第91話 十字架

 オレと朽上さんは慎重に、中庭へと進んだ。

 奇妙なことに、道中、死霊や悪霊の類とは一切遭遇しなかった。中庭の地下には100体単位の霊が渦巻いているにも関わらずに、だ。


 これまた奇妙。霊共はオレたちが自分たちの領域に踏み込んだ時点でこちらの存在を察知しているはずだ。

 だというのに、仕掛けてこない。どこかに潜んでこちらを伺っている可能性もない。常に展開している方位陣にも、朽上さんの鼻にも反応がないから断言できる。


 怪異の中でも霊の類は縄張り意識が極めて強い。その特性から異界に人間が踏み込んだ時点で攻撃態勢に移るのが普通だ。ましてや、これほど大量の霊が存在して、一体も仕掛けてこないというのは異常だった。


 考えられるのは、霊たちを統率、もしくは抑制する何かが存在しているという可能性。

 その場合はより強大な怪異や術師を警戒すべきだが、それだと、オレの六占式盤をすり抜けたということになる。


 慢心ではなく六占式盤の探知能力はあらゆる異能の中でも屈指の精度だ。強大な存在であればあるほどそれをすり抜けるのは難しい。

 それに、仮に相手が『七人の魔人』だったとしても霊たちを統制するためには何らかの術か異能を使っているはずだ。であれば、その形跡くらいは探知できる。六占式盤が反応していない以上、その何かは何の術も異能も使わずに霊たちを御しているということになる。


 ……そんな真似ができる相手をオレは一つだけ知っている。だが、それはありえない。ありえないが、考えれば考えるほどに、ますます嫌な予感がしてきた。

 

 中庭の中心部には、事前の探査通り、石造りの建物があった。

 礼拝堂だ。悪い予感がますます現実味を帯びてくる。


 ……だが、ありえるのか? いくら異界が何でもありとはいえ、すでに原作からの乖離がはなはだしいとしても、あまりにも荒唐無稽だ。それこそ、連中が日本にいるはずがない。


 ……改めて、六占式盤を展開、礼拝堂の内部を探査する。やはり、なにもない。

 いや、違う。より正確に言えば何もない空間が存在している。


 広範囲に探査をかけている時は気付けなかったが、こうしてここまで近づけば内部を詳しく探ることができる。だから、気付けた。

 この礼拝堂の内部には何の情報も持っていない空白がある。しかし、どんな場所にも、どんな異界にも情報が存在しないということはありえない。


 温度や湿度、魔力の残滓まで。なにかしらの情報を探知できなければおかしい。

 それが何も探知できないというのことは、なにかしらの干渉があり、そこにある情報が隔離されているということになる。


 問題はその干渉の正体。可能性はいくつか思い当たるが、ここは異界の中、口に出せばそれこそ実現しかねない。

 ……朽上さんには悪いが、オレがその分、頑張るしかない。


「……踏み込むわ。援護を」


「ああ。ただ、注意してくれ、朽上さん。内部に何かいる」


 朽上さんが礼拝堂の扉を押し開ける。オレも続いて、中へと突入した。


 薄暗い礼拝堂の内、十字架の聳える祭壇の前にそれは跪いていた。


 白い岩のような背中は、人間のものではない。しかして、その後ろ姿には敬虔に祈る聖者のような犯しがたい神聖さがあった。


 間違いない、奴等だ。殉教騎士団の異端告発官、欧州から出ることのない怪異狩りの鉄槌がそこにはいた。


「――殉教騎士団……!? どうしてここに……」


 朽上さんが構える。やはり、彼女も目の前の存在が何ものであるのか、正しく理解している。


 困惑するオレたちには構わず、告発官アキューザーはゆっくりと立ち上がり、こちらへと振り返る。

 

 告発官が身にまとうのは、白い機動鎧パワードスーツ。前面には彼らが主に命を捧げた殉教者であることを示す赤い逆さ十字がペイントされていた。


 名を『龍殺しセント・ジョージの鎧』。殉教騎士団が開発した対怪異、対異能者用の殲滅兵装の一つだ。


 司祭による天使の加護を施されたこの装備は呪文や呪いを弾き、内部の外骨格は装着者に異能者に匹敵する身体能力を与え、全身に内蔵された兵装の数々は怪異や異能者に対して唯一にして絶対なる教えを物理的に叩き込む。

 その脅威度は怪異の等級にしてBクラス第三階梯『禁域』に相当する。


 ……なるほど。どうりで幽霊どもが大人しくしているわけだ。告発官がこの礼拝堂に居座っている以上、霊たちは動けない。なにせ、移動型の教会、ある種の聖域ともいえる鎧の効果範囲に入ればその瞬間、低級な霊は消滅してしまう。六占式盤の探査がここにはなにもないと判断したのも、この鎧とその周辺の空間に探査が届かないせいだ。


「殉教騎士団がなんで日本の異界に……協定違反もいいとこでしょうが……!」


 朽上さんの言葉にも告発官は応えない。ただ十字軍の兜を模したヘルメットの向こうからは殺気立った視線がこちらを見返していることはわかる。

 告発官が見ているのは、オレだ。


 ……完全に想定外の状況だ。

 朽上さんの言う通り、殉教騎士団とオレたちの所属している解体局の間では協定が結ばれている。協定によれば、殉教騎士団のメンバーが解体局の管轄地域に干渉することは固く禁じられている。しかも、『誓約』として結ばれた協定だ。簡単には破れない。


 協定によって定められたのは、殉教騎士団、解体局の二者間での停戦と不可侵だ。つまり、30年前に協定が結ばれるまで殉教騎士団と解体局、およびその前身組織は戦争状態にあった。

 そう、殉教騎士団はかの同源會と同じく解体局のだったのだ。それが停戦協定によって互いの勢力圏に対して不可侵を守ることで仮初の平和が実現した。


 そも、殉教騎士団とは欧州圏を本拠とする一大宗教『教会』の抱える秘密の実力組織だ。

 彼らの使命は『あらゆる異端を殲滅し、唯一無二たる教えを守護すること』。


 ようするに異界の解体と怪異の殲滅こそが殉教騎士団の目的だ。幽霊も怪物も、異界も彼等の教えには存在しない異端、教えに間違いがあってはならない以上、その存在は許されない。


 これだけなら殉教騎士団と解体局は目的を同一にしている、ように見える。だが、厄介なことに殉教騎士団は異界と怪異だけではなく異能者をも異端として認定している。


 だから、殉教騎士団は怪異のみならず異能者をも狩る。

 彼等がまだ何の罪も犯していない段階で見つけ出し、その罪を告発し、異端として殲滅する。中世の魔女狩りと何ら変わらぬ行いを殉教騎士団は行っているのだ。


 その一点をもって、解体局と殉教騎士団は不倶戴天の敵となった。

 異能を持って異界を解体する解体局と異能を異端と定義する殉教騎士団。停戦協定が結ばれるまでの間に流された血の量は他の敵対組織との間でのそれとは比較にならない。


 今、オレたちの目の前にいるのはそんな殉教騎士団の『告発官』の一人だ。


 ありえない、と理性が叫ぶ。協定の誓約は強力だ。解体局の許しをえなければ、告発官は国境に張られた大結界を越えられない。

 原作においても彼らが姿を現したのは物語終盤において、それも一度だけだ。こんな時期に、それも鏡月館に姿を現すはずがない。


 だが、度重なる原作ブレイクに鍛え上げられた本能は目の前の異常事態を脅威として受け入れている。

 ……こいつが本当に『告発官』なら楽しくお喋りというわけにはいかない。確実に戦闘になる。


 なにせ、原作で登場した時は、告発官一人で主人公『土御門輪』を含めて特務部隊『甲』全員に喧嘩を売っていた。

 彼らにとって信仰と教理の実践はあらゆるものに優先する。それこそ、理性や世俗のルールなんてのは二の次だ。

 この告発官が原作の告発官と同一人物とは限らないが……同じ組織の同じ役職についている以上、そう変わりはないだろう。


「……告発官。貴方はここにいるべきじゃない。完全に停戦協定に違反している。即時武装解除して、投降してください」


 それでも、一応、型通りの勧告を行う。

 向こうはすでに協定に違反しているが、こっちから仕掛ければバカを見るのはこっちということにもなりかねない。


 ……それに、告発官が完全な事故でこの異界に顕れたという可能性も、まだある。であれば、この投降勧告にも応じてくれるかもしれない。


 そんなオレの一縷の望みに対して、告発官はおもむろに両手を上げる。ガコンという起動音が礼拝堂に響く。

 そうして、告発官は両の手をオレ達へと向けた。


「――っけて!」


 朽上さんが叫ぶ。次の瞬間、銃声が轟いた。


――――――――――

 

あとがき

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