第87話 怪物は不死身でなければならない

 通常、『鏡月館』のような『謎』を異界因とする異界では『幽霊』や『怪物』といった敵対的な怪異は出現しない。館の使用人たちのように特定の役割を与えられた低級の怪異が、さらに犯人という役を持つことはあっても、それにより異能を発揮することはないと原作『BABEL』においては設定されていた。


 その設定ルールの唯一の例外が、今オレたちの目の前にいる『殺人鬼』だ。


 この怪異は『謎』系の異界に出現する怪異で、その名の通り人を殺す『殺人鬼』が怪異として成立したものだ。

 謎系の異界において恐怖の側面を担う存在と言い換えてもいい。あるいは、ある未解決事件に対する『この事件の真犯人は突然現れた殺人鬼である』という身も蓋もない珍説が怪異として形を成したもの、と言ってもいい。


 そのため、この殺人鬼は怪物でも、幽霊でもない。フードに隠された中身はあくまで鏡月館の使用人たちのような人間の怪異だ。鉄を引き裂くような膂力はないし、理不尽な呪いをばらまくこともできない。ただただ手にした凶器を振るって、異様な執念で異界に入ったものを追い回すだけだ。


 問題があるとすれば、怪異『殺人鬼』の持つある特性だが――、


「あ、蘆屋君、ここはわたしが……!」


 谷崎さんが一歩前に出る。傍らのダゴンもまた主を守るように殺人鬼の眼前に立ちふさがった。


「……わかった。オレはしておく」


「う、うん」


 懸念点はあるが、この場は谷崎さんに任せて問題ないだろう。


 谷崎さんの異能は前衛、後衛の両方をこなせる汎用性の高いものだ。戦況や部隊の編成に応じて、必要な役割に切り替えることができる。さすがにそれぞれに特化した異能者には及ばないが、人員が欠けている状況下では谷崎さんのような汎用性の高さはありがたい。

 週一回の合同訓練の甲斐もあって、谷崎さんの地力も上がっている。


 対する殺人鬼の方はこちらにゆっくりと近づいてくる。右手には大ぶりのナイフが握られ、やはり、フードの下の顔はうかがい知れない。


 仮にこの殺人鬼を無力化してフードを脱がせてもその顔を見ることはできない。『殺人鬼の正体は不明である』、異界に敷かれた法則によってその正体を知ることはできないようになっているからだ。


 不意に、殺人鬼が走り出す。右手に握られた凶器が月明かりを反射し、怪しく輝いた。

 

「おねがい、ダゴン」


 谷崎さんの命に応じて、ダゴンが迎え撃つ。人間の反応速度を越える速さで動き、巨大な拳を振るった。


 ダゴンの一撃に殺人鬼は反応できない。回避も防御できずに、砲弾のように弾き飛ばされた。

 そのまま殺人鬼は背後にある樹木に叩きつけられ、動かなくなる。辛うじて五体を留めてこそいるものの、トラックと正面衝突したようなものだ。普通の人間がこうなれば間違いなく即死だ。


 しかし、殺人鬼は立ち上がる。あらぬ方向に曲がっていた手足がゴリゴリという嫌な音と共に正しい位置へと戻っていく。10秒もしないうちに、殺人鬼は先ほどと変わらない姿でそこに立っていた。

 

 そうして、相も変わらず凶器を手にこちらにまっすぐ向かってくる。命じられるまでもなくダゴンが迎撃する。超常の膂力を振るい、森の木々ごと殺人鬼を打ち据えた。


 しかし、どれだけの攻撃を受けても殺人鬼は立ち上がる。普通ならとっくの昔にミンチになっているはずだが、驚くべき耐久力、いや、とでも言うべきか。


「――っ」


 その様子に、谷崎さんが歯噛みする。驚きはない。殺人鬼の出現と特性はブリーフィングの段階で知らされている。


 殺人鬼そのものは強力な怪異じゃない。怪異としての等級はせいぜいがDランク。場合によっては武器を持った一般人でも撃退できる。


 そう撃退だ。排除でも、消滅でもなく撃退。オレより上位の術師でも殺人鬼を殺すことは相当に難しい。

 。殺人鬼が持つ唯一にして最大の力、異界の法則と紐づいた『不死性』のせいだ。

 

「やっぱり、謎を解かないとダメ、みたいだね」


 谷崎さんの確認に頷く。

 分かっていたことではあるが、実際目の当たりにするとこの不死性は脅威だ。仮にもっと強力な異能、例えばリーズの大火力で消し炭にしたとしてもしばらくすれば復活してくるだろう。


 怪異の多くは再生能力や不死性を持つが、そんな状態から復活するほどの不死性はそうない。それこそ、異界そのものを味方につけなければ無理だ。


 今回の場合は、この異界の異界因である『謎』が殺人鬼に不死性を与えている。


 からくりとしては、こうだ。 

 そもそもの話、実際に起きた鏡月館の殺人においてその真犯人は謎のままだ。だからこそ、この異界は成立している。

 怪異、殺人鬼もまたそれに付随するものだ。真犯人が殺人鬼の可能性がわずかでも存在しているから、この異界において殺人鬼が怪異として成立している。

 だから、

 

 これまた逆説的推論によるものだ。犯人が死んだのでは謎が謎として成立しえないし、容疑者としても死んでいるのでは排除できてしまう。だから、謎が解けるまで殺人鬼を消滅させることはできない。


 これが連続殺人事件であるならばまた話は違ってくるのだが……ともかく今この場において殺人鬼は倒せない。

 結局のところ、謎を解いて犯人を見つけることでしかこの異界の解体は不可能なのだ。


 であれば、どうするか。


「――谷崎さん、そろそろ」


「う、うん、お願い」


 谷崎さんと交代して、今度はオレが前に出る。すでに術式は組み終わってるし、式神も待機状態に入っている。実践自体はこれが初めてだが、まあ、問題はない、はずだ。


「――来たれ、『電脳邪眼怨霊でんのうじゃがんおんりょう・貞姫』」


 魔力を流して術式を励起。即座に式神を召喚する。

 呼び出したのは、黒い髪を腰まで伸ばした女の霊だ。彼女こそは『SーINE』ことS子を式神として括ったものだ。


 戦闘用の調整を終えたのはついこの前のこと。こんなに早く実戦投入することになるとは思ってもみなかったが、この状況では彼女の力が有用だ。


「あ”?」


「オレを睨むな。敵はあっちだ」


 急な呼び出しで心底機嫌が悪いS子。念話によると『今周回の途中だったのに、呼び出すとはどういう要件だ』とのこと。

 ……確かにSーINEを起動してない時は好きにしてていいと言ったが、いくらなんでも楽しみすぎでは? 周回ってあれだろ、この前ダウンロードしてたイケメンをスカウトしてアイドルにするソシャゲのことだろ。まあ、気持ちはわかるけど。オレもつい熱中しすぎて、よく彩芽に怒られてる。


「……わかった。仕事したら一万円分課金していいからやってくれ」


 続けての念話の内容は『仕事するならガチャひかせろ』というもの。なんでも水着イベントがもう少しで始まるらしい。式神を甘やかしすぎると主従関係が曖昧になってよくないのだが、オタクとして気持ちはわかる。ここは働きに対するご褒美ということでよしとしよう。


「じゃあ、頼むぞ」


 頷くと同時に姿を消すS子。次の瞬間、今もダゴンに叩き潰されている殺人鬼の方に再び現れた。

 

 S子がオレの魔力を2割ほどごっそり持っていくが、これからやってもらう仕事を考えれば必要な出費だ。


 殺人鬼は手足は折れ曲がり、全身の骨が砕けて見るも無残なありさまだ。だというのに、まだ動いている。死ねないってのもつらいもんだな。

 

「ダゴン! 退いて!」


 谷崎さんの指示が飛ぶ。ダゴンがその場を離脱するのと同時に、オレはS子に異能の使用を許可した。


「――限定開放『邪眼輪廻アイ・オブ・リング』」


 S子が殺人鬼の頭を両手で抱える。そのまま、キスをするように殺人鬼のフードの中の瞳を覗き込んだ。


 殺人鬼は反射的にナイフでS子を貫こうとするが、ただのナイフでは霊体には触れられない。虚しく空を切るだけ。殺人鬼はなおも暴れるが、すべて無意味だ。

 対して、S子からは殺人鬼に触れられる。理不尽そのものだが、幽霊とはそういうものだ。怪異と怪異の戦いでもそれは変わらない。


「あ”あ”……」


 S子の瞳が黄色の輝きを帯びる。その視線に貫かれ、一瞬、殺人鬼の動きが止まり、再び、やみくもにナイフを振り回し始めた。


 S子が殺人鬼を離す。殺人鬼は地面に降ろされてもなお、暴れている。しかし、それだけだ。先ほどのようにオレたちに向かってきていない、まるで見えない敵と戦うように何もない場所にひたすらナイフを振るっていた。


 とりあえず、成功だ。これでしばらくの間は襲われる心配はしなくていい。


「あ、蘆屋君、成功したの?」


「ああ。もう殺人鬼アイツ。しばらくは襲ってこれない」


 オレが警戒を解くと、谷崎さんが駆け寄ってくる。相変わらず殺人鬼は独り相撲を続けているが、この状態から一人で抜け出すことはまずない。


 S子の掛けた呪い『邪眼輪廻』の効果だ。これは幻覚幻聴を見せる呪いをより強化、特化させたものだ。 

 S子の瞳を覗き込むことで発動し、対象者は同じビデオを延々とループ再生するように同じ幻覚を見続けることになる。


 今回、殺人鬼が見ている幻覚は永遠に表れる獲物オレ達を永遠に殺し続けるというものだ。

 一流の術師や格の高い怪異ならこの程度の幻覚、すぐにでも看破してくるんだろうが、相手はただの殺人鬼。いずれはこの異界そのものの助けを得て抜け出してくるだろが、それより先に謎を解けば済む話だ。


「……流石だね。うん、蘆屋君は頼りになるよ」


「ありがとう。でも、谷崎さんが弱らせてくれたおかげだよ。オレ一人じゃこう簡単にはいかなかった」


「で、でも、わたしにできることって結局、これくらいだし……」


「そんなことないさ。少なくとも君は強くなっているし、盈瑠が学園に馴染んできているのも谷崎さんが気にかけてくれているおかげだ。あいつは素直じゃないから口にはしないだろうけど」


「そ、そうかな……?」


 そうさ、と頷くオレ。別に本人に聞いたわけじゃないが、オレも機会があれば盈瑠あいつのことは見ていたからよくわかる。

 合同訓練の時にも休憩時間のたびに、谷崎さんが盈瑠に話しかけてくれているのを見た。あいつが曲がりなりにも学校でやっていけているのは本人の努力と谷崎さんのおかげだ。


 そのまま二人でその場を後にする。殺人鬼にはS子をつけておくから変化があればすぐにわかる。


「あ、蘆屋君は、ちゃんとみんなのこと見てるんだね。うん、みんなが蘆屋君を好きな理由、少しわかったかも」


 2人で夜道を進みながら、取り留めないもない話をする。なんだかんだで、谷崎さんとちゃんと話をするのはこれが初めてかもしれない。

 

 今進んでいるのは森の奥へと続く道。枯れ井戸を通った真犯人が進んだと思われる道だ。


「……朽上さんには嫌われてるけどね」


「り、理沙ちゃんは、そ、そのわたしのこと守ろうとしているだけなの。でも、時々それが行きすぎちゃうときがあるというか、なんとうか……でも、特に蘆屋君に対しては、それが強くて……その……ごめん……」


 ……謝られると、余計にこっちも落ち込む。谷崎さんが悪いわけじゃないが、自我同一性オタクの問題だ。


 朽上理沙は押しも押されぬ『BABEL』のメインヒロインの一人だ。

 つまりは、オレの憧れ、青春、人生の輝きだ。それに嫌われているというのはメンタル的にはかなりしんどい。自分の行動の結果だ。後悔はないし、受け入れてもいるが、それはそれとしてしんどい。


「で、でも、安心して……! この事件が終わったらわたしからも理沙ちゃんに話をしてみるから……!」


「ありがとう。だけど――なんだ、あれ」


 道を進んで開けた場所に出る。その瞬間、オレの思考は停止した。

 目の前にあるのは、三階建ての洋館。大きな洋館で本格的な造りだが、違う。


 今オレたちが目にしているのは、鏡月館ではない別の洋館。この異界にはもう一つ別の洋館が存在している。

 これは、一体、なんだ……?



―――――――――――――――――――――――


あとがき

次の更新は3月5日火曜日です! 応援いただけると励みになります!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る