第65話 八人目

 オレたちの座る席の右隣に現れた眠り姫は円卓全体を眺めると、心底楽しそうな顔で何度も頷いた。その様子は年相応の少女そのもので、とてもじゃないが、オレを瞬き一つで殺せるほどの強大な存在には見えなかった。


「――みなさま! 来てくださってアリアは嬉しく思います! 太母さま! 検閲官さま! 死神さま! アリアはお父様に代わっていっぱい『ありがとう』と言わせていただきます!」


 そんな印象を強めるように、先ほどの丁寧な挨拶とは対照的に眠り姫ことアリアは両手を広げてキラキラした笑顔で言った。


 先ほどまではいがみ合っていた魔人たちも一転、毒を抜かれたようだ。さっきまで殺気をむき出しにしていた太母なんて暢気に手を振り返したりしている。何というか不思議な光景だった。


 オレはというと、初めて目にした眠り姫の姿キャラデザに驚きと同時に感動を覚えていた。

 

 すばらしい、すばらしい造形だ。

 『眠り姫』という異名にぴったりな、白く美しい顔と髪。どこか浮世離れした印象を受けるのは、彼女のその純白がうっすらと輝きを放っているからだろう。蒼いドレスも幼い女の子の夢を具現化するように花々と宝石で彩られていた。

 正直、オレの中の勝手なイメージではもっと大人の姿を想像していたが、ロリもまた素晴らしいものだ……。


「あら? 今回は魔人アリアたち以外の方もいらしているのね? 人間の方かしら?」


 そんな素晴らしい眠り姫がオレに視線を向ける。蒼い宝石のような瞳に見つめられて、思わず背筋を正す。 

 いかん。あまりにもオタク特有の視線が無遠慮すぎたか? どう謝ればいい……? 一日に魔人を2人も怒らせるような事態は避けたいのだが……、


「まあ、本当に人間の方なのね? うれしい! アリアの世界に人間の方が来てくださるなんて、今日は記念日ね!」


 怒っているかと思いきや喜んでいる様子の眠り姫。そのことに安心するより先に、背筋が凍った。気に入られるのは、目をつけられるのよりまずい。


「アリア、ああいえ、わたしはアリア・ライラ・クライネンと申します。どうか、気軽にアリアと呼んでくださいましね、お客様」


 そう言ってオレに向かってほほ笑む眠り姫ことアリア。その笑顔の眩しさに思わず心まで絆されそうになるが、どうにか踏みとどまる。


 アリアに敵意がないのは確かだと思うが、先生もそうであるように、魔人のお気に入りになるのはあまりにも大変すぎる。世界を瞬き一つで滅ぼせる系の知り合いは今のところは1人で十分だ。

 

 ……だが、それを悪くないと思う自分オタクもいる。だって、普通に生きてたら七人の魔人の詳細設定について知る機会なんてないし……、


 いや、待て。今やオレの命はオレだけのものじゃないんだ。軽率はいけない。ここはこれ以上関心を買わないように椅子に縮こまって――、


「では、お客様。どうか、自己紹介をしてくださらない? アリアの世界に初めて来てくださった方のお名前を知りたいのです。どうか」


 そう言って眠り姫はにっこりとほほ笑む。魅了や洗脳、強制の異能の類は使われていないが、その笑顔には抗いがたい魅力があった。


 ……仕方ない。すでに関心を持たれているなら、今は機嫌を損ねないのが一番だと自分に言い聞かせた。


「……蘆屋道孝と申します」


「まあ! 素敵な響きのお名前だこと。日本ジパングの方ですか? アリア、日本ジパングの方とお会いするのは初めてです! 本当に黒い瞳と黒い髪をしてらっしゃるのね……不思議……」


 見た目の不思議さで言えば、オレより眠り姫本人や他の面子の方がよほど奇抜だ。

 …………だが、眠り姫が日本人を見るのは初めてというのは重要な情報だ。それに彼女は日本のことをジパングと言った。ここら辺から眠り姫が人間であった頃のプロフィールが絞り込めそうな気がする。


 くぅー、ここにゴールデンひまわりさんがいればなぁ! あの人にもこの情報を聞かせてあげたい! 思い出すぜ、ゴールデンひまわりさんとの考察の日々、一緒に同人誌を出すという目標は叶えられなかったが、今でもあの日々の楽しさと充実感はオレを支えている。


「ぼくの愛弟子さ、今回はぼくの補佐として同席してもらってる。構わないよね、姫」


「ええ! むしろ、アリアからはお礼を申し上げたいくらいです、命様。この世界で新しいお友達を得られることなんてそうあることじゃありませんもの……会議が終わったら、少しアリアとお話してくださる?」


「は、はい。オレでよければ……先生もいいですか?」


 オレの問いに『構わないよー』と軽い調子で答える先生。先生が許可するくらいだから危険性はないんだろうが、まあ、眠り姫のことを知れるのは悪くないか……、


 というか、いつのまにか友人認定されている。この世界の美少女は皆、距離感の詰め方がバグってんのか?

 しかし、話ってなんだろう? 魔人との世間話なんて想像もできないぞ。

 

「では、早速、会議を始めましょう、と思ったのですが、まだ『教授』のおじ様がいらしてないのね……大丈夫かしら? それに、『英雄』様も、『蜥蜴』のおじいさんもいらしてないようだけど、どうされたのかしら……」


 残る三つの空席を見て、悲しそうな顔をする眠り姫。

 ……空いている席はオレたちの左隣の『梟の意匠の椅子』、そのさらに左にある『ひとりでに揺れる安楽椅子』、そして左向かいにある『頭上に剣をつるされた椅子』だ。


 それぞれの椅子の意匠と二つ名からどれが誰のものか考察できないだろうか……? よし、せっかく機会だし、やってみるか……、


 そう思って張り切った瞬間、その声が響いた。


「――姫様。『英雄』様と『陰謀論者』様からは欠席とのお返事をいただいております。ですが、最後の投票には参加されるそうで」


 男の声だ。それも慇懃でありながら、胡散臭さを凝縮したような印象を受ける声だった。


 いつのまにか眠り姫の隣に声の主は立っていた。黒い執事服を完璧に着こなした『何か』。その頭部は影に覆われたように真っ黒でどんな顔をしているのか伺い知ることはできなかった。


 というか、なんだこいつ。マジで正体が分からない。オレの原作知識にないというだけじゃない、異能者としての感覚がこの男に対しては何一つとして働いていない。明らかに怪異、それも最上級の怪異だというのにそれを証明する情報がこの執事からは何一つとして感じ取れなかった。


「もう! 『N《ヌル》』、勝手に出てこないで! お客様が驚いてしまったじゃない!」


「これは失礼をば。申し訳ありません、お嬢様、お客様。しかし、いつまでもいらっしゃらない方をお待ちになられるお嬢様が不憫で仕方なく、こうしてお見苦しい姿をお見せしたのは忠心の表れとお許しいただきたく……」


 頭を下げる執事。執事の態度そのものには何の問題もないはずなのに、見ているものにどこか馬鹿にされているようなそんな気分を起こさせる。


 これがなんらかの異能の作用なのか、あるいはこの男の持つ雰囲気がそうさせるのかさえ、オレには分からない。

 ただはっきりしているのはこの執事がオレ程度に計り知れる存在ではない、という一点のみだ。


「まったくNったら、本当に口がうまいこと。アリアがそう言われたら許すしかないことも分かっているのでしょう?」


 眠り姫の言葉に、執事はさらに深々と頭を下げる。一瞬、にたりと笑う執事の顔を幻視した。


 ……何故だ。あの執事が現れて以降、じわじわと正気が削れていっている気がする。精神防壁の強度は最大限にあげているんだが……、


「それで、N、英雄様と蜥蜴のおじいさんが欠席されるのは分かったのですけど、おじ様はどうしたの? いらっしゃるの?」


「はい、姫様。教授からは遅れて到着するとご連絡を受けております。ですが、そろそろいらっしゃるかと」


 そして、来るのか、教授……滅茶苦茶会いたくないんだけど。

 先生との戦いの顛末は聞いているし、完全に消滅はさせなかったのは知っているから特に驚きはない。驚きはないが、危うく教授の実験体にされてBADENDになるところだったというのは記憶に新しい。


 というか、普通にトラウマだ。襲ってくることはないと分かっていても、できれば顔を合わせたくない。


『――すまナイ。遅れてシマッタようダ。まだこのカラダに慣れていなくテネ』


 そんなオレの考えを察したかのように、左隣に新たな声が現れた。

 この声には聞き覚えがある。間違いなく、あの『教授』のものだ。よりによって隣の席か……せめてもう少し遠い席にしてほしい。


 だが、席に座っているのは教授本人ではなくぜんまい仕掛けで動くロボットの玩具だ。それは歯車の歪むような音で、どうにか教授の声を再現していた。


「おじ様! お久しぶりです! でも、そのお体どうされたのです?」


『ナニ、大したことではないヨ。使える体をほとんど殺されてシマッテネ。どうにかあり合わせを着てきたというわけサ』


「まあ、酷い! どこの誰がそんなひどいことを……」


 眠り姫の言葉にさも自分は関係ありませんよという感じで視線を逸らす先生。この人にも気まずいとかそういう感情があることが今日一番の驚きかもしれない。


『おヤ、キみはあの時の探索者カ。また会えるトハ嬉しいヨ』


「…………どうも」


 しかもこっちに声をかけてくる。頼むからほっといてほしい。


『ソウ怯えなくてモイイ。小生にここで君をドウコウしようというイシハない』


「……なら、いいんですが」


 まるで信用できない。こうなれば先生に縋るしかない、そう思って身を寄せると先生は嬉しそうにしていた。

 ……なんかわざわざこのためにオレを連れてきたんじゃないかと疑いたくもなるが、事ここに至っては先生だけがオレの頼りだ。


「――では、皆さんが揃ったところで、今回の議題についてアリアから発表させていただきます。今回の議題は『』について。この円卓に座る八人目について皆で決定を下さなければなりません」



 今、なんと……? 


 この席に座る八人目が現れる、ということはつまり、八人目の魔人が現れるということだ。


 ……正直、完全に想定外な事態で驚くことさえできない。だってそれはなんでもありのこの『BABEL』の世界においてもあり得ないことだ。


 原作では魔人は七人、その数が増えることも減ることもない。そう設定されていた。もし、数が増えるか、あるいは減るかすればその時点でBABELの世界、オレの今生きている世界は崩壊すると原作者はインタビューで語っていたはずだ。


 八人目の魔人の出現はすなわち世界の終わり……だが、それを知っているっていうのに、オレは不謹慎にもワクワクが止められない。

 八人目の魔人が一体どんな存在なのか、どんな2つ名を持つのか。休むことないオタク脳がフル回転して、さまざまな妄想を生み出しては否定していた。


 ……でも、八人目の出現がの世界を壊すならオレは――、

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