第78話 境界線を越えて

 アオイと見る映画にオレは流行のアニメ映画を選んだ。

 だいたい、こういう時の定番は実写の恋愛映画とかなんだろうが、どう考えてもアオイの好みじゃないし、オレも好みじゃない。こうなんていうか、どうでもいいところばかり気になって内容に集中できる気がしない。


 一方、オレが好きなタイプのミステリーとかSFとかヒーロー映画とかは時間的にやってなかった。異界探索者とその関係者とホラー映画の相性の悪さは実証済みだし、選択肢としてはアニメ映画のほかには日曜日の朝にやっている特撮番組の映画版くらいしかなかった。

 正直、オレは特撮でもよかったんだが、流石に一年番組を見た上での完結編を初見のアオイに見せるのは無茶がすぎるのでやめた。


 もっとも、仕方なしではあるが、アニメ映画という選択肢はベストだと思う。なにせ、アクションあり、恋愛あり、スペクタクルありだ。よほど癖の強い監督の作品とかじゃなければ基本的に老若男女問わずに楽しめる。


 肝心の映画の内容だが、よくあるボーイミーツガールの青春活劇だった。主人公である高校生と実は宇宙人だった転校生との出会いと別れ、そして成長を描いた物語で、いわゆる世界モノと言ってもいい。男女の恋愛関係がそのまま世界の運命と直結するストーリーだった。


 映画も三分の一ほど終わったところで、映画選びを間違えたことに気付いた。

 映画そのものが悪いわけじゃない。作画もばっちりだし、演出もはまってる。音楽の方も印象的だ。


 どちらかというのは悪いのは見ているオレ達の方だ。通常、映画やその他創作物というのは普段の自分にとっての非日常を楽しむものだが、世界の危機だの、謎だの、秘めた能力だのはオレやアオイのような異界探索者には悲しいことに日常だ。かっこいいとか、憧れるとか、すごいとかより先に『こういうことあるよね』という感想が出てきてしまう。

 

 それでもオレくらいのオタクになれば自分の状況と切り離して創作物を楽しむことができるが……アオイはそうもいかないだろう。


 そう思って、ちらりと隣の席を見て、そんな心配は吹き飛んだ。


「――おお! おお!? おお……!」


 アオイは映画を全力で楽しんでいる。危機が起きれば画面に見入り、解決すればほっと一息を吐き、ロマンスでは頬をほころばせる。

 まさしく観客の手本とも言うべき態度だ。これほど素直で正直な態度で鑑賞されるのは作った側も本望なのではないだろうか。


 ……オレも見習わないとな。作品を見る時にあれこれいろいろ考えるのはオタクのいいところでもあるが悪いところでもある。時には、何も考えずただ楽しむというのも大事だ。


 でも、結局、オレはその後の一時間半、映画どころじゃなかった。

 横目で見たアオイの無邪気な表情。次々と変わるその色彩がスクリーンに映るどんなカットよりも美しくて、魅力的で、オレはすっかり虜になってしまっていた。


 オタクとして恥ずべきことだ。せっかく映画館でアニメを見ているのに、隣の女の子に夢中で何も見ていなかったなんて。誰にも知られたくない幸福な記憶ができてしまった。



 映画が終わった時、日はすっかり暮れていた。時間は18時30分。丁度夕食時でモール内はごった返していたが、ディナーの予約は済ませてあるから問題はない。


 選んだ店は、モール内にあるイタリアンの店。他の店に比べると少し値が張って高級志向ではあるものの、そこまで肩ひじを張らずに済んでなおかつ、オレ達みたいな学生が使ってもそこまで白目で見られないというちょうどいい感じの場所だ。

 まあ、別に店側の認識くらいなら少し術を使えばどうとでもなるのだが、そこはせっかくの休日で、デートである以上、できるだけ術やら異能やらは使わない非日常を演出したかった。


 結果から言えば、夕食は大成功だった。アオイと二人で先ほど見た映画のことを語らいながら、雰囲気のいい店でパスタを楽しんだ。

 というか、アオイは映画が思いのほか気に入ったらしく内容について、本当に楽しそうに振り返っていた。最初はもしかしたらオレに気を遣っているのか? と思ったが、本気で気に入ったのは目を見ていてわかった。


 まさかアオイがここまで楽しんでくれるとは思ってもみなかった。新たな一面だ。それをこの目で見られたことに心から感謝したい。


 ……でも、考えてみれば、当然のことなのかもしれない。オレが知っているのは原作『BABEL』におけるアオイだ。原作で開示された設定についてなら答えられないことは何一つないといまでも断言できる。


 けれど、今、オレとともにいるアオイは一人の人間であり、女の子だ。おれの知らない一面があったり、何か新しいことに興味を持ったり、趣味趣向が変わったりするのは当然のことだ。


 見方によっては、この変化もまた一つの原作ブレイクなのかもしれない。原作における山縣アオイは蘆屋道孝とデートしたりも、映画館で映画を楽しんだりもしないからだ。

 でも、オレはこの変化を。相手が蘆屋道孝オレというのは癪だが、それでも、アオイが幸福であることはオレにとっては本当に素晴らしいことだった。


「どうしました? さっきから静かですけど、私の後ろ姿がそんなに魅力的ですか?」


 セレニアンモールからの帰り道、すっかり日も暮れた夜道でアオイがこちらを振り返る。ひどく楽しそうなその顔に、こちらの表情もほころぶ。


 最初は館までバスで帰るつもりだったのだが、『できるだけ長く』とアオイが言うので歩いて帰ることになった。

 館までは徒歩で1時間半ほど。残りの道程は三分の一程度で、もう学園へと続く山道に入っていた。


「……おう。まさしく月下美人ってやつだ」


「でしょうとも。そんな美人を妻にできることによくよく感謝するように」

 

 オレのらしくもなく素直な賞賛に、アオイはそう返しながらも照れてはにかんでいる。


 そのまま二人で夜道をゆっくりと歩く。時折他愛のないことを話しながら一歩一歩を踏みしめるように少しずつおわりへと近づいていった。


「――今日はどうでしたか?」


 不意に、アオイが立ち止まった。学園の正門の前だ。背後を振り返れば、市内の灯りを見渡すことができた。


「どうって……楽しかったよ、すごく」


「そうですか。なら、よかった」


 オレのありきたりな答えのせいか、アオイの背中はどこか寂しげに見える。さきほどまではあんなに楽しそうだったのに、なにかあったのだろうか――?


「どうしたんだ、いきなり。君らしくないけど、なにか――」


 突然、アオイが振り返る。そうして、次の瞬間、彼女はオレの胸に飛び込んでいた。

 そのまま、痛いほど強く抱きしめられる。柔らかな熱が押し付けられて、驚くより先に抱き返してしまった。


「ど、どうしたんだよ、いきなり」


「…………いけませんか、抱き着いては」


「そ、そんなことはないが……なにかあるんだろ? 話してくれよ」


 アオイは答える代わりに、より強く痛いほどにオレを抱きしめる。

 その感触から伝わってくるのは愛情だけじゃない。不安や恐怖、そんな感情もそこにはあった。


「………ふと、恐ろしくなりました。今日もこれで終わりだとそう思った瞬間、なにもかもがここで終わってしまうような、そんな気がしたのです」


「……そうか」

 

 デートが終わるのが惜しくてどうしようもなく寂しくなった、というだけじゃないだろう。

 今この世界に起きている異変、八人目の魔人についてアオイも何かを感じ取っているのかもしれない。


 それに……オレ自身にその気は一切ないとはいえ、オレが八人目の魔人、その三人の候補の一つであることはまず間違いない。

 どれだけ力を付けて、抗おうとしても運命は必ずやってくる。そんなオレの中の不安や恐怖をもアオイは何となく察しているのかもしれない。


 だとしたら、オレの責任だ。こんなに不安にさせるなんて許嫁失格だ。


「…………私の人生に、こんなことは起きないはずでした。呪いに呑まれるまで戦って、戦って、ただ死ぬ。そうなるはずでしたし、それでいいと思ってました。でも、貴方が現れてから、めちゃくちゃです」


 オレの胸に顔をうずめたまま、アオイが言った。彼女の指先がオレの背中に食い込む、自分という存在をオレに刻み込むように。


「今日だってそうです。楽しかった、本当に楽しかった。まるで自分が自分じゃないみたいに心の底から…………」


「オレだってそうだ。今日は楽しかった。本当に」


「わかってます。でも、だからこそ怖いのです。幸福は私たちような異能者には縁遠いもの、いつ取り上げられてもおかしくはないのだと、そう思ってしまう」


 アオイが顔を上げる。潤んだ瞳がオレを捉えた。その儚さ、美しさに何もかもを忘れて見入ってしまう。オタクとしての拘りでさえ置いてけぼりだった。


「デートも楽しいのもこれっきりじゃないさ。また機会はいくらでもある。だから――」


「だったら、証拠をください。貴方の意志で、貴方の行動で」


「………………わかった」


 そうして、オレは自分の意志で光のオタクとして掟を破る。こちらを見上げるアオイの唇に、ゆっくりと口付けた。

 瞬間、世界が止まったかのような錯覚に陥る。罪悪感を幸福と使命感で上塗りした。


 これは明確な裏切りであり、決意でもある。己の行動と言葉を違わないために、オレは八人目を止める。この世界を自分の意志で守る。

 これじゃ光のオタク失格だ。でも、今だけはこの境界線を越えていたかった。


―――――――――――――――――――――――


あとがき

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