第89話 ある考察

 この『鏡月館殺人事件』には全く別の異界が紛れ込んでいるのではないか。

 朽上さんの述べた一連の考察は、要約してしてしまえばそのようなものだった。


 オレと谷崎さんの目にしたもう一つの館は建築様式も、経過している年月からしても、明らかにこの異界にはそぐわないものだった。

 例えるなら、子供向けのテーマパークの中に賭博場があったり、動物園の檻の中にでかい昆虫がいるようなもの。確かに大きなジャンルとしては一致していても、微妙に異なっている。


 このジャンルは異界においてはその法則性と=と言ってもいい。この鏡月館の異界においてもう一つの館というのはその法則性に反しているように思える。


 ということは、あの館はどこか外部から、しかも、別の異界から紛れ込んできたと考えられる。


 一つの異界にほかの異界の要素が流入する。これは実は異界探索においてはよくあることではある。


 異界は人の認識によって成立するもの。そして、人の認知は移ろいやすく、大雑把で、混同しやすいものだ。オレたちが遭遇した中でも、夏前に侵入した廃病院の異界で遭遇したシェイプシフターなどがいい例だろう。

  

 今回の場合は、鏡月館の未解決事件に他の洋館で起きた似たような事件が認知上で混同された結果、もう一つの館が生じた、そう考えることができる。


 ……これらの朽上さんの考察はオレが考えていたものと完全に一致していた。

 そのこと自体に問題はない。原作『BABEL』の登場人物は基本的にエリートだ。オレには原作知識というアドバンテージがあるが、それを抜きにしたらとてもじゃないが谷崎さんや山三屋先輩の頭の回転の速さにはかなわない。アオイや凜も脳筋のように見えて、戦闘時はクレバーだ。


 だから、朽上さんがオレと同じ考察に至ることそのものには何の不思議もない、はずだ。

 だというのに、朽上さんの考察を聞いている最中も、聞き終えた今も、オレはぬぐいがたい奇妙な感覚を覚えている。


 特に気になったのは、考察を述べる時の朽上さんの仕草だ。表情こそいつもと変わらなかったのだが、少しだけ身振りが大きくなっているように見えた。

 些細なことだ。普段の自分とは違う役を与えられているという異常事態が起きている以上、普段の彼女とどこか一致しない印象を受けてもおかしくない。


 考察や推理を披露することは楽しい。オタクとしてそれもわかっている。分かっていてなお、気になる。


 いや、より正確に言えば朽上さんの姿に自分が何を感じているのかがオレには分からない。だから、気になるのだ。

 朽上さんの仕草を見て己の中に沸き上がった奇妙な感覚、くすぐったいような、一方で喜ばしいようなこの感触の正体がオレにはどうしてもわからない。

 一体、オレは何を感じているんだ……?


「ミチタカ? とりあえずの方針は決定しましたが、何かありまして?」


「……ああ、問題ない。続けてくれ」


 リーズに呼びかけられて、思考を打ち切る。

 相変わらず、鏡月館にあるオレの部屋だ。情報共有を終えたオレ達は今後の方針を煮詰めていた。


 ちなみに、館に残っていたリーズと朽上さんもきちんと情報を集めてくれていた。


 2人が手に入れた情報は主に、2つ。一つはオレたち以外の3人の容疑者の事件発生時間におけるアリバイだ。


 ただこのアリバイもまたオレたちの頭を悩ませた。

 ミステリー物の定番と言ってもいいが、全員にきちんとアリバイがあった。

 しかも、オレ達がそうしていたように幸次郎氏、ユイカ、慎太も全員談話室に集まっていたらしい。お互いのアリバイをお互いに証明できているわけだ。

 となると、外部犯を疑いたくなるが……それだと謎が複雑になりすぎるし、判断するのはもう少し情報を集めてからでも遅くない。


 それに、ここは謎を解く異界だ。現実の犯罪捜査とは違い、


 もう一つは、亡くなった幸一郎氏についての追加の情報だ。

 なんでも幸一郎氏にはがあったらしい。アレルギー物質を接種してしまえば命に関わるほどに重篤なもので食事にはかなり気を遣っていたのだが、このことを知っているのは親族の中でも《弟の幸次郎氏》だけということだった。


 また、幸一郎氏はかなりのワイン好きで館の地下にはワインセラーがあり、そこにはかなりの逸品が揃っていることもわかった。さらに、幸一郎氏は同じく亡くなった徳三郎氏と重要な話をする際にはそれらのコレクションを手土産として開けるという話も2人は執事から聞き出してくれていた。


 ……少し事件の輪郭が見えてきた気がする。あくまで事件が鏡月館の内部で完結しているという前提に立ってのことではあるが、事件の解決は可能だ。そのためにもまずは……、


「……ともかく、まずはもう一つの館の正体を確かめる必要があるな。場合によっては、前提が全部覆りかねない」


「そ、そうだね。もし別の異界が紛れ込んでいて、その影響が出てたら、外部犯どころか怪異が犯人って可能性まで出てきちゃうもんね……」


 オレの懸念を谷崎さんが補足してくれる。

 彼女の言う通り、朽上さんの考察が正しいのなら現状、鏡月館の持つ異界法則と別の異界の法則の二つがこの異界に働いている可能性がある。


 つまり、鏡月館の殺人においては怪異や異能は直接的には関与できないという法則に、他の、例えばこの異界では亡霊が存在するという法則が重なった場合、どちらが優先されるかは実際に試してみないと分からない。最悪の場合、証拠を見つけ推理を立てても、結局、全部幽霊の仕業でしたなんてことにもなりかねないわけだ。


 だから、、紛れ込んでいるもう一つの異界の正体を確かめないことには推理の進めようがない。


 そのためにはどうしてもあのもう一つの館に、乗り込む必要があった。


「メンバーはどうする……? 鏡月館こっちに残る人員も必要でしょ?」

 

 朽上さんが言った。

 前回と同じだ。早急にもう一つの館の調査をしないといけないが、鏡月館と容疑者たちを放ってもおけない。


 ということで、また別行動だ。ただ今回の場合は、オレの中ではメンバー分けは決まっている。


「調査にはオレと朽上さんで向かう。谷崎さんは鏡月館ここに残って調査を頼む。リーズは谷崎さんの補助を」


「わかりましたわ。同行できないのは残念ですが、背後を任されるだけ貴方に信頼されていると思うとしましょう」


「事実そうだ。君の思う倍は頼りにしている」


 オレの言葉に不意を打たれたような顔をするリーズ。頬を赤らめながら「そういうところですわ!」と叫んだ。

 ……自覚は、ある。でも、仕方ない。実際リーズには本当に助けられている。探索的な意味でも、精神的な意味でも。それに感謝や謝罪は口にできる時にしておくべきだ、特にオレたちみたいないつ死んでもおかしくない探索者ならばなおさらだ。


「……別行動はいいとして、どうして、あたしなの? 調査なら探偵役のしおりの方が適任じゃないの?」


「いや、君の考察が正しいならあの館の内部は別の異界だ。探偵役としての後押しは得られない。戦闘を想定するなら、オレと君の組み合わせがベストだ。ここにいる中で完全な前衛は朽上さんだけだしね。その間、谷崎さんには鏡月館ここで事件の方を調べてもらえるし」


「なるほど……」


 渋る朽上さんをそう説得する。

 実際、オレと朽上さんの異能の相性は悪くない。それどころか、抜群と言ってもいい。現状で最大限の戦闘能力を発揮できる組み合わせではある。


 くわえて、今回の別行動のパートナーに朽上さんを選んだのにはもう一つの理由がある。

 抱えてしまった奇妙な違和感。それを拭いたい。ただでさえ何もかもを疑わなければならない状況で、身内まで疑うようなことはしたくない。

 役に呑まれるよう何らかの異常事態が生じているのか、オレの思い過ごしなのか。あるいは、。できるだけ早く確かめておきたい。


 ……。最悪の可能性ではあるが、可能性がある以上、備えておかなければならない。

 原作ヒロインの一人と戦う、そう考えるだけで胃の中身がひっくり返りそうだが、オレにも守るべきものがある。覚悟はしている。


「……わかった。なら、早速動きましょ」


 納得したらしく朽上さんが動く。

 とりあえず、これで方針は決定だ。ここから先は実際に動いてみて、どうなるか。今はただオレの抱いた違和感がただの杞憂であることを願うのみだ。


「――ああ、それとミチタカ。くれぐれも、気を付けてくださいましね」


「お、おう、わかってる」


 しかし、オレが立ち上がると、リーズが神妙な表情でそう言った。


 オレは常に用意周到、準備万端、慢心からは最も遠い男だ。気ならいつも付けている。

 そこら辺はリーズもよく分かっていると思うが……ああ、そうか、オレのことを心配してくれているのか。


 ……なんだろう、涙が出そうだ。純粋な気持ちがうれし――、


「いえ、そうではなくリサを口説かないように気を付けてください、とわたくしは言いたいのです。曜日の空きは2日しかないのですから、よく考えてくださいましね」


「…………そっちか」


 ……まあ、わかってたよ! うすうすね! オレの前科凄いもんね! 自覚してるよ! 悲しいけど!


「…………まあ、今回に限っては安心していいよ。朽上さんからオレへの好感度は最低だしな」


「好感度はよくわかりませんけど、恋愛小説や映画だとそういう相手の方が逆に距離感が縮まるときは早い、と凜が言っていましたわ。とにかく、ちゃんと、気を付けて」


「……はい」


 凜の奴め、余計なフラグを立てよってからに。

 

 だが、今度ばかりはそんな甘い話にはならないだろう。

 なにせ、オレは朽上さんを疑っているんだ。自分のことを疑り、探る相手を好きになる人間なんてよほどの特殊性癖だ。そんなやつそうそういない。少なくとも原作の朽上理沙はそういうタイプじゃなかった。


 だから、大丈夫だ! フラグじゃないぞ、今度こそ!




 ――――――――――――――――――


 あとがき

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