第122話 賭け
二か月前のホテル・ヴェスタでの襲撃事件、その際に語り部にオレを殺すように依頼したのは蘆屋本家の誰かと解体局の幹部だ。
これが分かっただけでも収穫だったが、語り部はオレに取引を持ち掛けてきた。
彼女曰く『自分に付き合えば依頼者の名を明かす」と。
……明らかに語り部は何かを企んでいる。それは分かっているが、せっかく掴んだ手掛かりを離すわけにはいかない。オレの頭の中の設定資料集の空白を埋めるためにも……!
「それで、何に付き合えばいいんだ?」
「そうだね。ちょっとした賭けに付き合ってくれるかい? アンタが勝てば聞きたいことに全部答えてやるよ」
「賭け……」
語り部が口にしたのはよりにもよって『賭け』だ。
オレの探索者としての理性が全力で避けろと警告している。賭けもまた買い物と同じく、一種の契約。もし賭けに負ければそこで被る不利益は不可避のものになる。
逆に言えば、いかな語り部と言えど自ら持ちかけた賭けに負ければ必ず約束を守る。どんな情報でも簡単に引き出すことできる。
……仕方がない。ここは凜を先に行かせて、オレ一人で――、
「――蘆屋君」
しかし、そう口にするより先にそれまで無言だった凜がオレの名を呼ぶ。彼女は俺の右手を掴むと、こう続けた。
「僕もいっしょにやる。絶対にその方がいい」
「……魔眼で見たのか? それとも願望か?」
オレの問いにも凜は動じない。それどころか、より強い力で手を握ってきた。
「両方、かな」
「……遊びだが、遊びじゃないぞ。命懸けになるかもしれない」
「僕は蘆屋君の実家のことも、この女の人のことも、正直よくわかってない。でも、蘆屋君が戦うなら僕も戦う。親友ってそういうものだよね?」
「…………ありがとう」
そこまで言われてはオレに帰す言葉はない。凜を巻き込みたくないという気持ちもあるが、正直、オレ一人では心細い。
……それに、凜がいれば心強いし、彼女の言葉は嬉しい。
「いいね。麗しい友情だ。あんたらとは面白い
語り部が言った。やはり生き生きとしている。彼女としてはオレたちと遊ぶというよりはオレたちで遊びたいのだろう。
「それで、その遊びの内容は?」
「まあ、待ちな。すぐに済む」
そういうと語り部は、煙管の先で目の前の水盆を軽く叩く。コーンという独特の音が蒼いテントに響き渡った。
すると、水盆に張られた水がぼんやりと輝く。次の瞬間、何かが水盆から飛び出した。
魚だ。黄色の鱗の美しい魚、それは宙を舞ってそのまままた水盆に落ちていった。
「見てみな。湖だ」
言われて凜と2人で水盆を覗き込む。確かにそこには湖があった。
小さな水盆の中に、無数の魚が泳ぎ、水草が揺れている。
ただのアクアリムではない。魔力と術の感触で分かる。語り部は小さな水盆の中に巨大な湖を閉じ込めていた。
おそらくどこかの異界に実在する湖だ。その証拠に泳いでいる魚たちはその色を変え続けていた。
黄色かと思えば、赤。赤かと思えば、白。白かと思えば、青。そのように次々に鱗の色を変えながら、悠々と泳ぎ続けていた。
……色の変わり方に法則性は見えない。順番も、秒数も完全にランダムだ。
語り部が何をしようとしているのか、少し見えてきた。もっとも、相手が相手、そう単純にはいかないだろうが……、
「賭けの内容はシンプルだ。今からアンタらにはこの水盆から魚を掬ってもらう。賭けの対象は、その魚の色。異能でも何でも自由に使って、四択を当てればいいのさ」
「……わかった。それで、こっちは何を賭ければいい?」
「アンタらが今持っている金の4分の1」
……金? 魔力でも魂でもなく、金……?
なぜだ? 地獄の沙汰も金次第とでもいうつもりか? それとも、語り部が殺し屋をやっているのは金のためなのか?
なら、プロフィールの好きなもの欄が金で埋まることになるからそれはそれでいいが、オレたちが持っている現金なんてたかが知れている。
そんなものを手に入れたとして、語り部に何の得が…………いや、そういうことなのか……? この異界、そういう仕組みなのか?
「……渡し賃か。ここを出るにはそれが必要なわけか」
オレがそう口にすると、語り部は少しだけ感心したように頷く。
やはりか。ここは死の領域に接した異界、つまり、こう言いかえることもできる、『冥界』と。
その冥界と金銭には古来より関連がある。古代の日本や中国においては屍者を埋葬する際の副葬品として金銭が埋められることが多かった。これを冥銭という。
この冥銭だが、その意味は複数あるのだが、今回の重要なのは『渡し賃』としての意味だ。
現世と冥界の境目は川であることも多い。日本における三途の川、ギリシャにおけるアケロン川などがその代表例だ。
川であるからにはそこには対岸から対岸へ、つまり、現世から冥界へと船を渡す『渡し守』が存在する。
川を渡って冥界に行くには渡し守に渡し賃を渡さなければならない。それがなければ霊魂は成仏することもできずに彼岸をさまようことになる。
今回の場合は、その逆。冥界から現世に帰る場合においても渡し賃が必要になる。一端とはいえ、冥界に接している以上、この異界にもその
つまり、オレたちも渡し賃を失えばこの異界から出られない。何事もリスクなしには行えないが、このリスクは想定よりもかなり大きい。
だが、それを加味しても、この勝負には受ける価値がある。オレの個人的興味はこの際脇に置くとしても、8人目に直接繋がる情報は文字通り、世界を救うかもしれない。
ここは退けない。でも、賭けるのはオレ一人の身柄であるべきだ。
「ご明察。捕まった時ちょうど全部すっちまってたんだ。あれだね、この国の競馬はなかなかに愉快だ。当たらねえのが難点だが」
そう言って語り部は心底悲しそうに煙管をふかす。
そうか。語り部の趣味は賭け事か。結構イメージ通りの趣味だな。これでプロフィールが一つ埋まったが、一つ納得できないことがある。
それは語り部が賭けに負けていること。彼女ほどの術者ならば運勢操作なんて簡単だ。いや、仮に結果がすでに出ている賭けだったとしても、『運命操作』か『因果逆転』でどうとでもできる。
理論的には賭けに負けようがない。なのに、彼女は賭けに負けたという、それはどうして――ああ、いや、分かるぞ。
語り部にとって、賭け事は趣味だ。趣味は趣味だからこそ時に神聖なものになる。オレが原作『BABEL』を愛するように、語り部もまた賭け事を愛しているのだとしたら?
だとすれば、不正は許されない。オレが原作知識の収集に余念がないように、彼女は己の運だけで賭けに向き合っているのだ。
なら、今回のこの賭けにも彼女は不正はしない。少なくとも、対等な条件でオレたちと勝負する気なはずだ。
「ついでに、サービスだ。4回のうち、一度でも賭けにアンタらが勝てばアンタらの総取りでいい。聞きたいことになんでも応えてやるさ」
「……わかった。ただし、賭けるのはオレの持ち金だけだ。凜は負けても、アンタが外に出るなら一緒に連れてってくれ」
最悪の状況になったとしても、ここに残るのはオレ一人でいい。凜だけは無事に返す。これはオレのオタクとしての、男としての譲れない一線だ。
「蘆屋君……! 1人で置いていくことなんて……!」
「オレだってバカじゃないし、死にたいわけじゃない。お前だけでも外に出られれば助けを呼べるだろ? そのためだ」
「でも……!」
「お前や皆を信じてるから頼むんだ。それに、負けなきゃいいだけの話だ」
「だけど…………!」
渋る凜。気持ちは嬉しいが、ここは折れてほしい。
だが、どう説得したものか……、
「やめときな、嬢ちゃん。男が意地を見せようってんだ。見守ってやるのもいい女の条件だよ。それに、失敗した時にそれ見たことかとけつを叩いてやるのは気分がいいもんだぜ」
語り部が愉快そうに茶々を入れる。そんな彼女を鋭くにらみつつも、凜の横顔には迷いがあった。
「僕は……」
「頼む、凜。ここは勝負しないといけないんだ。だから、お前に手伝ってほしい」
オレが最後にそう言うと、凜は握っていた拳を緩める。彼女の中で理屈と感情がせめぎ合い、今回は前者をとることにしたのだろう。
「…………わかった。でも、勝負は一緒にやるから」
「ああ。頼む」
オレがそう言うと、凜が微笑む。少しは安心したようだし、実際助かる。彼女の運命視の魔眼はこういう賭けにおいては無敵に近い。勝ち目は十分ある。
「アンタの条件を呑むよ。遊びは柔軟じゃないとね? でも、いいのかい、おれが異能を使うのを禁止しなくて」
「構わない。貴方は賭け事そのものには異能は使わない。そういう人だと思う」
オレの言葉に、語り部は初めて本当に驚いたようだった。紫煙を吐き出すと、クスリと笑った。
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。でも、手は抜かないよ。それじゃ面白くないからね」
そう言いながら、語り部は煙管を手の中で一回転させる。すると、いつの間にか煙管は金魚すくいのポイに変わっていた。
「破れないように掬うのも含めてのゲームだ。時間は無制限だけど、一度水に漬けたらやり直しはなしだよ」
「…………わかった」
ポイを受け取り、一応調べる。普通のポイだ。和紙が貼ってあってちゃんとしてる。語り部、かなりの凝り性だな。実物とは見分けがつかない。
「……何色に見える?」
「赤……その
オレが聞くと、凜がそう答える。
オレの展開した六占式盤での解析結果も同じ。どの魚を掬ったとしても赤、青、黄、白の四色の内赤になる可能性が高いと出ている。
……オレの占いだけでは確度は40%程度と低いが、凜の魔眼の補足が着くなら6割は固い。
これに、オレが運勢操作を重ねれば、ポイが破れる可能性を排除して、80%までは持っていけるか。
…………悪くないパーセンテージだ。4回のチャンスがある以上、ここはまず一度試してみるべきだろう。
「色を宣言したらスタートだ。同意とみなすから退路はないよ」
語り部の声が熱を帯びる。彼女も勝負を前に高揚しているのだ。
こちらも相応の熱で望まねばならない。覚悟はできている。
「……分かった。赤だ。オレたちは赤を選ぶ」
「じゃあ、おれは白だ。この国では縁起がいいんだろ? この組み合わせ」
互いに色を宣言したことで、契約が成立する。1度目の勝負が始まった。
「じゃあ、凜。やるぞ」
「う、うん、頑張って!」
覚悟を決めて、ポイを水につける。狙うは一番手前を泳いでいる魚だ。
素早く、だが、丁寧に魚の下にポイを滑らせ、一気に掬う。そうして持ち上げた瞬間、魚の色は――、
――――――――
あとがき
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