第93話 朽上理沙という少女について
原作『BABEL』において、朽上理沙という少女は少し特殊な立ち位置のヒロインだった。
出生はともかく、一般家庭で育ったということもあって、とても常識的かつ常に他のヒロインたちに比べて一歩引いた視点で物事を見ていることが多く、本人もそのようにあえて振舞っていた。
現代における唯一の『
ただの異能者であれば才能の多寡や希少性を鑑みても全世界というくくりで見ればそう珍しくもない。特にオレのような陰陽道者のような術者ともなれば似通った異能を持つ異能者も3桁単位にもなる。
だが、神話の時代ならばまだしもこの21世紀において実際に神と人の間に生まれた『半神』は朽上理沙ただ一人。
だから、誰も真の意味では彼女の境遇を理解できるものも、共感できるものもいない。朽上理沙は正真正銘、この世界で最後の一人なのだ。
それゆえ、彼女は意識的に人の社会に溶け込もうとしてきた。生きていくために、あるいは孤独を紛らわすために。
くわえて、父親への反抗心もあった。
母に己を生ませて、その責任も果たさずに遠き
そんな朽上理沙が解体局に発見されたのは、彼女の15歳の誕生日のこと。それまでどうにか隠しおおせていた彼女の力が露見し、解体局は朽上理沙に選択を迫った。
絶滅危惧種として保護管理を受けるか、あるいは解体局の職員として働くか、そんな強制ともいえる二択から彼女は後者を選んだ。それが父親の望む戦士としての道と知りながら――、
以上が、オレの知る原作『BABEL』における朽上理沙の来歴だ。おそらくこの世界の朽上さんも似たような過去を持っているはず。人格や言動、異能も原作と一致している。
少なくとも、朽上理沙にオレのような『改変』は起きていない。そのはずだ。
なのに、ことここに至ってもオレの中の違和感は膨れ上がるばかりだ。
なんだ? オレは何に気付いている? 何を見逃している?
「――ちょっと、蘆屋。こっちに来て」
不意に、朽上さんに呼ばれる。彼女がいるのは礼拝堂にある祭壇のすぐ傍だ。そこには殉教騎士団の告発官が拘束されていた。
両手には『戦場千年樹』が巻き付き、両脚は液体金属に絡めとられている。仮に意識を取り戻しても、簡単には抜け出せない。
油断はできないが、とりあえず初戦はオレたちの勝ちだ。
もっとも、意識を失ってなお立っているのは不気味で仕方ない。鎧の内部機構のせいで倒れようにも倒れられないのか、あるいは鋼の信仰心ゆえか。おそらくは前者だ。
というか、前者であってほしい。後者の方が確かにかっこいいが、敵対する身としてはこれほど厄介な話もない。
式神たちの状態はそれぞれ無事。朽上さんの『紅き光陰』は超音速で衝撃波と彼女の魔力、神気を叩きつけるというものだ。前者はともかく後者に関しては朽上さんに害意がなければ影響はない。
祭壇の近くまで来ると、月明かりに照らされて、朽上さんの姿がよく見えた。
「…………おお」
また
今の朽上さんの姿はまさしく『半獣半人』と言った感じだ。爪はだいぶ短くなり、背丈も本来の彼女のものになっているが、頭には獣の耳が生えているし、髪も伸びたままで美しく輝いている。
なによりの萌えポイントは、顔立ちだ。狼っぽい感じと朽上さん本来のクールな美しさが調和して、何とも言えない魅力を感じさせる。
獣度でいえば先ほどが80%狼だとすれば、現在の朽上さんは獣度60%と言ったところ。人間に近づいているが、どちらかと言えばケモノに近い。
……ケモナー属性はないつもりだったんだが、こうして実際に目の前にするとオレの中の新たな癖が開けた気がする。
…………ケモ、いいかも。
「……じろじろ見られると、ムズムズするんだけど」
「あ、ああ。すまない」
しかし、当の朽上さんには迷惑でしかない。いかんいかん、オタクの悪いところだ。じろじろ観察するのはマナーとしては悪すぎる。
「なに、そんなに半神の人狼が珍しいわけ? まあ、術者としては研究対象にしたいんだろうけど、そうは――」
オレが謝っても、朽上さんがそう続ける。彼女らしい一言ではあるが、自嘲的な態度が悲しい。
朽上理沙は自分の人狼としての姿を嫌っている。この姿になるたびに憎い父親のことをどうしても思い出してしまうからだ。
原作において、『朽上理沙』が自分のことを肯定できるようになるのは彼女のルートの終盤のことだ。それまで彼女は自分自身に苦しめられて……、
「――いや、どちらかと言えば、いつまでも眺めていたい感じだ。すごく、いい」
そんなことを思い出して、つい、余計なことを言ってしまった。すぐに、しまったと思うが、すでに遅い。
原作において、安易な同情は朽上さんの地雷だ。実際にゲーム内ではそういう選択肢を選ぶと彼女の好感度がむしろ下がってしまうくらいだった。
その点から言うと、今のオレの一言は完全なる選択ミス。主人公ではないオレにはもうリカバリーが利かないかもしれない。
だが、一度口にしてしまった言葉は消せない。覚悟を決めて、遅る遅る朽上さんの方を見て、オレは予想外のものを目にした。
「――へ?」
照れ顔である。頬を赤く染めて、気まずそうに視線を背けている。およそ、オレの知る朽上理沙が見せることのないはずの可愛らしい照れ顔だった。
思わず息が詰まる。2つの相反する感情がオレの中で巻き起こり、ぶつかり合い、ぐちゃぐちゃに混ざり合った。
1つは朽上さんの表情への感動。原作においても朽上理沙の照れ顔を見る機会はない。
つまり、オレは彼女のこの表情をこの時初めて目にした。心底光栄だし、普段とのギャップもあって思わず見惚れてしまった。
そして、もう1つは強迫観念めいた強烈な既視感。一度も見たことがないはずなのに、オレは朽上理沙のこの表情をどこかで見たことがあった。
一体、いつ、どこで? この世界に転生してからか? いや、違う。転生以降の記憶は全てはっきりしている。見た覚えがあるのなら、すぐにわかるはずだ。
だとしたら――、
「――敵を前にとどめも刺さずに談笑とは、かわいらしいことだ」
響いた声がオレの思考を断ち切る。目の前の危機、無力化したはずのそれに本能が警告を発している。
聞き覚えのない、女の声だ。冷たく、抑揚がない機械のような声だった。
声を発しているのは、意識を失っていたはずの告発官。兜の奥の氷のようなその視線は確かにオレを見ていた。
だが、動けはしないはずだ。もし動けるのだとしたらとっくにオレたちに襲い掛かっている。こんな風に悠長に会話なんてするとは思えない。
「…………こちらから協定を破る気はない。あんたはあくまで生け捕りだ。この異界を解体して本部に突き出すまでは生きててもらう」
「協定? ふふ、やはり、解体局の探索者は悠長だな。だから、お前たちは怪異を滅せられない。異端を根絶するという強固な意志が欠けているのだ」
生殺与奪をこちらを握られているというのに、女の声からは余裕さえ感じられる。おそらく本心からこちらを嘲笑っているのだろう。
……念のため、より魔力を注いで拘束を強めておく。鎧の方はまだシステムダウンしているようだが、万が一と言うこともある。
「……それで、その強固な意志をお持ちの告発官さまがどうしてこんなところにいるわけ?」
朽上さんの問いに、告発官は答えない。ただオレの方を冷たい瞳で見据えていた。
「ちょっと、無視してんじゃないわよ。あんたの命なんてこっちのさじ加減一つだってわかってないわけ?」
そう言って兜と鎧の隙間に爪を突きつける朽上さん。実際にやることはないだろうが、それにしたって告発官にはやはり動じた様子はない。徹底して、告発官は彼女の存在を無視していた。
「彼女の質問に答えろ。何しにここに来た」
「その問いに答える気はない。\このような生き物は我らの教典には存在しない。存在しないものの問いには答えようがない、それだけのこと」
「言ってくれるじゃない。でも、その存在しないやつに負かされた奴が何を言っても負け犬の遠吠えね。ああ、こっちはアンタらの教えにもあるんじゃない? 主よ、惨めな負け犬をお救いくださいって」
朽上さんの挑発を告発官は鼻で笑ってみせる。その余裕に、オレは寒気を覚えた。
こいつのこの態度はただの強がりじゃない。この状況を打破する算段がある、だからこそ、こいつは余裕を保っていられるのだ。
「――『千年樹』」
「ぐっ!?」
直感を信じて、両腕を拘束している千年樹の蔓を告発官の首に巻き付ける。そのまま全力で締め上げさせた。
「蘆屋!? 生け捕りのはずでしょ!? なにを――」
「意識を奪うだけだ。尋問は後に回す」
背に腹は代えられない。二つの異界が重なっている現状に答えを出すために告発官を尋問したかったが、こいつに何かをさせるわけにはいかない。
告発官も人間である以上、酸素を断たれれば、あとは――、
「――甘い。身共を拘束した時点でお前たちはとどめを刺すべきだった」
だが、遅かった。
「――蘆屋!」
次の瞬間、朽上さんに突き飛ばされる。そのまま彼女は人狼形態に変異し、オレの上に覆いかぶさった。
そうして、爆発。爆炎が礼拝堂を舐め、内側から弾けた鎧が周囲に飛び散った。
「――っ!?」
「朽上さん!? 大丈夫か!? すまん、オレを庇って――」
「この程度…………大した事、ない……」
朽上さんはゆっくりと立ち上がる。平気とは言いつつも、背中を爆炎に焼かれている。人体の焦げる嫌なにおいがした。
……既に再生自体は始まっている。半神である彼女の肉体は人間よりもはるかに頑丈で、再生能力も備えている。
しかし、それで済む話じゃない。オレのミスだ。疑念に囚われて、意識をほかに向けてしまった。相手の息の根が止まるまで油断はしない、そうやって生きてきたくせに、肝心なところでしくじってしまった。オタクとしても、異界探索者としても痛恨の極みだ。
「…………自爆? でも、こいつは」
「ああ。自死は禁止されてるはずだ。それに、その程度で済むはずがない」
事実、オレたちの目の前、爆発で起こった煙の中に何かが立っている。その影が腕を振るう。すると、巻き起こった風により、煙が晴れた。
「ほう。身共たちのことをよく理解している。まあ、お前たちの素性を考えれば当然ではあるか」
姿を現したのは、巨躯の女。爆発でボロボロになった修道服の隙間からは赤褐色の肌が覗いていた。
身長は190センチほどでオレより頭一つ分背が大きい。しなやかで筋肉質な肢体は熊や獅子のような大型の肉食獣を思わせた。
一方で、美しい。大きくたくましく、それでいていかめしくはない。完璧に均整の取れた自然の賜物、そんな肉体美を女は誇っていた。
「――お前は」
女の
だが、どんな美よりもオレの目を引いたのは、こちらを射貫く彼女の瞳だ。
黄色い。地獄を満たす硫黄の如きそれはまるで悪魔のようだった。
――――――――――
あとがき
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