第85話 2つの死体
徳三郎氏の部屋にあった2つの死体、それらを前にしてオレの思考は完全に停止していた。
原作とは違う事件が起きることは想定していたが、いきなり第一容疑者が死んでいるなんていうのはあまりにも大きすぎる差違だ。
「いやああああああああああ!」
まっさきに叫び声を上げたのは、『御岳ユイカ』こと
「――これは……!」
それに続いて部屋に踏み込んだのは、朽上さんだ。彼女は2つの死体を目にした瞬間、オレと同じように凍り付いていた。
「と、通して! 通ります!」
最後に、部屋に入ってきたのは谷崎さんとリーズだ。2人も死体を目にすると一瞬、ぎょっとしたようだった。
……無理もない。普通の人間よりは死体を見慣れているオレ達探索者だが、それとはまた状況が違う。
徳三郎氏の死体は肘掛椅子に座らされている。胸には御岳家伝来の脇差が深々と突き刺さっており、それが死因であることは明らかだ。
対する幸一郎氏は徳三郎氏の机を挟んで部屋の真ん中にある。あおむけに倒れており、その喉元は血で染まっていた。
「と、父さん、に、兄さん……! 一体何が……!」
娘を床に横たえると、『幸次郎』氏はよろよろと死体の方へと近づいていく。そうして、そのまま死体に触れようとして――、
「ダメです! 誰もご遺体に触れないで!」
谷崎さんが叫んだ。普段の彼女らしくない物言いは探偵としての『役』が前面に出ているからだ。
この状況下において場を収められるのは探偵である谷崎さんだけだろう。なにせ、彼女以外の全員が等しく容疑者だ。この犯罪現場に干渉させるわけにはいかない。
「と、ともかく、幸次郎さんはユイカさんを連れて部屋の外に……! ほかのみなさんもです! 何にも触れないようにお願いします! それと、宗一郎さんはここに残ってわ、私の手伝いをお願いします!」
事前の打ち合わせ通り指示を出す谷崎さん。今だ混乱しているおかげか、それとも『探偵』という役が後押ししたのか、
普通ならここで警察を呼ぶとか呼ばないとかでもめるものなんだろうが、ここは異界だ。警察を呼んだところでどうにもならないし、事件に関わらない
……さて、ここまでは想定通りだ。でも、問題はここから。解決すべき重大な疑問が二つ、オレたちの目の前には転がっていた。
「……あ、蘆屋君。もう大丈夫だよね?」
「ああ、他の面子は近くにいない」
オレと谷崎さん以外の全員が部屋を去り、監視の目がないことを確認してから谷崎さんは安心したように深く息を吐いた。
いくら探偵役が疑われる可能性が低いとはいえ、あまりに『役』を逸脱した行いをすれば余計な疑念を抱かれかねない。基本的に救助班以外の人目があるときは役に徹しておくべきだ。
「……しかし、谷崎さん、オレを指名するとは思わなかったぞ。てっきり、朽上さんを選ぶものとばかり……」
オレたちが事前に決めていたのは、事件が発生した場合、谷崎さん主導で速やかに現場を確保、その際には救助班の中から誰か一人を助手として指名するというところまでだ。
誰を指名するかはどんな事件が起こるかわからない以上、谷崎さんに任せてケースバイケースで選ぶことにしていたんだが、オレが選ばれるとは思ってなかった。
だって、谷崎しおりと朽上理沙は原作からの親友同士だ。何度か顔を合わせた程度のオレとでは信頼度に天と地ほどの差がある。いいことだ、やはり、原作カップリングは素晴らしい。
それに対して、オレの方は選ばれる理由がない。
「う、うん、でも、理沙ちゃんとわたしだと少し視野が狭くなる気がしたから……そ、その点、蘆屋くんならわたしが気付かないことにも気づきそうだから……」
「……なるほど」
言わんとするところは、よく理解できる。謎や課題を解決するときに大事なのは多角的な視点だ。一辺倒な方法や視点では当座をしのぐことはできても、必ずしも事態が好転するとは限らない。
つまり、普段から仲が良くて一緒にいる二人だと見落としがあるかもしれないから、あえて関係性の薄いオレを選んだ、そういうわけだ。
……別に悲しくはないが? オレは本来、光のオタク。メインヒロインとは関わらずに壁になって観察していたいですし、おすし。
「じゃあ、とりあえず現場検証から始めるか。オレは徳三郎の方を見るよ」
「う、うん、気付いたことがあったらお互い報告しようね」
そういって、ふんすと両の拳を構える谷崎さん。録画したいくらいに可愛い。
なんというか癒される。普段一緒にいるみんなももちろんかわいいのだが、どちらかというとセクシーとか、クールとか、パッションに寄ってて、キュート系は不足している。というか、皆もう少し常識的になってほしい。
……ともかく谷崎さんに関しては役得だな、この谷崎さんを見られただけで今回の助手役に選ばれた甲斐もあったというものだ。
「……よし、やるか」
いつまでもオタク的喜びに浸ってもいられないので、死体に向き直る。
徳三郎氏の死体は椅子に座らされている。死因はやはり、左胸に突き刺さっている脇差だろう。
根本まで深く刺さっている。切先は肋骨の間をすり抜けて、心臓にまで届いている。おそらく即死、痛みを感じる暇さえなかったかもしれない。
机の上には2つのグラスとワインの瓶が置かれている。
奥側にある徳三郎氏が飲んでいたと思われるグラスは無事だが、幸一郎氏の飲んでいただろう手前側のグラスは床に落ちて中身をぶちまけていた。
他にも本や書類が詰まれているが、奥側の方は、どれも整然と置かれている。徳三郎氏が苦しみもがいたり、抵抗していたのならこんな風に整然としてはいないはずだ。
……徳三郎氏を殺した犯人はかなり人殺しに慣れている。人体構造への理解と戸惑いなく殺意を行動に起こせる精神性がなければ、こんな殺しはできない。
少なくとも、オレには無理だ。式神を使って同じことはできるかもしれないが、身体運用の技術だけでここまでのことは精神的にも、肉体的にも無理だ。
となると、原作通り従軍経験がある幸一郎氏が容疑者筆頭なんだが、死んでいるし……さて、どうしたもんか。
椅子の周辺をさらに詳しく観察するが、特におかしなところはない。心臓を一突きにされているせいか、出血も少ない。念の為、異能の痕跡がないかも調べたが、そちらもやはり感知できなかった。
……役をもらったわけでもない、ちょっと推理小説を読んでるだけのオタクではこれが限界か。
というか、原作では徳三郎氏は毒殺だったはず。この死体はあまりにも状況が違いすぎる。オレの原作知識は役に立たない。
予想はしていたが、いざそうなると少しダメージがあるな……、
だが、徳三郎氏はまだマシな方だ。だって、徳三郎氏は原作でも死んでいるが、幸一郎氏は原作じゃ犯人で死んでない。なのにこうして死んでいる。問題だらけだ。
「……蘆屋くん、ちょっと来て」
谷崎さんに呼ばれて幸一郎氏の死体の方に近づく。オレがそばまで来ると、谷崎さんは幸一郎氏についてわかったことを話してくれた。
幸一郎氏の死因は、おそらく首元の傷。喉仏のあたりが深く裂けており、ここからの出血、もしくは窒息が死因になったと推測できた。
即死だった徳三郎氏とは対称的にかなり痛めつけられている。犯人による殴打のためか、顔が赤く腫れあがっていて見るも無残な有様だ。
また、幸一郎氏の周囲は徳三郎氏とは対象的に物品が散乱していた。明らかに誰かと争ったあとだ。幸一郎氏は何者かと取っ組み合いになり、その人物に殺されたと見るべきだろう。
さらに右手には血まみれのペーパーナイフが握られていた。このナイフで犯人に抵抗したが、それも虚しくというのが、今の見立てだ。
殺された順番は、先に徳三郎氏、その後、幸一郎氏だと見て間違いない。
でなければ徳三郎氏が無抵抗だったことに説明がつかない。
「気になるのは喉の傷口……見て、このぐちゃぐちゃな感じ。鋭利な刃物での傷じゃない。それに、何度も同じような箇所を刺している」
そう言いながら喉の傷口をつぶさに観察している谷崎さん。普段の控えめな印象とは対照的にグロテスクな有様も気にせずに、目を輝かせていた。
……しかし、同じ箇所を何度も刺した、か。そういうことをするのは犯人によほどの怨恨がある場合が考えられるが……、
「それと、徳三郎さんが正面から刺されているのに、正面に座ってたはずの幸一郎さんが気付かないなんてこと、あるかな? 徳三郎さんが後ろから刺されてたら、まだわかるんだけど……」
「よほどうまく不意を突いたか……でも、順番的には先に徳三郎氏じゃないと現状に説明がつかない、よね?」
「……うん。ちょっと考えないと、だね」
顎の下で両手を合わせて、瞳を閉じる谷崎さん。
名探偵が推理の時によくやるポーズだ……! かわかっこいい! 写真撮りたい!
……そんなオレのオタク心は置いておいて、以上が谷崎さんがこの数分間で得た情報だ。心配はしてなかったが、見事な探偵ぶりだ。さすがは谷崎さん、『BABEL』のメインヒロインたちはみんな優秀だが、こういう頭脳労働ではやはり谷崎さんはピカイチだ。
次点はメインヒロインでこそないが、山三屋先輩だ。といっても、谷崎さんは論理的思考に長けていて、先輩は他人の心理を読むのが上手いと得意分野が違うから単純比較はできないが。
「……一番の疑問は、幸一郎さんを殺した後、犯人がどう逃げたか、だね。窓には鉄格子があるし、扉には鍵がかかってたから、ここは密室だった。普通に考えたら逃げようがない」
完全な密室。ミステリーものにおいては基本的かつ最もポピュラーとも言える謎。
だから、基本的に謎解きの類はこの密室を崩すところから始まるパターンが多いのだが、今回の場合はそこはスキップできる。
「推理小説とかだと、こういう時はだいたい隠し通路があるよね」
あえて答えを口にしながら、徳三郎氏の机の方に向かう。我ながらわざとらしいが、オレが転生者であることを知られないためにもこういう建前は大事だ。
「……あったよ、谷崎さん。これ、多分、隠し通路のスイッチだと思う」
一応、ハンカチで指紋がつかないようにしつつ、スイッチを押す。
すると、右側の壁にある本棚が大きな音と共に動き出し、その奥に薄暗い、コンクリート製の通路が現れた。
……この隠し通路は原作にもあったものだ。2人を殺した犯人はここから逃げたと見るべきだろう。少なくとも原作において幸一郎氏はこの通路を使って密室を造り上げた。
…………原作からの乖離はあるとはいえ、ここまでは順調と言ってもいい。だが、どうしてか、オレは心中に蟠る不吉な予感を拭えないでいた。
この「謎解き」には何かがある。隠し通路の薄暗い闇はその何かを象徴しているかのようだった。
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あとがき
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