第119話 祭囃子に浮かされて
オレと凜は2人でゆっくりと参道を登ることにした。
一刻も早く異界を脱出すべきだ、と理性は囁いているが、参道を走るような真似をすればそれこそ無礼を働いたともとられかねない。まだこの祭りの主賓がどんな神様かわからない以上、ここは慎重になるべきだと判断した。
それに、同行者である凜のことを考えればそうせざるをえなくもあった。
「見てよ、蘆屋君! これ貰っちゃった! 鬼火の提灯!」
ごらんの有様である。青白く輝く提灯を手に、にこにことはしゃぐ凜。
…………かわいい。これが一枚絵ならデスクトップ画面にしたいくらいのかわいさだ。
悔しいが、認めざるをえない。
オレは原作『BABEL』を果てしなく愛しているし、当然、主人公『土御門輪』も愛しているが、その魅力に凜は別角度から迫りつつある。
つまり、推せる。それぐらいの
しかし、提灯の中に鬼火が入ってるのか……普通の火と違って火事にならないからむしろ安全…………あ、いや、よく見たら目玉が付いてる。今目が合った。『お化け提灯』じゃん。
「……凜、お前…………」
「え、なに? 綺麗でしょ? あげないよ?」
「いや、いらない」
だが、今更どこかに捨てるのもそれはそれで厄を呼びそうなので、見なかったことにするしかない。
実際、ここのお化け提灯は大人しいように見える。おそらくこの異界の主が人間に危害を加えないように法則を敷いているのだろう。それに、お化け提灯自体も直接的な害を及ぼした、という伝承のない怪異だ。害はない、はずだ。
というか、立ち止まったと思ったら、そんなの貰ってたのか。
ん? 待てよ、貰った? そこにあるのは祭りの出店だよな? なら、無料でもらえるなんてことはないと思うんだが――、
「――っ!」
凜の背後に揺らめく人影。鬼火の集合体であるそれに凜が振り向く。
今まさに炎は右手を凜に向って突き出している。くそ、何が害のない異界だ。攻撃してくるんじゃないか……!
まずい、今の凜は丸腰だ。オレが応戦するしかない。式神は皆待機状態。この間合いでも十分に間に合う――、
「――蘆屋君、ダメ!」
しかし、その直前、ほかならぬ凜がオレに抱き着いてくる。刀印を切ろうとした右手を掴まれて、式神が呼び出せない。
や、柔らかい……! すごい花の香りもするし……! 心臓がキュンキュンしてしまう……!
だ、抱き返してしまってもいいのだろうか……?
「って、それどころじゃない!」
一瞬、流されかけたが正気に戻る。 だいたい、どういうつもりだ、今まさに攻撃を受けたところで……いや、待てよ。オレも凜もダメージを受けていない。
ということは、さっきのは攻撃じゃなかったのか?
よくよく見ると、人影は右の掌を上に向けてこちらに突き出しているだけだ。
言葉は発しないが、このジェスチャーの意味は分かる。すなわち、『ちゃんとお代を払え』だ。
「凜……?」
「あ、あはははは! だって、握らせてくれたから、貰っていいのかなって思っちゃって……」
「…………まあいい。だが、一体いくらで――あ」
まずい。凜は単に買い物をしたつもりだろうが、異界の内部でのモノのやり取りには細心の注意が必要だ。
なにせ、買い物はもっともシンプルな契約だ。異界内での契約の効力、拘束力の強さは四辻商店街でも証明済み。契約の内容によって魔人たちの決議のようにあの誘先生でさえ縛りうる。
四辻商店街の時は魔力でやり取りができたが、店主が指を五本立てているところからもどうやら違うらしい。
……魂五つ分とかじゃないよな? たかが買い物とはいえ契約破りは簡単じゃない。『縁切り』か、あるいは『運命干渉』そこら辺の異能、もしくは怪異が必要になる。
今回はそんなものを持ってきていない。どうする? 何で払えばいい……?
「……待てよ」
ふと、意識が右ポケットに向く。そこに入っているのは財布だ。とりあえず取り出してみると、ずしりと重い。
開くと、小銭入れに銅銭が詰まっている。もともと入れていた100円玉や札はすっかり消えていた。
どうやらこの異界に入った時点で持ち込んだ通貨がこの異界でも使えるものに変換されたらしい。結構持ってきてたし、ここをでたら元に戻るといいんだが……、
「5枚だな? ほら、迷惑かけたな」
言われた通りの枚数を取り出して、店主の手に渡す。彼はそれを受け取ると、そのまま背を向けて去っていった。
商品の料金を払わなかったにしては、随分と温和にすんだな。油断はできないが、山本の言葉通りこの異界は害意がないのかもしれない。
……だが、どういう異界だ? 死の領域はその領域自体が死というある種究極の危険性を含んでいる。それをここまで徹底して統制してのけるとは、この異界の主はよほど高位の神なのか……?
なんにせよ、気が緩みすぎだ。オレもだが、特に凜。
「凜、『
「ご、ごめん。ちょっと浮かれちゃってた……」
オレが言うと、凜は伏し目がちに沈み込んでしまう。彼女なりに思うところがあったのだろう。
実際、この異界に迷い込んでからは妙に浮ついた気持ちが続いている。それは凜も同じだ。
「……ごめん」
しかし、今の凜はしょぼくれてしまっている。なんかこう、雨に濡れた子犬感のあるたたずまいだ。
…………ちょっと言い過ぎたか? そもそもオレだって人のことは言えない。いつも通り方位陣で警戒しているのに反応を見逃してしまっていた。
これも祭囃子に浮かされているせいか……凜だけを責めるのは不公平だ。
「……すまん。せっかくの祭りに無粋だった」
「う、ううん、悪いのは僕だし……」
それに濡れた子犬みたいな凜は見たくない。彼女はやっぱり無邪気にほほ笑んでいるのが一番だ。
オレはそんな彼女に救われた。
原作をやっている時だってオレは主人公である『土御門輪』に幸せになってほしかったし、それは『輪』が『凜』になったって変わらない。いや、その思いは日々強まるばかりだ。
「…………何かやってみたい出店とかないのか? 次に見つけたらやってみよう。金はあるし」
「……いいの?」
「ああ。まあ、安全な奴だけだぞ?」
「う、うん! じゃあ、探すね!」
気を取り直した凜と再び参道を昇る。
途中、『黄金のざくろ飴』とか『人魚肉のソース焼き』とか色々食べたらえらいことになりそうな食べ物の系の屋台がいくつもあったが、どうにか凜にスルーさせた。
しかし、ここ誘惑おおいぞ! 食べ物系だけじゃなくて露店で売っている品物がいちいちいい触媒になりそうな呪物で、オレの方も欲求をこらえるのが大変だった。
気を逸らすためにも、何か話してた方がいいか。
「そういや、なんであの店主に害意がないってわかったんだ? 一瞬で気付いてたよな?」
「うん。
この魔眼は魔眼の中でも最上級のもので、あらゆる物事に宿る可能性を見ることができる。その魔眼で瞬時にあの店主がオレたちに危害を加える可能性はない、と見抜いたのだろう。
しかし、いつのまにそんなことできるようになったんだ? 原作においては主人公が成長したことで2学期の初めに使えるようになる異能だ。それを夏休みの間に習得してたとは、驚きだ。
「見えるように、ううん、識別できるようになったのは最近だよ。ほら、週一の特訓の時に気付いたっていうか」
「そうか。なら、やってる甲斐があるな。あの特訓」
「でも、一番の切っ掛けはあの商店街かな。ほら、あの時、蘆屋君が凄い神様呼び出して、がんばってたよね? それを見てたら、僕も頑張んなきゃって、こう、意識が切り替わったんだよね。バシーンって感じに」
凜が言っているのは、オレが四辻商店街で荒れ狂う『山本五郎左衛門の影』を止めるために『日月黄幡神』を呼び出した時のことだ。
あの戦いが、凜の成長を促した。かませ犬こと
「あ、強くなってるのはもちろん僕だけじゃないよ? リーズだって、ほのか先輩だって、もちろん、山縣さんだって、みんな蘆屋君に追いつこうと頑張ってる。僕はその中でも経験が浅いから余計に頑張んなきゃだけどね」
「…………そうでもないさ。凜の頑張りは知ってる。君がいなかったらオレはここにいないし、みんなも今みたいに仲良くない。オレがもしみんなを導けてるんだとしたら、それは君が繋いでくれてるからだ」
これは嘘偽りないオレの本音だ。実際凜はうちの部隊『甲』の中では誰よりも周りを気にかけて、みんなをつなげてくれている。
その証拠に彼女がオレの家に持ち込むゲームは全部みんなでプレイできるものだし、誰かが1人でいるのを見るとしれっと近くにいって話しかけている。性別が変わって、違う人間になっても、それでもやっぱり彼女はオレたちの主人公なのだ。
「えへへ、そうかな。そうだといいな、嬉しいな」
照れているのか凜の顔は火照っている。その横顔は抱きしめたくなるくらいに愛らしくて、尊かった。
「あ、あれ! あれやりたい!」
照れ隠しか、凜が突然、出店の一つを指さす。看板には『
なんだろう、記憶のどこかが刺激される。凄く嫌な予感がするんだが、なんでだ……?
――――――――
あとがき
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