第123話 物語

 小さなポイが魚を水面から掬い上げる。魚は全身を躍動させ、運命に抗う。その体の色は――、


「――白だね。おれの勝ちだ」


 蒼い天幕に、語り部の声が冷たく響く。

 彼女の言う通り、掬い上げられた魚の色は『白』。オレたちの選んだ赤ではなくランダムに変化する魚の色は白で固定されていた。


「約束通り、賭け金はもらうよ。いや、ついてたついてた。おれの運も捨てたもんじゃない」


 いつのまにか、語り部の手には銅銭の束が握られている。

 ……さきほどまでずしりと重かった財布がだいぶ軽くなっている。どうやら賭け金の徴収は自動的に行われるらしい。


「蘆屋君、今の……」


「ああ、外れた」


 凜が不安そうにオレを見る。無理もない。オレだって今の結果にはかなり驚いている。


 オレの六占式盤での解析と凜の運命視の魔眼での測定の結果は、80%で掬い上げた瞬間の魚の色は赤であるとなっていた。

 逆に言えば、外れる可能性は20%。5回に1回に外れるパーセンテージではある。


 だから、この初回の賭けにおいてオレたちの予想が外れたこと自体はなにもありえないことじゃない。

 逆に、語り部が予想を的中させたことも脅威ではあるが、それ自体はそこまで驚くべきことではない。


 だが、どうにも嫌な感じだ。、そんな感覚が拭えない。

 

 なにを間違えている? オレが見落としているのは一体なんだ?


「さあ、次の勝負だ。時間はいくらでもある。精一杯考えな」


 一度勝利している語り部にはやはり余裕がある。


 ……彼女が何かをしている? いや、それはない。賭けの最中、彼女の魔力は完全に凪いでいたし、なにより、オレは自分のキャラ分析を信じている。


 語り部は賭け事においては異能を使用しない。賭け事を愛するがゆえに、そこに不純物が混ざることを許さないのだ。


 となれば、問題があるのはオレたちか、あるいはこの場そのものということになる。

 一つ、調べてみるか。


水盆こいつを調べたいんだが、いいだろうか?」


「構わねえよ。ああ、でも、ひっくり返すなよ? 中身が溢れるとこのテントくらいは簡単に水浸しだ」


 語り部の許可を得て、両手で水盆の左右に触れる。銀の冷たい感触が指先に伝わり、オレは深く息を吐く。


 同時に、六占式盤の範囲を縮小。逆に探査の深度を限界まで上げる。これでこのどのような術が使用され、どんな効果をもたらしているかまで探れるはずだが……さて――、


「――っ……!」


 瞬間、流れ込んでくる情報の大きさ、その精度に脳みそが揺れる。

 まさかこれほどとは。 風呂桶程度の大きさの水盆に何百という要素が無数の術式で制御され、すべてが整然とかつ、自然に運行されている。魔力の制御も、術式の精度も、なにもかもがオレ程度では及びもつかない。


 まるで最高級の織物。あるいは、一つの世界だ。それだけのものをこのサイズまで縮小するのにどれだけの手間がかかるのか、想像するだけで気が変になりそうだ。


 だが、オレにも意地がある。ただ圧倒されるだけじゃなく、得るものは得た。

 もっとも、その情報がこの賭けに役立つかどうかは全く別の話だが。


「蘆屋君! 大丈夫!?」


「……問題ない」


 凜が心配してくれるが、オレもわきまえている。深く潜りはしたが、消耗は最低限になるようにした。


「で、なにかわかったかい? おれのいかさまでも見つけたかな?」


「……いや、この水盆に仕掛けはない。ただすごいだけだ」


 オレの返答に、語り部はにやりと笑う。


 実際、この水盆は凄まじい逸品だ。時たま深異界から回収されるような神話の時代の『遺物』にも匹敵する。もし売りに出されればその金銭的価値は小国の国家予算にも届くだろう。


 そう考えると邪念が脳内に過らなくもないが、今重要なのはそこじゃない。

 この水盆は極小の世界であり、人知の極致のような品であることは確かだ。しかも、それを構成する術式には語り部の有利に働くものは一つとして含まれていない。これが厄介だ。


 水盆に閉じ込められた小さな世界。世界は世界であるからこそ、それが忠実であればあるほど、誰に対しても平等。この世界はオレたちにも語り部にも味方していない。


 つまり、語り部はいかさまをしていない。少なくとも、この水盆に関してはそう言い切れる。

 ……ダメだ。オレの異能ではこれが限界。別の視点が必要だ。

 

「…………凜、何か見えたりしないか?」


「うーん…………」


 オレの問いに、凜は難しい顔をする。文字通り角度を変えたり、距離を変えたりしているが、明らかにうまく入っていないようでしばらくすると悔しそうに首を横に振った。


「いろんな光が点いたり消えたりしてる。綺麗だけど偏りがなくて、ちょっと怖い」


「……そうか」


 運命視の魔眼というある種唯一無二の視界を持つ凜であれば何か気付くことができるかもしれないと期待したが、彼女でもわからないとなれば打つ手がない。


 ……どうしたものか。

 まだチャンスは3回残っていて、このうち一度でもオレたちが勝てばそれで目的は達せられる。そう考えるとまだまだ余裕があるように思えるが、このまま無策で賭けても絶対に勝てない。その確信がある。


 何か対策が必要だ。だが、そのためにはもっと情報が――、


「……ねえ、蘆屋君」


「なんだ。何か見えたか?」


「ううん。でも、次は僕にやらせてほしい」


 凜の眼に迷いはない。何か考えがあるようだ。


「わかった。頼む」


 ……ここは一度、凜に任せよう。

 本来、かませ犬である蘆屋道孝オレと性別こそ違えど原作主人公である凜では物語における役割、生まれ持った運勢ともいえる運命力に雲泥の差がある。オレでは水盆に波紋を起こせないでも、彼女ならあるいはということもあるかもしれない。


「それと、僕の番の時なんだけど、蘆屋君には僕の手を握っててほしいんだ」


「そいつは構わないが……ああ、感覚共有か。わかった。こっちでもお前の視界をできるだけサポートする」


 感覚派の凜にしては具体的かつ理論的な提案だ。毎週末の特訓はこんなところにもいい影響を与えていたらしい。


 身体接触による感覚共有は、魔術を筆頭とした術理系の異能には共通の技術だ。まだ週末の特訓を始めてばっかりの頃にリーズに対して魔力運用のコツを伝えるためにやったし、そのあとも、言語化しづらい技術を共有する際にはよく使っていた。


 今回はその応用。運命視の魔眼という特殊な視界を通して得られる情報を齟齬なく伝達するために、感覚共有を使う。

 すばらしい考えだ。さすがは土御門凜。嬉しいぞ、オレは。


「そ、それも、あるけど、その、やっぱり手を握ってくれてる方が安心するし、僕も勇気が出るかなーって……も、もちろん、蘆屋君がいいなら、だけど」


「お安い御用だ。やってみよう」


 オレが答えると、凜は左手を差し出してくる。耳が少し赤くなっている。どうやら、照れているらしい。

 ……普段の無防備さからすると今更感はあるが、まあ、気持ちは分かる。こう、プラトニックな接触の方が改めてやると緊張するもんだ。


 オレの方もちょっと緊張しつつ、凜の手を改めて握る。互いの熱が伝わると同時に、魔力の交感を始める。

 すぐにオレと凜の感覚が同調し、視界が切り替わった。


「――おお」


 思わず声が漏れた。もし、今オレ一人だったならば感極まって叫んでいたかもしれない。


 だって、それほどに凜の視界はだ。

 色も大きさも異なる百花繚乱の光に明滅する世界。それは見上げる満天の空にも、輝いては散る花火にも似ていた。


 これがあらゆる可能性が可視化された世界。

 本当に原作の描写通りの視界だ。その光景に心底からの感動を覚えるのと同時に、オレの中である疑問が芽生える。

 こんな、何もかもが見えてしまう中で生きていくのは一体どれだけ大変なのだろうか、と。


「じゃ、じゃあ、僕が選ぶ色は、『青』です。よ、よろしくお願いします、語り部さん」


「おう。よろしく。おれは『赤』だ。さ、掬ってみな」


 しかし、その疑問について思考する間もなく、凜が魚の色を宣言し、語り部がそれに応じる。凜の手にはいつのまにかポイが握られていた。


 凜が選んだ色は青。確かに水盆を見つめる彼女の視界では無数の光の中で青色の光が一際目立っている。この光を見て、凜は今回は青を選ぶべきだと判断したのだろう。


 オレも異存はない。六占式盤の解析も同じ結果を示している。パーセンテージでいえば95%ほど。前回は4回に1回は外れる確率だったが、今回は20回に1回だ。これで外せば今度こそ偶然はありえない。


「……やるね」


 凜がゆっくりとポイを水につける。掬うのは一番奥側の魚。無事にポイは魚影を捉えて――、


 次の瞬間、オレはそれを見た。

 あらゆる可能性ヒカリを塗りつぶす圧倒的な力。砂漠を浚う砂嵐の如きそれは、。その強制力はすでに確定した結果をも塗り替える。


「……『赤』」


 そうして、先ほどまで青色だった魚は自ら上がった刹那、赤色へと転じ、

 いや、違う。負けていた。過去形だ。この勝負に挑んだ瞬間から結果は定められていた。


 凜が申し訳なさそうな顔でオレを見るが、今度は励ますように自信をもって頷く。


 ホテルの時と同じだ。あの時は、オレたちは『千夜一夜物語』の大きな枠に呪いという形で囚われ、異界から脱出しようとしまいと死ぬという結末に当てはめられていた。

 その時と同じように、オレと凜はこの天幕に踏み込んだ時点で語り部の書いた物語を演じさせられていたのだ。

 

 ちくしょう。何が賭けだ。八百長試合どころじゃない。こんなのただの出来レースだ。

 覆すために必要なのは、運ではなく力。つまり、オレたちの負けという物語を覆すためには、オレたちの手で新たな物語を作らなければならない。


 前回は、物語は斬首の呪いという明確な結末に導かれていた。だから、呪詛返しで呪いを反転させることで物語そのものには干渉せずに結果を覆すことができたが、今回はそうはいかない。


 今回の物語はオレたちが敗北するという結末に向けて動いている。そして、賭けに負けるという事象は呪いではなくただの結果だ。斬首の呪いのように異能として形を成していない以上、呪詛返しもできない。


 だがら、今回覆さねばならないのは、物語という巨大な力の導く結末、とも言うべきものだ。これに干渉するには、強力な異能が必要となる。


 ……かつてのオレには不可能だった。だが、今は、あの鏡月館での経験を経た今のオレならばその資格がある。

 そして、ここには運命視の魔眼を持つ凜がいる。二人の力を合わせれば、あるいは――、

 

――――――――

あとがき

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