第55話 いつか夜は明ける

 通常、陰陽道者と式神の間には術者に有利な形で契約が結ばれている。式神という形で括ってはいても、怪異は怪異。もしもの場合を考えれば、式神の主導権を与えないのは当然と言える。


 オレとてそうだ。比較的オレのいうことを聞かない『独眼龍』でさえ基本的には契約者であるオレに対して有利になるように動くという縛りを設けてある。


 だが、この『黄幡神おうばんしん』は違う。上位にあるのは神である黄幡神であり、呼び出した側であるオレにできることはかの神に祈り、願うことくらいで命令通りに動かすことなどできやしない。


 それでも式神として成立しているのは、かの初代道摩法師『蘆屋道満』が結んだえにしのおかげだ。魔力と祈りを捧げる代わりに、蘆屋の者を助けるという契約は今も生きている。


 オレと盈瑠みちるのいる屋上の前に、黄幡神の巨躯が降り立つ。大きさにして約50メートルほど。立派な怪獣レベルのサイズだが、一側面とはいえ正真正銘の神なのだからこれくらいのスケールは当然だ。


『我、縁に基づき、降臨せり。我、契りによって、この者の誓願に応えるものなり』


 脳裏に響くのは、地の底から響くような威厳のある声。この念話はオレだけに向けられたものではなく、この異界に存在するすべてに対して向けられた神からの宣誓だった。


「――みんな、結界を解除するから、巻き込まれないように下がってくれ」


 みんなに指示を出す。すぐさま結界の要が破壊されるが、もう役目は果たしている。この『黄幡神』が降臨したした時点で、勝敗は決していた。


 そのことを理解しているのか、影、『山本五郎左衛門』はそれまでのような全方位への浸食をやめて、その力を一点へと集中している。明確に黄幡神を障害として認識していた。


『我、凶星なり。汝の定めなり』


 黄幡神が左手の剣、のそれをゆっくりと振り上げる。膨大な魔力、しかも、他とは異質な夜の空気のような澄んだ魔力が剣へと集約した。


 影も動く。かの八岐大蛇のように巨大な蛇の頭を無数に形成すると、黄幡神に襲い掛かった。

 大蛇おろちの頭は一つ一つが、神域の怪異だ。もし普段のオレが直接狙われていたら、頭の一つを相手にするだけでも手に余る。


『我が剣は宵を裂き、影を断つ』


 月の剣が振り下ろされる。月光の如き閃光が巨大な斬撃となって放たれた。


 大蛇の首は断たれ、巨大な影が裂ける。剣閃の通り過ぎた空は夜が明け、再び、普段通りのが訪れた。


 読み通りだ。実体のない影にも、『黄幡神』の権能つるぎは有効だ。


日月じつげつの権能!? 兄様、いくら異界の中でもこんなの使ったら身がもたんよ!」


 背後の盈瑠が悲鳴を上げる。心配してくれるのはありがたいし、申し訳ないが、それでもやるしかない。


 この黄幡神は様々な権能を持つ神だ。凶星たる羅睺星の化身にして、兵乱を顕す。


 オレが呼び出したこの黄幡神はその中でも太陽と月、つまり、昼と夜を運行する権能を持った側面だ。

 ゆえに正確な名を『日月黄幡神』。日本において素戔嗚と習合されたことによって現れた分霊ともいうべきものだ。


 だから、左手の月の剣の持つ夜を司る権能をもって『山本五郎左衛門』の影を裂き、それが浸食した空を元の夕暮れに戻すこともできた。月光さえ射さない完全な夜闇のなかでは影すらも形を保つことはできない。


 まさしく神域の怪異が振るう異界権能。人間には過ぎた力だ。ゆえに、力を振るうには代償がある。


「――っ!」


 全身の血が凍ったような寒気。鏡を見る余裕なんてないが、今のオレの顔色が真っ青なのは想像に難くない。

 ただの魔力の消費量が想定よりも多い。権能を振るえるのはあと一度が限度だ。それで倒せなければ――、


「あれ――?」


「兄様! しっかり!」


「…………ああ、そうだな、兄貴だもんな」


 不意に意識が飛びかけるが、妹の声に踏みとどまる。曲がりなりにもオレは兄貴だ。たとえ死ぬとしても妹の前で無様な姿は見せられない。


「半分はうちが引き受ける……! だから、気張って、もう一撃や、兄様!」


 声に励まされて、足を踏ん張る。先ほどの一撃は牽制のようなもの、次の一撃でこっちの勝ちだ。

 

 結ばれた縁を通して『黄幡神』にこちらの願いを伝える。神は願いに応えて、此度は右手の陽の剣を天にかざした。


『我が剣、天道の煌めきなり』


 剣が眩い輝きを放つ。

 真夏の烈日のごときそれこそは『日月黄幡神』の第二の権能。世界すらも焼き滅ぼす太陽の力だ。


 近年では妖怪だとされて『空亡』とかいう名前が付けられておるが、江戸時代の絵巻物において百鬼夜行の最後に描かれているのは太陽だ。


 夜を練り歩き、支配する魑魅魍魎たちも最後の最後には昇る朝日に追い立てられるようにして消え去る、その様を絵巻物は描いている。

 つまり、百鬼夜行が存在できるのは夜の間だけ、日が昇れば退散するほかない。


 今回の場合もそうだ。山本の影が触れた妖怪が百鬼夜行に取り込むことができるのは影が侵食している部分が夜になっているからだ。

 その夜をこの日月黄幡神の権能で打ち払えば妖怪たちは解放され、山本の影という報復機構も止まる。


 そんなオレの思考に応えるように剣の光がその輝きを増していく。光あるところ影ありというが、これほどまでの光の中では影さえも存在できない。


「兄様! 囲まれとるよ! どうすんの!?」


「問題……ない……」


 息ができない。吸い込む空気の熱で肺まで灼けそうだ。

 声の言う通り、周囲を百鬼夜行の怪異に囲まれているようだ。『黄幡神』そのものはどうにもできなくても、術師を排除すれば神は星に還る。それに気付いたのだろう


 だが、そちらに意識を向けている暇はない。その必要もない。が助けてくれるそんな確信があった。


「私の夫に指一本触れられると思うな!」


 が怪異を後退させ、


「蘆屋君は僕たちが守る!」


 が迫る影を切り払う。


「加減はするけど、痛いのは勘弁してね!」


 が迫る攻撃を弾き、


「『炎の茨よ! 我らを守れ!』」


 が壁となる。


 オレは守られている。それもこれ以上ないほど頼りになる愛おしい誰かに。 


「今や兄様!」


 最後に、自分のものではない魔力がオレの体を満たす。その衝撃と温もりに、意識が澄んでいくのが分かる。

 今なら、やれる。


「――『我は願い、奉る』」


 縁を通して、最後の願いが伝達される。黄幡神の振り上げた剣にすべての熱と光が集約された。


 瞬間、世界のすべてが暗転する。宇宙の開闢がごとき静寂の中、剣が振るわれた。


 光の剣閃が巨大な影を両断する。太陽が爆発したかのようなはげしい光がこの異界のすべてを満たした。


 そうして、光が収まった後には、元通りの四辻商店街が残される。山本五郎左衛門の影はもうどこにもなかった。


「――『送還』」

 

 陣を解き、『黄幡神』を星へと返す。用もないのに神を呼び続けておくほどの余裕はないし、なにより、黄幡神の司る羅睺星は凶星、留め続けておけば無用な問題を起こしかねない。


 『黄幡神』の消滅と同時にその場にへたり込む。意識ははっきりしているが、全身が筋肉痛だ。痛くない場所がない。


「――道孝!」


 が駆けよってくる。倒れそうになる体を彼女が抱き着いて支えてくれた。

 力が強過ぎて痛苦しいが、それを上回るほどに柔らかくて、幸せな感触だった。


「…………ありがとう、おかげで死なずに済んだ」


「うん。よかった、蘆屋君、死んじゃいそうに見えたから、心配しちゃった」


 凜が言った。こいつが見えるとか言うと洒落にならないが、今は突っ込む気力もない。


「ええ、まったくですわ。『神』を呼ぶなど消費する魔力だけで魂が枯れるほどの負荷です。それをよく……でも、本当、無事でよかった」


 リーズは真面目だなぁ。だけど、無事か無事じゃないかでいえば無事じゃないかな。全身くそ痛いし。


「でも、生きててよかったよぉー! アオアオなんて心配し過ぎてさっきまで泣きそうだったし、あーしも……うっうう!」

  

 と言いつつ、自分が泣いている先輩。どうにも締まらないが、この方がらしいと言えばらしい。変にかしこまりすぎるのは先輩らしくないしな。


「……道孝」


 そして、アオイは全然離してくれない。このオレを締め付ける力の分だけ心配をかけたのだと思うと、罪悪感に心が痛んだ。

 けど、いい加減痛いので、できれば放してほしい


「それと、盈瑠もよくやってくれた。お前、最後の一押しでオレに魔力をくれただろ。あれがなかったら最後の願いはできなかったかもしれない」


「…………ふん、世話のかかる兄さまやからな。うちが助けてやらんとな」


 平気そうにしているが、盈瑠も命懸けだった。オレを見捨てて逃げ出すこともせず、一緒に戦ってくれた。

 今回、即気絶せずに済んだのも盈瑠が魔力を融通してくれたおかげだ。さすがはオレの妹、彩芽に負けずオレを助けてくれる。


 これで異界の復讐機構は止めた。あとは――、


「先生の方が気がかりだ。なにかあった時すぐに逃げられるようにしておこう」


 そう、戦いはまだ終わっていない。死神こと誘命が『教授』と戦ってくれている。その決着が着くまではオレたちの生死は定かじゃない。

 でも、今なら来た時に使った門が開いているはずだ。そこから学園に戻って――、


「っアオイ!」


 瞬間、アオイの背後に立つ人型のに気付く。咄嗟に、アオイを突き飛ばすが、それ以上、身体が動かない。


 その次の瞬間、オレの意識と体は大きな影に呑み込まれていた。

ああ、くそ、こんなことなら、彩芽と盈瑠をもっと甘やかしておくんだった――、



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