第82話 名探偵、谷崎しおり
異界や怪異は人々の認識に強い影響を受けるもの。そのため異界の内部、特に今回のような『謎』を異界因とする異界において『探偵』という言葉、職業、概念は特別な意味を持つようになった。
異界を解体するための要、いや、鍵そのものともいえる役割を探偵はになっているのだ。
例えば、ある未解決事件を異界因として成立する異界があったとする。その事件が一切有力な証拠が発見されずに迷宮入りしたものだとしても、それが異界化し、内部に探偵という『役』成立した場合、警察や他の捜査関係者が見逃していた証拠が異界内に出現、事件は解決可能なものへと置き換えられる。
魔術における逆説的推論と同じ原理だ。
事件が起こり、そこに探偵が居合わせている以上、事件は解決可能なものでなくてはならない。解決可能なものであるのなら、そこには犯人を特定できる証拠が存在しなければならない。そういった原理が異界内で働き、証拠が生じるというわけだ。
この証拠が実際の事件においても見逃されていたものか、あるいは異界の内部で0から生じたものかは確かめようがないが、どちらにせよ、これらの証拠をもとに破綻のない推理を立て、犯人を見つけることが『謎』系の異界を攻略するためには必須だ。
だから、誰に『探偵役』が割り振られるかは重要だった。できれば、それがオレであればベストだったが、探索班の中から選ばれたことは不幸中の幸いと言えるだろう。
しかし、そう考えると、かのサー・コナンドイルとその著作『シャーロック・ホームズ』の影響力の強さ、偉大さがよくわかるというもの。原作『BABEL』の設定資料集において、イギリスにおいてかの名探偵は怪異として成立し、『謎』系の異界に出没しては勝手に事件を解決していくとされていたのは伊達じゃない。
異界が人の認識から生じる以上、創作物などの物語に強い影響を与えることはよくあるが、異界そのもののあり方にまで影響を与えた創作者は片手で数えられる程度だ。
『ホームズ』以外にも、夢の世界で見たような『暗黒神話』の系譜に属する怪異もまた――、
「ミチタカ!」
「お、おう」
オタク特有の長文考察に浸りそうになったところで、リーズに声を掛けられる。
いかん、いかん。『謎』系の異界では怪異が前触れもなく襲ってくることはないとはいえ、油断は禁物だ。
とりあえず『役』の確認を終えたオレたちは館の内部に踏み込む前に門の前で体勢を整えている。すでに役が割り振りられた以上、オレ達が館に入らない限りは事件が進行することはない。
つまり、事件が解決するまで、本当に息が抜けるのはここが最後になる。そのため、あえてここに留まっていた。
「もう、しっかりしてくださいまし。婚約者がそれではわたくしの……あ」
そう言いかけたところで、自分で驚いて口元に手を当てるリーズ。自分で言っていて、無意識に役に入り込んでしまったことに気付いたのだろう。
この館においてリーズに与えられた役は『当主の甥、御岳宗一郎の婚約者、エリカ』。欧州のさる名家出身の令嬢で、宗一郎が留学中に出会った、ということになっている。
つまり、今はオレの婚約者ってわけだ。背中にどこかからの冷たい視線を感じるが、言い訳させてほしい。この設定は別にオレが決めたわけじゃない。文句があるなら、鏡月館に言ってほしい。
「少し混ざりかけたか。意識を分けるコツ、覚えてるか?」
「え、ええ、右と左で分けるんでしたわね。わかってますわ」
そう言ってリーズは右手の薬指と人差し指をクロスさせる。数秒もすると、意識がはっきりしたようで安堵の息を吐いた。
役に呑まれるのは問題だが、館の内部で謎を解くには完全に役を意識から締め出すのもよくない。
だから、適宜切り替える必要があるのだが、原作ではそのスイッチとして特定の動作を使っていた。
リーズの場合は右手と左手の指。『右』の場合は本来の人格で、『左』の場合はエリカとしての人格へといった具合だ。
さすがはリーズ。すでに実証済みのやり方とはいえ、ここまで早く適応できるのは彼女の才能ありきだ。
「そっちは大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫だと思う。で、でも、この格好変じゃないかな……?」
谷崎さんと朽上さんの方に声を掛けると、谷崎さんがそう聞いてくる。
気持ちはわかる。THE名探偵って感じの服装だし、見ようによってはコスプレに見えなくもない。
しかし、谷崎さんに与えられた役を考えれば仕方なくはある。
谷崎さんに与えられた役は『探偵』。しかし、事件当夜の鏡月館に探偵がいたはずもなく、この役だけは鏡月館が異界として成立した際に後付けされたものだ。
なので、その存在は人々の探偵という概念に持つ認識の最大公約的な存在として成立する。そういうわけで、谷崎さんはコートと鹿撃ち帽というクラシックスタイルな服装をさせられているのだ。
名前も『谷崎しおり』のまま。重要なのはその場に探偵がいるという事実の方なので、言ってしまえば名前は何でもいいのだろう。幽霊が女性で、黒髪で、白い服を着ていれば名前がなんでも構わないのと同じだ。
だが、問題はない。なにせかわいい。グッズ発売よろしくお願いします。
「むしろ、似合ってるから大丈夫だ。なあ、朽上さん?」
「…………うん、かわいいよ、しおり。自信もって」
オレの問いかけに、少し考えてから同意する朽上さん。なんだかやっぱり警戒されているというか、嫌われている感じは拭えないが、今は少しだけ理由が違う。オレ以外では一番、役に対しての耐性が高い朽上さんがだが、それでも多少の影響は避けられない。
朽上さんに与えられた役は、御岳徳三郎の姪で、御岳宗一郎の従妹であり、元恋人の『御岳レイナ』。徳三郎の親類の中では一番の激情家で、なんでも、自分を侮辱した相手には必ず復讐すると公言しているのだとか。
ちなみに、オレこと御岳宗一郎はそのレイナに対して留学中、一方的に別れを告げて、エリカとの婚約を決めている……え? なに?
……まさか、あの『蘆屋道孝』に匹敵する死亡フラグの塊が存在するとはな。しかし、なんで、オレはこんなのばっかり……、
「そ、そうかな? だったら……うん、いいかな」
朽上さんの言葉に、少し恥ずかしそうにしながらもはにかむ谷崎さん。そんな谷崎さんに、朽上さんも柔らかな笑みで応えた。
うーん、素晴らしい光景だ。写真を撮りたいくらいだが、服装が変った段階でスマホは取り上げられてしまっているから無理、となると、オレの脳みそに焼き付けておくしかない。
……それこそ、我が光のオタクの同士、ゴールデンひまりわりさんに見せてあげたかった。ひまわりさんは理沙×しおりのカップリングを推していたいたから、喜びのあまり失神していたかもしれない。
「そろそろ、中に入った方がいいと思うけど。ここ、寒いし」
「そ、そうだな。そうしよう」
しかし、いつまでもぼーっと眺めているわけにもいかない。朽上さんに促されて、全員の準備が整ったのを確認したうえで、鏡月館の扉に手を掛けた。
ゆっくりと扉を開く。その向こうには豪勢なシャンデリアに照られされた玄関がある。奥には階段があり、左右に分かれて上階の東館と西館へと続いていた。
「――ようこそ、いらっしゃいました。皆さま」
オレたちを出迎えたのは、この館の執事だ。しかし、顔には靄がかかっており、表者は窺い知れない。
彼がこの事件における主要人物、つまり、容疑者ではないからだ。
ゲームにおけるNPCのようなものだ。この館において役を与えられているのは容疑者と探偵のみ。それ以外の登場人物は直接事件に関与することはない。
玄関正面には、大きな古時計がある。時刻は午後8時、原作通りならば事件が起きるのは午前0時ちょうどだ。それまでの間に、できることはしておきたい。
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あとがき
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