第120話 ある語り部の憂鬱

 『四色魚掬い』と看板に書かれたその出店は、他の出店とは明らかに違っていた。


 まず屋台じゃない。石段の間の踊り場にテントが張られている。色は蒼で、星や月が描かれていて、異国情緒がある。

 テントの入り口上の看板がなければ占いの館と言われた方が納得できそうな風情だ。

 

 明らかに、この祭りにはそぐわない。テントの周辺の魔力さえもなんだか違う感じがある。どこか渇いたような、あるいはさわやかな風のような、そんな印象を受ける。


 …………近づかない方がいい気がする。あくまで直感だが、異界の内部での直感は馬鹿にできない。


 君主危うきに近づかず。ここは凜には悪いが、賢くパスということで――、


「ここって……」


 凜がいつのまにかテントの入り口を潜って、内部に入っていく。

 ……これはオレが悪い。ミス直情径行をなめていた。考えている暇があるなら、先に凜を止めるべきだった。


 いや、それにしては様子が妙だった。なにかに誘われるようにふらふらとした足取りだったし、なにかに誘われたか……?

 運命視の魔眼のせいか、凜はこの異界の影響を俺よりも強く受けている節がある。ある意味、相性がいいのかもしれない。


 仕方がないので覚悟を決めて、オレもテントへと入る。

 今のところ、この異界に害意がないことはわかっている。このテントの中でもその法則が働いてくれているといいんだが……、


「――おお」


 テントの中に入ると、凜は入ってすぐのところで突っ立っていた。何やら天井を見上げている。つられて上を見ると、その理由が分かった。


 星空だ。雲一つない青い星空が天井に投影されている。その中心にあるのは、新円を描く月。その月光がテント内を照らしていた。

 星々の輝きは美しく、また優しい。単なるプラネタリウムではなく実際の星空を縮小再現したこの光景は、極めて高度な魔術により構築された一種の芸術品といえた。


 ……本当に綺麗な術だ。オレは実戦用の魔術の修練ばかりやってきたから、こういう細やかで華麗な術とは縁がなかった。

 それに見かけだけじゃない。魔力制御の精度も、星空をそのまま写し取り、同期させている空間把握能力も、すべてが最高位の高難度技術だ。


 憧れるなぁ。一体どういう術師がこんな術を――、

 

「――ああ、いらっしゃい。はじめまして、っわけでもねぇか」


 声を掛けられ、店の奥に視線を向ける。中央に置かれた白磁の水盆、その向こうに声の主はいた。


 褐色の肌に灰色の髪をした美しい女性。翠色の瞳がオレを見つめていた。

 この女性を俺は知っている。


 。かつてオレを殺して、山三屋先輩をさらおうとした伝説の殺し屋が今オレたちの前にいた。


「そいつはやめときな。ここじゃ喧嘩はご法度さ。それにおれがまだやる気なら、アンタもそこの嬢ちゃんもとっくに死んでるし、アンタだって殺気に気付いている。だろ? お兄さん」


「……わかった」


 何もかもを見透かされて、オレは励起状態の術を引っ込める。

 ……正直めちゃくちゃ怖いが、語り部の言葉は正しい。オレだって馬鹿じゃない。語り部に少しでも害意や悪意があればさすがにこのテントを見た時点で気付いている。


 それができなかったのは、語り部にとってもオレたちとの遭遇が完全に想定外の出来事だったからだ。


 ……このテントの中には複雑な術式が敷かれているが、異界として独立はしていない。つまり、祭りの異界全体に敷かれている非暴力の法則はここにも適応されている。

 だから、大丈夫、だとは思うが……ああ、くそ、今すぐ逃げだしたい。


「え? 蘆屋君? この人知り合い? というか、すごい美人! 映画とか出てそう!」


「おや、嬢ちゃん、見る眼があるじゃないか。これでもガキの頃は舞台に立ってたんだ。そして、おれとそっちのお兄さんの関係だけどね、一口には言えない関係ってやつさ」


「え? それって…………」


 ギギギと擬音が聞こえてきそうな感じの動きでこちらを見る凜。

 ……語り部め。もう凜の性格を把握してやがる。お前はもう少し人を疑うことを覚えろよ!


「蘆屋君……それはダメだよ……いくら相手がエッチなお姉さんだからって、その、ただれた関係はよくないよ……僕も山縣さんに謝ってあげるから、ね?」


 凜はオレの肩に手を置いて、頷いてくる。余計なお世話である。


「ね? じゃない。オレは年上でも大丈夫だが、ちゃんと見境あるわ。オレはこいつに殺されかけたんだよ」


「え!? じゃあ、敵!?」


 慌ててファイティングポーズをとる凜。素手で語り部相手にどうしようというのか。

 ……なんだかオレまで毒気が抜けてきた。少なくともシリアスな殺し合い、という空気じゃない。


「……こいつの名は『語り部』。裏の界隈の伝説の殺し屋だ。前に話しただろ、あのホテルで俺たちを襲った魔術師」


「あ! あの時の! じゃ、じゃあ、また蘆屋君を狙って……!?」


「だから、その気があったらとうにやってるよ。今のおれはただの雇われ店主さ。殺し屋は休業中」


 めんどくさそうに煙管キセルを吹かす語り部。吐き出された紫煙は一度、寝ころんだ猫の姿を象ってから消えていった。


「……凜、大丈夫だ。語り部の言う通り、彼女がやる気ならオレ達はこのテントに入った時点で死んでる。だから、オレたちをどうこうする気はない、はずだ」


「そういうことさ。まあ、立ったままってのもなんだ、座んなよ。お客さん」


 語り部が指を鳴らす。すると、水盆の周りに椅子が二脚現れる。

 獅子の意匠が施されたそれにオレたち2人は恐る恐る腰かけた。


 正直、今すぐ逃げ出したいが、そういうわけにもいかない。

 少なくとも相手は友好的に来ているわけだし、その好意をむげにするはよくないというのもあるが、なにより、語り部の機嫌を損ねたくない。


 それに、聞きたいことは山ほどある。なんせ、相手はあの語り部だ。

 山三屋先輩が主役の外伝小説においても語り部についての設定はほとんど明かされていない。それこそゴマさんこと現『リサ』と考察してたことや前回の接触でわかったこともあるが、まだまださわりの段階だ。こうして直接、尋問インタビューできる機会を逃すわけにはいかない。


「……まず、どうしてアンタがこんなところにいるんだ? 趣味は? 異能に目覚めたきっかけは? あと、できれば、スリーサイ――いや、後半は忘れてくれ」


 暴走しかけていることに気付いて、どうにか自制する。つい、オタクが解き放たれかけた。


「…………アンタ、意外と図太いんだね。術の感じからしてそんな奴だろうと思ってたけど、気に入ったよ。若いうちはそういう方がいい。人生は短いもんだしな」


「あ、わかる。蘆屋君って謙虚な感じだしてるけど、実はすごい無茶するときあるよね。ゲームとかでも、よく爆弾持って突っ込んでるし、ときどきそれで乙るし」


「おま、あの爆弾はお前が渡してきたんだろ!」


 仕方ないだろ、時間ぎりぎりだったし、あそこでオレが自爆しないと討伐失敗してただろうし……、


「はは、仲がいいんだね。若いってのはいい、好きにやってくれ。いっそおっぱじめてくれても構わねえよ? おれには目の保養さ」


「おっぱじ――!? い、いや、僕と蘆屋君はあくまで友達で、親友で、そういう関係じゃないっていうか、いやでも、そういう関係になりたくないわけじゃないっていうか……だけど、まだ早いっていうか…………だって、いきなり、体の関係っていうのはあんまり……でも、そこからはじまる愛もありっていうか……」


 凜は1人で妄想に沈んで、ショートしている。

 ……放っておこう。仮に正気でもこの状況じゃ凜には悪いが、役に立ちそうにないし。


「さて、どうしておれがここにいるか、ねえ? まあ、端的に言えばお前さんのせいさ。この責任、ちゃんととってもらわないとね?」


 語り部の美しい顔が妖しげに歪む。彼女の翠の瞳がオレを射抜く。

 ……どうやら、一筋縄にはいかないらしい。上等だ、あの語り部について知れる機会だ。一歩も退いてたまるものか。オレのオタクとしての矜持が、今試される……!


――――――――

あとがき

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