第48話 教授の研究室
件の児童公園は、この四辻商店街という異界の中にあって一層、異様な場所だった。
滑り台や鉄棒、ジャングルジムといった遊具は赤さび色で、今にも崩れてきそうなほどに劣化している。ひとりでに揺れるブランコはギーギーとひずんだ音を鳴らして不安感を強調していた。
寂しい場所だ。なにもかもがもう終わってしまって、取り返しがつかなくなってしまったようなそんないたたまれない気持ちになってくる。
原作では、こんな場所じゃなかった。少なくとも、低級の怪異、火の玉や小妖精たちがうろついていたはずだ。
「……なんや辺鄙な場所やねえ。わざわざこんなところに来て、無駄骨にならんどけばええんやけど」
「まあ、そう言うな。それになにもないならその方がいい」
オレの対応に、まんざらでもない様子の
「朽上さんの話によれば、ここでは神輿は作っていない。作っていないにもかかわらずここでは妖怪たちが何体も姿を消しているそうだ」
「ふーん、でも、怪異なんてそんなもんでっしゃろ。いちいち、調べる必要があるとは思えへんけどね」
盈瑠の言葉は正しい。ここでの調査は無駄骨に終わる可能性が高い。それでも、わざわざ来たのはオレの中のオタクとしての使命感のためだ。
確かにこの異界に何が起ころうとオレ自身や原作シナリオに深刻な影響はない。
けれど、ここは原作における思い出の地だ。
光のオタクとして見捨てるわけにはいかない。何か異常事態が起きているならオレの手で解決し、麗しき思い出を守るのがオタクとしての使命ではないだろうか。いや、使命なのだ。
……それに、映画館の一件もある。オレはこの四辻商店街に借りができた。なら、できる限りのことをする義理がオレにはある。
ということで、ちゃんと調査する。何もないことを祈っているが、そうでないとわかるまでは何かあるというつもりで調べるとしよう。
「六占式盤、展開」
まずは足元に盤を展開して、周囲の情報を収集する。情報量に吐き気を覚悟するが、拍子抜けするほどにこの周囲には何もない。異常と言えるものは、何一つとして感知できなかった。
安心、はできない。ここは異界の中だ。これだけ怪異に満ちた異界でこの周辺だけなんの異常もないなんて、そんなことありえるのか?
「凜、何か見えないか? お前の目なら何か捉えられそうなもんだが」
同行している凜にそう尋ねる。六占式盤でも感知できない異常も彼女の目なら見えるかもしれない。
運命視の魔眼は過去現在未来の可能性を見る眼。
六占式盤で収集できるのは現在の情報のみで、未来予測にしても現在の情報をもとに組み立てることしかできないから、その点でいえば魔眼の方が優れている。
一方、感知範囲は式盤の方が広いんだが、こういう時に状況を打開するのは主人公の役目だ。凜の目で何も見えないなら、今度こそ、ここに異常はないということだ。
「ちょっと待って。うーん、遊具、かな? 少し光って見える気がする」
周囲を眺めて、少し悩んでから凜はそう答える。ゲーム上でもより強い可能性があるほど輝いて見えていたから、ここにある可能性は低いものばかりということになる。
やはり、オレの気のせいか……? いや、それで済むなら一番なんだが……一応、確かめておきたい。
「遊具か……凜は滑り台を、先輩はあっちのブランコをお願いします。オレはあそこのドーム型のやつを」
「オッケー! 何か見つけたらすぐ報告するね!」
「兄様、うちは? なにかないん?」
「お前は予定外だ。付き合う必要はない、好きにしろ」
「……じゃあ、好きにさせてもらいますわ」
なぜかふくれっ面をする盈瑠。何が不満なのかわからん。
だいたい盈瑠はオレと同じ陰陽道士。オレにできることは盈瑠にできるし、盈瑠にできることはオレにもできる。だから、同じところで調査しても無駄だ。だから、好きにしろとオレは言っているだけなんだが……、
「……なんでついてくるんだ?」
オレがドームの方に移動するとこれまたついてくる盈瑠。いや、別に構わないのだが、いきなり距離感が近づくと少し戸惑う。
「なんや、うちの好きにしていいんちゃいますの? うちが行きたい方向にたまたま兄様がおるだけや」
「……そうか。物好きだな」
……かわいいところあるじゃないか、と思いつつ、ドーム全体を観察する。見た目自体は古ぼけているものの、デザイン自体はどんな公園にでもある
表面に触れてみても、違和感はない。魔力の残滓や異能の痕跡と言ったものをここから感じ取ることはできない。
……思い過ごしだったか。それならそれで問題はない。他の2人も何も見つけられないようなら安心して帰還できるってもんだ。
「おい、盈瑠。なにもないみたいだし、ここは――盈瑠?」
盈瑠の姿が消える。周囲を見渡しても、影も形もない。急に考え直してどこかに行ったのか? それとも、なにか見つけたのか? あるいは――、
いや、こういう時は考えるより先に行動だ。瞬時に六占式盤を展開し、周囲の気配を探る。しかし、探知範囲をこの公園から周辺1キロ圏にまで拡大しても盈瑠の気配は見つからない。
隠形で隠れている? 突然悪戯でも閃いて――いや、盈瑠は異界探索に対しては真面目だ。そんなことをするとは思えない。
なら、考えられる可能性は一つ。盈瑠は自ら姿を消したのではなく、連れ去られたのだ。
「凛! 盈瑠が消えた! 姿を探してくれ!」
「りょ、了解!」
一番盈瑠を見つける可能性の高い凛に捜索を任せ、オレはS-INEで待機しているほかのメンバーにこの公園に集まるように要請を出す。
もともとここの地区の担当だった朽上さんも含めて他全員は現在、転移した地点である丘の上にいる。そこからこの公園までは5分ほどだ。いや、アオイならもっと早く到着する。本格的に動くのはそれからだ。今はとにかく何でもいいから手掛かりが欲しい。
「アシヤン! あーしにできることは!」
事情を察した先輩が駆けつける。
「周囲の警戒をお願いします! オレは探索範囲を広げて、痕跡を見つけられないかやってみます!」
「OK!」
警戒は先輩に任せて式盤の探索範囲をさらに広げる。だが、やはり盈瑠どころか、居場所の手がかりさえつかめない。
……これではまるで神隠しだ。あの『映我館』のときとは違う。ここで消えたという妖怪たちと同じように盈瑠も消えた。怪異と違い人間は自然に消失することはない。ここで何かが起きているのは確実になった。
「蘆屋君! ここ、なんか変!」
凜が叫んだ。彼女の目の前にあるのは、ひとりでに揺れるブランコ。オレの眼には先ほどとの違いは分からない。
だが、何かがある。凜の眼はその何かを捉えているのだ。
「何が見えてるんだ?」
「……はっきり見えてるわけじゃない。でも、ここじゃないどこかとの繋がりが見える」
「…………高度に隠蔽された転移門、あるいは別の異界との境目……」
考えられる可能性を言葉に出す。どちらでもありうるがおそらくは後者だ。ここはもともと複数の異界が集まってできた大異界、異界を隠すのにこれ以上に適した場所はない。
しかも、先ほど盈瑠が消えたのはドームの傍で、今度はブランコ。境目の位置が移動しているとしか思えない。これほど高度なことができる相手などそうはいない。
……似たような現象に一つだけ心当たりがある。だが、信じたくない。もし、オレの原作知識にあるものと同じ現象ならば、オレにはどうにもできない。
一縷の望みをかけて、一応連絡先を交換しておいた先生にS-INEでメッセージを送る。異界のないの通信はともかく、外部との通信が可能かはまだ試していないが、今通じると信じるしかない。これに対抗できるのは、『死神』だけだ。
なら、どうする? 先生が来るまで待機するのか? 盈瑠は一秒後に死んでいるかもしれないのに? オレは、
「オレが行く! 二人は先生を待っててくれ!」
そう考えた時には、転移門に飛び込んでいた。オレが飛び込んだとしても盈瑠が助かる可能性は1%上がるか、どうか。だが、それで十分だと今は言える。あの映画館でそう決めたのだ。
だが、一人で飛び込もうとするオレの手を誰かが掴んだ。
その誰かが確かめるより先に景色が反転する。四辻商店街から、別の異界へと引きずり込まれたのだ。
移動の負荷か、胃の中身が逆流しそうになるが、ゲロを吐く余裕さえオレにはない。児童公園に変わって表れたその光景はオレの記憶と寸分たがわぬものだった。
「――ああ、くそ、最悪だ」
目の前にあるのは夕焼けの赤とは対照的な白い廊下。その左右には自動ドアがあり、一番近くの扉には『第一実験室』と書かれている。
廊下の先に木製の扉がある。そちらの上には教授室と書かれていた。
どこかでファンの回る音が聞こえる。それに混じるカタカタという音はコンピューターが書き込みを行う作業音だ。
オレにはそれらの音がオレたちの命をカウントする秒針の動く音に聞こえた。
……BABELをこよなく愛するオレだがこの場所にだけは来たくなかった。
この場所の名前は『
◇
原作のBABELには多種多様なBADENDが存在している。
例えば異界探索中に選択肢を間違えたせいで次元の隙間に落ちて永遠にさまようことになったり、間違った魔法薬を選んだせいで脳味噌が爆発したり、攻略ヒロインの好感度が足りなくて刺されたり……まあ、ここら辺は変わり種だが、そんな数あるBADENDの中でも原作プレイヤーから恐れられるBADENDが一つある。
それが実験動物END。内容の悲惨さ、救いようのなさ、怖さ、何もかもがファン投票ワースト1の最恐ENDだ。
その実験動物ENDの舞台となるのがオレたちが今いるこの『真理学研究室』。七人の魔人の一人である『教授』の本拠であり、この世界に深く根付き、解体不能となった異界『深異界』の一つ人間の未知に対する恐怖から生まれた『無明領域』の内部に存在する空間だ。
そんな場所にオレは来てしまった。しかも、より最悪なことに一人じゃない。
「なに、ここ……? 研究施設?」
体を起こした凜が困惑の表情を浮かべる。やっぱり転移の直前、オレの手を掴んだのはこいつだったか……!
「お前、なんで――」
「蘆屋君が一人で行こうとするからだよ。友達が家族のために危険に飛び込もうとしているのにただ見ているだけなんて僕にはできない。その方が賢いとしてもそんな自分には僕はなりたくない。蘆屋君もそういうふうに考える人だから、一人で行こうとしたんでしょ?」
凜の言葉に何も言えなくなる。オレの憧れてきたBABELの主人公らしい言葉に感動したし、なにより、当たり前のように命を懸けてくれた凜の友情に声より先に涙が出そうだった。
だが、来てしまった以上はどうしようもない。こうなればどうにかして凜と盈瑠だけでもどうにかここから逃がす。それがオレのすべきことだ。
「……凜、オレが良いと言うまで絶対に異能は使うな」
「え、でも――」
「とにかく従ってくれ。オレを信じて」
オレの声から事態の深刻さを感じ取ったのか、神妙に頷く凛。魔力を収めて、オレの背後に着いた。
幸運にも、異界に踏み込んだ瞬間に詰んでいるという事態は避けられた。オレと凜が飛び込んだことに教授は気付いていないのか、あるいは、あえて泳がせているのか……どちらにせよ、今は盈瑠の救出が最優先だ。
「……盈瑠と出口を探す。できるだけ気配を殺して進むぞ」
凜には言わないが、出口が見つかれば最悪の場合、凜だけでも押し込むことも考えられる。
原作主人公をこんなところで死なせるわけにはいかない。オタクとしてもそうだが、ここで凜が死ねばこの世界は終わりだ。
……あるいは、あの映画を見る前であれば、盈瑠を見捨てて二人で逃げていたかもしれない。だが、もうそれはできない。あいつも妹だ、見捨てたらオレは二度と誰かの兄を名乗れない。
教授の部屋に近づくのは問題外なので、右の自動ドアを通って『第一実験室』へ。
ドアを通り抜けた先にあったのはビーカーや計測機器などが整然と置かれたよくある実験室だ。ドアのガラス越しに見た時より、内部は広く見える。
ここが異界であることを考えれば空間の歪みくらいは当然だが、問題はここが実験室であること。実験室と名前が付いている以上は当然ここには実験体が存在している。
実験室の中央部、ライトに照らされた手術台の上にそれはあった。
「これって――っ!?」
「ダメだ。落ち着け」
悲鳴を上げそうになった凛の口を背後から抑える。気持ちはわかる。ここになにがあるか知っているオレでさえ、目の前のそれには気分が悪くなっていた。
手術台の上にいるのは、一つ目小僧と呼ばれる妖怪だ。だが、原形をとどめてはいない。
四肢は切断され、機械のそれに置換されている。名前の由来となった一つ目も抉り出され、頭部にはサーマルスコープのような装置が埋め込まれていた。
しかも、そんな状態にもかかわらず、一つ目小僧はまだ生きている。乱杭歯の間からは苦痛に満ちた呻き声が漏れ聞こえていた。
怪異の機械化実験の被検体だ。原作では改造されていたのは一つ目小僧ではなく人狼だったが、凄惨であることに変わりはない。
怪異はどこまでいっても怪異だ。どれだけ温和に見えても本質的には人間社会に害をなす存在でしかない。オレだって倒した怪異の数は数え切れない。
だが、ここまでのことをされる謂れはない。
ましてや、恨みでも怒りでもなく、ただただ知りたいという欲求のために解体され、別のものに作り替えられるなど哀れと言うほかない。
「……盈瑠はここにはいない。先に進むぞ」
奥側の自動ドアを通って、別の部屋に移動する。
その部屋の名前は『保管室』。オレの原作知識通りなら盈瑠はここにいる可能性が高い。
保管室には無数のガラス張りの檻が立ち並んでいる。中にいるのは、四辻商店街から消えた怪異たち。どの個体も怯えて、檻の隅で蹲っている。怪異が怯えることなどめったにないが、みな自分たちが辿る結末を悟っているのだろう。
「……みんな、捕まってるの?」
「そうだ。奥に進むぞ」
立ち止まりそうになる凜を急かしてさらに奥へ。原作知識通りならば新しく捕らえられたものほど奥の檻に入れられる。盈瑠がいるとすれば一番奥の檻だ。
いくつもの檻を通り過ぎて、保管庫の最深部にたどり着く。そうして、突き当り、最後の檻には――、
「蘆屋君、いた……! 盈瑠ちゃん!」
「わかってる。すぐに開ける」
檻の中には、盈瑠がいた。中央部で眠っている。あおむけで胸は上下している。怪我もしていない。とりあえずは安心だ。
すぐそばの端末を操作して、檻を開放する。この研究室を荒らすやつがいるわけもないのでセキリュティは掛けられていなかった。
「盈瑠ちゃん? 起きて、盈瑠ちゃん」
「う、ううん……」
凜が盈瑠に駆け寄る。その間、オレは周囲を警戒する。檻を開いたことは教授にも伝わっているはず。なにか仕掛けてくる可能性が高い。
「うちは……ここは……」
「寝ぼけている場合じゃないぞ、盈瑠。早く立て」
オレの声が聞こえたのか、盈瑠はすぐに立ち上がる。たたずまいを直してから、ようやく状況に気付いたらしく、慌てて周囲を見渡した。
「盈瑠ちゃん、落ち着いて。ここは異界の中、それもめちゃくちゃやばい異界みたい」
「……それは承知しとります。兄様も、あんたはんもうちを助けに来てくれたん……?」
「うん。蘆屋君なんて真っ先に飛び込んで行ったんだから、君に見せてあげたかったくらいだよ。でも、ともかく今はここから逃げよう」
困惑している盈瑠の手を取って凜は檻の外に出る。流石のコミュ力、やはり、凜は主人公だ。
「出口を探すぞ。どこかにあの公園に繋がっている場所があるはずだ。そこに飛び込むしかない」
「……兄様。その……」
「家族だっていったろ。当たり前のことをしただけだ。いちいちかしこまるな」
盈瑠とは目を合わせられない。罪悪感と解決のしようのない疑問が胸にくすぶっている。
あの映画を見る前のオレなら盈瑠を見捨てていたかもしれない。だが、原作の蘆屋道孝ならどうした? 妹のために命を懸けたか? わからない。盈瑠の知る兄としての蘆屋道孝は原作では描かれていなかった。
あの蘆屋道孝にもいいところがあったのだとしたら、今いるオレは彼よりもいい人間なのか? わからない。そのつもりでいたが、結局、盈瑠という妹をオレは悲しませていた。
「――それは、罪悪感かね?」
声が響いた。抑制のきいた、人を落ち着かせる響きの低い声だ。
背筋が凍る。呼吸が浅くなり、歯の根が合わない。この声をオレは知っていた。
恐怖心を押し殺して、保管庫の入り口側に視線を向ける。そこには何かが立っていた。
「だとしたら、残念だ。その感情は既知のものだ。もっと特異性のある、未知の感情を提供してくれたまえ」
何かが言った。スーツ姿の男、そんな風に見える。だが、肝心の顔の部分は見えない。
影になっているのでも、隠しているわけでもない。男の顔だけが黒塗りのページのように、未知のヴェールに覆われていた。
……原作通りの姿だ。その力を知っているだけに余計に恐ろしいが、こうして目の当たりにすると奇妙な感慨もあった。
「そうだ。いいぞ。小生を前に恐怖や戸惑い以外の感情を抱くものは珍しい。君はなかなかに小生の未知を満たしてくれそうだ」
この男こそが『教授』。かつて『深異界』を踏破した探索者にして、この世界の根幹にかかわる七人の魔人の一人がそこにいた。
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