第114話 境界線
「――っは!」
呼吸と共に、深い
状況が状況だ。気は急くが焦ってはいけない。呼吸の感覚、全身の痛み、周囲の景色。それらの肉の感触を意識することで、体の感覚を取り戻す。
酸素を求めてあえぐように視線を上にあげれば、夜空が見える。そこには虫食いのような穴が無数に開いていた。
絡み合っていた二つの異界がほどけていっているのだ。どうやら作戦通りにオレはやりとげたらしい。
すぐに、感覚でもそれを実感する
アルマロスの『聖域』が異界全体に波及したことで、亡霊共が続々と消滅している。同時に混同されていた『殺人鬼』共も消えつつあるはずだ。
異界全体が消滅を再開している。今頃、リーズやゴマさんたちの方では脱出用の『扉』が出現しているはずだ。
……ここまでは事前の作戦通り。問題はここからだ。オレは今からあのアルマロスから逃げ延びないといけない。
潜行状態の時のこともきちんと記憶はしている。その間に自分が何をしたかも覚えている。
だが、それはうまく機能するかどうかは正直言って自信がない。それこそ無我夢中ってやつだ。うまくいけば御の字だが、はてさて……、
「――どうやらうまくいったようだな。よくやった、異端者」
祈りを終えたアルマロスがゆっくりと立ち上がり、こちらを見据える。敵意は多少はマシになったが、それで容赦してくれるような相手じゃないことはわかりきっている。
「……そいつはどうも。アンタこそ意外と繊細なことができたんだな、驚いたよ」
言い方は悪いが、本心でもある。
アルマロスの展開した『聖域』はオレが想定していたよりもはるかに強固で、かつ細やかなものだった。殉教騎士団の扱う『奇蹟』の精度には本人の信仰心が重要だと聞いたことがあるが、その点において、アルマロスの信仰心に疑う余地はない。
「祈りは我ら騎士団にとって呼吸のようなものだ。そして、御国は祈りあるところに来るもの。身共はいずれ煉獄に落ちる身ではあるが……それでも、わたしの信仰には一点の曇りもない。ゆえに、主は応えてくださったのだろう」
こちらへと一歩間合いを詰めるアルマロス。
……やはり消耗の色は見えない。魔力吸収はしばらくやっていないはずだが、まだ貯蔵魔力にはかなりの余裕があると見た。
対するこちらは消耗著しい。残存魔力はMAX時の4分の1以下。『真影魔王』は影の中で健在だが、全力での戦闘は正直言ってしんどい。
うまいこと影の中から奇襲できたとして、それでも、逃走成功率は四割ほど。勝算があると思うほど、オレは自惚れちゃいない。
「――抵抗はやめておけ。この間合いであれば身共の方がその影よりも速い。大人しくしていれば身共から危害を加えることはしない。そのあとのことは保証できんがな」
……気付かれてたか。さすがは最高戦力の一角。こちらの意図程度は簡単に読んでくるか。
これで逃走成功率は3割以下。まったく嫌になるな。
「……その場合、オレの仲間はどうなる? 見逃してくれるのか?」
「…………いいだろう。身共は手を出さないと誓おう」
「アンタの神にか?」
「ああ、そうだ。主に誓う」
「……まあ、あんたならそうしてくれるだろうな」
…………他のやつならともかくアルマロスが神に誓うのであれば、その言葉は信じるに値する。
彼女は本当に、自分と殉教騎士団に対する不利益になると承知のうえでオレ以外の皆、リーズ、ゴマさん、谷崎さん、それに要救助者も見逃してくれるだろう。
それに、彼女もまた裏切られた側だ。自分を諸共に始末しようとした誰かの意のままになってたまるものかという、意地も多少はある。
無論、
……短い付き合いな上、敵同士ではあるが、それぐらいのことはオレにも解る。
オタクの悪い癖かもしれないが、オレは少しだけ目の前の
でも、ダメだ。今は死ねない。約束も、使命も、しがらみも、今は放り出せないことばっかりに囲まれている。
だから、なんとしても生き延びる。オレにはその義務がある。
「ありがたい申し出だが、断る。降参も、捕虜になるのもごめんだ」
にやりと笑って、そう宣言する。
覚悟は決めてある。打てる手も打った。あとは運を天に任せるだけだが、それに関してはこちらに分がある。
なにせ、オレは陰陽師だ。運はこちらに向いている。
「――そうか。では、歯を食いしばれ。次に目覚めた時にはお前に自由はない」
アルマロスが踏み込む。瞬間、背後の影がぞわぞわと広がる。
影の防壁ならばアルマロスの突撃でも止められるが、間に合わない――!
稲光の如き速度。これまでよりもかなり速い。完全に想定外だ。
同格の使い手である語り部が術と
だが、今回はどうにかなった。
「――これは……」
アルマロスが驚きの声を漏らす。初めて見る驚きの表情にしてやったりと溜飲が下がる。
彼女の拳はオレの鼻先で停止している。まるでオレと彼女の間に見えない壁でもあるかのようにピタリと静止していた。
自信はなかったが、オレの仕込みは無事機能した。これでアルマロスは何をやってもオレには触れられない。いくら彼女が強くても、欧州から日本までは攻撃は届かない。
「…………貴様、異界を分けたな? 身共とお前は別の世界にいるというわけか」
アルマロスは拳を開き、その指で確かめるように見えない壁に触れる。
見えないが、壁。いや、境界線は確かにそこにある。アルマロスほどの力の持ち主にも越えられぬ一線がオレたちを分けていた。
「さすがに気付くか。聖域を広げる際に、異界に干渉できたからな。少しだけ弄らせてもらった。こっちは『鏡月館』でそっちは『グランべリ伯爵邸』、異界同士の結合が解けた以上、オレたちは別の場所にいる」
異界の内部に深く潜った際、オレはこの異界に対して干渉できることに気付いた。
無論、今回の黒幕や魔人たち、語り部のように何もかもを自由自在にとはいかなかったが、それでも、異界すべてに共通する簡単な要素ならば土壇場でも動かせた。
操作できたのは、異界全体の魔力の流れと異界と現実を分かつ境界線の位置。どちらも操作している余裕はなかったから、オレは後者を選んで、境界線の位置をオレとアルマロスのいる場所に設定した。
前者を操作していれば魔力をオレ自身に注いで無限に魔力を使えるようにもできたが、オレは後者こそが今必要だと判断した。
オレの目的はアルマロスを倒すことじゃない。あくまでこの場を生き延びることができれば、今のところはそれでいい。
「この見えない壁は現実と異界を分かつ壁であり、この解けつつある複合異界においては二つの異界の境界線でもある。つまり、オレとアンタはこうして向き合っていても概念上は別の異界にいるわけだ。それもこっちは日本で、そっちは欧州のどっか。オレに会いたいならまずフライトの予約をしないとな」
つまり、今オレとアルマロスは視覚的には近接しているが、概念的には全く別の遠く離れた場所に存在している、ということになる。テレビ通話のようなものだ、目の前に見えているが、決して触れることはできない。
黒幕により結合されていたとはいえ、『鏡月館』と『グランベリ伯爵邸』は全く別の、遠く離れた場所に存在する異界だ。
その結合が解け、異界因が排除された以上、それぞれの異界はそれぞれの発生場所に戻る。ここまでは事前に予想できた現象だし、実際目の前ではそれが起きている。
分からなかったのは、境界線が復活するタイミング。場所の設定は完璧だったが、こればっかりは読めなかった。間一髪間に合ったのは、僥倖というほかない。
「……あの一瞬で異界操作をやってのけたというわけか。やはり、危険だな、お前は」
憎々し気にアルマロスが言った。
彼女ほどの実力者であれば今何が起きているのかは正確に理解できている。もはや、何をしても無駄だと拳を下げた。
……何はともあれ、どうにかなった。オレはその場に倒れ込むと、慎重に『山本五郎左衛門』の召喚術を解除した。
正直、もう魔力がからっけつだ。油断すると意識が飛びそうだ。
「――仕方あるまい。此度の任務は失敗だ。責めを受けねばなるまい」
「そいつはお気の毒。次会う時はもっと穏当な場面であることを祈るよ」
すぐには動き出せず、また、その必要もないのでアルマロスと言葉を交わす。
彼女の方も、任務の失敗を悟ったからか、少しだけ無駄話をする気になったようだ。
「それは無理だ。身共の使命は異端の殲滅。お前が異端者である限り、この関係に変化はない」
「なら、次に生まれ変わるときに期待するさ。まあ、大分先になるだろうけど」
「ふ。それこそ無理な話だ。転生など我らの教典は認めていない」
「ますます残念。オレ、アンタのこと結構好きなのに」
「……貴様」
オレの言葉に思い切り眉を顰めるアルマロス。なんだか地雷を踏んだ気もしないでもないが、今回は相手が味方じゃない。次の機会なんてない以上、言いたいことくらい言わせてもらう。
「アンタはどうしようもなく敵だが、信仰心も気高さも本物だ。それを利用したオレが言うのもなんだが、そういう相手は希少だ。特に、オレらの界隈では」
「……そういう貴様は信用ならんがな。なにからなにまで胡散臭い」
「誉め言葉として受け取ろう」
空に開いた虫食い穴は少しずつ広がっている。異界の完全崩壊が近い。このままここに留まっていると、どこぞの山中に放り出されるから、そろそろ、出口に向かって移動しないと……、
「だが、使える異端者ではある。ゆえに、一つだけ教えておいてやろう。身共も利用されっぱなしでは腹に据えかねる」
しかし、立ち上がったところで、アルマロスが妙なことを言いだす。
なんか、凄い厄ネタをぶちかまされる気がするんだが……、
「今回の一件を殉教騎士団に持ち掛けてきた相手は2人。1人はお前たちの身内、それもお前の一族。もう1人は解体局の人間だ。そいつは、『フロイト』と名乗っていた。せいぜい怒り、疑い、見つけ出すがいい」
そうして、嫌な予感通り、アルマロスは有益かつ厄介な情報をぶちまける。
今回の一件を仕組んだのは、オレの親族、つまり、蘆屋家の人間と解体局の幹部。しかも、片割れは『フロイト』の名前を使っている。
フロイトとはすなわち、原作『BABEL』において使用された偽名。しかも、主人公土御門輪が監視の目を欺くために咄嗟に思いついて使ったものだ。それも、その時監視していたのは解体局。
……それを解体局内の裏切り者が使っている。とてもじゃないが、偶然とは思えない。
つまり、裏切り者はオレやゴマさんと同じ原作知識を持つ転生者である可能性が高い、ということになる。
予想はしていたが、まさか敵の口から聞かされることになるとは…………悲しいやら、頭が痛いやらで、もうこのまま寝転んでしまいたかった。
――――――――
あとがき
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