第47話 もう一人の妹
SIDE 蘆屋道孝
映画が終わり、シアターに明かりが灯る。
映画がどんな出来であれ、この瞬間には一抹の寂しさと喪失感がある。しかし、その映画が自分に対する告発のようなものとなれば湧き上がる感情は全く別だ。何とも言えない罪悪感と気まずさがシアター内を支配していた。
映画が終わればその内容について家族や友人と話す、それは映画鑑賞のだいご味の一つなのだろうが、今回に関しては言葉を発するさえできない。いや、許されないというべきか。それほどまでに今この場に横たわる空気は重たく沈んでいた。
それでも、覚悟を決めて隣を見やる。盈瑠の横顔には何の表情も浮かんでいない。そのことが逆に不気味だった。
「――っ」
奥歯をかみしめるギリギリとした音が聞こえる。それが涙をこらえているのか、あるいは殺意を我慢しているのか、もしくは羞恥に耐えているのかはオレには分からない。
オレのせい、ではあるのだと思う。
盈瑠の過去におけるオレの行動に関しては間違ったことは何一つとしてしてないと断言できる。
できるが、確かに、盈瑠を慮る余裕はなかった。というか、鍛えるのと彩芽を守るのに必死で他の人間のことは意図して意識から締め出していた。
それに映画の中では道孝はある時を境に別人のようになったと言われていたが、実際、原作の蘆屋道孝と
そうなったところで誰かが悲しむことなんてないと、蘆屋道孝が相手なら別にどうでもいいと自分に言い聞かせていたが、ここに悲しんでいるものがいた。
であれば、オレは自分の罪と向き合わなきゃならない。望んだことではないとはいえ、オレは人一人を殺したようなものなのだから。
しかし、オレの罪の在処は今はいい。重要なのは盈瑠のことだ。
映画を見た後であれば、学園に来てからの行動も納得できるものではある。
喧嘩を売ってきたのだって、兄と慕った相手に対等だと認めてほしくてやったのだとしたらかわいげがあるし、彩芽に対する態度も今思えば見下しているというよりは嫉妬心の表れだったのだろう。
そう考えると、オレは本当にひどいやつだ。まともに勝負しないし、大人げなく皮肉で言い返すし、知らなかったとはいえ、盈瑠からすれば最低の兄貴だ。
だから、盈瑠ことはオレに責任がある。何とかしてやりたいとは思う。思うのだが、なんと言えばいいのかわからん。
今の盈瑠の状態はオレには想像できないほどにきついはずだ。
なにせ、一番見られたくない過去を一番見られたくない
オレが何を言ったところで火に油を注ぐ結果になる未来しか見えない。
というか、どう考えてもオレはここにいない方がいい。オレがいても盈瑠を苦しめるだけだ。
「……あー、あれだ、先に出てるぞ……って」
そう思い立ち上がると、袖を強い力で盈瑠に引っ張られる。
といっても、女子の握力だ。その気になれば振り切るのは簡単だが、それもできない。
映画を見る前のオレなら平気でやれたんだろうが、今はどうにもできない。
「……わかったよ」
ため息をこらえて、椅子に座る。何を言えばいいか思いつかないし、こうして行くなと言われるし、観念して付き合うしかないらしい。
映画の上映時間は1時間半程度だから時間的な余裕はまだある。少しくらいは盈瑠に付き合っても大丈夫だ。
長い沈黙が映画館に訪れる。死ぬほど気まずい。できることなら逃げ出したいがさすがにひどすぎるので今は待つしかない。
凜がオレに行けと言った以上は、オレが行くことで何かプラスになるはずなのだが、現状オレが行ってプラスになったことがあるとは思えない。
かといって、オレが謝るというのも違う気がする。本心から出たわけでもない薄っぺらい謝罪では盈瑠にとっては何の意味もないだろう。
……いっそ本当のことを打ち明けるか? オレが蘆屋道孝そのものではなくどこの馬の骨とも分からない転生者だと知れば、盈瑠はオレのことを本心から憎むことができる。今更だが、それも兄貴としての責任の取り方の一つだ。
筋違いの後悔や未練よりはそちらの方がよほど健康的だ。問題は、盈瑠がそのことを本家の連中に話した場合だ。そうなるとオレだけじゃなくて彩芽まで危険にさらしかねないが……そこは先生に頼るか。予定とはだいぶ変わるし、でかい借りを作ることになるが、彩芽の安全を確保するためなら――、
「…………兄様は、なんで強くなったん?」
オレが話し出すより先に涙にかすれた声で、盈瑠が言った。
なんで強くなった、か。本当は何で自分を置いて変わってしまったのか、そう聞きたいのだろう。だが、盈瑠にそれはできない。プライドやしがらみ、経験や感情、そういったねじくれは怪異にならずとも人を容易く縛り付ける。
「……オレは死にたくない。だから、鍛えたし、彩芽を守るにはその方が都合がいいっていうのもある」
「……都合がいいってなんや。やっぱり、兄様はうちのこと敵やと思うとるんやね」
盈瑠の声には悔しさと悲しさがにじんでいる。両の拳を指先が白くなるほどに強く握り込んでいた。
オレの立場から言えば、本家の連中は全員敵だ。命を狙われているし、彩芽にしたことを思えば、全員地獄に叩き落したいと今も思っている。
それに関しては誤魔化すつもりはない。慕っていた兄に敵だと思われているのは相当にきついだろうが、ここで嘘をつくのはダメだ。
今更かもしれないが、こればかりは『兄貴』としての最低限の一線だ。
「そうだな。さっきまではそう思ってた」
「……やっぱり」
「でも、今は違う。少なくともお前に関しては、家族だと思ってる。それこそ、身勝手な話だがな」
だから、いつも通り正直にオレはオレの本心を口にする。その結果、嫌われようが、憎まれようが、嘘をつくよりはいい。
そんなオレの言葉に、盈瑠は少しだけ拳を開く。
「それに強くなった理由だが、まだもう一つある」
「…………慰めはいらん」
「まあ、聞け。別にお前や本家の連中を敵だと思ってたってだけの話じゃないんだ」
盈瑠がこちらを見る。涙に濡れた瞳と正面から向かい合い、オレはこう口にした。
「『もったいない』、そう思ったんだ」
「もったいない……?」
「ああ、才能も環境もあるのにきちんと鍛えないなんて宝の持ち腐れだ。どうせならやれるだけ強くなってみたい、そう思ったから鍛えた。それだけの話だ」
オレの本心に、盈瑠はキョトンとした顔をする。そうして、悲しみやら口惜しさやら馬鹿々々しさやらがいろいろないまぜになった表情を浮かべた後、突然くすくすと笑いだした。
オレのせいでなんかおかしくなってしまったのかと思ったが、盈瑠の顔を見るとどこか清々しい顔をしていた。
「……何かおかしかったか?」
「あぁおかしいわ! そんな馬鹿馬鹿しい理由言われたら、真面目に悩んどるこっちの方がバカに思えてくるわ! なんでこんな奴のせいで悩んでたんやろってな!」
それだけ言うと立ち上がって、オレに背を向ける盈瑠。
こいつなりに折り合いをつけたらしい。確かに自分が死ぬほど気にしていることを相手がそこまで気にしてないと知った時は途端にいろんなものが馬鹿々々しくなったりもする。
だが、それは必ずしも悪いことじゃない。少なくとも一度そう思えてしまえば長々悩む理由はなくなる。
盈瑠の場合、彼女を悩ませていたのはオレが強くなった、いや、変わった理由だ。
自分のことを嫌いになってしまったのか、もしかしたら、何か良くないことをしてしまったのかもしれない。そんな考えても考えても答えの出ない難問に悩まされてきたのだ。
だが、オレの答えは結局盈瑠には関係のないシンプルなものでしかない。だから、少しだけすっきりすることができたのだろう。
……オレはやっぱり卑怯者のくそったれだな。盈瑠にお前の知る蘆屋道孝と今のオレは完全な別人だとそう告げることもできたのに、そうする勇気がない。彩芽のためだ、という言い訳は今は使いたくなかった。
「…………ねえ、兄様。兄様は、本家をどうするつもりなん?」
オレが自分の感情に折り合いをつけようとしていると、少しだけ振り向いて盈瑠が言った。
……何とも答えにくい質問だが、こちらに関しては嘘をつく理由もない。
「何も決めてない。ただ、オレやオレの大事なものに手を出してくるんなら相応の覚悟をしてもらう。そいつだけは確かだ」
「……そか」
聞くだけ聞いて去っていこうとする盈瑠。その背中がなんとも寂しそうで、オレは気付くとこう言っていた。
「だが、オレは家族をどうこうするほど冷血漢じゃない。特に生意気な方の妹が相手なら、そうだな、なにかあれば兄貴として助けるさ」
「…………ふん。それはこっちのセリフやわ。兄様が泣いて頼むんなら、うちが助けたるわ。ついでに、料理だけは得意な姉様もな」
それだけ言って、盈瑠は去っていく。その足取りが少しだけ軽く見えたのはオレの気のせいではないだろう
なら、オレも兄貴としての責任を果たす。なに、守るものが一つ増えただけだ。多くのものを背負っている今なら、こんなオレでも真っすぐに歩ける気がする。
◇
盈瑠に続いて映画館を出る。夕日の明るさに少しだけ目がくらむ。
すぐに目が慣れるが、外では先輩と凜が待ち構えていた。
「あれ? アシヤンにミツルン? もう出てきたの?」
先輩が驚いて言った。凜の方はまだソフトクリームに夢中でこちらを見ていない。
……先輩の驚きようと凜の様子からして、オレたちが映画館に入ってからは5分程度しか経っていないようだ。
気が効きすぎるぞ、昔日映我堂。こっちが急いでいるのを察して内部の時間を歪めてくれたらしい。今回は善意で動いてくれたからいいが、もし、悪意で動いていたとしたらと思うと背筋が凍る。
「うん。蘆屋君、いい感じみたいだね。よかったよかった」
ソフトクリームを食べ終えた凛がオレと盈瑠を見て言った。運命視の魔眼でまた何か見たのだろうが、頬についているクリームのせいでどうにも締まらない。
「それで、兄様、どうしますん? もう調査することないと思いますけど……」
見かねて盈瑠が聞いてくる。根が真面目なのはいいことだ。だが、今はちょっとだけ、寄り道だ。
「二人とも、そのソフトクリームどこで買ったんです?」
「えと、そこの角だよ。あ、おすすめは抹茶宇治金時とプレーンね」
察しのいい先輩がおすすめを教えてくれる。というか、待っている間に二つも食べたのか先輩。さすがの健啖家ぶり。そんなところもかわいいぜ。
「ちょっと待ってろ」
「え? なんやの?」
盈瑠を待たせておいて、すぐに角の店で豆腐小僧のソフトクリームのプレーンと抹茶宇治金時を頼む。対価として要求された魔力を支払ってすぐに盈瑠の元に戻った。
「ほら、どっちか選べ」
「選べってうちはそんなの……」
「早くしないと先輩と凜に食われるぞ」
オレの言葉に盈瑠は少し悩んでから控えめに宇治金時の方を指さした。ふ、お前はこっちを選ぶと思ってたぜ。京都風とかついてたらついついそっちを頼むタイプだしな。
オレからソフトクリームを受け取った盈瑠は恐る恐ると言った感じで口をつけた。小さな舌で頑張ってソフトクリームをなめとっているのはませたところのある彩芽とはまた違った形で妹力抜群だった。
「……美味いか?」
「…………うん」
頷く盈瑠。まだまだぎこちないが、兄妹としての関係性はこれでまず第一歩だ。
背後では先輩と凜が後方親戚面で仕切りの頷いている。映画を見ていないというのに、二人には今のオレと盈瑠の関係性がよいものだと思っているようだ。さすがは主人公二人、オレなんかとは洞察力が違う。
「それで、結局、これからどうするんですの?」
数分後、ソフトクリームを食べ終えた盈瑠がそう聞いてくる。唇ついたクリームをきちんとハンカチで拭うあたりこいつもお嬢様なんだなと思う。
「そうだな。まんじゅうと大福、どっちが食べたい?」
「どちらかというとまんじゅう――やなくて、調査の方や! あかん、うちまで兄様のペースに……」
なにやら葛藤している盈瑠。でも、仕方がないオレは一度こいつを妹として扱うと決めた以上はそこをぶらすきはない。ことあるごとに甘やかしてやるとしよう。
「そっちは一旦、全員の報告を聞いてからだ。それから判断する」
まあ、確かに調査時間ももう残り一時間だし、状況確認はしておきたい。
こういうときはS-INEが便利だ。異界でのスムーズな通信を確立するとは我ながらいいことをしたと自負している。
スマホを取り出し、グループチャットに呼びかけると、すぐに他のメンバーからの報告が返ってくる。
ざっと目を通すが他の地区の調査結果もゴロウ祭りの準備のために妖怪たちは姿を消しており、特段の危険性はないという結論を示している。原作通り、一安心といったところか。
しかし、最後に送られてきたメッセージ。その内容が目に留まった。
『――なんか、あたしが聞いた話は違うんだけど。いや、いいや、やっぱ忘れて』
送ってきたのは乙所属の朽上理沙。彼女の担当地区はこの四辻商店街の端にある児童公園の周辺だ。
あの周りはもともと怪異の数が少ない。いるのは中央部に住んでいる妖怪たちとは違い、知性を持つまでに至らない低級の怪異たちだ。
そういう怪異はこの異界の中でも存在を保つのは難しい。自然消滅してもおかしくない。
だから、今回の事件と関係の可能性が高い。そう結論付けることもできる。
「――少し、気になることができた」
だが、なにか嫌な予感がする。これを見逃してはいけないとオレの第六感が告げていた。
でも、どうする? この『BABEL』の世界では下手に藪の中を探れば、本当にまずいものが出てくる可能性がある。
自分の安全、部隊の安全だけを考えるなら、ここで調査を打ち切るという選択が賢い。この異界でなにが起きたとしても、外に出てしまえばオレたちには関わり合いのないことだ。
だが、オレは光のオタクだ。兄貴としては駆け出しでも、オタクとしての矜持に従って、この異変を見過ごすことはできない。
だってこの四辻商店街は原作における思い出の地。それを守らずして光のオタクが名乗れようか。
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