第63話 夢と現と
人の思い描く夢の世界の結実たる深異界『
その領域を支配する魔人の名前は『
もっとも、眠り姫がどう思っていたとしても彼女の司る異界が安全かどうかは全く別の話ではある。
夢にはあらゆる可能性がある。
本来、夢とは科学的には脳内で記憶を処理する過程において起こる現象に過ぎないものだが、この夢現境ではどんなことでも起こりうるのだ。
先生と共に銀の扉を潜ったオレの前に現れたこの花畑などがいい例だ。
咲き誇る花はすべてガラス製で、光を反射してさんざめくような輝きを放っている。
頭上を見上げれば星の配置がめちゃくちゃで、月を曳く天馬の馬車が空を横断していた。
さらにその空には向こうにはこちらを見つめる視線が確かにある。その視線と目が合いそうになり、オレは咄嗟に目を閉じた。
「うん。目を合わせるのはおすすめしない。アレは認識するだけでまずいものだからね。今の君じゃどうにもならない」
「……あの視線だけじゃないですよ。さっきから遠くにやばい気配ばっか感じてます。マジで頼みますよ、先生」
六占式盤を展開するまでもない。銀の扉を潜ってから遠くにも近くにも、とんでもない怪異が当たり前のようにうろついているのを感じる。さすがは深異界、オレが今まで経験した異界では比較対象にもならない。
魔人たちの集う七公会談にばかり意識がいってたが、この異界に集う怪異たちだけでも十分すぎるほどの脅威だ。一体倒すだけでもオレの全力を出し尽くす必要がある。
「任せて! でも、心配してるようなことにはならないと思うよ? あの子真面目だから自分の領域でゲストを襲うのなんて許さないだろうし」
「あの子っていうと、『眠り姫』ですか?」
「そ。あの子、ぼくより人間好きだし真面目だからね。会議の時も何かあれば庇ってくれると思うよ?」
「……そうですか」
オレと先生は硝子の花畑を進む。花を踏み割らないように気を付けながらゆっくりと歩いた。
……原作『BABEL』に直接登場、描写された魔人は『死神』、『教授』、『検閲官』の三人だけだ。今回七公会議を主催するという『眠り姫』に関しては設定のみが語られているだけだった。
それも分かっているのは、支配する深異界が『夢現境』であること。加えて、眠り姫が眠り続けており、時折、『夢』をみること。その二つだけだ。
問題は、その眠り姫が見るという『夢』。この夢はただの夢ではなく近い未来に起きるであろう可能性、それも確実に起こるであろうものを夢として見るという。
いわゆる予知夢だ。その的中率たるやすさまじく眠り姫の予知夢は一度として外れたことはない。直近では『99事変』の発生を予知し、古くは2度の世界大戦の発生とその顛末をも見たと設定資料にはあった。
今回の七公会議はそんな『眠り姫』の主催だ。ということは、彼女がなんらかの予知夢を見て、それで会議を招集した、そう考えていいだろう。
眠り姫の予知夢か……これまでの例を考えればいい出来事の予言だとは思えないが、正直なところ、ワクワクしている自分もいる。
だって、おそらく100万人は存在するBABELのファンの中で唯一このオレが原作者しか知らない未公開の魔人たちの姿を知ることができるんだ。まさしくオタク冥利に尽きるというものだ。
この夢現境の景色にしてもそうだ。こんな景色を見たことがあるのは、オタクどころか、人類全体の中でも片手で数えられる程度だ。全方位のオタクにマウントを取ることができる。
そう考えると、恐怖心も薄れてくる。写真を撮っておこうかなと思ったが、スマホはもってきてなかった。残念。
「お、いい顔になってきたじゃないか。やっぱり君の本質はそっちだね。うん、流石ぼくの弟子。大成するよー」
「そいつはどうも」
花畑を先生に後ろについて進んでいく。進めば進むほど、季節が変わるように花畑は輝きを増す。
少しずつ周囲の魔力は濃くなり、怪異の気配も強くなっていく。というか、ここまで深い異界になると一般人ではただ息をすることさえ難しい。オレでもかなり強めに強化をしていないとしんどいはずだが、不思議と平気だ。
先生のおかげだ。そう思うと前を行く背中が途端に頼もしいものに見えてきて、言うべきことがあることを思い出した。
「そういえば、先生、前回の探索では助かりました。おかげで死なずに済みました」
「え? うん。そっか、ぼく君たちを助けたんだったね。だから、君は感謝してる。うん、人間らしくて懐かしい。でも、気にしないでヨ。ぼくはぼくのしたいことをしているだけさ。それがたまたま今は先生の仕事で、先生としては弟子と生徒たちを助けるのは当然のことだからネ。まあ、今回は君を連れてくる口実にはしちゃったけど」
先生は振り返ることなくそう言って、ガラスの花畑を器用に歩いていく。さきほどまで大きく見えたその背中が少しだけ小さく見えた。
「……まあ、でも、先生が何を言ってもオレ達が感謝してることには変わりませんよ。助けられたのは確かですから」
それが嫌で先生の隣に追いつく。
魔人とは孤独な存在だ。どれだけ強大な力を持っていても、強大な力を持つからこそ、それは変わらない。
それこそ、オレ程度が隣を歩いたところで意味なんてない。だが、これはオレのオタクとしての矜持の問題だ。無駄だからなんてのは推しのために何かをしない理由にはならない。
「うん、君はそれでいいと思う。でも、そう言うわりにはあの後の食事会に呼んでくれなかったのはどうかと思うよ? あーあ、ぼくも君の家のお風呂に入りたかったなぁ」
「うぐっ!? あれは皆が勝手に来てただけで……というか、どこまで知ってるんですか先生」
「さあて、どこまでだろうねぇ? まあ、安心してよ! ぼく人間じゃないし淑女協定なんて知ったことじゃないからね!」
「…………それいつでも引っ掻き回すって宣言みたいなもんじゃないですか」
そんなことを話していると景色が変る。
硝子の花が途切れて、花畑の中心に広間が現れる。そこにあるのは巨大な円卓、白い見たことのない材質の石で造られたそのテーブルの周囲には七脚の椅子が並べられていた。
七脚の椅子もまた特徴的だ。黒い棺のような印象を受けるものもあれば、空間が歪んで椅子そのものが変化し続けているものもある。
……その一方で、この場で一番分不相応なのは黒い椅子の向かいに置かれた普通のオフィスに置かれているようなデスクチェアーだろうか。何の魔力も感じないが、それが逆に不気味だった。
「なんだ、ぼくが一番乗りか。相変わらず不真面目な奴ら。まあ、いいさ、先に座って待ってよ」
先生はそう言って棺のような椅子に腰かける。するとその隣にもう一つ、小さな黒い椅子が現れた。
「君も座りなよ。会議に従者を連れて来る奴もいるから問題ないし。それに、いつもぼくを寂しいいかず後家呼ばわりしてくるあの子沢山バカ年増に僕にも可愛い弟子ができたぞ! って自慢してやりたいからね!」
オレが椅子に座ると、先生がサムズアップしてくる。
どの魔人のことを言っているのかわからないが、オレ、そんな職場の同僚に彼氏を見せつけたいみたいな理由で連れてこられたのか……いや、彼氏はうぬぼれすぎだな。せいぜいがペットの犬か、猫だ。
「――
声が響く。傲岸でありながら聞くものの臓腑にまで響く、深く抑揚のあるそんな声。母なる大地がもし声を持つとしたらこんな声じゃないか、そんな声だった。
次の瞬間、円卓を挟んで向かい側の空間が赤色に罅割れる。古びたガラスをたたき割るような音の後、それは現れた。
「どこの馬の骨かと思えば、やはり、そなたか、暗き死。相も変わらず貧相な姿よな。ちゃんと、おまんまは食うておるのかえ? 母、心配」
赤いドレス、それも鮮血のよう鮮やかな赤を纏った美女。それだけでこの存在を形容できればどれだけよかったか。
豊満、あまりにも豊満。胸部の稜線はさながらエベレストのようで、臀部の山なりもまた同じほどに豊かで、黄金比とも言える完璧な肢体だった。
……いつものオレならこれほどの相手を目にしては冷静ではいられなかっただろう。
だが、この女が纏う気配。発する魔力の禍々しさ。そして、彼女の背後に傅く三本首の番犬がこの存在が何者であるかを物語っていた。
七人の魔人の一角、『太母』。あらゆる『地母神』の権能を継いだ生命の母なるものだ。
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