く乾いた風も、足元の砂の感触もまさしく本物だ。

 ……この天幕の内部に『夜の砂漠』という環境を張り付けているのだ。天幕そのものに物語が付与されている以上、その舞台設定をどのように変更するかは語り部の自由だ。


 その気になれば、オレたちをいきなり火山の火口に落とすこともできる。

 ……異界を自由に創造できるようになるとはこういうことだ。相手が同じだけの権能を行使できない限り、侵入したものの生死は創造者の掌の上にある。


 己の世界で既存の世界の法則を塗り替える。それは七人の魔人たちが息をするようにやっていることであり、術師たちが目指す極致の一つでもある。


 これまでオレはその領域に触れることをあえて避けてきた。強大すぎる力はこの世界においては災いの種だし、なにより、その力で愛する原作を壊してしまうようなことはしたくなかったからだ。


 でも俺には八人目の誕生を阻止し、この世界を救うという使命がある。個人的な拘りは今は捨てておく。


 隣に立つ凜もまた覚悟を決めている。真剣な表情と金色の瞳の輝きがその証拠。この試練を前に、運命視の魔眼がその力を増しているのだ。


「――じゃあ、もうひと勝負だ。ようやく楽しくなってきたよ」


 語り部がにたりと笑う。俺たちが試練を理解し、覚悟を決めた今こそ、彼女にとっては本当の勝負の始まりなのだろう。

 

「ああ、お待たせした」


 先ほどまでの席に腰かける。深く沈みこむような椅子の上で、オレは息を吐いた。

 遅れて凜が席に着く。オレも彼女も、油断はしていないが。緊張しすぎてもいない。平常心なベストの状態だ。


 これなら戦える。異能者の能力は心持ち一つで大きく変わるものだ。


「ルールは変わらず、この中から魚を掬ってその色を当てるだけ。だが、戦う相手はおれでも、ましてや、この魚でもない。そいつは理解してるんだろ?」


「……そのつもりだ」


「ならいい。で、勝負するのはアンタかい? それとも嬢ちゃんかい?」


「僕が勝負します。土御門凜と言います」


 丁寧に名乗りを上げる凜。

 さすがはどんな対戦ゲームでも『よろしくお願いします』と『対戦ありがとうございました』の定型文での挨拶を欠かさない女。その分、害悪プレイヤーと遭遇すると試合そっちのけでボイチャでバトルを始めちゃう炎上あつい魂の持ち主でもある。


「リンか。いい名前だね。両親からつけてもらったのかい?」


 語り部が再びポイを凜に差し出す。凜はそれを受け取りながら、こう答えた。


「はい。僕も自分の名前が好きです。お姉さんのお名前、教えてもらえますか?」


「知りたいのかい?」


「はい。勝負をする相手なので」


 凜の言葉に、語り部は感心したように口笛を吹く。それから考えるようなそぶりを見せる。


 ……語り部の本名。できることなら俺も知りたい。バレないように凜にサムズアップをしたいくらいには。


「ブシドウってやつだね。いいよ、おれは古風なのは好きだ。でも、普通に答えたんじゃ面白くない。アンタらが勝った時の条件にそいつを付けくわえるってのはどうだい?」


「わかりました。それでいいです」


 オレたちのような異能者に名は大事なものだが、語り部のような職業のものにとってはなおさらそうだ。

 それすらも勝負の内容に追加するとは、語り部の余裕の現れか、あるいはそれだけこの勝負に熱くなっているとみるべきか。どちらにせよ、オレオタクとしてはありがたい話だ。


 「でも、せっかくの勝負だ。もう少し面白くしよう。次の賭け、おれの賭ける色もアンタたちで決めてくれていい。赤でも、蒼でも、白でも、黄色でもね」


 おまけにそんなことまで言い放つ語り部。こちらに選択権をゆだねるなんて普通に考えれば正気の沙汰ではない。


 ……今ならこれがただの伊達や酔狂ではないことがわかる。

 語り部は自らのすべてをもって物語を補強している。そうすることでこれ以上の異能を使用することすらせずに、勝利という結末をより強固にしようとしているのだ。


 物語において主人公の危機は必ずしも危機とは限らない。むしろ、その後に待ち受ける大逆転のための布石フラグであることが多い。

 火事場のバカ力のようなものだ。追い込まれれば、追い込まれるほど主人公は底力を発揮する。つまり、語り部はあえて自らを追い込むことでより有利な状況を作りあげているのだ。


 だが、侮るなよ、語り部。主人公ならこっちにもいる。この世界の主人公で、オレが一番信じてる、誰より頼れる主人公が。


「――ありがたい申し出ですけど、お断りします。僕達はここに対等な立場で勝負しに来ました」


「ほう。小娘が、一丁前のことを言うじゃないか」


「はい。だって、僕達が勝った後にハンデをくれてやった、なんて言い訳されたくないですから」


 凜の期待通りの一撃に、隣にいるオレの頬が思わず緩む。これだ、オレがこの勝負において凜に期待していたのはこの大胆不敵さだ。

 原作における土御門輪も物怖じしない質だったが、凜のそれは原作ともまた一味違う。なにせ、ゲームならば対戦相手がプロゲーマーだとしても煽るときは煽る。こうと腹をくくった凜の度胸はオレなんかの比じゃないのだ。


「――はっ。いいだろう。気が変った。餓鬼相手に世の中の厳しさってやつを教えてやるのも大人の甲斐性ってやつさ」


 しかし、敵もさるもの。美しい顔に浮かぶ笑みは獰猛かつ鋭利で、発せられるプレッシャーが一段と増した。

 実際、この天幕に渦巻く魔力、先ほどまでは中立だったそれらが一気にオレたちへの敵意に傾いた。


 オレなら語り部を挑発するような真似はまずしない。その程度で冷静さを失う相手ではないと分かっているし、不興を買えばどんな目にあわされるかわかったものではないからだ。


 でも、凜ならば、これでいい。相手と正面からぶつかり合い、打ち破るのはやはり主人公の特権だ。

 だから、この流れも事前の打ち合わせなどしていない。物語を味方につけるには語り部同様リスクを冒す必要がある。


「僕達が選ぶ色は蒼です。これ以上変更はしません」


 色の選択に関しても、それは同じ。すべて凜に任せてある。オレは信じて、サポートするだけだ。


「強気じゃないか。坊主もそれで文句はないのかい?」


「ない。言っただろ、オレたちで勝負するって」


 語り部に水を向けられても、オレの意思は変わらない。腹は括った。あとは勝負に勝つだけだ。


「いい覚悟だ。だが、覚悟なんてのは実のところ、脆いもの。世は移ろうもの、心は変わるもの。結局、絶対に後悔しない選択なんてのはこの世に存在しないのさ」


「……揺さぶりですか。付き合う気はありませんよ」


「そうつんけんしなさんな。こっちもお前らの休憩を待ってやったんだ。少しは付き合ってもいいだろ? それに、老婆心ってやつもある。若いお嬢さんが勢いのまま突っ走って恋破れて、自棄になってそのままくたばるなんて結末は顰蹙ものだからね」


 だが、語り部の言葉は蜘蛛の糸のように凜をからめとろうとする。


「運命ってのは残酷なものさ。誰にでも平等なように見えて、酷く不公平だ。誰かには欲しいものをくれてやるのに、誰かからは取り上げる。覚えがあるだろ、お嬢ちゃん」


 語り部の語り口は静かだが、まるで何もかもを見通していて、この世の真理を語っているかのようなあまやかな響きがあった。

 ……魔力に波はない。異能は使われていない。語り部の名は伊達じゃないってことか。単純な発声、話し方、息遣いだけでこちらの思考を鈍らせてくる。


 傍から聞いているだけのオレでこれなんだ。凜は大丈夫か……?


「どうして自分にはなくて、彼女にはあるんだろう。どうして自分には許されなくて、彼女には許されるのか。そういう感情は罪じゃない。七つの大罪なんてのはクソさ。嫉妬は醜くくて、厄介だが、罪じゃないのさ。お嬢ちゃんはどう思う?」


「…………僕は」


 だが、無用な心配だった。凜の横顔には迷いも、恐怖もない。彼女の瞳は曇りなくこの勝負だけを見ている。


「僕にも、嫉妬心はあります。それは認めます。でも、貴方の言う通り、それは罪じゃない。そして、もし、僕の運命が悲惨なんだとしても――」


 凜の瞳、運命視の魔眼が黄金の輝きを湛える。その夜空の星の如き瞬きはオレがかつて原作で得た感動と同じものを与えてくれた。


 すなわち、希望と喜び。この場に立ち会えた僥倖に今はただ礼を言いたい。


「僕達は、その運命を変えます。この勝負に勝ってそれを証明します」


「――いいだろう。おれも決めたよ。次の色は赤だ。情熱と嫉妬の色だ」


 ふたたび、語り部の声色が変る。その声には敵に対する敬意と容赦なく叩き潰すという決意があった。


「――いくよ、蘆屋君」


「ああ、魅せてやろう」


 それに応えるように凜が得物ぽいを水につける。瞬間、オレたちの視界が現実ではなく、心の内側に存在する異界、心象異界へと切り替わった。


 そこにあったのは、満天の星空。無限に広がる宇宙空間にいくつもの光が瞬いては消え、また瞬いていた。

 運命視の魔眼の影響か、通常の心象異界よりもはるかに深く広い場所だ。もはや、個人の意識の中ではなく遥か奥底、人の集合無意識という深異界にさえ接続しているかもしれない。


 その心象の中で凜の手が空を掴む。彼女の指が触れたのは、すでに死んで輝きを失ってしまった可能性ヒカリの一つ。そのまま大事な宝物をしまい込むように、ゆっくりと指を閉じた。


 オレはその拳に掌を重ねる。全身全霊の魔力を注ぎ込む。捨てられてしまった可能性を再び燃やし、命を吹き込む。

 もはや、これほど深い階層では小手先の技術は通じない。重要なのは強い意思、決して揺るがないそれのみが事象を決定する。


 その点で言えば、心配はない。オレは凜と一緒に戦ってるんだ。これ以上に信じられるものはそうそうない。

 

 そうして、視界に光が満ちたかと思えば、現実へと引き戻される。 


「――アンタらの勝ちだね」

 

 語り部が言った。

 凜の右手のポイの上には蒼色の魚が祝福するようにひれをばたつかせていた。

 


 ――――――――

あとがき

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