第79話 風雲急を告げる

 オレとアオイは、そのまま館の前まで手を繋いでいた。手を離す時は本当に名残惜しくて、こんな時間がいつまでも続けばいいのにとも思ったが、そういうわけにもいかない。

 それに、またの機会がある。そのために戦うと決めたのだから、この瞬間だけがすべてじゃない。


 館に帰ると、彩芽が待っていた。帰りの時間が少し遅れたので心配してくれていたのだ。

 そんな彩芽に対して、アオイは自然な態度で『今度は3人でいこう』と声をかけていた。彩芽の方もまんざらではないようで笑顔で是非と返していた。


 ……アオイを加えての共同生活、一体どうなることかと思ったが、2人の交流を見ていると少しだけ安心できた。オレの目から見ても仲睦まじい姉妹のようだし、この調子なら互いに問題なく過ごせるだろう。


 問題が起こるとすれば、オレが原因だが……まあ、そこももう受け入れた。


 そうして、翌日の7月第4週の火曜日、聖塔学園の夏休みの初日が訪れた。


 その日は朝から、リーズが館に来ていた。淑女協定によれば、火曜日はリーズの日なのでそれ自体はおかしくはないのだが、他のみんなとは違い、リーズはデートをするのではなく館でゆっくり過ごしたいと言い出したので、オレはたまたま館に残っていた。


 一方で、アオイは朝早くから出かけていた。なんでもそろそろ刀のメンテナンスが必要ということで今日一日は帰れないと言っていた。まあ、その分、出かける前に何度もキスを要求されて大分たじたじにされたけど。


「――ええ、先にカップを温めおくのが大事なのです。そう、お上手ですわ、アヤメ」


 今目の前では、リーズの見せた手本に従って、彩芽が紅茶をいれている。

 オレの館の2階にあるテラスでのことだ。三人での昼食後のアフタヌーンティーというやつだ。


「あ、ありがとうございます、リーズ様。ですが、本当によろしいのですか? わたしなんかにお時間を割いていただいて……」


「何を言うのですか。わたくしの時間をどう使おうとわたくしの自由、むしろ、愛する殿方と大事な友人と共に過ごせるのであれば、時間をぜいたくに使っていると言っても過言ではありませんわ。さ、あとはカップに注ぐだけです」


「は、はい」


 ドラマや映画なんかでよく見る感じで高いところからカップに紅茶を注ぐ彩芽。リーズはその様子を楽しそうに見守っている。2人とも無理をしているわけでもなく自然な態度なのが、またい。


 なんというか微笑ましく、どこかで塔が次々生えてくるような感じだ。最近セルフで爆発しがちな脳みそが急速に回復していく気がする。


「いい香り……故郷の城を思い出しますわ。いつか、ミチタカとアヤメも招待せねばなりませんわね」


 椅子に座ると、優雅に紅茶を口元に運ぶリーズ。

 リーズの故郷と言えば北欧のフィンランドだ。本来のルーツはイギリスの片田舎らしいが、中世の魔女狩りに際して移住した、という設定があったはずだ。


 そんなリーズの実家、ウィンカース一族だが、立派な貴族で比喩表現ではなく本当に『城』を所有している。原作では年中雪の降る地域にあるということだけが設定集に記されていた。


「? 何をしているのです、アヤメ。早くお座りなさいな」


「……その、リーズ様? わたし、今からでもお暇を……」


 すっかりリラックスモードのリーズに、彩芽が遠慮がちにそう申しでる。


 ……彩芽にしては珍しい殊勝さだが、気持ちはわかる。本来、今日は一日、リーズの日だ。オレが言うのもなんだが、2人きりになれる機会と言い換えてもいい。

 だというのに、リーズはなぜか彩芽の同席を望んだ。なんなら、オレとどうこうするよりも彩芽の方に構っている時間が長いくらいだ。


 オレとしてはそれでも全然かまわないのだが、彩芽が遠慮するのも頷ける状態ではある。


「あら、遠慮しているのかしら? でしたら、先ほども言った通りです。それに、わたくし、そこまで甘い女ではありませんことよ。この国には、『将を射んとする者はまず馬を射よ』という格言があるでしょう? それを実践しているだけですわ」


 そんな彩芽に対して、いたずらっぽく微笑むリーズ。

 さすがの気遣いだ。オレを攻略するために外堀を埋めるというのも本音ではあるのだろうが、きっと緊急待機の時に迷惑をかけた分の労いも兼ねているのだろう。


 もっとも、残念ながら、その馬だと思っている相手は同じ相手を狙う敵将だ。懐柔しても土壇場で裏切るかもしれないぞ。


「で、では、失礼します」


 促されて、控えめに椅子に座る彩芽。そんな彩芽にリーズはますます嬉しそうに笑みを深めた。


「故郷と言えば、わたくしにも支えてくれるメイドがいたのです。彩芽のその姿を見ているとつい、彼女のことを思い出しますわ。元気にしているといいのですが……」


 遠い故郷を想って目を細めるリーズ。そんな彼女の横顔は、やはり、原作では見れないもので、言葉を失うほどに美しい。


 ……やはり、リーズは魅力的だ。原作での出番があの程度なのが本当に惜しくなってくる。


「初耳だな、その話」


「話す機会もありませんでしたからね。でも、いい機会です。いずれ引き合わせる予定ですし、話してしまいましょうか」


 カップを降ろし、ゆっくりと息を吐いてからリーズは話し始める。その時の彼女の表情かおもまたオレの知らないものだった。


「そのメイドの、あの子の名前は、レナと言います。わたくしよりも6歳ほど年上で、わたくしが6才になった頃にお付きとして城にやってきましたの。当時のわたくしは……その控えめに言っても、レディとは形容できないお転婆でしたので、礼儀作法を教える指導役チューターも兼ねてのことです」


「お転婆なリーズか」


「今のわたくしからは想像できないでしょう? なにせ、今のわたくしは完璧な淑女レディですので!」


「いや、めちゃくちゃ想像できる。たぶん、お皿とか投げて悪戯してたんだろ」


「ギクッ!? なぜそれを……!」


 この現実に生きているリーズについては知らないことも多いが、リーズの幼少期については原作のリーズを元にある程度は推測できる。


 おそらく相当ないたずらっ子。幼い頃から自我を確立しがちな異能者にはありがちだ。なんというか、ませているというか、こましゃくれているというか、ともかく、周りの大人をバカにしがちだ。

 まあ、大抵の異能者はどこかでぎゃふんと言わされて性格が矯正されたり、成長したりするものだ。その機会を逃すと原作の蘆屋道孝オレみたいに死ぬことになる。


 ……そう考えると、やはり、原作のリーズとこの現実のリーズは乖離している。オレだけの影響ではなく、もっと前の段階、それこそ幼少期のころに、原作とは異なる出来事が起き、そこから分岐した可能性は高い。


「レナは異能は使えませんが、それ以外に関しては完璧な淑女でした。その上高潔で、誇り高く、強かでしたわ。でも、わたくしがレナから学んだ一番大事なことは『不屈の闘志』なのです」


「……それがあの決闘で何度も立ち上がった理由か」


 オレの問いに、リーズはよどみなく頷く。あの決闘、4月に行われた凜とのそれもリーズの中では今では思い出になっている。

 ……乱入したオレが言うのもなんだが、いいことだ。なにかトラウマになったり、わだかまりになっていないのなら、それ以上言うことはない。


「悪童だったわたくしに対してレナはわたくしがどんな悪戯をしても、失敗をしても諦めずに接してくれました。その上、わたくしがやりすぎてお父様やお母様に叱られている時、レナは誰よりも先にわたくしを庇ってくださいましたわ。時には、自らの職や命までもを賭してわたくしを導いてくれたのです。今のわたくしがあるのはレナのおかげと言っても過言ではないのですわ」


「……立派な人なんだな」


「はい。使用人の、いえ、ご友人の鏡のような方なのですね」


 「なのですわ」と誇らしげなリーズ。

 なるほど。そのレナさんが原作のリーズにもあった良い側面を大いに引き出した結果がこの世界のリーズなのだろう。

 そういう意味ではオレもそのレナさんには感謝しないといけないな。一応常識人のリーズが部隊にいるのといないのではオレの胃へのダメージは雲泥の差だ。


 しかし、こういう話を聞いていると分かるのだが、原作通りに凜と決闘していたリーズはいわゆる初手例外だったのだろう。

 確かに原作からして初登場時の土御門輪の態度は控えめに言っても最悪だ。いきなり試験に放り込まれて余裕がなかったというのもあるが、それにしたってひどい。なので、リーズが怒るのも無理はないのかもしれない。


 ……それともう一つ、考えるべきことがある。リーズのお付きのメイドであり、指導役でもあるレナ女史の正体についてだ。


 オレの推測ではあるが、レナ女史は原作には存在していない人物だ。

 一応根拠もある。BABELの原作者はキャラ設定に関しては細かい部分まで設定しておくタイプだ。そんな原作者が設定資料集にそんなリーズのアイデンティティ形成にかかわる人物を記載しない、というのは考えづらい。


 とすれば、レナ女史の正体は二つに一つ。何らかの原作改変によってリーズと関わることになったこの世界の人間か、あるいはオレのような転生者イレギュラーか‥‥………前者であればまだいいが、後者であれば警戒が必要だ。


 ……いや、考えすぎか? 夢現境で聞いた眠り姫の予知夢の三人の転生者、あれのせいで神経質になりすぎているのかもしれない。

 そもそも、原作改変がすべて転生者に由来するものと考えるのは傲慢だ。みんなゲームのキャラではなく生きている人間である以上、どんな可能性もありうるわけで……、


「ミチタカ? どうしました? 急に難しい顔をして。もしかして、スコーンがお口に合わなかったのかしら?」


「……いや、スコーンは美味い。少し考えなきゃいけないことがあってな、気にしないでくれ」


「そうですか。まあ、詮索しないのもまた淑女のマナーですわ。ああ、そういえば、手紙で貴方のことをレナに報告したのですが、彼女から一つだけどうしても聞いておけと言われたことがあるのを思い出しましたわ」


「……聞こう」


 件のレナ女史からオレに質問? 一体、なんだ? オレを試そうとしているのか……?


「ええ。子供は何人作る気なのか、と。絶対にこれだけは聞いておけとレナに言われましたの」


 おい、淑女はどうした。

 隣では彩芽が紅茶でむせている。彩芽のオレへの童貞いじりはキャラを作ってる部分もあるからな、本当のスケベ女には勝てないということか。


「…………いきなり子供の話なんて段階を飛ばしすぎだ」


「そうなのです? 日本人は奥ゆかしいと聞いていましたが、本当でしたのね。でも、重要なことでしてよ。だって、貴方はいずれ蘆屋家を継ぐ身、対してわたくしもウィンカース家の血を絶やすわけにはいきませんから、最低でも二人は子をなさねばなりません。蘆屋家は男子が欲しいでしょうし、ウィンカースは女子でも構いませんが、それでもやはり授かりものですし、わたくしも人生設計をよく考えなければ……」


 そう言い切って、自分でおしりをさすさすするリーズ。体もつかしらみたみたいな顔をしている。


「………………前から思ってたが、君はその、スケベなのか?」


「なっ!?」


 深く考えた末の指摘に、リーズは言葉を失っている。なるほど、レナ女史もここら辺ことは指摘しなかったらしい。というか、あれか、これが教育の成果なのか?


「わ、わたくしは将来のことをきちんと考えているだけですわ! そ、それに、異能者の家系ではこれくらい普通でしょう……!」


「いや……そうでもないぞ。君が特別スケベなだけだ。あと、言ってなかったが、オレは蘆屋家を継ぐつもりはない」


「え? そうなんですの?」


 いい機会なので、オレはリーズにオレと蘆屋本家の関係についてかいつまんで説明する。話が進むごとに、リーズの顔は真剣になっていった。


「……なるほど。わたくし、配慮が足りませんでしたわ。反省です」


「気にするな。言ってなかったのはオレだ。でも、これでわかっただろ? オレと結婚したって名家との繋がりなんて得られない。優良物件どころか、ただの不良債権なのさ、オレは」


「あら、どうしててですの? 親戚付き合いが少なくて済むなんてすばらしいことではないですか。それに、わたくし実を言うと、田舎の方々と仲良くする自信がありませんでしたから、ちょうどいいですわ」


 あえて、貴族っぽさを出して、そう言ってのけるリーズ。ティーカップを優雅に持ちながら微笑む、彼女の姿は自信に満ちていて眩く見えた。


 リーズはバカじゃない。オレと関係を持ちづけるということはいずれは蘆屋本家と敵対することだと理解している。理解したうえで、そんなことは何でもないと宣言してのけたのだ。


 ……意外なところに、味方はいるもんだ。リーズが共に戦ってくれるのなら百人力だし、なにより、嬉しい。

 同時に、気が引き締まる。ここまで想われているのなら、それに相応しい自分であり続けるのがオレの責任だ。


 空気を読めない緊急呼び出しの通知が鳴ったのは、その時だった。



―――――――――――――――――――――――


あとがき

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