第66話 会議は回る、されど

 いつの間にか、会議場となる円卓の上空には満月が昇っていた。

 それも普通の満月よりもはるかに大きく、近い。まるで月そのものがこの会議を覗き込んでいるようだった。


 ……気持ちはわかる。八人目の魔人なんてBABELをプレイした人間ではあれば絶対に興味をそそられる。今のオレも驚きと喜びの混じった『そんなのありなの!?』という気持ちで胸がいっぱいだ。


「今から少し前、アリアは夢を見ました。夢の中では空が割れ、星が落ち、現実の世界が崩壊を始めていました。恐ろしい夢でした。でも、大事なのはその中心に立っていた誰か。その姿を見た瞬間、確信したのです。この方こそが八人目なのだ、と」


 そう夢語りをする眠り姫の面持ちはこれまでになく神妙で、否応なく事態の深刻さを実感させられた。


 ……正直なところ、オレもまだ状況を呑み込めているわけじゃないが、八人目の魔人の出現それが意味するところは分かっている。


 現在、この『BABEL』の世界に存在する深異界は七つだ。それらが互いに干渉しあい、時には反発し、混じり合うことで今の現実はどうにか保たれている。

 これはそのまま魔人たちの関係性にも当てはまる。七人がそれぞれに牽制しあっているから、決定的な決裂が起きずに済んでいる。


 つまり、今の世界はパンパンに空気が詰まって破裂寸前の風船のようなものなのだ。空気を抜こうと下手に触れればそれで破裂しかねないし、新たに空気を吹き込むなどもってのほかだ。


 そして、この場合、八人目の魔人は栓の開きっぱなしのガスボンベのようなもの。そんなもの風船にねじ込もうとすれば風船が破裂するどころか、ガス爆発を起こしかねない。

 

 だから、八人目は存在してはいけないし、現れることもない。少なくとも原作ではそう設定されていた。8人目の出現を予言したのが眠り姫でなければ、このオレが真っ先にありえないと否定していただろう。


 だが、眠り姫の予知夢が外れることはない。これもまた原作に置いて明言されていたことだ。

 眠り姫が八人目の出現を夢で見たのなら必ず八人目は現れる。しかし、八人目の出現はありえない。2つのこの世界の根幹にかかわる設定の間で矛盾が生じていた。


 この場合、一体どちらが優先されるのかは世界一『BABEL』に詳しいと自負するオレにもわからない。

 原作にも存在しない未曽有の事態への興奮とオレたちの生きる世界が崩壊するかもしれないという恐怖がオレの中でない交ぜになっていた。


「――だから、七公会議を招集させていただきました。アリアが問いたいのはこの『八人目』を受け入れるか、否かです」


 眠り姫の問いが円卓に響く。

 七公会議において議論されるのは『魔人』全体の行動方針だ。八人目の魔人の処遇となれば議題としてこれ以上のものはないだろう。


 しばしの沈黙が円卓に訪れる。最初に口を開いたのは、教授だった。


『――小生は八人目を受け入れヨウ。これで死神と小生の抱いていた予感に確証が得ラレタ。ナルホド、胸が騒ぐのも頷ケル』


 教授の歪んだ声が響く。今の彼の肉体であるぜんまい仕掛けのロボットはゆっくりと円卓に登ると、こちらに、正確には先生の方へと視線を向けた。


『その八人目の出現地点だが、おそらく極東、日本で間違いないダロウ。その証左として、極東地域にはここ数か月の間で異界の数が激増していイル。巨大な異界、おそらくあらたな深異界が重なりつつある』


 それから全体を見回して、講堂で講義をするような調子の教授。歪んだ声でも彼の言葉には奇妙な説得力があった。


「それはあんたと死神がやりあったせいだろ。異界の中とはいえ、『生命の種』なんて持ち出して、それをぶっ殺したんだ。おかげで境界線がぐらぐらだ。俺が直すのにどれだけ時間がかかったと思ってやがる」


 検閲官が言った。彼は円卓に足を乗せたまま、不機嫌そうに顎で先生と教授を指した。


『それ以前の話ダ、検閲官。小生と死神が接触する前から極東地域一帯には無視できない外れ値が生じテイタ。小生がかの地を訪れたのはその調査のためでもアッタのだが、途中で他のことにも興味が移ってね。完璧な調査とはいかなかったが、わかったこともアル』


 ……なるほど。そんなコンビニにトイレを借りるついでに買い物をしたくなったみたいな感じで殺されかける羽目になったのかと思わないこともないが、これで教授がなぜ『四辻商店街』を訪れたのかもわかった。


『収集したデータ、それらの外れ値のパターン、因果係数の解析結果から見て、今から6か月以内に極東地域に巨大な異界が出現スル。それが深異界として現実に根付くかは確信がナカッタガ……眠り姫が夢で見たということは確定事項となったトイウコトダ。素晴らしい、これは小生にとっても未知の事態ダ』


 教授の声は機械越しにも分かるほど上機嫌だ。未知の探究を存在意義とする教授にしてみれば8人目の魔人なんて絶対にあり得てはならない存在は探求の対象としてこれ以上ない相手なのだろう。


『クワエテ、八人目の魔人とその者の司る概念についても、小生は一つの仮説を持ってイル』


 そんな教授の次の一言に、同じ魔人たちさえも注目している。

 教授が司る深異界は『未明領域』、人が未知へと抱く感情から生まれた異界だ。だから、この世界において教授以上に未知の出来事に精通するものは存在しない。八人目の魔人という未曽有の事態でさえも考察できたとしても不思議ではない。


 オレには恥ずかしながら全くわからない。光のオタク失格だ。


『我ら魔人と七つの深異界は、知的生命体の認識、それを構成する不可欠な概念から生まれたモノダ。ある意味、兄弟姉妹であり、運命共同体であり、この惑星ほしというパイを切り分けた共犯者といってもいいダロウ。ゆえに、八人目が顕現するのなら、同じようにこの世界を分け合うことにナル』


 教授の考察にはそれこそ大学の講義のような響きがあるが、彼の声には人を引き付ける威厳があった。


『だが、この惑星にはもはや切り分けるべき概念パイが残っていナイ。八人目が顕現しようにも、深異界が根付こうにも、その元となりうる概念はすでに我ら七人が分け合ってしまっているカラダ。であれば、どうなるカ』


 教授はそこで言葉を切ると、機械の体を動かして円卓を見回す。

 オレは無意識に教授の方に身を乗り出していた。八人目の魔人、それが一体どのような存在なのか、教授の答えが待ちきれなかった。


『八人目の魔人トイウ特例が成立するには、新しい概念を作り出すか、あるいは我ら七人から己の領分パイを奪い取るしかナイ。しかし、後者であるのなら、我らの中の誰かが代替わりをするというダケダ。それでは八人目とは呼べない。であれば、前者。そして、前者であるのなら、新たな概念を作り出すもの、あるいは見出すものでなくてはナラナイ』


 ……新しい概念を作るもの、あるいは見出すもの。例えばそれは創作者にも似ている。既存の物語から新たな要素を見出し、独自の概念、物語を作る。八人目の魔人はそれを世界単位で行うということなのだろうか。


『一方、この時空のこの惑星において全く新たな、我ら魔人と深異界の裡にない概念を作り出すのは容易デハナイ。我らは知的生命の深層意識に繋がれた囚人であるがゆえに、そのなしうること全てを知っているカラダ。だが、一つだけ、誰も手にしていない概念パイが存在スル。それは極めて近く、あるいは限りなく遠い場所、ダ。そして、八人目とはその彼方の世界を知識ではなく、経験として知るもの。つまり、彼方の世界から生じたものである可能性がタカイ』


 教授はそこでオレの方を見る。その視線の意味を理解し、オレは戦慄した。

 ……彼方の世界で生じた魔人さえも知りえない新たな世界を見出すもの。オレのような転生者はそれに当てはまる。転生者そのものの存在は魔人の間で知られていても、転生者たちの前世に関することは魔人たちでも知りえないはずだ。


 であれば、八人目の魔人となるのは。その事実がオレは何よりも恐ろしかった。


『八人目の司る此処ではない世界が、我らの認識の上に存在する上位世界と呼ぶべきものナノカ、あるいはどこかで枝分かれした横並びの世界なのか、ソレトモ、まったく別の交わることなき真なる異世界ナノカ。それを確定することはこの段階ではデキナイ。確かなのは、そのどれであっても、【この世界以外の世界】という概念は我ら七人の裡にはなく、新たな深異界として成立しうるものであり、八人目はそこから生じるというコトダ』


 教授の講義は続く。

 上位世界、あるいは並行世界、その概念そのものは存在しても、それを司る魔人は未だに顕れていない。

 

 ……今や、人間社会において並行世界、パラレルワールド、マルチバースと呼ばれる『もしも』の世界の概念は浸透している。創作物や都市伝説にだってなっている。

 だから、異界として成立しうる。しかも、その規模は一つの世界、あるいは宇宙そのもの。そうなればもはや切除することはできず、この世界に深く根付く。


 ……円卓に八個目の席が現れるのも頷ける。新しい玉座はこの世界の内側ではなく外側から持ち込まれるというわけだ。


『――ゆえに、小生は八人目の魔人をこう仮称スル。彼方を見たもの、あるいは彼方より此方を観るもの。『観測者』ト』


 教授は講義をそう締めくくる。円卓に静寂が訪れた。


 オレはというと心臓を鷲掴みにされたような気分だった。自分が八人目かもしれないということもそうだが、『観測者』という名がついたことで八人目の存在が現実味を帯びて迫ってくるようだった。


 だが、呆けているわけにもいかない。。誰が八人目になるにせよ、そいつがオレのようにこの『BABEL』の世界を愛しているとは限らない。


「……八人目は確定ってわけか。ああ、くそ、俺は受け入れねえぞ! せっかく一段落着いたってのに、またデスマーチだ! クソが!」

 

わらわは全ての子を受け入れる。八人目『観測者』、大いに結構ではないか。今の世はつまらぬ。八人目で全てが壊れるのなら、それもまた一興よ」


 対称的な反応を示す検閲官と太母。どうやら魔人たちの間でも8人目に対してはそれぞれスタンスが違うらしい。


 教授と太母に関しては八人目『観測者』を歓迎している。教授は研究対象として、太母は己の子としてと理由こそ異なるが、2人には観測者に関して、それによっておこる事態をどうにかしようとは考えていないようだ。


 対して、検閲官は明確に八人目を迷惑がっている。この宇宙全体にかかわる問題を検閲するのが検閲官の役目、つまり、八人目の出現はそれだけの大問題ということになる。


 ……それもそうか。『別の世界』という『異界』が生じるということはもう一つ別の宇宙が生まれるのに等しい。どれだけの影響があるのか、あるいはないのかオレには想像もできない。


「……ごめんなさい、検閲官様。アリアが夢を見てしまったせいでご迷惑を……」


 態度や口調からは眠り姫もまた八人目の出現に対しては比較的否定的なスタンスを取っているように見える。

 当然と言えば当然か。眠り姫は魔人の中では数少ない人間を庇護する立場をとっている。そんな彼女にしてみれば八人目の魔人の出現とそれが現実世界にもたらす影響を考えれば八人目を歓迎するわけにはいかないのだろう。


「姫さんのせいじゃねえよ。こういうもんは巡合わせだ。全部が全部思い通りに、予定通りに進むんなら、俺はそもそも存在してねえしな。まあ、仕事が増えんのはクソだが」


「……ありがとうございます、検閲官様」


 ……やはり、どの魔人も眠り姫に対してだけは態度が柔らかい。姫の愛嬌がそうさせているのか、それとも何かほかに裏設定でもあるのか……ここら辺はあとで先生に聞いてみるしかないか……ってそうだ、先生だ。欠席している二名、『英雄』と『陰謀論者』を除けば、この場で八人目に対するスタンスを明らかにしていないのは先生だけだ。


 というか、八人目の話題になってから先生は一度も口を開いていない。普段は聞いてもない機密情報とかをめちゃくちゃフランクに暴露しているというのに珍しい。


「先生、先生はどうするんですか?」


 埒が明かないので、先生に直接尋ねる。しかし、答えは返ってこない。先生にしては珍しく何かを考え込んでいるようだった。

 ……『死神』誘命にとっても八人目の魔人の出現はそれだけの重大事ということなのだろう。


「……先生、大丈夫ですか?」


「あ、ぼく? うん、問題ないよ。少し、久しぶりに考え事をしただけ」


 先生はやはりどこか遠い目をしている。ずっと昔のことを懐かしむような、あるいはもう二度とは取り戻せない何かを惜しむような、そんな表情だった。

 

 ……今世でも、現世でも先生のこんな顔は見たことがない。まるで人間のようなその横顔に、オレの思考は凍ったように停止した。


「ふふ、君こそ大丈夫かい? ぼくに見惚れて、会議どころじゃないみたいだけど。あー、困っちゃうなぁ、一応、師匠と弟子なんだけどなぁー、でも、禁断の関係はもえちゃうよネ、いろんな意味で」


「…………先生がいつも通りなのはよくわかりました。それで、どうなんです、八人目『観測者』については」


「八人目かぁ……どうなんだろうネ。ぼくとしてはどっちでもいいかな」


 オレの改めての問いに、先生はそう答える。

 解体局に籍を置いているうえに、オレの師匠なんてやってるから忘れがちだが、先生は別に人類を擁護する側というわけじゃない。原作において、今世においても、彼女のスタンスは独立独歩だ。より俗な言い方をすれば『今日はこういう気分だからこうする』程度の行動指針しかない。ムカつく相手がいればぶっ倒すし、気に入った相手がいれば助ける、原作でも今世でも誘命はそんな感じだ。


 だから、人類全体の問題も気分次第ではスルーする。積極的に世界をどうこうしようとはしないが、気分屋で行動が読めないのが先生の魔人としての本質といってもいい。


「でも、君は八人目が現れると困りそうだね。なら、ぼくも君の側だ。可愛い弟子の願いは聞いてあげたいしね」


「……どうも」


 ……結果論ではあるが、初めて先生の弟子になってよかったと思えた。全人類もオレに感謝してほしい。少なくともこの八人目の魔人の一件に関していえば『死神』は人類側だ。


 これでこの場にいる5人の魔人のうち3人が八人目の顕現に反対しているということになる。欠席してある二人にも投票権はあるようだから、その二人次第ではあるが、受け入れないという結果が出る可能性の方が高い。


 ……正直八人目の魔人を見てみたいか、見てみたくないかで言えば断然見てみたい。しかし、オレのオタクとしての欲求とこの世界の命運、妹たち、原作ヒロインたちを天秤にかけるわけにはいかない。

 いくら眠り姫の予知夢が百発百中といっても検閲官、死神、そして予知夢を見た当人である眠り姫、3人の魔人が協力すれば八人目の誕生を阻止できる可能性はある。


「では、決をとると致しましょう。問うのは八人目の魔人を許容するか、否かです」


 そうして、意見が出尽くしたところで、眠り姫の執事である『N』が全員に呼びかけた。

 同時に、それぞれの席の上に天秤が現れる。両側の皿には未知の言語でなにやら文字が刻まれており、読めるはずもないのに右が賛成を意味し、左が反対を意味すると理解できた。


 それを証明するかのように、先生の頭上の天秤が左に傾く。八人目の存在を許容しないということだ。


 次に傾いたのは検閲官と教授の天秤。検閲官のものは左に、教授のものは右に傾いた。

 

「ふん。今更問うまでもなかろうて」


 太母の天秤は右に傾く。想定通りだ。


 不在である二つの席の天秤もそれぞれに傾く。頭上に剣が吊るされた椅子は左に、不定形の椅子は右に傾いた。


 これで3対3。残る眠り姫の投票でこの会議の結論が決まる。


 最後の天秤が傾いた。


「…………アリアは八人目を迎え入れます。例えそのことで今の世界が滅ぶとしても」


 眠り姫の言葉が凍り付いたオレの思考に響く。彼女の顔には悲痛と慙愧がにじんでいた。


 天秤が傾いたのは、右側。こうして七公会議は八人目の魔人『観測者』を許容すると決したのだった。

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