第73話 観覧車は揺れて

 戸惑っている彩芽を引っ張るようにして、オレたちは観覧車に乗り込んだ。


 薄いクッションのシートに腰掛けると、ゆっくりと観覧車が動き出す。

 最初はこんなもんかと思っていたが、景色が昇っていくにつれてだんだんと気分が高揚していくのが分かった。


 なにより、この閉鎖空間っぷりがいい。世界に彩芽と二人きりになったような錯覚は普段の異界探索とはまた違うふわふわした気分にさせてくれる。

 なるほど。世のカップルがわざわざデートスポットに選ぶだけのことはある。この特別感をみんな求めているのだろう。


 彩芽もその一人だったようでこれまでで一番、ワクワクした顔をしている。隣にミャーコちゃんのぬいぐるみを置いて、窓の向こうをキラキラした目で眺めていた。


 ゆっくりと観覧車は天頂へと向かっていく。確か一周するまでの時間は15分ほど。話をする時間は十分にある。


「――そういえば、お前、少し背が伸びたんじゃないか?」


 彩芽の横顔を見ていて、不意にそんなことを思う。最初は気のせいかと思ったが、やはり、4月から3センチほど身長が伸びている。


 オレの観察眼ブラザーアイに間違いはない。かわいい妹の成長を見過ごすことなどありえない。


「そ、そうでしょうか? 自分では気づきませんでした。これで彩芽もセクシーな大人のレディに近づいた、そういうことですね。あとは、胸の方も大きくなってくれれば彩芽的には100点なのですが……」


「なにごとにもちょうどいい塩梅があるって言うだろ? それに今だって十分に大き――」


「でも、お兄様のお好みは、もっと豊満な方でしょう? それこそ、アオイ様やリーズ様のような」


「…………いや、そんなことはないが」


 あまりにも図星なので思わず否定してしまう。何故バレた? オレそんなにわかりやすいのか?


「お二人がおられるときの視線の動きを追えば一目瞭然です。お二人があの性格ですし、お兄様として隠そうと頑張っておられたようですが、彩芽の眼は誤魔化せません」


「……そうなのか」


 なるほど……そこまで意識したことはないけど、確かに前世の頃からオレが好きになるキャラクターにはいわゆる巨乳が多かった気がする。


 オレはおっぱい星人だったらしい。だが、できればイエスおっぱいノータッチでおっぱい聖人を目指したい。


 ……自分でも何言ってるんだろうって感じだが、そういう信念をもって生きていきたい。


「なので、彩芽としてはこの胸を育てることは重要なのです。例えば夜な夜な、このように揉んでみたりしているのですよ」


 両手で自分の胸をワンピース越しに揉み始める彩芽。本来、ただの脂肪の塊なのに、どうして指に合わせて形を変えるこの柔らかい塊から目が離せないのだろう。

 ……オレが悪いんじゃない。オレがホモサピエンスの雄なのが悪いんだ。


「……そうか。あと、人前でそれはやめようね」


「オレの前だけにしておけよ、ということですね、お兄様。ふ、これがオレの女宣言ですか。いささか昂揚しますね」


「お前、だんだんアオイに似てきてないか……?」


「例えライバルであれ良いところを取り込むことができるのが、彩芽の長所なのですよ」


「…………なるほど」


 まあ、彩芽が楽しそうなのはいいことだ。オレの周りに人が増えたことでそれがストレスになっていないか心配だったんだが、こいつもこいつなりに楽しんでいるらしい。


 だが、それだけじゃないのは分かっている。彩芽は聡い。オレに心配をかけないために元気なふりくらいはする。

 なので、多少強引にでも聞き出さないといけない。


「…………彩芽。お前はオレの妹だ。誰がどうなっても、、それは変わらない」


 観覧車が昇りきる直前で、オレはそう切り出した。


 それなりに勇気は要ったが、妹のためだ。傷つく覚悟も、嫌われる覚悟も出来ている。


「……はい」


「不安にさせたな。すまん」


 頭を下げる。経緯はどうあれ、兄貴として妹に不安を抱かせたのならオレの責任だ。もっと丁寧にケアしておくべきだったのに、忙しさにかまけてしまっていた。


 今思えば、盈瑠がオレたちの館に泊まった時も彩芽は多少なりとも無理をしていたのだろう。オレの前では平気だと言っていたが、そんなはずはないのだ。オレだっていきなり家族が増えました、なんて言われてもすぐには受け入れられない。


 ましてや、盈瑠は本家の人間だ。あの映我館での経験がない彩芽に抵抗なく受け入れろという方が無理がある。


「……お前が聞きたいのなら、盈瑠と何があったのか、話せることは話す。その上で、お前がやっぱり無理だって言うなら、オレは……お前を優先する」


 断腸の思いで、そう言葉にする。盈瑠本人の許可なくあの映我館での出来事を全て話してしまうわけにはいかないが、それでも要点を伝えることはできる。


 それでも、彩芽が「嫌だ」というならその時はオレが嫌われ役をやる。盈瑠を見放すわけでも、いきなり縁を切るなんて話でもないが、彩芽がそう望むなら盈瑠をもうあの館に入れることはしない。

 ……嫌われて、憎まれるだろうが、それがオレの役割だ。2人の妹の幸せがかち合ってしまうなら、オレがその間ですり潰されるべきだろう。


「…………お聞きします」


 長い煩悶の後、彩芽が言った。オレは一瞬、瞼を閉じてそれからあの日の出来事、昔日映我堂での一件を彩芽に話した。


「……………悔いですか」


 オレの話を聞き終えてから、彩芽はただそう口にした。視線の先にあるのは西の空に沈んでいく夕日、彩芽がその光景に何を思っているのかは横顔からは見て取れなかった。


「彩芽は……本家の方が怖いです。あの方たちは異能を持たない人間を人として扱いません。あの家は、確かにおかしい……家を出て、あの館で皆様と過ごしているとそのことを余計に思い知らされます」


「……ああ、そうだな」


 洞窟の中からでは洞窟の外観を見ることができないが、一度そこから出てしまえば自分がどんな場所にいるのか理解することができる。

 それと同じように、本家から離れている今の彩芽ならば自分のいた場所がいかにひどい場所だったか理解できてしまう。今が幸福であれば幸福であるほど、暗い記憶もまた影のように浮かび上がるものだ。


「…………でも、苦しんでいるのは彩芽だけではありません。盈瑠様やお兄様、いえ、他にもたくさんの人が蘆屋のさとに囚われています。身体ではなく精神、いえ魂までもが」


 彩芽は胸元で右の拳を握る。自身を縛る本家のかけた『誓約』、その強固さを確かめるように。


「だから、彩芽は盈瑠様のことも、ご本家のことも恨んではいません。いえ、本当は恨んでいたのかもしれません。でも、もういいのです。彩芽にはお兄様がいます。お兄様のお傍にいられる限り、彩芽は幸福なのです」


 そういって彩芽は微笑む。夕日に照らされたその微笑は儚げで、触れれば消えてしまいそうなほどに嘘がない。


 だからこそ、痛ましい。

 どんな時でも彩芽には幸福でいてほしいが、その幸福がオレだけというのはあまりにも悲しい。

 

「今回のことで、彩芽が不安になったのはお兄様が彩芽のお兄様でなくなってしまうような、そんな気がしてしまって…………杞憂なのは、分かっているのです。お兄様は優柔不断で優しくて、誰かを切り捨てて平気でいられような方でないのは、彩芽が誰よりも知っていますから」


「……褒められてる気がしないな」


 オレがそう言うと、彩芽は少しだけ明るく笑う。それがうれしくてオレも誤魔化すように夕陽を見た。

 観覧車は下り始めている。残り時間はあと五分程度だ。


「…………本当はお兄様には探索者もやめてほしいです。ご本家とのこともやめてほしい。たとえそれで彩芽がどんな目にあうとしても、お兄様が側にいてくださるなら、彩芽はそれでいいのです」


 まるで愛の告白のような言葉だった。誰に強制されたわけでも、いつものように冗談めかしてもいない、本心からの望みだった。


「……オレもそうしたいよ」


 兄として応えてやりたい。そうできれば、オレ自身ももっと予定した通りの穏やかな生き方を選べるのだろう。


「なら……!」


「でも、ダメだ。オレはお前と日のあたる場所で生きていたい。そのために戦いたいんだ」


 これはオレ個人の願望エゴだ。例え押しつけがましくても実現したい、譲れないものだ。


 この世界は不安定で、安心できる場所はそう簡単には見つからないが、それでも、捨てたもんじゃない。美しいものも、楽しいものもたくさんある。それを彩芽には知ってほしい。


 そのためにはどんなものとでも戦う。


「代わりに、一つ約束する。これから先、なにがあっても、なにと戦うことになったとしても、必ずオレはお前の所に帰ってくる」


「…………はい。でも……」


「分かってる。物事に絶対はない。特にオレたちみたいなのはそうだ。けど、それでも約束する。だから、信じてくれるか?」


 彩芽の手を取り、強く握る。真っすぐに瞳を見つめて、オレの意思を伝えた。


 そのまま静かに彩芽は頷いてくれる。

 結局、こんな約束は言葉でしかなくて裏付けてくれる神も、怪異もここにはない。

 でも、それでいい。お互いに誓い、信じあう、それだけのものでしかないからこそ『約束』には誓約にはない価値があるのだとオレは信じる。


 ゆっくりと観覧車は地上に戻る。二人きりの世界は終わって、彩芽とオレの間には約束が残った。


―――――――――――――――――――――――――――――


あとがき

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