第三章 かませ犬の夏休み 前編

第61話  美少女の館、もしくは文化部の部室

 魔人との遭遇に始まり、異界の報復機構『山本五郎左衛門』との戦闘と波乱ずくめの大異界『四辻商店街』の調査は、結果として探索者側には一人の犠牲もなく完了した。これほどの事態に出くわしながら、一人の殉職者も出なかったのは奇跡とも言うべき成果だ。


 しかし、現場に出るオレ達探索者にはそれでめでたしめでたしですんでも探索者たちを統括する解体局はそうはいかない。オレ達、特務探索小隊『甲』と『死神』誘命からの報告を受けた解体局日本支部の上層部は大混乱に陥った。


 なにせ、自分の領域テリトリーから動かないはずの七人の魔人の一角が国内の異界、それも解体局の管理する異界に出現したのだ。一体どうやって国境線の大結界を抜けたのか、なぜ直接遭遇するまでその存在を感知することができなかったのか、これらの原因究明と付随しての責任追及だけでも頭が痛くなるのを通り越して、脳が爆発するような事態だった。


 加えて今回の場合は、前代未聞の魔人同士の戦闘まで行われた。

 ただ存在するだけで世界を根底から揺るがす魔人同士の戦闘ともなれば及ぼす影響は計り知れない。戦闘そのものは隔離空間でおこなわれたものの、国内に存在する他の異界に一体どんな変化があったのか改めて調査を行わなければならない。


 現在、解体局が国内で確認している異界の数は約2000。それらの再調査に加えて、新たに発生する異界の調査、解体業務も増えることはあれど減ることはない。

                                                                                                                                                              

 対して、解体局に所属する国内の探索者の総数は1500人程度。平時でさえ解体局は人材不足だというのに、この事態に際して完全に人手が回らなくなった。

 つまり、夏休み前にして、解体局および聖塔学園は空前の繁忙期に突入。全探索員に対して緊急待機令が発令され、24時間いつでも出動できるようにとお達しがあった。


 なので、オレ達特務探索班『甲』もあの調査任務以降、二週間間休みなしで働いている。

 しかも、1日に1つの異界を解体するのではなく1日につき、3つもの異界を解体するはめになっている。流石に『甲』に原作でも一線級のメインヒロイン格が揃っているとはいえ、そんなことを続けていれば疲弊してくる。


 そこで、我々『甲』にも班員全員で待機でき、なおかつ体力の回復を計れる待機場所が必要という話になった。

 原作ではこの待機場所は学園の女子寮だったのが、学園敷地内に存在し、なおかつ、より出動用の扉の間に近く、待機場所として的確な場所があった。


 ……オレこと、蘆屋道孝の館だ。『いや、流石にオレにもプライベートが』という主張は完全に無視され、無事、我が家の居間は放課後の女子部活の部室の如し様相を呈することとなった。


「――もう一度! もう一度勝負ですわ!」


 そんな我が家の居間に、リーズの声が響く。上着を脱いですっかりリラックスモードの彼女の手にはゲームのコントローラーが握られ、目の前の大型モニターには誰もが一度はやったことがある某大乱闘ゲームが3‐0という無情な結果を表示していた。


 本日は金曜日、既に3つの異界を解体した後の夕方のことだ。本来、淑女協定に基づけば今日は凜の日なのだが、この二週間の間はあまりの忙しさに協定の施行は先延ばしにされていた。


 というか、仮に協定が効力を持っていても、凜の番だったらそんなに今とやっていることは変わらないだろうけど。


「別にいいけど、先にトレモ籠った方がいいんじゃない? 今のままだとリーズ、僕どころか、CPUにも勝てないよ?」


 絨毯の上に寝ころんだまま凜が言った。

 そもそも我が家にこのモニターとゲーム機を持ち込んだのはこいつであり、先ほどから『緑色の弟』を使ってリーズが操る『魔法使いのお姫様』を即死コンボでハメるというあくどいことをしていた。


 凜も凜で、ジャージ姿で完全にこの居間に馴染んでいる。片手でポテチを漁る後ろ姿など原作のクールキャラの面影はどこにもなく、お前の家かよっというツッコミをする気にもならない。

 

「あ、リンリン、そのポテチ、あーしにもプリーズ。あと、リズリズはキャラ変したほうがいいかも。姫は初心者向きじゃないし」


 少し離れたところで画面を見ているのは、先輩だ。両手にドーナッツを持っているのにポテチをどうやって食べるのか気になるが、まあ、かわいいからいいか。

 そんな先輩もだいぶ気を抜いているのかスカートのままあぐらをかいているので非常に目のやり場に困る。


「イヤですわ! わたくしはこの姫を極めると決めたのです! 少なくとも凜に勝つまでは他のキャラクターは使いません!」


「お、言うねぇ。でも、この学園最強と言われる僕の緑の悪魔に簡単に勝てるとは思わないことだね」


「もう一戦、もう一戦ですわ! 次こそ、このデジタルゲームの神髄を掴んで見せます!」


 負ければ負けるほど意固地になっていくリーズとますます楽しそうにそれをフルボッコにする凜。ある意味原作再現だし、楽しそうだから別にいいんだが、よく体力が持つな。あと、一応、緊急待機なのをこいつらわかってるんだろうが。


「…………リーズはまず基本システムを理解した方がいい。あと、凜、初心者相手にはめ技はご法度だし、学園で大乱闘やってるのオレとお前だけだからそんなに自慢になってないぞ」


 そして、オレは奥にあるソファーでダウンしている。できれば、風呂に入ってそのまま寝入りたいが、まだ緊急待機のローテが終わってないのでそれもできない。


 世界一の『BABEL』オタクを自他と共に認めるオレだが、流石に1日に3度も探索に出るのはさすがに疲労困憊だ。魔力的にはまだ3分の1ほど余ってるが、精神的な消耗はかなりある。


 今日最後に攻略した異界は深度Dの廃ホテルだった。うろついている怪異もよくいる悪霊で脅威度はそこまでじゃなかったのだが、ともかく数が多く、異界因であった悪霊の親玉を倒すまでだいぶ時間が掛かってしまった。


 それに、前の教授との遭遇のせいで余計な気を張る羽目になった。おかげで今日はもうこのソファーから1歩も動きたくない。


「随分疲れてますね。気を張る理由はわかりますが、少し緩めてもいいのでは?」


 そんなオレと対照的に、隣に腰かけているアオイはまだまだ元気いっぱいだ。

 恐るべき体力と戦闘能力だ。さっきの異界でも並みいる怪異を片っ端から一太刀で切り捨てていたし、明らかに原作での成長速度を凌駕する勢いで強くなっている。

 本人に理由を聞いても、「愛、ですね」としか答えてくれないから、あくまで推測だが変生によって得た『鬼』の力を自覚的に制御できていると見ていいだろう。


 これは原作アオイルートエンディング後のアオイとほぼ同じ状態だ。呪いが表に出ているか、出ていないかの違いこそあるものの、今のアオイはオレの知るかぎり最強の山縣アオイに近づきつつある。


 だが、強くなっているのはアオイだけじゃない。凜も、先輩も、リーズも明らかに強くなってきている。少なくとも原作における夏休み前の力量レベルは軽く凌駕する域に全員達している。懸念していた凜の運命視の魔眼も魔人との遭遇という困難の極みみたいな運命を乗り越えたことで成長しているし、結局、オレの原作蘇生計画は不要だったのかもしれない。


 無論、オレはまだ凜を主人公とした原作再現を諦めたわけじゃない。諦めたわけじゃないが、アオイとのあの夜のこともあって少しだけ考えを変えた。

 ことさら今を否定しないようにしつつ、手の届く限りの全部をハッピーエンドにする。それが原作をブレイクすることになるのなら、その責任も取る、それが今のオレの方針だ。

 

 頭の中にそんなのはただのいいとこどりだと言うオタクオレもいるにはいるが、ともかく今はそう決めた。こんな心情に至れたのは、やはり、アオイのおかげだ。


「どうしました、道孝。人の顔をじろじろ見て。ああ、惚れ直したのですね。いいことですよ、夫婦であっても相手のありがたみを忘れないのは」


「…………まあ、そんなところだ」


 オレがそう肯定すると、「そ、そうですか」と照れ顔をするアオイ。自分から攻める癖に攻められると弱いのがアオイだ。そんな防御力よわよわなところもまた、萌える。


 ……話が逸れた。

 ともかく、認めるのは非常に心苦しく、また光のオタクとして受け入れがたいことではあるが、アオイやみんながこの段階でここまで強くなっているのはオレの影響、もといオレの責任だ。


 ルート分岐で必ず死ぬ蘆屋道孝オレの立場としては、また光のオタクとして生きる者としては、この状況の良しあしは判断しがたい。だが、少なくとも彼女たちが強くなるのはこの愛する『BABEL』の世界にとってはよいことだ。


「……では、膝枕でもしますか? 世の連れ合いはそうして英気を養うと聞きますし」


「…………寝ちまいそうだからいい」


 光のオタクとしての自我と男としての欲を天秤にかけて前者を取る。非常に魅力的だが、今そんなことをすれば周りから集中砲火だし、なにより、いろんな意味で辛抱たまらなくなりそうだ。


 しかし、この緊急待機いつまで続くやら。今は彩芽も館が賑やかでいいとニコニコしているが、こんな生活長々続くと一番負担がかかるのはあいつだ。できればなんとかしてやりたいが、こればかりはどうにも……、


「ん?」


 そんなことを考えていると、全員の携帯が同時に通知を鳴らす。見れば解体局からのメッセージで、緊急待機令の解除の布告だった。


「……思ったより早かったな」


 ……なんというか狙ったようなタイミングだが、緊急待機が解除になること自体はありがたい。まあ、それもほかになにかやばい緊急事態が起きていなければの話だが……、


「えー、じゃあ、もうここでゲームできないの!? 合宿みたいで楽しいのに!?」

 

 本気で残念がっている凜。気持ちはわからんでもないが、やっぱり気を緩めすぎだ。


「リン。まずはここにいる全員が無事なことを喜びなさい。緊急待機で班員が誰も欠けずにいるなど本来そうあることではないのですよ」

 

 オレに代わってリーズが言ってくれる。高潔さを旨とするリーズの言葉は流石に堪えたらしく、凜は神妙な顔をしてからこう答えた。


「ごめん。つい、皆でいられるのが楽しくて、不用意なこと言っちゃった」


 本気で反省している様子の凜に、リーズも眦を下げる。こういった柔軟さは原作のリーズには見られなかった。これもまた一つの成長と言えるだろう。


「分かればよいのです。しかし、この勝負の決着はお預けです。またいずれ再戦を」


「うん。でも、大乱闘は僕の勝ちだよね? 10連勝しているし」

 

「諦めたらそこで勝負終了、という言葉がこの国にはあるではないですか。つまり、わたくしが諦めていない以上わたくしは負けていないのです」


 ふふんと誇らしげなリーズ。少しオレの知っている名言と違うが、なにかの歴史のある偉人の格言かなんかと勘違いしているんだろうな、たぶん。


「ま、今日のところはお暇してさ、また今度みんなで集まろうよ。アシヤンも彩芽ちゃんもあーしたちがずっと居座ってたんじゃ大変だろうし」


 さすが先輩だ。オレだけじゃなくて彩芽のことまで慮ってくれている。疲れている時はこういう細かな気遣いが身に染みるぜ。


「ではまた。いつでもとはいいませんが、時間が空いていれば歓迎しますよ」


 そして、唯一居座る気満々のアオイ。しれっとこの家の住人側の立場から発言している。


「…………うっかりスルーしてしまうところでしたわ。すでに淑女協定は施行されているのです。アオイ、抜け駆けは禁止ですわよ」


「そうだよ、山縣さんだけズルいよ! 泊るならみんなでお泊り会しようよ!」


 まっとうに突っ込んでいるリーズと天然で事態をひっかきまわしかねない凜。


「私が私の家にいることの何が抜け駆けだと? 悔しかったら貴方がたもここに越してくればいいのです。まあ、無理でしょうけど」


 そんな二人に勝ち誇るアオイ。ちなみにアオイの引っ越しは済んだところか、まだ始まってさえいないのでぜんぜんこの館の住人ではない。


「えと、アオアオの引っ越しってまだだよね?」


「……バレましたか」


 先輩に言われて、悔しそうに認めるアオイ。深々とため息を吐くと、やれやれしかたがありませんねと言わんばかりの態度で立ち上がった。

 

……一応、淑女協定が機能しているようで何よりだ。それに、こんなんでもみんなかなり仲良くなっているし、探索時の連携も上達していっているのでオレから言えることは特にない。


「そういえばアオイ、この前いいコスメを仕入れたのですが、試してみますか?」


「そうですね。いい機会ですし、お願いします」


 アオイとリーズは荷物をまとめながらそんなことを話している。先ほどとは一転して、微笑ましいやり取りにオレの体はソファーに沈み込む。こういう時はクッションの一部になって見ていたい。


「わかりましたわ。ふふ、楽しみですわね。あ、そうですわ、ホノカとついでにリンもどうです?」


「えいいの? そりゃあーしはコスメも好きだけど……」


「遠慮なさらないで。このリーズリット、器の狭いことは申しませんわ」


「さすがリーズだね。でも、僕は何でついでなの……?」


「それは……貴方だからですわ」


 そんなやり取りをソファーのクッションになりたいと思いながら眺めていると、ドアの向こうから足音が聞こえてくる。

 妙だ。彩芽のじゃない。でも、家の結界に誰かが入った感じはなかった。


「――これは」


 警戒心をあらわに上体を起こすと、その動作だけで全員が事態を察して扉の方を向いた。

 果たして扉の向こうから現れたのは――、


「――みんなお疲れ!」 


 オレの館の居間に現れたのは、『死神』こと誘命いざないみこと先生だ。

 先生は驚いているオレたちを見渡すと、誰かが反応するより先にオレの方へと跳ぶように近づいてきた。


「でも、話してる暇がないからさっそく彼のこと借りてくネ!」


「は、はい!?」


 死神に抱き着かれる。その次の瞬間には周囲の景色が暗転し、身体が吸い込まれるような感覚を味わう。

 ……覚えのある感覚だ。紛れもない転移の予兆。なにやら先生がまた厄介ごとを持ち込んでくれたことは明らかだった。



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