第115話 謎解きの後は

 アルマロスから厄ネタじみた情報提供を受けたオレは全身筋肉痛の体を引きずって、『鏡月館』へと続く地下通路に戻った。


 森から直接あちら側に戻ることもできたが、すでに異界は崩壊寸前だ。景色も館も虫食いになって、現実へと回帰しつつある。

 このままだとあと1分もしないうちに異界は完全崩壊し、ここら一帯は現実空間へと戻る。


 そうなると、オレは現実において『鏡月館』のあったとされる某県の山中に放り出されることになる。直接の命の危険はないだろうが、身内に、しかも解体局内にオレのことを狙っている裏切り者がいると分かった以上、単独行動は避けたい。山中に出た途端、周囲を刺客に囲まれているなんてのは勘弁だ。


 その点、鏡月館はまだ原型を残している。いくらか猶予がある。


「ああ、くそ、筋肉痛が一番しんどい! 体力付けときゃよかった!」


 愚痴りながら自分を鼓舞する。聖塔学園に入学してからいろいろ鍛えられたつもりだったが、まだまだだったらしい。帰ったら、アオイに頼んでトレーニングメニュー組んでももらおうかな……いや、やめておこう。スパルタすぎてオレがへばるのがもう目に見えている。


 地下通路を進み、徳三郎氏の書斎へと続く階段へとたどり着く。今からこれを昇ると思うと気が滅入るが、仕方ない。


 ……ともかく、今は脱出しないと、学園帰れば安心――、

 

 瞬間、裏切り者のことが脳裏をよぎる。もし、この扉にも細工がされていたら? もし、転移した先で裏切り者が待ち受けていたら?


 ああ、くそったれ。アルマロスのせいで考えても仕方がないことばかり考えてしまう。あいつ、これも含めて嫌がらせでオレに情報を与えただろ……!


「――あ」


 そんなことを考えていたせいか、足を滑らせる。ここは階段の中腹ほど、真っ逆さまに落ちたらさすがにやばい――!


 だが、態勢を立て直そうと伸ばした手が虚しく宙を切る。まずい、本当に落ちる……!

 

 というか、これは……あれか……? 『八門金鎖はちもんきんさ』で消費した幸運の反動が今来たのか……?


 命の危機なせいか、意識も引き伸ばされてるし……え? まじ? こんなところでDEADEND? そりゃ原作における蘆屋道孝オレの命はふんわり毛布くらい軽いが、さすがにこんなところで死ぬのは御免だ!


 くそ、どうする! 式神を召喚するか? いや、間に合わない。せめて頭だけでも――、


「――ゲッちゃん!」


 懐かしい声が聞こえる。走馬灯のようなそれを信じて、オレは右手を伸ばす。

 瞬間、力強い誰かの手がオレの体を引き上げた。信じられる感触にオレは身をゆだねた。


 まったく、先に逃げるように指示をしておいたってのに。


 階段の上に立ってオレを助けたのは、ゴマさんだ。どうやらオレの運もまだ尽きてはいないらしい。


 しかし、本当の意味で事故が起きたのはこの後だった。


「――って、危ない!」


 右腕を抱きかかえられるようにして持ち上げてもらったのはいいものの、勢い余ってに向かって倒れ込むようになってしまう。


 そして、ゴマさんはオレより一段上に立っているわけだから、


 ふわふわして、あったかいクッションがオレを受け止める。うーん、あれだな、アオイやリーズともまた違う極楽。知識としては大きいのは知っていたけど、こうして触れているとその大きさがよくわかる。たぶん、Fカップ。


 ちなみに、こんなことを冷静に考えてしまっているのは、。あの朽上理沙の胸に飛び込むだけでも大罪なのに、同志であるゴマさんに事故とはいえセクハラなんて万死に値する。


「……ゴマさん。いずれ腹は切る。だが、恥を承知でここは見逃してもらいたい。オレにはやらなきゃいけないことが――」


 冷静にゴマさんの谷間から顔を上げて、そう謝罪する。

 悲しいかな。オレにはやるべきことが山ほどある。いずれ責任をとるにしても、ここはオタクとしての矜持をわきに置いて、猶予をいただきたい。


「い、いやいや! そこまで深刻にならないでよ! ほ、ほら、事故みたいなもんなんだしさ。わざとだったら、そりゃ往復ビンタだけど……」


「……そうか。ゴマさんは優しいな。代わりと言っては何だが、オレにできることがあれば何でも言ってくれ」


「な、何でも……って、こんなことしてる場合じゃないよ! 早くここから脱出しないと2人で山で遭難だよ!」


「そうだな……悪いけど、手を貸してくれ。ちょっとくらくらするんだ」


 のせいか、あるいはゴマさんの顔を見て気が抜けたのか、足ががくがくしてる。どうやら、いろんな糸が切れたらしい。

 

 ……毎度のことだが、どうにも締まらない。一度くらいは余裕綽々に華麗に勝負を決めてみたいもんだ。


 そのままオレたちは2人でのろのろと異界の出口に向かって進む。急ぎたいのは山々だが、ゴマさんのほうもへとへとだ。

 …………鏡月館はすでに崩壊寸前だ。変に急いで空間の狭間に落ちたりするよりはこのままいっそどこぞの山中で遭難した方が安全かもしれない。


 あと、あれだ。こうして支えられていると、どうにも近い。匂いとか、熱とか、音とか、そういうのが全部近い。

 今更、女慣れしてないとか初心なことは言わないが、こう、オレの中ではゴマさんはカテゴリが違う。なんというか、同志で、かけがえのない友人だが、遠い、ネットワーク越しの存在だった。実際、前世では結局直接会うことはできなかったわけだし。


 それが、今はこんなにも近くにいる。どうにもそのことが、オレをドギマギさせてくる。


「まずいね。これ、間に合わない」


「たぶんな……すまん、今日は野宿だ」


 そうして、予想通り、鏡月館を出たところで異界が完全に崩壊してしまう。学園に繋がる転移扉はオレたちの目の前で消滅し、ついさっきまで背後にあった鏡月館も跡形もなく消えていた。


 派手な爆発も閃光もない。なんなら、魔力の放出現象さえない。異界の崩壊とはかくも静かで穏やかなものだ。

 そうして、オレたちが放り出されたのは予想通り某県の山中。かつて鏡月館があったとされる場所だ。この座標の別位相に異界は存在していたから当然の帰結ではある。


 オレたちの服装も異界に突入する以前の聖塔学園の制服に戻っている。なんなら、スマホやらの持ち物も帰ってきている。残念ながら電波は通じてないが……リーズがこういう時の手はず通りに救助要請をしているはず。その内、助けが来るだろう。


「どうする? このまま下山する?」


「いや、ここで待機しよう。オレたちも疲れ切っているし、入れ違いになるのも面倒だ」


 近くにある木に背中を預けて、深く息を吐く。異界が崩壊した時点で、周囲を一応探査したが、警戒していたような待ち伏せの気配はない。とりあえず今は安全と言ってもいいだろう。


「そ。じゃあ、あたしもここで休ませてもらおうかな」


 そう言って、わざわざオレの真横に腰かけるゴマさん。また近いが、どこか心地よくもある。

 今は夜。頭上には月が浮かんで、かすかな光が枝の間から差し込んでいた。


 ……夜明けまではあと2時間ほど。土日はいつもこの時間までゴマさんとボイスチャットで話し込んでいたことをなんとなく思い出した。


「……それで、今なら事情話してくれる?」


 ふいにゴマさんが言った。驚いて彼女の横顔を見ると、そこには心配の情と不安、それと微かな恐怖が滲んでいた。

 オレが真実を話すのか、あるいは、真実を知ることで何かが変ってしまうのを恐れているのか。どちらにせよ、こんな表情をさせてしまったのはオレの不甲斐なさが原因だ。


 ……確かに今なら、逆に誰かに聞かれる心配はない。ゴマさんにも無関係ではない以上、話しておいてもいいだろう。

 それに、ゴマさんの視点が加われば、オレだけでは分からないことにもなにか答えが出るかもしれない。


「……………全部を総合して考えると、


 オレが話し終えると、ゴマさんがそう言った。

 夜闇の中では細かな表情までは伺えないが、どこか彼女の声が弾んでいることに安堵する。ゴマさんもやはり、同志オタクだ。『八人目』に驚き、警戒すると同時にワクワクもしているのだ。


 ……今回の黒幕の片割れ、解体局の裏切り者こそが『八人目』である。その可能性についてはオレも考えていた。


 根拠は2つ。

 1つは、今回の件の黒幕がオレたちの動きも含めて、この鏡月館のことをほぼ完全に把握していたこと。

 いくら優秀な術師でも不確定要素を含む異界のすべてを知ることは難しい。だが、オレ達のようにを持ち込んでいるのだとしたら、話は違ってくる。


 それに、そいつが使っていた偽名がフロイトであるという点もまたこの根拠を後押しする。


 もう一つの根拠は、他の転生者であるオレとゴマさんを狙ったこと、そのために利用したアルマロスをも始末しようとしたことだ。相手がただの転生者であるのならそこまでする理由がない。オレとゴマさんが自分の邪魔になるから、八人目を狙うアルマロスが目障りだから、まとめて始末しようとした、と考えるのが自然だ。 


 以上のことから、今回の一件の黒幕が『八人目』である可能性は十分にある。無論、他の可能性もあるにはあるが、事ここに及んで、今回の一件に八人目が絡んでないと考えるのはそれこそ日和見だ。


「しかも、そいつは解体局の内部か、蘆屋本家にいて、2つのまったく別の異界を接続するくらいの実力がある、と。うーん、盛りすぎね、バイキングでは皿に食べ物を山盛りにするタイプと見た」


 最後の分析はともかくとして、前者は頭の痛い問題だ。

 『八人目』がどちらであるにしても、かなりの地位にいるとみて間違いない。でないと、今回のような罠を張るのは無理だろう。


「……こればかりは、自分で確かめるしかないな」


 まったく、どうしてこうも危機ばかりなんだ? オレは所詮、蘆屋道孝だぞ? かませのかませのクソ雑魚だぞ。こういう世界の危機をどうにかするのは主人公の役割だ。


「そう悲観的にならないでよ。あたしもいるし、みんなもいる。それに、あの誘先生も味方なんでしょ? なんとかなるって」


 そんなオレに、ゴマさんが言った。彼女の声には前世のものとはまるで違うけれど、それでもそこに込められた気遣いや優しさは何も変わらない。


 それに救われる。昔のように何の根拠もなく、なんとかなるさと信じられた。

 

「――そういえば、あたしの呼び方、考えてくれた?」


「あ」


 そうして完全な不意打ちに、思考が停止する。

 しまった、いろいろ忙しすぎて完全に失念していた。

 

 ゴマさんの声は明らかにいろいろと期待している。前世の経験から言ってこういう時のゴマさんはちょっとめんどくさい。

 具体的に言うと、期待外れなことを言ったりしたりすると、拗ねる。しかも、かなり、しつこく拗ねる。そういうところも、まあ、愛嬌ではあるんだろうけど、夜明けまでの数時間を拗ねたゴマさんと過ごすのはしんどいので、今考えるしかない。


 ……思いつかない。というより、今のゴマさんは朽上理沙でもあるわけで、それを彼女自身が受け入れてもいるわけで、となると、これくらいしかない。ゴマさんがOKしてくれるといいんだが――、


「――リサで、どうかな? 漢字じゃなくてカタカナのリサ」


 オレがそう言うと、しばらくの間、沈黙が訪れた。

 最初はさすがに直球すぎて気に食わなかったかな? と思ったが、恐る恐る隣を見て気付く。


 照れてる。耳まで真っ赤にして、誤魔化すように視線を泳がせていた。


「い、いきなり呼び捨ててって、せせ、積極的すぎると思うな!? で、でも、勘違いしないでよね! そ、それが悪いってわけじゃないからね! それでいいんだからね!」


「お、おう。喜んでくれて嬉しいよ」


 ということで、これからは朽上さんことゴマさん、改めて『リサ』と呼ばせてもらうことにした。

 まあ、2人きりの時しかこう呼ぶことはしないし、問題はないだろう。


「じゃ、じゃあ、あたしもゲッちゃんのこと、道孝って呼ぶから! それでいいよね! よし、決まり!」


「構わないが、2人の時だけにしてくれよ」


「も、もちろん! あたし、あっぴろげじゃありませんし!」


 それは誰に比べての話だ、というツッコミは野暮なので今はしないでおこう。今はともかく、ゴマさん、いや、リサの調子が良さそうなのでそれでいい。


 そうして、陰謀の夜は明けていく。

 いろいろと謎が明らかになり、同じくらい謎が増えた一日だったが、いいこともあった。


 『リサ』と再会できたし、それに決意も固まった。

 ここまで引き伸ばしてしまっていたが、最初の目的を果たすのだ。蘆屋本家の連中と決着をつけて、を解放する。それを果たす時だ。


 ……それと、夜明けと同時に救助に来たヘリ、そこに乗り込んでいたアオイにリサと手を繋いで眠っていたのを見られてひと悶着あったのが、その話をするのはまた今度にしておこう。




 ――――――――


 あとがき


 今回の更新で第四章完結です!

 次の更新は少しお休みをいただいて、一週間後の6月1日土曜日です! 応援いただけると励みになります!



 

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