第88話 手掛かり

 原作において、異界『鏡月館殺人事件』は単一の異界だ。

 内部には鏡月館以外の建造物は存在せず、異界因も殺人事件という謎以外には存在しない。謎を解くことさえできれば、それでこの異界は解体される、はずだった。


 今オレたちの目の前にあるのは、まったく見覚えのない洋館。一枚絵どころか、原作においては一切描写されていない洋館だ。

 しかも、酷く古びている。まがりなりにも事件当夜の姿のままである鏡月館とは違い、廃墟だ。窓は全部打ち破られているし、植物にも覆われている。少なくと放棄されて10年以上は経過していると見ていい。


 ……さっぱり理解できない。これは一体なんだ? なんでこの異界に鏡月館以外の建造物が存在している? どうして、そこに道が続いているんだ? そもそも、ここはまだオレの知る鏡月館の異界なのか……?


「――しや君? 蘆屋君? 大丈夫?」


「あ、ああ、すまない。少し考えこんでた」


「そ、そう。それで、どうする? 目の前の建物、調べる?」


 谷崎さんの問いに、我に返る。考えることは重要だが、それは動きながらでもできる。S子による殺人鬼の拘束がいつまで持つか分からない以上は、まずは判断を下すべきだ。


「……一旦、鏡月館に戻ろう。向こうがどうなっているか心配だし、あの館を探索するにも態勢を立て直したい」


「…………うん、わたしもそう思う。まずは情報を持ち帰らないとね。それもわたしたちの役目だし」


 ふんすと両手を握って気合を入れる谷崎さん。かわいい。もとい、頼りになる。

 

 今オレたちが握っている情報、隠し通路の存在とそこから繋がるもう一つの館は重要な証拠だ。犯人特定に至る証拠は手に入っていないが、今回の殺人現場は完全な密室ではなかったことを証明できる。


 もう一つの館については……好奇心は大いに刺激されるものの、今は脇に置いておくべきだろう。ここにアオイや凛、先輩がいれば強引に調査もできるが、今の戦力では慎重に動くべきだ。


 ……しかし、あれだな。だんだん原作ブレイクにも慣れてきているオレがいるのが無性に悲しい。

 どうしてこうなった? オレか? オレのせいなのか? 


 いや、こういう時こそ逆に考えるんだ。。この世には様々な娯楽があるが、ミステリーほど初見の歓びが大事なジャンルもない。

 

 半ば諦めていたが、今回の鏡月館の謎は原作とは違い、正真正銘初見の『謎』だ。避けられないし、すでに原作もブレイクしているのだから、せめてものこと楽しむとしよう。



 それからオレと谷崎さんは枯れ井戸まで戻り、隠し通路を通って徳三郎氏の書斎に戻った。


 、内側からも開けられるようになっていたおかげで助かった。同時にこれで犯人が隠し通路に潜むことが可能ということもわかった。

 

 書斎にはオレたち以外が立ち入った形跡はない。念のため、持ち去られたものがないか二人でチェックしたが、そちらも問題はなかった。


 そうして、全員が待っている食堂に戻ったのだが――、


「――ダーリン!」


 扉を開けた瞬間、。思わず後ずさるほどの勢いでの抱き着き。ドレスの薄い布越しに柔らかな感触を押し付けられて、一瞬、正気が飛びかけた。

 多分、着けてない。何とは言わないけど、めちゃくちゃ生っぽかった。


「ど、どうしたんだい、

 

「もう! どうしたじゃないわよ、ダーリン! こんな状況でわたくしを放っておくなんて、ひどすぎるわ! それに、わたくしのことはハニーと呼ぶとそう約束したのを忘れたのかしら!」


「そ、そうだったな、ハニー」


 美人すぎる顔面での圧に屈して、ハニーと呼んでしまうオレ。およそリーズらしくない態度ではあるのだが、顔面と肉体はリーズのそれなので破壊力はヤバい。


 というか、いくら他の、救助対象の前だからって役に入り込みすぎではないだろうか? あと、いろいろ押し付けてくるのをやめてほしい。理性が危ない。


「もうダーリンったら! もっと心を込めて呼んでくださいませ! それか、お詫びのキスをいただけるかしら?」


 そのままエリカことリーズはオレの頭を両手でロックされる。ち、力が強い。あと、食堂には容疑者三人も含めて全員が揃っているから、視線が痛い。とくに、朽上さんと思しき視線には役のこともあってか、殺意さえ混じっている気がする……!


 しかし、この距離でリーズの瞳を覗き込んで分かったこともある。

 こいつ、普通に正気だ……! めちゃくちゃ役に乗っかってオレにキスしようとしている……!


 なんて、なんて、いやらしい根性なんだ……! やっぱり、むっつりじゃないか、リーズ!


「エ、エリカ!? 今はやめてくれ! が死んで……そういう気分じゃないんだ」


「わたくしも怖いのです! ダーリン、励ましてくださいませ! さ、勇気の! 熱いヴェーゼを!」


 格闘の末、どうにかリーズを引きはがす。リーズは知らないだろうが、こういうシチュエーションでのキス等の行為は最高クラスの死亡フラグだ。避けるに越したことはない。


「……もう仕方のない方。わたくし、部屋に戻りますわ! 勇気が出たら部屋に来てくださいまし! 宗一郎!」


「お、おう」


 オレが抵抗を続けていると、そう言い放って居間を出ていくリーズ。ぷりぷり怒っている後ろ姿もかわいい。でも、どうしてこんなことを……いくらスケベだからってこんな……ああ、そういうことか。すまん、リーズ、スケベ呼ばわりして。ちゃんと考えてのことだったんだな。


「……あたしも部屋に戻るわ。と同じ空間にいるなんて1秒だって耐えられない」


 そう言い捨てて、レイナこと朽上さんも居間から出ていく。

 ……一見すると感情に任せての行動、あからさまな死亡フラグだが、これも打ち合わせ通りだろう。


 どうやらオレたちがいない間に、居残り組の2人も何かを掴んだらしい。だとすれば、オレも乗っかるしかない。一芝居打つとしよう。


 しかし、その前に、隣の谷崎さんにアイコンタクトを取る。流石の察しの良さで彼女も大まかなことを理解しているようだった。


「ま、待て! 2人とも! まだ殺人犯がうろついてるかもしれないだろ! 戻れ! 探偵さんも来てくれ!」


「は、はい!」


 もっともらしい理由を付けて、2人で居間を立ち去る。


 オレの部屋ここでならば他の誰かに聞かれる心配もなく、異界絡みのことも話せる。2おかげで手間が省けた。


「――しかし、2人とも、いくらここに集まるためとはいえ、他の方便は思いつかなかったのか? オレ、むちゃくちゃ冷ややかな目で見られたんだけど」


「あら、わたくしたちの名演技になにか文句でもあって? ねえ、リサ、わたくしたちうまくやりましたわよね?」


「………そうね。あたしも少し楽しかったし、もとからの親戚内での評価は最底辺なんだから問題ないと思うけど」


「…………他意はないよな?」


 オレの確認に、同時に目を逸らす2人。しばらく目を離している間にこいつら、大分、息が合ってるな……役の副次効果か? 宗一郎オレへのいろいろで団結したのか? 


 ……なにこの新しいCPカップリング。これだけで薄い本が厚くなるんですけど。


「な、なぜ、嬉しそうなんですの? 大丈夫ですか、ミチタカ? キスでもすれば正気に戻りますの?」


「…………いや、大丈夫だ。キスは、遠慮しておく」


 一瞬、ヘブンに飛びかけたが、どうにか正気を保つ。いかんいかん、いくら解釈違いではないとはいえ安易に新CPに飛びつくのは悪い癖だ。ゴールデンひまわりさんにもよく言われた。


「だいたい、ミチタカがつれないからわたくしもこういう便乗をしなければいけなくなるのですわ。アオイとは簡単にキスするくせに。ケチですわ、ケチ」


「ケチって……普通そんなにキスなんて……って、なんでそんなことを知ってるんだ?」


「あら? アオイが隙あらば共有メッセージで自慢してますわよ? わざわざ回数までつけて……まったく、うらやま……いえ、はしたないことこのうえない」


 ……アオイめ。かわいいけど、そんなことしたら他の面子をあおってるようなもんじゃないか、かわいいけど! 帰ったら釘をさしておくか……、


「…………痴話げんかは脇に置いておくとして、しおりと二人でどこに行ってたか、まずそれを聞きたいんだけど」


「あ、ああ、そうだね」


 朽上さんに言われて、痴話げんかもとい脱線をやめて本題へと戻る。


 オレたちが犯行現場である徳三郎氏の書斎で見つけたもの、得た情報、そして、隠し通路とその先で見つけたもう一つの館について。オレと谷崎さんは2人に事細かに伝えた。


「…………ここ以外にも館がある。でも、そんなこと、ミスミコタの資料には書かれていませんでしたわ」


 少しの沈黙の後、真っ先に口を開いたのはリーズだ。その一言に、オレは目から鱗が落ちる想いだった。

 さすがはリーズ。なんだかんだ言ってオレの心のオアシス。天啓をくれた。


 巫女田先生こと地味子が事前にくれた資料には現実に存在するこの異界のもとになったであろう鏡月館とそれにまつわる都市伝説や言説についても詳しく載せられていた。そこに、あのもう一つの館に関するものは記載されていなかった。


 であれば、リーズの言う通り、あのもう一つの館は鏡月館にまつわるものではないという可能性が高い。この鏡月館の異界において、あの古びれた館は明確ななのだ。


 つまり、原作『BABEL』において描写されなかったのではなく、そもそもが存在するはずのないもの。となれば、あの館が何であるのか、なぜ存在するのか、それについても、ある考察が立てられる。


 その考察とは――、


「…………ねえ、考えたんだけどさ」


 しかし、オレがそれを口にするより先に、朽上さんが口火を切った。

 そうして、驚くべきことに彼女が語ったその考察はオレが至ったものと全く同一のものだった。


―――――――――――――――――――――――


あとがき

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