第46話 蘆屋盈瑠の思い出と後悔

 目の前の看板には『昔日映我堂せきじつえいがどう』と書かれている。その名の通りに、古ぼけた映画館の外見をした異界にオレは足を踏み入れた。

 本来はここに用はないのだが、調査中に盈瑠みちるがふらふらと入っていってしまったのでそれを追ってきたのだ。


 といっても、この『昔日映我堂』に危険性はない。ここがこの世界でも数少ない善意によって作られた異界だからだ。


 異界は人間の認知の歪みから生じるものであり、歪みの元となるのは強い感情だ。

 であるからして、異界は畏怖や憎しみ、悪意といったマイナスの感情を伴って噂から形作られることが多い。


 しかし、噂というのは必ずしも悪い噂ばかりとは限らないように、異界の中には人の善意や好意、憧れをもとに生じたものもある。

 『昔日映我堂せきじつえいがどう』はそんな異界の一つだ。


 この異界の元となったのは深夜、閉館後の映画館で放映される奇妙な映画についての噂だ。

 深夜二時、レイトショーの放映が終わった後も居残っている客がいると突然、映画が始まる。その映画は観客の過去、それも忘れたくても忘れられない過去を映し出したものであり、それを見たものはその過去から解放されるという。


 そんな噂に込められた感情は、救われたいという願いであり、誰かが救われていてほしいという善意だ。だから、その噂をもとに成立したこの『昔日映我堂せきじつえいがどう』には人の過去を清算し、解放する力がある。


 その仕組みとしてはこんな感じだ。

 噂通り、『昔日映我堂』で放映される映画は普通の映画じゃない。放映されるのは、この異界に迷い込んだ人間の過去、それも最も大切な過去と最もやり直したいと願う過去の二つを映画として編集したものだ。


 編集される過去は『過去の事実』そのものではなくあくまで当人の記憶であるため、正確性に欠けるし、記憶に過ぎないので過去改変の余地はない。ただ過去を見せて、二時間ほどの時間を奪うだけの害のない異界、そう言い切ることもできる。


 けれど、この映我堂で己の過去と向き合ったものは、自身のトラウマや後悔とある程度の折り合いをつけられるようになって出てくる。

 心理学におけるカタルシス効果、つまり、心中に閉じ込めていた過去と向かい合うことで心的負荷が軽減する、と同じ効果が得られているのだ。


 そのうえ、実際のカウンセリング等とは違い、意思のない異界が相手であるため相性の差がない。

 また映我堂自体に今オレたちが調査中である四辻商店街全体と同じく懐かしや穏やかさ等のプラスの感情を誘引する力があるため、得られる効果も大きくなりやすい。


 この効果に関しては解体局の調査部門の実験でも実証されていて、トラウマを負った探索者の中でも軽度のものはこの『映我堂』での映画鑑賞を推奨されるくらい解体局はこの映画館を重宝している。


 最後に映我館に入る場合は、一人ではなく二人での入館が推奨される。過去を映し出される観客は上映後は精神的疲労から虚脱状態になることがあるため、第三者が連れ出す必要があるのだ。


 そして、今回の場合は、オレがその第三者の役割を担う。


 映我堂のロビーには映画館特有の空調の利いた澄んだ空気が満ちている。深く息を吸い込むとここには存在しないはずのポップコーンの匂いがして、不謹慎にもワクワクしてしまう。この異界の効果の一つだ。どんなひねくれものでもここに来ると懐かしさを感じさせる匂いや雰囲気に心を開きやすくなる。


 周囲には映画の時間を待っている無数の靄のような影。この映我堂で発生した低級の怪異だ。彼らは人に害をなすことはなく、ただこの映画館に集った観客のようにふるまう。


 唯一開いている一番スクリーンの上には、『蘆屋盈瑠の思い出と後悔』と放映される映画のタイトルが書かれていた。


『――もうすぐ、映画が上映されます。席にお座りになり、ごゆるりとお楽しみください』


 一番スクリーンに入ると、薄暗い劇場にアナウンスが響く。聞いたことのあるいい声だ、というか、学園でのアナウンスの声と一緒だ。


 最初原作をプレイした時、なんだ予算の都合で声優さんを使いまわしたのかとしか思わなかったが、設定集には人によって聞こえる声が違うとあった。その人にとってもっとも親しみ深くリラックスできる声が流れるようになっているのだ。


 そう考えるとオレはやはり根っからの『BABEL』オタクらしい。誇らしいな。


 しかし、まだ映画は始まっていなかったか。ついてるな。映画が始まると異界の出口が放映終了まで閉じるから、連れだすなら今しかない。


 客席をざっと眺めて、ど真ん中の一番いい席に盈瑠みちるを見つける。階段を降りて行って、すぐ隣にまで移動した。


「おい、外に出るぞ。映画は別の機会にしろ」


「……嫌や。うちは見る」


 盈瑠はこちらに視線を向けることさえしない。ただ一点、これから映画が始まろうとしている真っ白なスクリーンだけを見つめていた。

 完全に異界に意識を引っ張られている。一般人ならまだしも盈瑠のような探索者がこうなるのは珍しい。


「なら、オレも見るぞ。嫌だろ、オレに過去を見られるの。さ、出るぞ」

 

「好きにしたらええやん。うちは動かん」


 オレの言葉に盈瑠は拳を握るだけで動こうとはしない。てこでも動かないつもりのようだ。


 オレのことを嫌っている盈瑠みちるとしては自分の過去をオレに直接見られるなんて最悪のはずだが、どうやらそれでもなお、映画を見たいという気持ちが勝るらしい。

 こいつにそうまでして払しょくしたい過去があるとは意外だ。


 スクリーンでは放映開始までのカウントが始まっている。今から強引に引っ張っていくのは諦めるしかないか。

 ……観念するしかないか。覚悟を決めて、盈瑠の右隣の席に深々と腰掛ける。あとでなんか言われた時は凜のせいにしよう。


 そうして、カウントが終わり、明かりが消える。一瞬の暗闇の後で、スクリーンは盈瑠の過去を映画として映し出した。



SIDE 昔日の映写機


 今より、10年と少し前、蘆屋道孝がとなる以前のことだ。


 盈瑠はまだ4歳だった。

 毎年、夏に本家の社で行われる『星祭り』。そこで娘の異能の才があると託宣が下り、居並ぶ親戚たちの前で自分を抱え上げて喜ぶ両親の姿を盈瑠は記憶している。


 そんな両親のことが嬉しくて、盈瑠は初めて式神を作った。社に置いてあった紙の人形を魔力で駆動させた程度のものだったが、両親はおろか普段は死んだように動かない老人たちでさえ目を見開いていて、盈瑠は心の底から誇らしかった。

 

『この子の産む子はきっと男子だ、それも異能の才を持った優れた子が生まれる。我が一族は安泰だ』


 だが、そんな父親の言葉を聞いた瞬間、思い出はその価値を失った。

 当時から盈瑠は今の彼女とほとんど遜色ない知性と自我を確立していた。異能者としての才を強く持つにはよくあることではある。人より広い知覚を持つということは人より多くを知るということであり、人より多くを知るということは無垢な子供ではいられないということだからだ。


 だから、両親が喜んでいたのは娘の成長ではなく娘の才とその未来がもたらす利益でしかなかったのだと盈瑠には理解できてしまった。


 道孝と引き合わされたのはその夏のことだった。


「あんたが、うちのあにさまなん? うちのこと、だいじにしてくれる?」


 親戚に連れてこられた少年。利発そうだが、それ以上に生意気そうに見えるその少年に、盈瑠はまずそう聞いた。

 心の中では、きっとこの子も自分のことなどどうでもいいと半ばあきらめていた。それでも、淡い期待を込めて問いを口にしていた。


「うん。ぼくはきょうからほんけでおせわになるからおまえはぼくのいもうとだ。かぞくだからだいじにする」

 

 道孝の答えは盈瑠の満足するものだった。才があるからでも、本家の娘だからでもなく、単純に『家族』という響きを盈瑠は求めていた。


 それからのその言葉通り、蘆屋道孝と蘆屋盈瑠は実の兄妹のように親しくなった。分家の男子と本家の女子という身分の差こそがあったが、ともに幼くして異能の才を発現していた二人は自然と共に過ごすことが多く、不思議と気が合った。


『あにさまはほんとうこどもやね。すなおで、たんじゅんで、ほんとう、わかりやすい。でも、うちはあにさまのそんなところがすき』


 盈瑠にとって道孝はだった。

 おだてれば調子に乗り、貶せば反発し、慕えば応えてくれる。そんな分かりやすい相手。周りの大人たちが本心では盈瑠を次々代の道摩法師を生む母胎としてしか見ていない中で、幼い道孝だけは盈瑠をただの妹として扱っていた。


 子供の無知を前提としてのみ成り立つ歪な関係だったが、それでも盈瑠は兄とともにいるときだけは子供でいられた。盈瑠にとっては忘れがたい夏の思い出だった。


 けれど、幸福な時に限って長くは続かない。次の夏、再会した道孝あにはもう道孝ではなかった。

 煽てても調子乗らず、媚びても見透かし、貶しても取り合ってくれなくなった。


 そして、誰に対しても。使用人に対しても、式神に対しても、異能の使えない本物の妹に対してまで道孝は優しく接していた。

 以前の道孝に他者に対する労りなどなかった。使用人に対する態度は横柄そのもの。式神はただの駒として扱い、異能の使えない役立たずなどいないものとして扱っていた。


 唯一の例外は、自分を慕う相手。つまり、盈瑠だけ。それが誰に対しても優しくなるなど不気味で――、


 いや、違う。盈瑠にとって何より耐え難かったのは自分にだけ向けられていたものが他の誰かに向けられるようになってしまったことだ。扱いやすかった兄はいつのまにか、彼女のものではなくなっていた。その事実がなによりも盈瑠を苛んだ。


 兄は変わった。盈瑠はその事実を否定できるほど子供でもなければ、受け入れられるほど大人でもなかった。

 盈瑠にできたのはそれまでと同じように道孝と接することだけ。いくら高い知性と確立された自我があっても狭い世界で生きている盈瑠に対人関係の蓄積などあろうはずもなかった。


『でも、うちのあにさまはすごいんや。だれにもまけないすごいじゅつしなんや。いつかうちといっしょにあしやのおいえをもりたてるってかあさまがいってたんや。だから、いつかは、うちのところにかえってくるんや。そうにきまってるんや』

 

 一方、術師として強くなり、功績を積み上げていく道孝を目にし、そのことを実感したことで盈瑠の中での兄への慕情は強くなっていった。

 強く、皆に畏れられる道孝あにのことが誇らしかった。自分のように期待に応えるだけではなく、周囲からの圧迫さえものともしない清々しいあり方に憧れもした。


 そうして、一つの夏が過ぎて、やがてまた屋敷の軒先にツバメが帰ってくる季節になった。毎年この季節、道孝は蘆屋の本家に里帰りする。それを盈瑠は毎年待っていた。


 だが、今度は道孝ではなく周りの大人たちが変った。それまで繋ぎの当主候補として嘲りつつも丁寧に扱っていたのに、道孝を明確に恐れ、疎むようになった。生活面においても、修練の場においても公然と嫌がらせさえするようになった。


 盈瑠には大人たちの行動、そこにある恐れや妬みが理解できなかった。

 大人たちが道孝への態度を変えたのは、彼が強くなったからだ。最年少で相伝の式神を調伏したからだ。予定よりも道孝が優秀だった、ただそれだけのことで大人たちは手のひらを返した。


 盈瑠に言わせればそんなものは大した才も持たない凡愚の僻みにすぎない。

 次の道摩法師の才が際立っていることになんの問題があるのか。身内での権力争いや因習なんてものは家が存在していて初めて成り立つものであって、異能者が数を減らしつつある現代において、そんなことに拘泥するのは百害あって一利なしとさえ思っていた。


 いや、これは盈瑠が後から自分の内心を隠すためにとって付けた理屈でしかない。


 盈瑠は変わってしまっても道孝のことを兄として慕っていた。蘆屋の麒麟児、初代道摩法師の再来、道孝に関する大仰な噂を耳にするたび、心の中では強い兄への慕情と自分を見てほしいという願望は強まるばかりだった。


 けれど、それを素直に表に出せるような環境は盈瑠の周囲にはなかった。もし、兄の味方をしてしまえば自分の立場がどうなるか、それを考えることが当時の盈瑠にはすでにできてしまっていた。


 盈瑠が口を紡いでいる間にも、道孝はどんどん強くなっていった。盈瑠も鍛錬を怠ったことはなかったけれど、それでも、2人の距離は開いていくばかりだった。


 そうしてある年の元旦に、その距離は決定的な断絶へと変わった。


 いつも通りに晴れ着を着ての新年のあいさつ、久しぶりに道孝の顔が見られると内心は弾んでいた。きっと前に会った時よりも強くなっているはず、今年こそは昔の自分たちに戻れるのではない、かと。


 そうして、そんな自分をごまかすように庭を眺めて、その光景を見てしまった。

 

 すいませんすいませんと繰り返してうずくまる彩芽とその周りに立ってニタニタと笑っている年上の従兄たち。


 彩芽は怪我をしている。それもただの怪我じゃない。従兄の誰かが面白半分で呪いをかけたのだ。


 瞬間、思考が怒りで沸騰した。拳を握り、白い足袋をぬかるみで汚しながら、はしたなく大股で従兄たちに歩み寄る。おはしょりが乱れるが、そんなことは気にしなかった。

 異能者でありながらこんな下らないことに異能を使うことは盈瑠の矜持に反している。そんな蛮行を血のつながった身内が行っているとなればなおさら許容できなかった。


「――やめろ!」

 

 そう叫べていればどれだけよかったか。

 従兄たちを蹴散らそうとしたその瞬間、盈瑠の脳裏にある感情が過る。


 それは今まで目を逸らしてきたもの、心が疼くたびに意識しないようにしてきた暗くて粘ついた感情。嫉妬だ。


 どうして自分ではなく彩芽が。どうして異能者である自分ではなく役立たずが。どうして自分も妹なのに、妹だと言ってくれたのに彩芽だけが……そんな心が彼女の喉を、指を、心を縛った。


 それでも、逡巡は数秒程度。だが、それだけの時間が盈瑠に消えない後悔を刻んだ。


 次の瞬間、従兄たちの首に木の枝のようなものが巻き付いていた。それらはその気になれば一瞬で従兄たちの首をへし折れるだろうに、術者の技量の差を見せつけるようにゆっくりと彼らの首を締めあげていった。


 いつのまにか彩芽の側には道孝が立っていた。発せられる気配、魔力の波は彼の力の隔絶レベルと怒りの激しさを物語っていた。


「――彩芽。すぐに治してやるからな」


 だというのに、彩芽に触れる道孝の所作は慈しみと優しさに満ちている。本気で妹のことを心配し、家族として愛情を向けているのが盈瑠にはわかってしまった。


 そして、もう道孝の世界には自分は存在していないこと、失ってしまったものはもう二度と手に入らないことを、聡明な彼女は思い知った。


 絶望と挫折、その二つが蘆屋盈瑠の幼少期を本当の意味で終わらせた。もう、盈瑠がツバメを待つことはなくなった。

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