第68話 眠り姫の告白

 巨大なベッドの上で、巨大な美少女が寝ている。まさしく夢の中にいるような光景を前にして、オレは言葉を失っていた。


 やはりここは七人の魔人の一角である『眠り姫』の寝室であり、目の前で眠っている眠り姫はおそらく『分体』ではなく彼女の『本体』だろう。


 先生があのリゾートホテルの異界でやっていたように魔人たちは自分の忠実な複製である『分体』を生み出して、主にそれらを端末として活動をしている。これは強大な力を持つ本体が無暗に動き回れば世界に余計な影響を与えかねないからで、分体は意図的に本体よりもわずかに規格を落としていると設定集には書かれていた。

 もっとも、分体だからといって強さが減衰しているかと言えばそうでもない。落ちているのはあくまで規格や権限であって、分体と本体の違いは世界に干渉する際の自由度のみだという。


 今回の七公会議に集まった魔人たちも先生を除いて皆分体をよこしていた。原作の設定から言えば普段から本体で動き回っている先生が例外なのだ。


 しかし、今オレの目の前で寝ている眠り姫はおそらく本体だ。なにか根拠があるわけじゃない。ただ背筋を貫く冷たい感触と本能めいた直感がそうオレに告げていた。


 ……これが眠り姫の本体。そう思うとなんだかワクワクしてくる。なぜこんなに大きいのか、なぜ夢の中で眠っているのか、考察したいことが多すぎる。返す返すもこの場にゴールデンひまわりさんがいないことが悔やまれる。あの人がいれば、もっと考察を深められるのに……、


「まあ! いらしてくれたのですね! 道孝様!」


 そんなことを考えていると、後ろから声を掛けられる。振り返ると、そこにはが立っていた。


「お招きに預かり光栄です、眠り姫様」


 オレの挨拶に対して、スカートの端をちょこんとつまんで丁寧に返してくれる眠り姫。服装は会議の時とは違い、ピンク色のフリルドレスを着ていた。


「いえ、こちらこそお呼びだてしてしまって……それと、アリアのことはどうかアリアと呼んでください。眠り姫と呼ばれてしまうと、その、少し距離を感じてしまうので……」


「……わかりました。では、アリアさん、と」


 少し悩んでからそう答える。すると眠り姫は心底嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべた。

 なんだか、罪悪感に胸が疼く。こんなかわいくて、純粋な子を相手に魔人と仲良くして大丈夫だろうかと考えていた自分の小賢しさが――、

 

 そこまで考えたところで、正気を取り戻す。どれだけいたいけに見えても相手はこの世界における最強の一角、オレなんか瞬き1つで殺せることを忘れてはいけない。


「まずは場所を移しましょう。ここでは落ち着けないですし」


 そう言って眠り姫が手を叩く。次の瞬間、周囲の景色が渦巻き状に歪み、その歪みが弾けるように戻ったかと思うと、オレたちは全く別の場所に移動していた。


 単なる転移とはまた違う現象だ。まるで一つの夢が突然終わって、別の夢に切り替わった、そんな感じだった。


 今オレ達がいるのは美しい中庭だ。色とりどりの花が咲き、ユニコーンの形に整えられた生け垣の傍に小さなティーテーブルと椅子が2脚おかれていた。


「お席にどうぞ。あ、お茶でもいかがですか? それとも、人間の方には別の飲みものがいいのかしら……」


「いえ、お構いなく」


 アリアの対面の椅子に腰かけると、一瞬だが椅子が動いた。どうやらこの椅子生きているらしい。さすが夢の世界、なんでもありだ。


「綺麗な庭ですね」


「はい、アリアが人間だったころこんなお庭を見たことがあるんです。記憶から再現したものだから完璧じゃないんですけど、お気に入りなんです」


「分かる気がします。なんだか、こう和む」


 嘘じゃない。ここは今まで見てきたほかの場所よりも空気が暖かくて、心地がいい。それこそ穏やかな夢の中にいるようなそんな感じだ。


 もっとも、オレの頭の中では考察が続いている。なぜ眠り姫は眠っていなければならないのか。それはおそらくオレがこの夢の世界に初めて来たときに感じた視線と関係が――、


「アリアの本体のこと、気になりますか?」


「……ぶしつけでした。すいません」

 

 さっそく胸の内を読まれて、頭を下げる。たしかにいくら考察のためとはいえ、乙女の寝顔を興味津々で観察するのは良くない。オタクの悪い癖だ、反省。


「いえ、いいのです。こちらこそ、お見苦しいものを見せてしまってごめんなさい。でも、よかった。興味を持ってもらえるほうが怖がられたり、嫌われるよりもずっといいです」

 

 眠り姫は寂しげに微笑む。


 ……気持ちはわかる気がする。魔人は孤独だ。物理的な意味でもそうだし、並び立つものが存在しないという意味でもそうだ。太母や教授のように自身のあり方を肯定しているならそれでもいいんだろうが、眠り姫、アリアのように精神が肉体と一致しているのなら永遠の孤独というのはなかなかにしんどい。

 オレだってこの世界にきて一番堪えたのが蘆屋道孝に転生してしてしまったことだとしたら、二番目はもう誰とも『BABEL』の話ができなくなってしまったことだし。


「アリアは、眠り続けてないといけないんです。アリアが目覚めてしまったらも目覚めてしまう。この夢の世界は元はお父様の夢であり、人々の夢でもある。お父様が目覚めれば繋がっている人々も。だから、アリアは眠り続けると決めました」


 ……夢を見ない人間はいない。アリアのお父様なる存在が一体どんな怪異なのかはわからないが、その怪異がすべての人間の夢と繋がっているのだとしたら、。それこそ、泡沫の夢だ。何もかもが最初から夢だった、そんな結末にもなりうる。


「……あの大きな体はアリアがより多くの夢を見るためのもの。これでも限界まで凝縮しているんですよ? 眠り姫なんて呼ばれてても、本性はこんなに大きくて、恐ろしい怪物なんです……」


 そう言って悲し気に笑うアリアは嘘を吐いているようには思えない。

 うーん、これは見過ごせない。名前だけしか登場していないとはいえ眠り姫は原作の登場人物だ。曇っているのに何もしないのは光のオタクとしてありえない。


「めちゃくちゃ大きいから姫じゃないなんてそんなことないですよ」

 

「え?」


「アリアさんは知らないだろうけど、人間っていうのは大抵のものに萌え、ああいや、かわいさを見出すことができるんです。極端な例でいえば非人間型のロボットにだって人間は可愛さを見出すことができるんです。そこから考えれば、アリアさんの本体が体長五千キロとかだったとしても、そんな程度なら個性のうちです。姫を名乗るのに何の問題もありません」


「そ、そうなんですか? 200年の間に人間ってかなり変わったんですね……」


 驚いている様子のアリア。


 萌えについてだが、オレのようなオタクに限った話じゃない。子供の間で少し不気味なキャラクターが流行ったりするように、外見や大きさなんていうのは要素の一つでしかなく、一見マイナスに見える要素も見方によってはプラスにもなる。もちろん、それが恋愛対象になったり、リアルな関係性が生じればまた話も変わってくるんだろうが、こと可愛さや萌えなんてものはどんな対象にでも発生しうるもんだ。なにせ、我が愛する『BABEL』においては1シーンしか出番のないモブにさえファンがいた。いないのは蘆屋道孝だけだ。


 …………自分で言っていて自分がかわいそうになってきた。


  そして、新情報、アリアが魔人になったのはここ200年の間のことらしい。


「じゃ、じゃあ、道孝様はアリアのこと……どう思いますか? か、かわいいと思います?」


「ええ。もちろん。オレの国にはこういう格言があるのです、『大きいことはいいことだ』と」


「大きいことはいいこと……!」


 目を見開いた後、ぽっと頬を赤く染めるアリア。年相応の少女そのものなしぐさの裏で彼女の背後の影がうごめいたのをオレは見逃さなかった。


「も、もう! 道孝様はお世辞がお上手なのね! アリアをたぶらかそうとしてらっしゃるのかしら?」


「いえ、そんなことは……まあでも、それで人類の味方をしてくれるって言うならいくらでもたぶらかしますけど」


「そう……ですね……」


 しまった。選択肢を間違えた。

 アリアの顔が暗く沈んでいる。背後の影が笑うようにざわめき、俺の方を見ていた。


「…………会議のこと、申し訳ありません。期待させるようなことをしてしまいました。アリアは人間の味方なのに……」


「……そうですね。がっかりしなかった、と言えば嘘になります。けど、何か事情があることくらいは分かります」


「……はい」


 アリアは右手で胸元を抑えて、深く息を吸う。それからゆっくりとこう話し始めた。


「アリアは魔人の中でも生まれてはいけない魔人だったんです」


 そう口にした少女の声があまりにひどく悲し気で、この夢の世界全体が一瞬、蒼く沈んだような錯覚を覚える。いや、おそらく錯覚じゃない。『眠り姫』アリアの精神状態が異界全体に影響を与えているのだ。


「他の6人の方々はみんな現実を構成するのに不可欠な要素を司ってらっしゃいます。でも、アリアのせかいは違う。ただ現実に根付いてしまっただけで、現実には何ら寄与しない。だって、夢は夢でしかないんです。目覚めた時には忘れてしまうものは誰も害さない代わりに、誰も救えないんです」


 確かに他の6人の魔人が司るのは『死』や『未知』といった畏れられると同時に現実には必ず存在し、また不可欠な要素だ。

 それに対して、眠り姫の司る『夢』は不可欠とは言い難い。記憶の整理という生理学的な役割こそあるものの、同じ機能を果たす現象さえあれば事足りるものだ。


 だが、不可欠だから不必要だと結論付けることはオレはしたくない。だって、オレを救ってくれた『BABEL』はゲーム、娯楽だ。そんな必要じゃないものだからこそ救える人間もいる。


「それどころか、アリアが生まれたことでお父様とこの世界が繋がってしまった。だから、アリアは消えるべきだったんです。でも、ほかの6人の方々はアリアを迎え入れてくださいました。だけで新たな同胞を拒むのは愚かだ、と。だから、アリアもいずれ現れる八人目様に同じことをしてあげたかったんです」


「…………それで、八人目を拒むことをしなかったんですね」


 オレの言葉にアリアが頷く。俯く彼女を前にオレの中の恐怖心や猜疑心はすっかり鳴りを潜めていた。


 しかし、可能性だけで、か。人間なんかでは及びもつかない視点を持つ魔人らしい考えではある。彼らにとっては人間の世界の命運なんてものは他人事でしかなくて、そんな他人事より自分たちの都合を優先するのは当然と言える。


 だが、オレはそんな魔人たちを非難する気になれない。誰だって他人よりは身内が大事だ。そりゃどこかで贔屓くらいしてしまう。魔人たちの場合はその規模が尋常なく広いってだけの話だ。

 

 むしろ、あれだけ強大な存在になり果てても魔人たちはどこかに人間らしさを残していると考えると、少しだけ安心できた。

 それに、


「貴方達人間にとっては迷惑なことだと分かっています。八人目様が及ぼす影響は魔人にも測れない。最悪の場合、貴方達の現実が一瞬で消えてしまうかもしれない。だから、その、どんな非難も受け入れます。このアリアの体を壊したいならそうしてくれたって――」


「――そんなことしませんよ。オレ、こんなよくあることで女の子をぶったりするほどひどいやつじゃないつもりなんで」


 オレの答えに、アリアは戸惑いの表情を浮かべる。まあ、人類滅亡をよくあることと言いきっちゃったんだし、当然と言えば当然か。


「オレは解体局の探索者です。だからまあ、人類の滅亡だとか、世界の危機とか、そういうのは慣れてるんです。ついこの間も、『教授』のせいで滅びかけたんですよ、人類」


「そ、そうなんですか……アリアは夢の中のこと以外は分からないから知りませんでした……」


「そうなんです。だから、まあ、今回の件は確かにヤバいですけど、まあ、慣れてはいます。楽観的にどうにかなるだろって開き直るくらいのことはできちゃうんですよ、実際」


 まあ、オレの場合は原作『BABEL』のプレイ経験もある。世界の危機はそこらへん転がっているものだし、世界を救うのと今もオレの館でたむろしているであろうヒロインズに今回のことをうまく説明することの難易度を比べたら後者の方がだいぶ難しい。妙に勘がいいからな、みんな。


「…………ありがとうございます、道孝様。命様が連れてきてくださったのが貴方でよかった」


 そう言ってほほ笑むアリアの顔には先ほどまでのような曇りはない。

 よかった。オレのようなかませ犬でも原作キャラを励ませるのだと思うと自己肯定感が高まるのが分かる。


 それに、これならオレの要望にも応えてくれるかもしれない。


「大したことは言ってませんよ。それに下心がありまして」


「あら? なんでしょうか? 今のアリアは気分がいいのでなんでも聞いてしまうかもしれません」


「はい、アリアさん。この蘆屋道孝と友達になっていただけませんか?」

 

 そう言って、紳士のようにアリアに手を差し出す。そんなオレを見て、目を白黒させた後、彼女は特大の笑みを浮かべてオレの手を取ってくれた。


 ……少しだけ心苦しい。こんならしくもないことをしているのはいざという時、アリアの、眠り姫の力を借りたいという下心ありきだ。ここまで接した彼女の性格上、一度友達になってしまえば裏切ることはしないだろうという打算があった。8人目の出現に際しても直接的ではない支援が得られるかもしれない、と。

 

 オレは今の現実世界を愛しているし、そこにいる大事な人たちを守りたい。そのためにはできることをする。


 もちろん、孤独に悩むアリアを見ていられなかったって言うのも本心だ。原作キャラを曇らせておくのは光のオタクの矜持に反する。

 だから、始まりは打算だとしても、アリアに対してオレは誠実な友人であろうと思う。甘いし、中途半端だが、これがオレにとっての最善の道だと信じている。


 そんなオレに対して、アリアは頷いてくれる。そして、一度を瞼を閉じて、決意に満ちた表情でこう言った。


「……お友達であるのなら、秘密にしているわけにはいきませんね」

 

 魔人の秘密……オレなんかが知っていいのかという気持ちと知ったらとんでもないことになるんじゃないかという恐れと、知りたいというオタク心がオレの中で衝突し、最終的にオタク心が勝利した。


「アリアは会議で夢で見たすべてを話しませんでした。それは貴方があの場にいたからです。あの場で、皆様がいる場で話せば皆様はきっと貴方を巡って争っていたから」


「……それは、つまり」


 嫌な予感が現実になる。凍えたように足が震えて、緊張にのどが渇いた。


「はい。アリアの夢の中には貴方がいました。八人目の顕現、その現場にあなたは確かに居合わせるのです」


 オレが、八人目の魔人、その顕現に居合わせる。そして、教授の仮説によれば八人目はおそらく『転生者』。であれば、答えは一つしかない。オレが八人目の魔人になるのだ。


 なんてことだ。原作をブレイクするだけに飽き足らず、オレの存在がこの世界を壊してしまうなんて……いや、そうはさせない。そんなことになるくらいなら、今この場で――、


「だめ。決めつけてはいけません。どうかアリアの言葉を最後まで聞いてください、道孝様。アリアの夢に現れたのは


「……オレ以外にも、魔人の顕現に居合わせるんですか?」


 頷くアリア。絶望に沈みかけた心がどうにか浮かび上がる。オレがどうにか深呼吸をするとアリアはこう続けた。


「アリアの夢には道孝様も含めて、三人が現れました。夢を見た時はその意味を理解することができませんでしたが、今ならわかります。アリアが見たのは可能性なのです。道孝様も含めたその『三人』が八人目になる可能性をもっている、あの夢はアリアにそう告げていたのです」


「……可能性、ですか」


 確定事項ではなく可能性。眠り姫の予知夢は百発百中、そのアリアが言うのなら疑う余地はない。


「……本当は、このことは秘密にしていなければなりませんでした。アリアは魔人、人間や現実世界の運命をゆがめてしまいかねないような行動をしてはならぬ、と。でも、道孝様は孤独なアリアのお友達になってくださいました。アリアはお友達を助けたい、例えそれが魔人としての規則に反するのだとしても」


 アリアの言葉に、オレの感情を揺さぶられる。彼女は完全な善意でオレを助けようとしてくれている、オレは彼女のことを利用しようとしたのに。


 ……この心は裏切れない。なんとしても、オレのなすべきことをなすのだ。


 アリアのおかげで状況が開けた。

 オレを除いて、あと2人、この世界に八人目の魔人となりうる人間が存在している。そして、その2人も転生者である可能性が高い。

 つまり、オレが魔人になる可能性は三分の一。賭けだと考えれば悪くない確率だ。


 だが、賭けをするなら、確実に勝つ賭けしかしないのが、オレの信条だ。

 ……やってやるさ。八人目の魔人『観測者』、その顕現をオレの手で阻止するのだ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――


あとがき

前回の更新で日付を間違えていたので一日に二度の更新を行いました。すいません!

また前話については通知がされていなかったと思うので、ブックマークなどしていただいている場合は前話からご覧になっていただけると幸いです。

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