第69話 死神先生の宿題
それからオレは魔人『眠り姫』改めアリアといくつかとりとめのない話をしてから、席を立った。
名残惜しそうにするアリアには心が痛んだが、いつまでも先生を待たせるわけにもいかないので、いつかの再会を約束してから先生といっしょに夢の世界の入り口に戻してもらうことにした。
オレは約束は守る。正直、執事の『N』とかめちゃくちゃ怖いが、一度友人として誠実に付き合うと決めた以上はそれを曲げることはしない。
しかし、そんなオレの心中はすべてアリアにはお見通しだったようで彼女は別れ際にオレの手にあるアイテムを押し付けてこう言った。
「アリアを尋ねるときはこの鍵を使ってください。どんな時でも大丈夫です。だって、七公会議でもお友達を助けてはいけないなんて決まってませんもの」
……オレの打算や罪悪感までまとめて受け止められてしまって正直泣きそうだったが、どうにか堪えた。
アリアがオレにくれたのは『銀色の鍵』。子供部屋の鍵のような可愛らしい造形だが、材質はわからないし、魔力も発していないが、鈍い光と異様な雰囲気を放っていた。
「いいものもらったね。それ、姫の寝室の鍵だよ」
夢現境の入り口となる花畑で、オレの手にある銀の鍵を見て先生が言った。面倒だと言っていた会議が終わったからか、機嫌がよさそうだった。
「夢現境への直通パスみたいなものさ。その鍵に呼びかければこの世界、それも姫の本体の近くに直接移動できる。というか、使い方次第じゃもっと遠くとか、隣にも行けるけど……今の君だとやめておいた方がいいね。行けたとしても、帰ってこれないし」
「……使う時はマジでやばいときだけにします」
先生の言葉に銀色の鍵の正体を何となく察する。同時に今も空からオレたちを見ている何かとアリアの言っていたお父様のことも繋がるが…………あえてそこで思考を打ち切る。
これ以上のことはそれこそオレの手に負えない。それに、この『BABEL』の世界では下手に思考を明確化したり、言語化してしまうとそのままそれが異界や怪異として成立しかねない。対処可能な現象が相手ならまだしも、この宇宙の外のことなんて考えるだけでもやばいのだ。
「――さて、じゃあ、君の館に帰ろう」
「あの雪山にじゃなくてですか?」
「うん。帰りはあの子が直接繋いでくれてるから寒い思いはせずにすむ」
「……そうですか。じゃあ、その前に、一ついいですか、先生」
「構わないよ」と先生。振り向いた時の上機嫌そうな顔からして、オレが何を言い出すか察しがついているのだろう。
……正直言って、乗り気はしない。いつかはやらなきゃいけないことではあったし、覚悟は決めていたが、それにしたって早すぎる。せめて夏が終わるくらいまでは猶予があると思ってたが、こうなっては四の五の言っていられない。
「先生、お願いします。オレを、鍛えてください」
深く頭を下げて、答えを待つ。不本意だろうが何だろうが、自ら教えを請う以上はこれくらいは当然だ。
たとえその結果、オレが今のオレじゃなくなったとしても、それも覚悟の上。かませ犬としてなにも守れずに無為に死ぬよりはよっぽどマシだ。
それに、オレ自身が八人目にならないためにも力が必要だ。力をつけるということは選択肢が広がるということでもある。どんな運命が待っているにしても、それをはねのけるだけの力をつけておけば少しは安心できる。
「――いいよ。君はぼくの弟子だからね」
そんなオレを前に、先生は満面の笑みを浮かべる。原作の一枚絵のような美しい笑顔だった。
……でも、なぜだろう。先生の表情がオレにはどうしてか悲しげに見える。喜んでいるのに、二度と戻らない思い出を思い出したかのような、そんな痛ましさがあった。
だが、そんな顔は一瞬で消えて、いつもの先生の顔に戻る。オレの気のせいだったのか、あるいはあの顔こそが魔人『死神』に残された最後の人間性の現われだったのか、それを確かめる機会は永遠に失われてしまった。
「でも、どうしていきなりそんな頼みをしてきたんだい? あ、もしかして、ぼくともっと一緒にいたいとかそんな感じかい?」
「……八人目の件です。七公会議の結果がああなった以上、先生は直接干渉できない。なら、オレたちの、解体局の力でなんとかしないといけない。でも、先生がオレを鍛えて強くする分には誓約にも引っかからない、そうですよね?」
『検閲官』はオレに誓約の穴を突けと言っていた。
七公会議で禁じられたのは七人の魔人による直接的な干渉。先生が弟子であるオレを鍛えるのは八人目の出現とは直接的には関係しない出来事。強くなったオレが八人目の出現に結果的に干渉することになったとしても先生が誓約を破ったことにはならない、はずだ。
坊主のとんちのような屁理屈だが、異能による誓約というのはあいまいで解釈の余地がいくらでもあるものだ。
その分、破ったと判定された場合の罰は四辻商店街の報復機構のように苛烈なものになるが、穴を突くのはそう難しくない。
「うん。ぼくが君を鍛えるのは問題ないと思うよ。七公会議の決議は強力な分、適応範囲が狭い。あの決議の感じなら、そうだな、魔人の誰かが八人目の出現に居合わせたとしても罰は受けないと思うよ。まあ、八人目が現れる前に殺そうとしたりすれば、流石にアウトだろうけどね」
「じゃあ、オレを――」
「でも、今じゃない。その理由だと駄目だ」
先生はゆっくりと、オレの唇に指を立てる。そうしてゆっくりとオレの方へと体を寄せた。
柔らかな感触に意識が揺らぐ。先生の体はどうしようもなく冷たくて、オレの異能者としての感覚は力の強大さに震えているけれど、それでもどこか今にも壊れてしまいそうな儚さも今の先生にはあった。
「そんなとってつけたものじゃなくて、もっと君だけの理由じゃないと駄目だ。じゃないと、君は帰ってこられない」
「オレだけの……」
先生の声が耳元でそう囁く。
強さでも、覚悟でもなく、理由が足りないと先生は言っている。だが、オレにはそれが理解できない。
だって、先ほど口にした理由は間違いなくオレの本心だ。八人目をどうにかしないとこの世界は滅びる。ならば、止めないといけない。
愛するこのBABELの世界を、そこで暮らしている愛おしい人々を守りたいと、オレは本気で思っている。そのために強くならなければならないのなら、もし、人間をやめないといけないのなら、そうする覚悟もしている。
でも、先生はそれではだめだと言う。だとしたら、オレにはどうしたらいいかわからない。
……こんなのは転生してからは初めてだ。これまでは原作知識なり、状況なりがオレのすべきこと、できることを示してくれていた。
だが、今回に関してはそれがない。八人目の出現なんていう前代未聞の事態にあまりにも心もとない状態だ。
「そう難しく考える必要はないさ。すぐに見つかる。そんな気がする」
「気って……まあ、でも、先生が言うなら……そういうもんですか」
八人目の件もそうだが、魔人である先生の予感は半ば予知のようなものだ。どれだけおおざっぱでもそうそう外れることはない。
……何もかもを頼り切りにはできないが、ここは先生を信じるしかない。
それに、オレのことにオレ自身も気付いていないというのは術者としては致命的な弱点にもなりうる。解決できるならそれに越したことはない。
「そういうもんだヨ。君はいつも通りにしてればいい。待ってればその機会の方から君の方に来る」
「……わかりました。でも、いつまでです?」
「まあ、夏の終わりごろかな? それくらいになればきっと見つかってるよ。ちょうどもうすぐ夏休みだし、君も楽しむといい。青春っていうのは得難いものだからネ」
教育者っぽいことを言えて満足した様子の先生。
……別にオレとしては夏休みがどうとか考えていたわけじゃないが、確かにそうある機会じゃない。特に、オレ以外の
世界の危機も大事だが、みんなの青春も大事だ。必ず守ってみせる、光のオタクとして、男として。
「八人目の出現は12月みたいだしね。修行は夏休み終わりに始めても十分に間に合うとおもうヨ。いざとなれば時間くらいどうとでもできるしネ」
「じゃあ、アテにしてもいいですね?」
「当然! ぼくは死神だぜ? 時間くらいどうとでなるサ」
そう胸を張る先生。かわいい、もとい、頼りになる。何やかんやこの一件に関しては先生は人類側のスタンスを貫いてくれている。
それに、先生なら時間操作くらいは軽いだろう。そう考えると少し気が楽になる。保全委員会の連中が聞いたら、時空連続体への影響を考えて、その場で卒倒するだろうが、今回は世界全体の危機だ。とやかく言っている場合じゃない。
「さ、行こうか。あ、師匠としては弟子の妹さんの料理が食べたいナ! 焼肉とか!」
先生はそんなことを言って、転移門に向き直る。門の向こう側にはみんなが待っているであろう我が
「それ、料理の範疇に入ります?」
「……下味とかつければ入ると思うヨ、多分」
先生にしては自信のなさそうな一言。魔人でも食のことについてはなにもかも知っているわけじゃないらしい。
そうして、転移門を潜る。先のことはさっぱりわからないままだが、帰る場所があるというのは素晴らしいことだ。
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