第105話 名探偵谷崎しおりの解明

 犯行現場の状況、諸々の証拠から言って、『御岳徳三郎』を殺害したのは、『御岳幸一郎』である。


 最初谷崎さんからこの推理を聞いた時、オレは容易には信じられなかった。というか、正直言って、己が耳を疑った。

 だって、この世界の鏡月館において御岳幸一郎はだ。現にこうして殺されているわけだし、この異界が原作とは異なっている以上、今更彼が犯人だという可能性については簡単には呑み込めなかった。


 ある意味での思考の固定化ロックだ。オタクとしてある混じことだが、自分の視界を狭めてしまっていたのだ。


 だが、冷静に状況を分析し、あらためて谷崎さんの推理を聞いたことでようやく理解できた。


 というか、それしかありえないのだ。幸一郎氏以外には徳三郎氏の胸を突いて殺すことはできない以上、徳三郎氏を殺したのはやはり幸一郎氏なのだ。


「ま、待ってくれ! な、なぜ、叔父上がお爺様を殺すんだ! そんなの、理解できない! だって叔父上は死んでるんだぞ!」


 御岳信二が叫ぶ。当然と言えば、当然ではあるが、彼もオレ同様、幸一郎氏が被害者であるという固定観念に囚われている。


「いえ、。なので、今彼が亡くなっていることは彼が犯人でないことの証明にはならないんです」


 幸一郎氏が犯人であったとしても、いや、犯人だからこそ殺された順番は徳三郎氏、幸一郎氏の順でなければならないのだ。

 この点は当初の推理の時点から揺らいではいない。犯行現場の状況から言っても、先に幸一郎氏が殺された、というのはありえない。


「そして、幸一郎氏が徳三郎氏を殺したことも、状況から言って明らかです」


 幸一郎氏の視点からは徳三郎氏の背後が見え、徳三郎氏の視点から自分に近づいてくる誰かがいれば必ず見える。

 そして、犯人は透明でもなければ、物体をすり抜けることもできない。となれば、犯行が可能なのは1人しかいないのだ。

 

「徳三郎氏にとって、幸一郎氏は息子。それも、跡取りとして信頼している相手です。まさかそんな人物が自分を殺そうとしているなんて思いもしなかったはず。であれば、机の下に短刀を忍ばせ、不意を打つことはそう難しくはないでしょう。正面から徳三郎氏を刺し殺すことも十分に可能です」


 谷崎さんは淡々と、だが、自信をもって幸一郎氏による『父親殺し』を告発していく。彼女は推理を進めるほどに、キャンパスの空白が埋まっていくかのようだった。


「ど、動機は? お爺様と叔父上の関係は良好だった! 叔父上がお爺様を殺す理由はない!」


 それを否定するように信二が叫ぶ。しかし、名探偵にそんな感傷が通じるわけもなく、彼女は否定しようのない証拠を持ち出した。


「これは徳三郎氏の遺言書、その改訂版です。机の隠し棚から発見したものです」


 谷崎さんの手にあるのは一枚の便箋だ。そこには確かに達筆な文字で遺言書と確かに書かれていた。


「これによれば、本来当主一人にのみ相続される御岳家の遺産を兄弟で均等に分配するように改訂する予定だったそうです。本来は1人で相続できるはずの遺産を兄弟と分けることになったんです。父親からの信頼を受けていたとしても、いえ、受けているからこそこれは許せないでしょう。十分な動機になりえます」


「か、確認させてくれ!」


 幸次郎氏は半ば奪い取るように手紙を手にすると、一心不乱に目を通し始めた。

 まあ、遺言の当事者であることを考えれば当然の反応ではある。御岳家は富豪だ、半分とはいえその財産を得られるとなれば膨大な額になるだろう。


「た、確かに、『財産は兄妹に等分に分与する』とそう書かれている……だが、なぜ父さんはこんなことを……」


「おそらく幸次郎さん、貴方を案じてのことだと思います。失礼ですが、色々調べさせていただきました。事業失敗して、かなり懐事情が厳しいんですよね。それに関する資料も遺言書と同じ棚に入っていました」


「……ああ、そうだ。先物取引でしくじってね。今日のパーティーが終わった後で父さんに援助を求めるつもりだった」


 観念したように、幸次郎氏は床にへたり込む。御岳家の男としてのプライドも打ち捨てて、ただ父親の死とその思惑に衝撃を受けているようだった。


「これで、動機と手段と機会が揃いました。物証の方も警察が凶器の指紋を調べればはっきりするでしょう」


「……探偵さん。貴方の推理の通り、叔父さまが犯人だとして、じゃあ、誰が叔父さまを殺したっていうの? まさか自殺でもしたっていうのかしら?」


 唯一冷静な『エリカ』が言った。

 至極当然の指摘だ。今証明されたのは幸一郎が徳三郎を殺したという点についてのみで、幸一郎の死については何一つとして明らかになっていない。ここを解き明かさない限りは、『鏡月館』の謎を解いたとはいえない。


 もっとも、こっちもバカじゃない。そこも含めて謎が解けたからこそ、今、謎解きを行っているのだ。


「幸一郎氏の死因は、。彼もまたこの部屋で殺されたんです、


「言ってることが矛盾していてよ、探偵さん。書斎ここにはお爺様と叔父様以外は誰もいなかった、そう証明したのは貴方じゃない」


「はい。でも、書斎にいなかったから幸一郎氏を殺すことはできない、と言い切ることはできないんです」


 頷きながらも、谷崎さんはシーツにくるまれた幸一郎の遺体に近づく。そうして、一度手を合わせてから、シーツをはがした。


 喉ぼとけに穴が空き、血まみれとなった遺体を目にして、何人かが息をのんだ。無残な姿となった身内を目にすれば当然の反応だが、ここで目を逸らしていては真実にはたどり着けない。


「………幸一郎氏の遺体は、一見すると抵抗の末、喉を一突きにされ、


「ように見える……? どういうことだね?」


 覚悟を決めたような顔で、幸次郎氏が尋ねる。そんな彼に応えるように谷崎さんも深く息を吸って、喉の傷口を指さした。


「この傷、妙だと思いませんか? 幸一郎氏は正面から刺されてます。犯人に馬乗りになられて刺されたように見えますが、よく見ると、刺し口が複数あるんです。全部で三か所ほどでしょうか」


「……確かに妙だな。犯人が兄を倒したなら、一突きにすれば済む話だ。わざわざ何度も刺す必要はない」


「はい。犯人が動揺していたり、錯乱していたならそれもありえるでしょうが、そんな馴れていない犯人に従軍経験もある幸一郎氏を正面から倒すようなことできるでしょうか? それに証明は難しいですが、この傷口、形状からいって同じ刃物で、それもかなり切れ味の鈍い凶器、それこそ、のようなもので刺されたように見えます」」


 谷崎さんは少しずつ不可能な可能性をそぎ落としていく。その様は、原作『BABEL』において『土御門輪』が運命視の魔眼を行使する様にも似ていた。


「…………だが、その場合は君の推理と矛盾するのではないかね? 兄は殺されたのだろう?」


「はい。だから、。この傷はあくまで幸一郎氏が自分で付けたものでしかなく、


 そうして、推理は至る。原作との最大の差異、『御岳幸一郎の死』、その真相へと。


「窒息……? ど、どういうことだよ、叔父さんの死因はこの傷だ! 喉なんだぞ、致命傷だ」


「いいえ。現場の出血量から見ても明らかです。この傷では致命傷にはならない。もちろん、そのまま数時間も放置すれば死に至るでしょうが、我々が現場に踏み込んだのは事件発生からすぐですからそれはありえない。それに、これを見てください」


 動揺する信二に谷崎さんが示したのは、幸一郎氏の唇。青紫色に変色したそれこそがこの事件の解明の鍵だった。


。他にも指先や背中にも同じ症状があります。これは血中の酸素濃度が低くなると引き起こされるもので、幸一郎氏が亡くなる前に極度の呼吸困難に陥っていたことは明らかです。つまり、死因は窒息。喉の傷はあくまで、副次的なものにすぎません。それに発見時、幸一郎氏はあおむけに倒れていました。どうにかして呼吸を確保しようとしていたんです。周囲のもみ合ったような痕跡はそれまでに幸一郎氏がもがき苦しんだ際に残されたものです」


「喉の傷は気道確保のために、自分で付けたもの………そういうことか」


 オレの補足に、谷崎さんが頷く。これで容疑者たちにも幸一郎氏が自ら喉を刺した理由が明らかになった。


 医療的処置として、気道確保のために喉に穴をあけるのはよくあることだ。従軍経験もある幸一郎氏にその意識があったとしてもおかしくはない。

 むしろ、これで死体が仰向けであったことも、傷が正面からつけられたものであることも、傷口が複数あることも説明がつく。


「徳三郎氏を刺殺した幸一郎氏はおそらくワインを口にした。そうして、逃亡のため隠し通路を開き、しかし、次の瞬間、自分が口にしてはならないものを口にしたことに気づいた。アナフィラキシーショックで呼吸困難となり、もうろうとしながらも机の上にあるペーパーナイフを掴み、気道を確保しようとした。しかし、間に合わずに亡くなってしまった。それがこの書斎で起きた一連の出来事です。私が『犯人はこの書斎にはいなかった』と言ったのも納得していただけたと思います」


 異論をはさむのはいない。この場にある証拠、状況から導き出せる合理的な推論は他にないと全員が認めている。

 ……実際の『鏡月館』の事件、この異界の元となった事件の真相とはまるで異なる真実ではあるが、ここが異界である以上、全員が真実だと認識しうる推理こそが真実となる。


 「しかし、疑問が一つ残ります。なぜ幸一郎氏は呼吸困難を起こしたのか、これを解明しなければ私の推理は片手落ちです。でも、この答えはもうご存じですよね、幸次郎さん」


「……兄には重度の食物アレルギーがあった。ピーナッツだ。昔、知らずに口にして窒息しかけたことがあった。これは……あの時と同じだ」


 アナフィラキシーショックだ。重度のアレルギー症状を起こすと、浮腫が気道にも発生し、呼吸困難を引き起こすことがある。ましてや、それが二度目もともなれば、早急に処置しなければ確実に命を落とす。


「はい。おそらく机の上に置かれていたワインにピーナッツオイルが混ぜられていたのでしょう。一度、ショック状態に陥っている幸一郎氏にはそれだけでも致命的です。そして、幸一郎氏に重度のピーナッツアレルギーがあることを知っていたのは、限られた人物、つまり親族と御岳家の使用人のみです。そうですよね、執事の黒岩さん」


 谷崎さんの問いに、執事が頷く。同時に、。ゆっくりと椅子から立ち上がり、さり気なく窓の近くに移動した。


「ところで、この机の上に置かれているワイン、値段の張るものではないようですが、特定の地域でしか生産されない珍しいものだそうで、地下のワインセラーに保管されていたものではなく、贈り物です。それも今夜のパーティーのために、徳三郎氏に送られたものだと確認が取れています。そして、このワインの生産される特定の地域につい先日まで留学されていた方がこの場に1人いらっしゃいます」


 犯人がほんの少しだけ後ずさる。

 これらの推理は谷崎さんとリーズが容疑者たちとの会話で得た情報とオレが役と同時に与えられた、ということにした原作知識を合わせたものだ。


 御岳家の子供たちの中で海外留学していたのは2名。御岳宗一郎オレともう1名、


 。想定通りだ。みんな配置についている。万が一にも、十分に対応可能だ。


「これだけだと幸一郎氏がワインを口にしたのは偶然のように思えるでしょうが、幸一郎氏のアレルギーのことを知っているほど近しい人間であるならば、彼のワイン好きも知っていたはず。徳三郎氏が長男に大事を話すなら贈り物のワインを振舞うであることを予想するのは、そう難しくはないでしょう。事実、現場を見ればその予想の通りになったことは明らか。そして、この贈り物を徳三郎氏に送ったのは――」


 谷崎さんが右手を上げる。そうして、ピンと立った人差し指がゆっくりと、探偵としての威厳と自信に押されて、犯人を指し示した。



 谷崎さんの宣言が、書斎に響く。静かな雷鳴のようなそれは確かにこの場における真実へと至っていた。


 それを証明するかのようにが異界の崩壊、その前兆を捉える。


 。鉄格子に守られたその向こうには拳を振りかぶる堕天使の影が確かに映っていた。


 谷崎さんは探偵としての役目を十分に果たしてくれた。ならば、ここからはオレの役目だ。みんなが逃げ切るまであのアルマロスを足止めしてみせる。


 ……くわえて言えば、今のオレは満ち足りている。だって、そうだ。原作では見られなかった『名探偵谷崎しおり』の推理劇を間近で見られたんだからな……!


―――――――――― 

あとがき

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