第64話 七公会議

 円卓に現れた魔人『太母』は自らのドレスと同じ色の赤い不定形の椅子に座った。

 オレたちの位置から見ると向かい側の右から三番目の席だ。背後には三つ首の番犬が控え、六つの目でこちらを睨んでいた。


「血なまぐさいと思ったら、年増じゃないか。さすがに地球と同じくらい生きていると発言も婆臭くなるんだね。ねえ愛弟子」


 挑発的な笑みを浮かべてからオレに同意を求める先生。頼むからやめてほしい。マジでビビる。もう一人魔人に目をつけられるなんて今後の人生に差し障りありまくりだ。


 というか、魔人どころか背後の番犬だけでもオレの手に余る。

 ギリシャ神話におけるを放っているし、放つ魔力も最上級である神域のそれだ。


 怪異の力の源が人々の恐れであり、派生した怪異への畏れは原典へと還元される以上、原典となった伝説に近ければ近いほど強力な怪異になるのは道理だ。

 ましてや、その伝説そのものとなれば怪異としての等級は最上級であるAランク『神域』を通り越して、例外、分類不能を意味するEXクラス、『不可知域』に相当する。


 ……このケルベロスはその域に達している。だが、原典のケルベロスそのものではないはず。となれば、答えは一つしかない。

 おそらくこの怪物は。彼女の力がもし前世のオレとかつてのオタク仲間が考察した通りのものなら、原典と同等の力を持つ怪異を生みだすことも可能なはずだ。


 原作において、太母についての描写はない。だから、正確なことは何一つとしてわからない。わからないが、分からないなりにオレは前世において考察は重ねてきた。


 だってわくわくするからな。作中最強と設定されている『死神』誘命と同格の存在が後6人もいて明らかになっているのは異名だけ。そんなのオレのようなオタクには考察しろと言っているようなものだ。


 同志もたくさんいた。その筆頭がペンネーム『ゴールデンひまわり』さんだ。

 そのゴールデンひまわりさんとオレが太母について立てた仮説が一つある。


 それは太母はあらゆる怪異の母なのではないかという仮説だ。だから、ありとあらゆる怪異を自らの体から生み出すことができる、そんな能力があるのではないかとオレたちは考えた。

 そして、その考察はおそらく的中している。前世での知識に固執する危険性は把握しているが、あの背後のケルベロスはそうでないと説明がつかない。


 ……なんか、いい気分だ。オレたちの考察は的中していた、とゴールデンひまわりさんにも教えてあげたい。きっと顔文字連打で喜んでくれるはずだ。


「――無遠慮な視線よな。わらわに見惚れているのかえ?」

 

「――っ!」


 太母の朱い瞳がオレを捉える。しまったと思った時には遅い、その瞬間、思考が沸騰していた。


 湧き上がるの強烈な衝動。今すぐこの椅子から立ち上がり、あのおんなの元に走っていって、■してしまいたい。ああ、そうだ、そうしよう。そうしないといけない、それがオレの唯一の――、


「――ぐっ!」


 全力で自分の頬を引っ叩く。まだ衝動が消えないのでさらに2発叩いた。それでようやく少し正気が戻った。


 『魅了の魔眼』、それもオレの耐性や常に展開している防護結界を容易く突破するほどの強力な魔眼だ。

 

 しかも、太母は特段オレに意識を向けたわけじゃない、ただオレのことを見ただけだ。それだけのことで魔眼が発動し、オレは正気を失った。確実に殺されるとか、相手が魔人だとかそんな理性は一切働かなかった。

 

 しかし、オレは光のオタクだ。性欲に負けて原作未登場とは原作キャラに襲い掛かるようなことは絶対にできない。それこそ、死んだとしても、だ。

 だから、踏みとどまれた。紙一重のところだったが、オレはまだ光のオタクでいられるようだ。


「ほう? 母の魔眼を弾くとは。不遜な人間もいたものだ。だが、許そう。そなたもまた。少し近う寄れ。頭を撫ででやろう」


 再びの魅了に取り戻した正気がぐらつくが、一度くらって耐性ができたおかげでどうにか耐えられた。

 だが、今度は太母がこちらに意識を向けている。追撃が来ればそれこそひとたまりもない。


「人の弟子に色目を使うのはやめてくれるかな? ついイライラして暴力禁止ってルールを破りかねない」


 先生の一言が誘惑の視線を断ち切る。背筋が冷たくなり、おかげでオレは正気に戻ったが、太母の機嫌は完全に損ねることになった。


「母の意を阻むか、かび臭い地虫風情が。その上、不遜にも母を滅するつもりとは、親不孝も大概にせよ」


 その証拠にオレたちの向かい側に赤い靄が広まりつつある。

 中心には太母の座す赤色の椅子。靄の中は見えないが、何かが蠢いているのが分かる。


 怪異だ。それもあのケルベロスに匹敵する位階の怪異が次々と朱い靄の中で生まれているのだ。


「規則など母の知ったことではない。そうだ、良いことを考えたぞ。そなたを捕らえ、そなたの前でそなたの弟子をわらわのものとしよう。何秒今の己を保てるか、楽しみだのう」


「へえ。そっちからルールを破ってくれるなら助かるよ。こっちはほら、えーと素麺協定そうめんきょうていだ。人間のルールなら無罪放免になる」


「……正当防衛だと思います、先生」


「そうそれ! さすがぼくの弟子!」


 最後のいしか合っていないのは捨て置くとして、オレが現状頼れるのは先生だけだ。もう太母に目をつけられてしまった以上、どう太母を怒らせたとしても、先生の側につくしかない。

 もっとも、七人の魔人の一角である太母相手にオレができることなんて先生の応援くらいのものだが。


「そなたのさえずりは聞き飽きた。ゆけ、我が子らよ。母に供物をもっておいで」


 赤い靄が円卓全体を覆い、向かい側に座るオレたちにまで届く。

 

 先生の右手にはいつの間にか教授との戦いで見た鎌が握られている。

 オレも瞬時に魔力を漲らせ最大限の戦闘準備を整える。援護ができると思うほどうぬぼれていないが、せめて足手まといにならないだけの実力はある、と思いたい。


 赤い靄が迫る。内部にうごめく怪異が牙を剥き、オレ達へに襲い掛かり――、


「――そこまで」


 どこかで聞いたような声が響き、次の瞬間、赤い靄は消えていた。あとに残されるのは白い円卓だけ。まるでここでは


「……先生、なにかしました?」


「いや、ぼくじゃないよ。こいつだけは来ないだろ、って思ってたやつが来ただけさ」

 

 オレの質問に、先生はま向かいの席を指す。ある意味一番目立っていたオフィスチェアーが置かれている場所だ。


 そこにはいつの間にか男が座っていた。

 古ぼけたよれよれのスーツを着た男性。年のころは三十代後半ぐらいで、黒い髪の毛には寝癖がそのままになっている。ひどく草臥れた、頼りなくて、疲れ切った男。そんな印象を受ける人物だった。


 だが、オレはこの男が見た目通りの存在でないことを知っている。


 この男の名は『検閲官』。七人の魔人の一人にしてその正式名称を『時空検閲官』と言った。


「困るんだよね、こういうことされるとさ。魔人同士でのケンカなんてまじでやられたら、過労死しちまう。影響バグを修正する俺の身にもなってほしいね」


 そう言って『検閲官』はおもむろに円卓に足をのせると、タバコを吸い始める。紫煙をくゆらせるその姿はオレが原作で見た一枚絵そのものだった。


 『検閲官』はワンシーンのみだが原作に登場し、立ち絵もあった。その時はあるBADENDで主人公『土御門輪』が死んだことによる影響を処理しなければいけないと愚痴っているだけの出番だったが、彼の司る深異界も含めて深く印象に残っていた。


「……誰かと思えば新参者か。そなた、母に逆らう気か? わらわの子を消しよって」


「俺の母ちゃんは一人だよ。とうの昔に死んじまった。あんたはせいぜいひいひいひいひいひいばあちゃんだ。つまり、他人ってことさ」


 くわえ煙草の検閲官は太母の殺気にも微動だにしない。ずれた眼鏡を直すと、続けてこう言った。


「それにあんたの子は消えたんじゃない。俺がはじき出しただけだ。会議が終わり次第戻してやるよ」


「……その言葉、違えるなよ」


 そんな検閲官に毒気を抜かれたのか、太母も殺気を抑える。

 しかし、よせばいいのに、先生はオレの隣で太母に向けて舌を出していた。場が収まりかけたってのに何やってんだ、この人は。


「てめえもだ死神。俺は誰かの味方をする気はねえ。ていうか、てめえのことは俺も嫌いだ。1ページごとに書体の変わる書類みたいなもんだ、てめえは」


「なんでだよ。君の仕事を手伝ってあげてるくらいのつもりなんだけど? 失礼じゃないか」


 本気で拗ねている先生。しかし、今回の場合、理は検閲官にある。


 検閲官は魔人の中でも特殊な役割を持っている。その役割とは名前の通りの『検閲』だ。

 この世界を根底から覆しかねないような事実や知識、出来事を検閲し、管理するそれが彼の仕事だ。


 解体局の仕事をより広範に、かつスケールを大きくしたと思えばいい。ただし、異界の影響で世界が滅びるのは自然の成り行きの一部であるため、検閲官の管轄ではない。


 彼が検閲するのはありえるが、それが成立してしまってこの宇宙を根底から滅ぼしかねない事象だ。

 例えば『ありとあらゆる水分を瞬時に凍らせる物質の発明』や『熱量保存の法則を破綻させる分子の発見』といった事象を事前に検閲し、この宇宙の基本法則を維持するのが彼のあり方だ。


 なので、解体局にとっては味方とも敵ともいえない立ち位置の存在でもある。少なくとも自ら問題を起こすタイプではないため、危険視はされていない。


「よく言うぜ。俺の仕事の大半はおまえのせいで発生してんだぞ? この前の教授との一件で俺がどれだけ骨を折ったと思ってやがる」


「別にいいじゃないか。どうせ、あの狭い部屋じゃ暇だろうから娯楽を提供してあげてるんだよ、ぼくは」


「あのな、俺はお前らと違って好き好んで魔人になったわけじゃ――」


 検閲官がそう言いかけたところで、フルートと太鼓の音があたりに響く。とっさに音が響いた方向に視線を向けると、そこには新たな魔人が座っていた。


「――皆さま、いらっしゃいませ。アリアは皆さまを歓迎いたします」


 銀色の椅子、この世界に来た時に潜った扉と同じ素材から造られたその椅子には、一人の少女が座っていた。


 白銀の髪に、西洋人形のような整った顔。年のころは10代前半。蒼いフリルドレスには花の刺繡があり、宝石がちりばめられている。

 それこそこの『BABEL』の世界にも滅多に存在しない美少女だった。


 自己紹介されなくてもわかる。彼女こそが『眠り姫』。この深異界の主であり、今回の七公会談の主催者だ。

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