第90話 疑念

 オレと朽上さんの2人は徳三郎氏の書斎の隠し通路を使って、もう一つの館に向かった。

 おおよその位置は把握できているので別の経路を使うこともできたが、事前の六占式盤での探査にも引っかからなかったことから見ても、あのもう一つの館は異界の内部の別位相の空間にあると見ていい。

 つまり、特定の経路以外ではたどり着けない可能性がある。だから、多少の危険を承知ですでに繋がっていることが確定している隠し通路を使うことにしたのだ。


 ちなみに、その道行において会話は一切なかった。谷崎さんとの時とは違い、雑談も推理も一切なし。朽上さんがいくら無駄を嫌う性格とはいえ、かなり気まずかった。


 それに会話がなかったので、朽上さんのことを探ることもできなかった。オレの感じた違和感、それがこの異界によって与えられた役による影響なのか、それとも別の原因なのか。それだけでもはっきりさせておきたかったんだが……、


「……あれね。確かに、ここにあるのは変な感じがする」


 そんな朽上さんが口を開いたのは、もう一つの館に到着してからだった

 ……心なしか、声が弾んでいる気がする。


 まあ、気持ちは分からなくもない。未知との遭遇はいつでもわくわくするものだ。恐怖や不安がないわけじゃないが、それよりもやっぱり好きなものにはワクワクするのがオタクのサガというものだ。


「…………だめだな。やはり外部からの探査はできない。中に入るしかないな」


 六占式盤での探査は阻まれている。それが異界法則によるものか、他の何かの要因、例えば結界によるものなのかは外部からはわからない。


「……了解。侵入アプローチは玄関から?」


「ああ、定石通りに行こう。まずは内部で異能が使えるかを確かめたい」


 朽上さんの確認に頷いて、二人でそのまま正面玄関側に回り込む。


 通常、異界の内部にある建造物等に侵入する際には正規の手段を使う手順になっている。


 いざという際の脱出口を確保するためと、建物の内部がどうなっているかがわからないからだ。

 窓から飛び込んでみたら別の位相の別の異界に入り込んでいた、なんてことになったら目も当てられない。正面から入ってもその可能性はあるにはあるが、少なくとも退路は確保できるから幾分はマシだ。


 玄関の大扉は錆びて、蔦と葉に覆われてはいたものの鍵は占められていなかった。それどころか、オレたちが近づくとまるで歓迎するかのように一人でに開いてみせた。


 ……ますますきな臭い。こうして近づいてみて改めて分かったことだが、この館自体がどこか冷たい濁ったような空気を纏っている。

 やはり、鏡月館とは違う。あちらも異界であることに変わりはないが、人の生活圏として成立していた。

 だが、ここは違う。人を誘い、招きながらも害そうとする異界らしい異界だ。


 となると、内部には当然、


「お邪魔します」


 あえて、声を出しながら内部へと踏み込む。門を潜ってすぐには玄関ホールがあり、その正面の階段を昇った踊り場には絵画が掛けられていた。


 家族の肖像画だ。右側には父親と思しき男性、左側にその妻、そして真ん中には少女が描かれていて、その全員が顔の部分だけをはぎ取られていた。


「……不気味。異界にはありがちだけど」


「ああ。それと、ここでは問題なく『異能』が使えるみたいだ。今探査してる」


 予想通り、鏡月館のような異能を制限する法則は働いていない。

 つまり、怪異も襲ってくるということだが、こちらも異能を全開で使えるということ。事実、この短い間でオレはこの館の内部構造をおおむね把握できた。


 やはり、この館は鏡月館じゃない。もしかしたら別館や旧館などの可能性も考えていたが、完全に消えたといってもいい。内部構造こそ似通っているものの、その他すべてが全くの別物だ。

 

 なにせ、この異界、その元になった洋館が建てられたのは今から約200年前だ。そのころの日本は江戸時代、こんな洋館が存在したはずがない。

 いや、長崎とか出島とかあるところにはあったのかもしれないが、だとしても、1940年代に建てられたとされる鏡月館とは年代が違いすぎる。


 それに、異界因の場所もおおよそ見当がついた。館の中心部、中庭の地下に魔力が集積している。

 気配からして幽霊の類だ。それも、複数。100近い数の亡霊が渦巻いていた。


 おそらくこの館の下に墓地でも埋まっているのだろう。実際のところはどうだったのかは確かめようがないが、少なくともこの異界ではそういうことになっているようだ。


「……じゃあ、中庭まで行って幽霊退治するってことでいい? どっちにせよ、ここだけでも解体しないと鏡月館の方を解決できないわけだし」


「力技にはなるが、それしかないだろうね。こっちでも殺人事件が起きていないだけマシではあるが、警戒は怠らないように」


 オレの言葉に頷いて、朽上さんは先陣を切って館を進んでいく。なんだかんだ言っても、彼女もまた解体局の異界探索者だ。その点は疑いようがない。


 オレが違和感を覚えているのは、もっと根源的パーソナリティにかかわる部分だ。

 今の段階では根拠はない。ただ、オレの直感は警告めいたものを発し続けている。この違和感を見逃してはいけない、と。


「『グランべリ伯爵とその家族』……フランス語で書かれてるし、たぶんフランスね。幽霊屋敷ホーンテッドマンションってわけ」


 朽上さんが絵画の題名を読み上げる。異界内部の物品が必ずしも元となった場所と一致するとは限らないが、この異界が『グランべリ伯爵邸』なる屋敷をもとにしていることは確かだ。

 そして、この館の出自が明らかになればなるほど、逆になぜこの館が鏡月館と混同されているのか疑問は深まるばかりだ。


「…………やはり、妙だ。国内の異界ならまだしも西洋圏の異界が混同されるなんて事例は聞いたことがない。エッフェル塔と東京タワーを混同するようなもんだ。見た目が似てたとしても、間違えようがない」


「……そうね。でも、となると、人為的ななにかってことになるけど……そんなこと可能なわけ?」


 朽上さんの疑問は正しい。

 似たような異界が別の異界と混同されたり、怪異が自分の生まれた異界と同じような異界に移動することはあるが、文化圏の境を超えて二つの異界が混じるというのは原作でもなかったし、この世界に転生してからもそんな事例は聞いたことがない。


 その前提に立ったうえでこんなことが可能なのは。それこそ、七人の魔人、その領域に指を掛けている。

 

 通常ならオレたちのような学生の手に負える相手じゃないが……、


「……多分だが、これをやったやつはここにいないと思う。もし直接、ここに来ていて、敵意や害意があるなら、わざわざ罠を張る意味がない。これだけのことができる術師や怪異ならオレ達なんてそれこそ指一本で押しつぶせる。そんな相手に、わざわざ罠を張るのは無駄だ。だから――」


「ここにはいない、ね。無茶な推論ではあるけど、今はそうするしかない、か」


 覚悟を決めて、二人でさらに奥へと進む。もともと命がけなのは承知の上だが、朽上さんもオレもここから先は覚悟が必要だ。


 もし、オレの推測が間違っていた場合、それこそ命がけでも足りない事態に陥る。最悪、情報を持ち帰るために、どちらか犠牲になるという選択肢も考えられる。もっとも、そのくらいで足止めできるなら誰も苦労はしないのだが。

 

 ちなみに、仮に相手が最上位の怪異や『語り部』のような術師が相手だった場合、救助班が全員そろって乗り込んだとしても勝率は大して変わらない。

 現状の『乙』メンバーが全員揃っていて、その上でオレが切り札を何枚か切って、どうにか五分の勝負に持ち込めるかどうかだ。急成長中のアオイや凜の運命視の魔眼という格上殺しがないとどうにもならない。


 ……いや、そもそもを言うなら、今回の任務では本格的な戦闘なんて想定していなかった。

 …………やはり、。考えたくないが、もしこれが罠だというのならこの異界に踏み込むもっと以前から張り巡らされたものだ。


 問題は、その狙い。オレか、あるいは他の誰かか。おそらくは前者、認めたくないが、命を狙われる理由にはいやというほど心当たりがあった。


 しかし、今更引き返すこともできない。これが罠ならその罠ごと打ち砕くのが今のオレのすべきことだ。

 そのためにも、この館の奥に進まなければならないのだが――、


「朽上さん?」


 朽上さんが動かない。肖像画の前で立ち尽くしているその姿はひどく心細そうに見える。実際、硬く握った両の手が微かに震えているのが見えた。


「……大丈夫か?」


「あ、ええ。別に、なんでもない」


 オレの問いに、慌てて取り繕う朽上さん。

 様子が明らかに変だ。原作における朽上理沙は常に冷静沈着で、恐怖心を見せることなんて――ああ、いや、違う。一つだけ、彼女には怖いものがあった。


「もしかして……幽霊苦手?」


「そ、そそそんなわけないじゃない! あ、あたしは探索者よ! 幽霊なんて怖くない!」


 図星だった。

 原作通りだ。常に冷静な朽上理沙だが、怪異の中で『幽霊』だけは苦手としている。なんでも子供のころに見た日本のホラー映画がトラウマになっており、異界探索者になった後もどうにも幽霊だけはダメらしい。


 なので、幽霊が相手となるとこのように分かりやすく取り乱す。本人は隠しているつもりなのだろうけど、そこらへんすごくギャップがあって可愛い。


「た、ただ、あいつらみたいな存在が希薄で、透けてて、クラゲみたいな感じで、理不尽に呪ってくるタイプのやつが苦手なだけよ! むしろ、やつらが得意な人なんていないし!」


「確かにそうだ。それに、ここは西洋圏の異界だからね。出てくる幽霊ももうちょっと実体がある感じだと思うよ。ほら、どっちかというと怪物に近い感じで、ジャンプスケアメインなやつ」


「…………本当でしょうね?」


 オレが頷くと少し安心したように息を吐く朽上さん。いつになく素直で、なんだか新鮮だ。

 実際、異界はその成り立ち上、所属する文化圏の影響を大きく受ける。特に映像技術が発展した現代においてはそこらへん顕著で、同属の怪異であっても文化圏が違うとその生態には大きな違いがある。


 そう考えると、オレが朽上さんに感じている違和感も似たようなものなのかもしれない。今の世界は原作の『BABEL』とは乖離している。であれば、そこで暮らす人々の様子も変わってくる。オレの知らない変化があっても当然だ。


 ……でも、なんだろう。理屈を付ければ付けるほどに何か奇妙な引っかかりがオレの中で大きくなっている。

 何かを思い出さないといけない。でも、その何かが今のオレにはどうしてもわからなかった。



 ――――――――――――――――――

 あとがき

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