第117話 浴衣と着物の違いって

 平坂祭りの会場となる平坂神社は聖塔学園のある山の麓にあった。

 その神社そのものはどこにでもよくある山をご神体とした神社で由緒にも特殊なところはなかった。少なくとも今すぐ異界化してしまうような所以はない。


 当然、そこで行われている祭りも何の変哲もない地域のお祭り。そのはずだったのだが、凜との待ち合わせ場所である神社の境内に踏み込んだ瞬間、オレはあることに気付いた。


 

 

 祭りの準備を行う人々の喧騒と橙色の夕日、夕立の上がった後の湿った匂い。それらが忘れていた遠い記憶を刺激したのだ。

 前世でオレが訪れた神社の名前は神社で山の麓にもなかったが、目の前の祭りの光景、匂い、音、何もかもすべてがオレの記憶と一致していた。


 子供のころだ。12歳、小学校最後の夏休み。そのころはまだオレの家族はみんな生きていて、オレは母さんに頼み込んでお小遣いを前借した。

 そして、オレはそこで、誰かと……、


「――ん?」


 ぽつりと頭に何かが当たる。鳥居から落ちた雨粒だろうか? なんだか、いいことがある予兆のような気がして、深く息を吐く。


 現在の時刻は午後5時45分。凜が指定してきた待ち合わせ時間は6時だから少し早く来すぎたか。祭りの方もまだ始まっていないから来るまで暇をつぶすしかないか。


 なんとはなしに端っこによってスマホを見る。すると、ゴマさんこと朽上理沙、あらためリサからメッセージが来ていた。


『例の件、こっちでも調べてる。でも、まだ攻略ウィキもないから総当たりになりそう』


 一見すると、最近始めたソシャゲの攻略情報を交換してるだけのように見えるが、一応、例の件とは『八人目』のことを示す符牒であり、文章の意味は『八人目の件はこっちでも調べるけど、手掛かりが少なくて怪しいやつを総当たりにするしかなさそう』という感じだ。


 うーむ、想定通りの返答ではある。誘先生の協力もあるし、リサという協力者のおかげで人手は増えたが、正直、手詰まり感はある。

 なにせ、解体局内の裏切りものに関しては候補者が多すぎる。異界を改造、接合できるほどの実力者となれば数は絞れるような気はするが、異能者の実力を測るのは容易じゃない。魔力量は偽ろうと思えば偽れるし、術の精度やどんな術を使えるかは実際に見てみないと何とも言えない。


 そこで、オレたち『特別探索隊』に任務を回せる上役という側面から裏切者を探すということになったのだが、そっちもそっちで難航している。

 解体局の組織体制は厳格なようで緩い。いまだに縁故採用が蔓延り、名家が幅を利かせているせいで、コネを使えばどこからでも任務をねじ込める。なので、この方向からも特定は難しい。


 だから、総当たりだ。怪しい連中を一人一人、秘密裏に調べていくしかないのだが……なにか取っ掛かりが必要だ。

 

 …………やっぱり、先に本家の連中を片付ける必要がある。同じ裏切り者同士、今回の一件で協力していた以上、蘆屋本家と八人目の魔人こと『フロイト』には繋がりがある。その繋がりを確かめるためにも、本家の連中を締め上げる。

 気が重いが、もともとやるつもりだったこと。ここは夏の課題だとでも思ってやりきるしかない。


 そんなことを考えていると、次のメッセージが届く。


『そう言えば聞いたよー、あのリンキュンとデートなんでしょ? リンミチ‹\(*'ω'* )/›› ‹‹\( *'ω'*)/›› クルー!?』


 ……テンションが上がりすぎて、前世で多用していた顔文字が復活している。そして、順番的に凜が攻めなのか……いや、別にそれはいいんだけど、リサには『土御門輪』が実は『凜』で性別が女性になってることは言ってないので、たぶん、そういうことだと思っている。

 …………まあ、リサらしいか。おかげでこっちも肩の力が抜けた。


『あとでデートの詳細聞かせて!hshs(*´Д`≡´Д`*)hshs』


 続けてそんな顔文字が連打されているので、『了解』とだけ返しておく。

 ほかにもアオイから『うわきはばつですよ』とだけ来ている。ひらがななので『×』なのか、『罰』なのかわからないが、最近スマホを使いこなしつつあるのがすごくかわいい。


 ……アオイにはいずれオレの秘密についても、八人目についても話さないといけない。その時、彼女がどんな反応をするのか……わからない。

 怒るのか、悲しむのか、それともオレを軽蔑するのか。まるで読めなくて、それが怖い。彼女のことなら、山縣アオイのことなら知らないことは何一つないと思ってたのに。


 ……まったく情けない話だ。オレは世界を滅ぼす八人目の魔人なんかより身近にいる女の子に嫌われる方が遥かに怖くてたまらないらしい。

 いや、この方がオタクとしては正しいのか……? あるいは、より間違ってる……?


「――お、お待たせ!」


 そんな終わらない自己問答を繰り返していると、声を掛けられる。

 ゆっくりと、声の方に視線を向けると、そこには『土御門凜』が立っていた。


 でも、確信がない。鳥居の下に立つ彼女の姿はオレの知るどんな彼女とも違っていた。


「そ、そのどう、かな? 着付けはみんなに頼んだから問題ないと思うんだけど…………」


 凜は藍色の浴衣を着ている。袴の部分には金魚の刺繍が入っていて、帯は朱色。ここからでも仕立ての良さと生地の高級さが分かる。

 でも、大事なのは浴衣の質じゃない。この浴衣が土御門凜という少女の魅力を最大限に引き立てていることだ。


 白金色の髪をシニヨンにまとめて、そこには金色のかんざし。二つの対比は月と太陽のように自然で、麗しい。

 顔にもうっすらと化粧がされている。残念ながらオレには化粧の知識がほとんどないから詳しいことはわからないが、それでも、一つはっきりしていることがある。今の凜はいつにもまして、息をのむほどに綺麗だ。


 立ち姿もいつもとまるで違う。いつもは少し背筋を張って男性的な感じなんだが、今日は浴衣を着ているからか、なんだかすごいたおやかで、別人みたいだ。


 オタクとしてのオレも大喜びしている。スクショできるなら10枚は撮っている。


「あ、蘆屋君、何か言ってほしいんだけど……そんなに変……?」


「い、いや、すまん。その、あれだ、あれ…………」


 なぜか視線が泳ぐ。ここしばらくで少しは青春エモーショナル全開な場面シーンにも少しは耐性ができたつもりだったが、どうにも、今は浮ついている。

あれか? これも祭りの影響か? オレ、無意識下で浮かれてる?


「…………僕、着替えてくるね」


「い、いや! 違う! そんなことはするな! その、あれだ、見惚れてた。すごい綺麗だ。記録データに残したいくらいに」


 ああ、まったく自分の語彙力のなさが嫌になる。頭の中ではともかく実際褒め言葉を口にするのは未だにオタクっぽくなってしまう。


「そ、そう! そうなんだ、僕、綺麗なんだ……なら、うん、頑張った甲斐があったかな……えへへ」


 そういって恥ずかしそうにはにかむ凜。

 …………ちくしょう、マジでかわいい。いつもは友達としての延長線上で気楽な関係性なせいか、こんな顔をされると不意打ち過ぎてやばい。


「ゆ、浴衣はね、彩芽ちゃんと盈瑠みちるちゃんが一緒に選んでくれたんだ。初めてだから、一人じゃ不安で」


「なるほど。その2人なら確かに信用できるな」

 

 盈瑠ならいい呉服屋を知っているし、彩芽のセンスはオレも全面的に信頼している。着付けに関しても完璧で、2人の協力の痕跡が見て取れる。


 少しうれしい。彩芽と盈瑠がオレがいないところでもそれなりに仲良くやれていることもそうだし、その2人が凜のために動いたという事実もまた喜ばしい。淑女協定とか言い出した時は、オレの手足が裂けるのとオタク心が爆発四散するのどっちが早いんだろうなどと思ったが、こんなところにもいい効果が現れている。


 でも、今の主役は凜だ。彼女がここまでの準備をしてきた以上、その心意気に応えねばオタクとしても、男としても廃るというもの。


「……ともかく、よく似合っている」


「う、うん、あ、ありがとう」


 まだ緊張気味の凜。まあ、無理もない。最近はがばがばとはいえ、普段は女性だとバレないように生活しているわけだし、今はだいぶ心もとないのだろう。

 まずは純粋に楽しめるように、緊張を解さないと。


「せっかくだし、ゆっくり巡ろう。したいこととかないのか?」


「そ、そうだな、金魚すくいとか? あ、でも、少しお腹空いたかも――」



 言葉を交わしながら、2人で鳥居をくぐる。そうして、次の瞬間、オレの背筋に寒気が走った。

 よく知った感覚。に踏み込むときはいつもこれが付いてくる。


 そうして、景色が一変した。

 

 目の目にはどこまでも続くような遠大な参道。左右には様々な出店が所狭しと立ち並び、微かだった祭囃子は今や天にも届くうねりへと変わった。


 オレと凜は一瞬にして、盛大で、奇妙な祭りのただなかに放り出されたのだ。



 ――――――――

あとがき

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