第97話 運命とは時に悲劇であり、

 どうにか地下墓地にアルマロスを落とした後、オレと朽上さんは最速でグランベリ伯爵邸を脱出した。

 異界因の排除もアルマロスの拘束もできなかったが、まずは他の班員たちと合流しないとどうしようもない。


 逃走経路として選んだのは、やはり、井戸の下から通じている地下通路だ。アルマロスは追ってくるだろうが、異能を制限する鏡月館の法則はやつにも適用されるはず。深追いはしてこないはずだ。


 もっとも、追撃してきたとしても、今度は救助班全員で戦える。さっきよりは勝ち目はあるし、時間があれば罠も仕掛けられる。アルマロスにも吠えずらをかかせることができるはずだ。


 そのためにも今は急がないといけないのだが――、


『――っ!』


 井戸を下り、地下通路に入ろうとしたところでそれまで狼の姿で走っていた朽上さんが苦しそうに立ち止まった。


 よろよろと壁際によると、そのまま倒れ込んでしまう。すぐに狼の姿を維持できなくなり、元のドレス姿の人間型に戻った。


「朽上さん!?」


 すぐに駆け寄る。ドレスの腹の辺りが赤く濡れている。どうやら治り掛けていた傷が開いているようだ。

 崩落に巻き込まれたオレを助けるために無理をしたせいだ。


「待ってろ、すぐに治療する」


 罪悪感を噛み締めつつ、『河童童子』を召喚。傷口に秘薬を塗り込ませる。

 しかし、治りが遅い。アルマロスのせいだ。奴の打撃にはおそらく異能の効果を妨げる『祝福』が施されていたのだろう。


 くそ、一撃でこっちを殺せるくせにせこい真似しやがって……、


「……動かさない方がいいな。結界を張るから少し我慢してくれ」


 すぐに周辺一帯をカバーする結界を張る。アルマロス の接近を阻止するほどの強度はオレには無理だが、接近を感知して、オレたちがここにいることを隠す程度の結界なら展開可能だ。


 あとは、秘薬が効き、朽上さんが回復するまでアルマロスが追いついてこないことを祈るしかない。


「こっちだ。大丈夫、オレがついてる」


「う、うん……」


 朽上さんに肩を貸して、通路の方に連れていく。壁にもたれかからせて、すぐそばにオレは控える。

 

 傷のせいか朽上さんの意識は混濁している。時折痛みに呻く声が聞こえて、そのたびにオレの胸は痛んだ。

 原作ヒロインを負傷させ、助けられた挙句、傷を悪化させてしまうなんて光のオタク失格だ。朽上さんに申し訳ない……、


「しおり……」


 うなされて、親友の名を呼ぶ朽上さん。尊い絆だ。

 

 原作でもそうだったが、境遇の近しい二人はお互いにとって唯一と言ってもいい理解者。個別ルートに分岐しても互いが互いのルートに深くかかわっていた。


 例えば、しおりルート終盤において『ダゴン』が完全な神性を取り戻すには神の血を継ぐ朽上さんの協力が不可欠だったし、逆に朽上さんルートでも神の血に呑まれた朽上さんを引き戻すには谷崎さんの声がなければ不可能だった。

 

 そういった関係性はこの世界においても健在だ。2人を見ていればわかる。原作にも勝るとも劣らない絆が2人の間にはある。

 そこに関してはオレのオタクとしての眼が疑う余地なしと言っている。出来事の違いや時系列のずれなどはあっただろうが、その程度で信頼は揺るがない。

 

 目の前の少女は確かに朽上理沙であり、他の何ものでもない。それは客観的な証拠からしても、オレのオタクとしての直感からしても間違いない。


 だからこそ、解せない。

 オレの中でくすぶっていた違和感、いや、既視感とも言うべきものは消えていない。


 ……いや、今は考えるべきじゃない。だいたい朽上さんは今重傷で朦朧としているんだ。仮にオレの感じている何かが何らかの警鐘なのだとしても、今は確かめようがない。


 それに、この鏡月館という特異な異界の影響もある。与えられた役が朽上さんだけではなくオレの無意識下にも何らかの影響を与えているということもありうる。そうだ、そちらの可能性の方が高い。まったく人を疑っておいて自分に原因があるなんて、オレもつくづく――、


「――


 しかして、朽上さんの唇から漏れて単語がオレの逃避を許さない。目の前の少女は絶対にあの朽上理沙ではない、とそう明確に告げていた。



 原作において、朽上理沙は父である軍神アレスを『クソ親父』と呼んでいた。

 これは本編中もエンディングを経ての後日談においても変わらない。朽上理沙という人物キャラを語る際には父親との確執は避けては通れない重要なファクターだ。


 朽上理沙の誕生の経緯を考えれば、当然のことではある。『神の血』という祝福こそあったが、彼女は父親の顔さえじかに見たことはないのだ。『クソ親父』と呼ぶ権利は十分にある。


 いや、こう言い切ってしまってもいい。自分の父親をクソ親父と呼ばない朽上理沙は朽上理沙は朽上理沙じゃないと。


 だから、ありえない。たとえ意識が混濁してうなされていたとしても、朽上理沙が自分の父親を『』などと呼ぶことは絶対にありえないことなのだ。


 そして、今、に付与されている役『御岳レイナ』は父親のことはお父様と呼ぶ。だから、役の影響でもない。


 では、目の前の少女は一体だれなのか。それを確かめないことにはもうどうしようもないところまで来ている。

 それこそ、強引な手段をとらざるをえないほどに。


「――っ……」


 そうして、が目を覚ます。

 場所は変わらず隠し通路に繋がる枯れ井戸の底だ。ただし、はさせてもらった。


「…………どういうつもり?」


 少女は自分の状況を確かめてから、そう聞いてくる。

 まあ、当然の疑問だ。目覚めたら木の枝でぐるぐる巻きにされてるんだから、どういうつもりだと聞きたくもなるだろう。


 それも相手は一応味方。この場を他の誰かに見られたら、まず間違いなくオレのほうが悪いと判断するだろう。


「少し聞きたいことと確かめたいことがあってね。少し手荒な真似をさせてもらった」


 『千年樹』の枝には触れているものの魔力循環を阻害する効果がある。彼女の異能でもこの拘束を破るのには数秒必要になる。


 それだけの時間があれば、オレの隣に控えている『吸精女郎』が対処できる。抵抗力の低い今の彼女を眠らせるくらい簡単だ。


「……ついに、本性を現したってわけ。すけこましとは思ってたけど、女と見れば見境がないうえに、強引に相手を手籠めにしようとするとはね」


「言葉には気を付けたほうがいい。状況、理解できてるだろ?」


 枝の一部を首もとに這わせる。実際、彼女の生殺与奪はオレが握っている。少し魔力を込めれば、千年樹はすぐにでも少女を絞め殺せる。


 ……我ながら強引なうえに、安っぽい脅しだ。だが、今は他に方法がないし、時間もない。アルマロスが追い付いてきたら、それこそ、本末転倒になる。


「これから質問する。答えはイエスか、ノーの二択だけだ。他の答え方は許さない。いいな?」


「……イエス」


 こちらをにらみつつも、そう答える少女。共有している吸精女郎の視界においても少女の生気オーラは明確に肯定の赤色を示していた。


 もともとは夢魔サキュバスである吸精女郎は怪異としての特性として、人間の感情を色で見ることができる。その能力によって相手の欲望を分析し、相手の無意識下での考えまでも織り込むことで、理想の姿で夢に現れることできる。


 今、オレの視界に映されている色はその異能の応用により、人間の感情を視覚化したものだ。本来はもっと細かく、グラデーションさえある人間の心の色をオレでも理解できるように簡易化して、肯定であれば赤、否定であれば青に見えるように調整しているのだ。


 ……できれば仲間に使いたくはなかったが、事ここに至ってはそうも言ってられない。


「君は『朽上理沙』か?」


「……なによ、その質問。見りゃ分かるでしょ、マジで頭やられてるわけ?」


「答えはイエスか、ノーかだ」


 誤魔化しは許さない、と目で伝える。少女も何となくオレがやっていることを理解しているようだが、分かっていても無意識下の感情は偽れない。


「……イエスよ。あたしは朽上理沙、これで満足?」


 色は……濃い赤紫。つまり、今の答えは真実寄りではあるが、嘘が混じっていることだ。

 ……オレの予想通りではある。オレも自分が蘆屋道孝なのか、と聞かれたらまったく同じ色が出るに違いない。


「鏡月館を訪れるのは初めてか、否か」


「…………イエス」


 またも色は赤紫。実際に訪れるのは初めてだが、この館のことは知っていた、そんなところだろう。


 核心に近づいている。いや、もはや、答えは出ている。ただ、オレ自身がまだその答えを否定したがっている。そんな自分をねじ伏せるように、問いを重ねた。


「オレは蘆屋道孝である。答えはイエスか、ノーか」


 オレの問いに、少女は息を呑む。鋭い目つきでこちらをにらみ、それから覚悟を決めたような顔でこう答えた。


「ノーよ。答えはノー」


 色は赤。それも彼女の髪色と同じ鮮やかな赤。彼女は明確に、

 ならば、彼女が何ものであるかももはや目を逸らしようがないほどにはっきりした。


「最後の質問だ。君は、転生者か?」


 瞬間、彼女の赤がより鮮烈になる。


 明確な肯定。同時に、魔力が膨れ上がり、千年樹の枝が引きちぎられる。尋問されつつも、体内で魔力を練り上げ、このタイミングで動いたのだ。

 狼の牙がオレの首元に迫った。

 

―――――――――― 

あとがき

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