第62話 先生と一緒
死神こと、誘命による強制転移が完了した瞬間、オレは柔らかく冷たい何かの上に放り出された。
転移のせいで視力に異常でもきたしたのか視界がまっしろだ。くそ、一体どこだ、ここは……!
ていうか、寒っ!? 寒いというか凍る! マイナス何度だこれ!
それに、なんか空気が薄い……? 思考が鈍くなってきて手足が動かない。
「ああ、くそ! なんだってんだ!」
悪態をつきながら全身に魔力を漲らせて心肺機能を強化して、体温を上げる。基礎的な強化では根本的な解決にはならないが数分は持つはずだ。
ん? ……寒くて、空気が薄い? この下にあるふわふわが雪だとすると……まさかここ雪山か? しかも、相当な高度だぞ!?
それにこの視界。オレの視力に異常が出てるんじゃなくて吹雪でホワイトアウトしているんだ。
「せ、先生、どこですか!? オレ、このままだと死にます!」
「あ、ごめんごめん、君が人間だってこと忘れてた」
すぐそばで先生の声が聞こえるが、姿は見えない。パチンと指を鳴らす音が聞こえた。
次の瞬間、吹雪がやむ。寒さも感じなくなり、呼吸も楽になった。先生が周囲の空間を現実から切り離して保護してくれたのだろう。さらっとやっているが、普通の術師じゃ卒倒するレベルの高難度の術だ。オレでもやろうと思ったらかなりの下準備がいる。
「さて、落ち着いたかな? なら、周りを見てごらん。なかなか見られる景色じゃないヨ」
先生に言われて改めて周囲を見渡す。いきなりこんな雪山に連れてこられたことへの抗議さえも忘れてオレは目の前の光景に見入ってしまった。
オーロラだ。オレたちの立っている山頂と思しき地点の周囲にオーロラのヴェールが掛かっている。
そのオーロラの向こうには遮るものの何もない夜空が地平線まで続ている。まさしく世界の頂点とでも言うべき孤独な場所だった。
……ここはおそらく異界の中だ。それも異界深度はBからA。敵意や悪意こそ感じないが、人が踏み入ってはならない場所だということは直観的に理解できた。
だから、美しさと同時に禁忌を犯しているようなそんな後ろめたい気持ちになる。少なくともオレが場違いな存在であることは間違いない。
「どうだい? 悪くない景色だろ? ぼくは辛気臭いのは嫌いだけど、ここは気に入ってるんだ」
「……先生、まず事情を説明してもらえますか?」
オレの問いに、そういえば説明してなかった、みたいな感じで驚く先生。事情どころか、連れてきていいかという意志の確認さえされてないが、それはもういい。誘命がスーパー自己中な存在であることはよく知っている。
「ちょっと外せない予定が入っちゃってさ。でも、一人で行きたくないタイプの用事だったから、誰かついてきてくれないかなーって思ったんだ。そしたら、最近、君を弟子にしたのを思い出して、思わず、ネ」
思わず、で拉致られる側の気持ちになってほしい。だいたい、7人の魔人の一人である先生が断れない用事ってなんだ? だいたい、こんなどこかもわからないとんでもなく高い山の頂上で一体何を――、
「――まさか」
そこまで考えたところで、最悪の可能性が脳裏を過る。
山や海、それも前人未到の領域には異界が発生しやすいとはいえ、ここまでの深度の異界は珍しい。それに、この周囲のオーロラ……原作に同じ描写はなかったが、オレの持つ知識から推測はできる。
海溝の底にあるエアポケット。ある高層ビルのエレベーターからいける存在しない階層。そして、世界最高峰を誇る霊峰の山頂。この3つはとある『深異界』に繋がる入り口とされている。
その深異界の名は――、
「……ここ、
「お、気付いたんだ。それも前世の知識ってやつかな? うんうん、話が早いのはいいことだ」
夢現境とはその名の通り、夢と現実の境に存在する異界だ。現実に深く食い込み、もはや切除不能となってしまった深異界の一つであり、7人の魔人の一人が管理する領域でもある。
そして、この夢現境は他の異界とは違い、物理的な座標には存在せず人間の無意識領域、つまり、夢の中に存在する。
ようは夢の世界だ。人間であればだれでも夢を見る以上、この異界は強大で根絶することはできないが、夢である限り無意識の領域から他の場所に影響を及ぼすことはない。
逆に夢の中に存在する以上、肉体をもって夢現境に侵入するのは難しい。意識体で侵入するだけなら方法を知っていればそう難しくないんだが、肉体を持ったまま夢現境に入るにはさっき言った3つの入り口を見つけた上で、この異界の主に招かれなければならない。
「……そもそも夢現境は『眠り姫』の領域です。そんなところに一体何の用なんですか、先生」
「うん? 呼ばれたから行くだけだよ? まあ、定例会みたいなものさ。今回のは予定外だけどね」
そう気軽に言って、先生は先に進む。山の先端に立つとこちらを振り返ってこっちにおいでと優しく微笑んだ。
思わずくらっと来てしまうほどに素敵な笑顔だが、簡単には踏み込めない。というか、踏み込んだらヤバい。ここから先はオレみたいな人間が踏み込める領域じゃない。
オレは先生の言う定例会が何を意味するか知っている。もしオレの知識が正しいのなら今すぐここから逃げ出すべきだ。いや、『BABEL』のオタクとしてワクワクする気持ちもあるが、今回ばかりはやばすぎる。
「先生、まさかと思いますが、その定例会って、あなたの同類が揃うあれですか?」
「お、やっぱり知ってたね。でも、それに関しては内緒だよ? 解体局の上層部も知らない情報だからね。まあ、君の用心深さならあんまり心配してないけど」
転生者としてのオレが持つ前世の知識、とくに『BABEL』本編についての知識は有用だが、同時に厄ネタでもある。場合によっては命取りにもなりうる、先生はそう言うことが言いたいのだろうが、命取りというならこの状況がまさにそれだ。
『七公会議』、七人の魔人が一堂に会するその会合にはそんな名前が付けられている。この現実世界を揺るがす一大事に際してのみ執り行われ、魔人たち全体の方向性が決定される。
……原作においては、本編クリア後のおまけシナリオでその存在が語られるのみだったから、オレも実際に七公会議を目にしたことはない。ただ毎回毎回会議は大荒れで、場合によって魔人同士の戦いにまで発展するとされていた。
そんなものに巻き込まれて生きていられる自信はまったくない。ダンプカーのレースにママチャリで参加するようなもんだ。相手に悪意があろうがなかろうが巻き込まれてひき肉にされる。
「先生、オレは帰ります。会議は一人で行ってください。てか、帰らせてください。お願いします」
そういって頭を下げる。一応、先生の弟子にはなったが、背に腹は代えられない。七公会議にも大いに興味をそそられるが、それはまたの機会でいい。
「えー、一緒にきてよ! 頼むよー! ぼく、あいつら嫌いなんだよー! 嫌味ばっか言ってくるしさー!」
「勘弁してください! オレは貴方と違って人間なんですよ! まだ命は惜しいんですよ!」
「大丈夫だって! ぼくが守るし、会議の間は暴力禁止だから! よほどのことない限りは死なないよ!」
「よほどのことがあったら死ぬんじゃないですか! 勘弁してくださいよ!」
オレがごねていると、先生は拗ねたように頬を膨らませる。かわいいが絆されるわけにはいかない。
「じゃあ、師匠命令! 弟子としてぼくの会議の補助して! あと精神的にケアして、あいつらめんどくさいから!」
「そんな殺生な……」
「それに、このまえ『教授』から助けてあげたし、その借りを返すと思って、ネ? 頼むよぉ、ぼくがちゃんと守るからさぁ」
……確かに先生がいなければオレも含めて甲の全員と
あの時もきっちり助けてくれたわけだし、信用できるか、できないかで言えば先生は信用できる。
…………さっきはまたの機会と思ったが、七公会議を目にするチャンスを逃してもいいのかと聞かれれば逃したくない。ここで諦めたら、もう一生こんな機会は巡ってこないだろう。
それに個人的な興味を差し引いても、七公会議は基底現実、つまり、今ある現実を揺るがす事態に際して行われるもの。何が今この世界に起きているかについては知っておきたい。
………………ついでに言えば、先生にはなんだかかんだ世話になっているのにその借りを返せていないのも事実。本人は気にしてないだろうけど、こっちとしてはできる限りのことをしてあげたいという気持ちもある。
「……分かりました。でも、今回限りですよ」
「うん。君ならそう言ってくれると思ったよ」
嬉しそうに口角を緩める先生。妖艶だが、どこか子供っぽくて見入ってしまった。
……先生の笑顔は希少で、ヒロイン勢とはまた違った魅力がある。
「じゃ、早速行こうか。夢の世界に」
そういって、先生はオレに手を差し伸べる。彼女の背後にあるのは銀色の扉。その向こうには現ならぬ
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