第56話 山本五郎左衛門
SIDE ■■官
街の東側で、『黄幡神』が『魔王の影』を消し去ったのとほぼ同時に、児童公園、その別位相で行われていた『死神』と『教授』の戦いもまた決着を迎えていた。
別位相から帰還する人影は二つ。一人は己の足で立ち、もう一人は地面に伏していた。
「――やれやれ、こんなところで果てることになるとはね。想定内の結果ではあるが、酷くつまらない」
倒れ伏した片割れ、『教授』が言った。彼の体の右半分は白骨化し、彼の従えていた『何か』には巨大な三本の鎌が突き刺さっていた。
三本の鎌はそれぞれ別の色をしている。赤、黒、白、それぞれが別の死因を宿しており、その刃に貫かれれば永遠に死に続けることになる。
この鎌は本来、全部で4本。その最後、青ざめた刃の鎌は死神の手に握られていた。
「どうせしばらくしたら戻ってくるんだ。授業料と思えばいいさ」
死神が言った。傷一つないように見えるが、七人の魔人の中でも最強を自負する彼女をして二度とやりたくない、そう思わせるだけの激戦だった。
なにせ、この
「『生命の種』。生も死も内包するこれならば、あるいはと思ったが……『四騎士』を呼び出すとはね。別位相でのこととはいえ、君も酷なことをする」
「どう考えたってそんなものを持ち出す方が酷だろ。こんなのは深異界に沈めておくべきだ。万が一、現実に持ち出せばこの星の生態系が塗り替わってた」
「小生もそこまでことは考えて……いや、それはありだ。新たな生態系は、新たな可能性を持つ。小生にとっても未知だ」
「悪いけど、そういうのはほかの天体でやってくれる? ぼくやほかのあらゆる生き物にとって害悪なんだよ、君」
「……君がそれを言うか」
そういうと教授は商店街の東側に目を向ける。分体とはいえ、今わの際にありながら彼の瞳は曇っていない。むしろ、新たな未知を前にして爛々とした輝きを称えていた。
「……異界の中とはいえ、本物の神を召喚するとは、君の弟子は相当に優秀なようだ」
「そりゃ当然さ。ぼくが目を付けたんだからね」
「ますます逃がしたのが悔やまれるな。転生者のサンプルは少ない。魂の比重がどうなっているのかぜひ解析したかった。またの機会が楽しみだ」
「人の弟子に色目使うの、やめてくれる? ついイライラして、君の本体にもトドメを刺しちゃいそうになるだろ?」
死神は鎌の切っ先を、教授の首筋に沿える。いかな身代わりを用意したとて、彼女の鎌は『生命』という概念そのものに適応されるもの。今の教授にこれを防ぐ術はない。
「おや、意外だな。ここで小生を消滅させるつもりだと思っていたが、見逃してくれるのかね?」
「あくまで本体は生かしておいてやるって話さ。今誰かが欠けたら面倒なことになるからね」
「……君、変わったな。解体局に手を貸していると聞いた時も驚いたが、まさか、基底現実を慮るとは……面白い変化だ、恋人でもできたのかね?」
「そういうの、セクハラって言うんだよ。それとも、やっぱり消してほしいわけ?」
「不要だ。この小生はもうすぐ消える」
教授の言葉通り、彼の肉体は風に吹かれた塵のように少しずつ消滅していっている。もはや、いかなる異能を用いたとしてもこの肉体が蘇生することはない。
「最後に一つ聞かせてくれ。彼が八人目なのか?」
「さあね。ぼくにはどうでもいいことだし、そもそもただの予感だろ、外れることだってある」
死神は鎌を振りぬく。教授の首が宙を舞い、地面に落ちる前に塵に還った。
「……さて、ぼくの出番はこれで終わりか。しかし、のぞき見とは趣味が悪いネ」
死神の目が、彼方の存在を捉える。
観測はここまでにするとしよう。次の会合を前に彼女の機嫌を損ねるのは賢明とは言えない。八人目の可能性が生じた今となってはなおさらだ。
◇
SIDE 蘆屋道孝
頬に当たる暖かさで目を覚ます。瞼を開くと木漏れ日の下にオレは寝ころんでいた。
畳の上だ。時代劇で見るような茶室。その窓際にオレはいた。
混乱した頭の中、ゆっくりと体を起こす。先ほどまで感じていた身体の痛みは消えている。疲労も魔力不足による衰弱も今はなかった。
……今度こそ死んで、ここはあの世なのか?
オレは四辻商店街にいたはずだ。それがどうしてこんなところにいる。いくら異界が何でもありとはいえ、いきなり茶室に連れてこられるようなことに心当たりがない。
だいたいオレは意識を失う直前、アオイを助けようとして――、
「――お。目が醒めたかい? 重畳重畳、ようやく話ができるってもんだ」
「――っ!」
声を掛けられて、飛び起きる。すぐさま式神を呼び出そうとするが、魔力が練れないことに今気づいた。
何らかの術、異能か、あるいはオレが死んでいるせいなのか……何もかもが不明だ。
「そう警戒しなさんな。別にお前さんは死んじゃおらんし、
好好爺といった感じの老人の声。声の方向に目を向けると、そこには紋付き袴を着た老人が座っていた。
顔は見えない。茶室の中は陽が射して明るいのに、老人の顔だけが不自然な影に覆われていた。
「まあ座んねえ。本当は茶の一つも出してぇんだが、今は素寒貧でな」
老人の声には不思議な威厳があり、おとなしく従ってしまう。
茶室に正座していると不思議と精神が落ち着いてく。そうして、数十秒もしないうちに、オレは自分の置かれた状況をおおむね理解した。
「ここは……オレの心象異界か」
『心象異界』とは、異能者が心の中にもつ通常とは異なる領域のことだ。心の中に形成される最小単位の異界、あるいは異能を使うための特殊な精神構造と言い換えてもいい。
これは異能者であれば必ずもっており、逆に6歳までにこの異界を形成できないものはその後、どれだけ鍛錬を積んでも異能に目覚めることはない。
つまり、今のオレは意識を失って夢を見ているような状態だといえる。
だが、妙だ。瞑想やトランス状態になって心象異界まで潜ることはよくあるが、こんな茶室はオレの心象異界には存在していなかった。
考えられる原因は一つしかない。
「ああ、この茶室をふしぎがってんのかい? 勝手ながらあんちゃんの心の中に間借りさせてもらってんのさ。なに、用が済めば出ていく。安心しな」
「……怪異にそう言われてもな」
「はは、そりゃそうだ! まあ、ここはあんちゃんのもんだ。まずは足でも崩してくつろぎな」
言われた通りに
「――それで、オレに何の用で?
オレの言葉に影の下の顔が笑った。
当然の答えではある。意識を失う前の状況下でオレの心に入り込める存在は一つしかない。
それに、原典である『稲生物怪録』において山本五郎左衛門は老いた武士の姿で現れたという。今目の前の老人はその描写に近い。まず間違いない推理だ。
そも山本五郎左衛門は正体の不明の妖怪だ。一説によれば天狗の一族――ってまさか……、
「……あの露店の店主もあんただったのか」
「お、気付いたか。中々に勘がいいじゃねえか、あんちゃん」
確かにいっかいの烏天狗にしてはずいぶんと格の高い気配だとは思ったが、まさか魔王その人が露天商なんてやってるなんて思ってもみなかった。
「ありゃ趣味だ。暇に飽かせて時々店を開いてんのさ。でも、まあ、今回の場合は、あんちゃんを見ておきたかったてのもある。なにせ、名前を貸しただけの影とはいえ、儂を倒した男の顔を見ておきたかった。そんだけの話さ」
「名前を……そうか、契約の時にあなたが保証人になったのか」
異能者の間では誓約を立てる際に、神や悪魔などの強大な怪異を保証人として使うというのはよくあることだ。今回のように誓約が破られた際にはその怪異の権能が制裁として働くから、互いに誓約を守るように強制できる。
四辻商店街においては、その誓う対象が妖怪たちの頭領、『山本五郎左衛門』だったというわけだ。だから、あの影は、異界の報復機構は『山本五郎左衛門』の容となって現れた。
「100年くらい前の話さ。
妖怪たちの王の語るありえた未来はオレや先生が危惧したものと同じだ。死に掛けてでもあの段階で止められてよかったという安堵とただ名前を与えられただけの影であの力かという戦慄が同時にあった。
「……それで、オレをどうするつもりなんだ?」
「どうするもなにもねえよ。こうして顔を見て礼を言いたかったってだけさ。あんがとな、あんちゃん」
「……どうも」
怪異に礼を言われるなんて初めての経験だ。原作の『BABEL』においてもなかったはずだ。
正直言って、いい予感はしない。相手は魔王、憎まれるよりも気に入られる方が良くないことになるなんてのはよくあることだ。
「
大笑する五郎左衛門。彼は懐から
たばこの香りが茶室に漂う。その煙をすべて肺に収めると五郎左衛門はこう続けた。
「安心しな。何度も言っているがあんちゃんを恨んじゃいねえ、事情は分かってるし、本心から感謝してる。その証拠に、ほれ」
五郎左衛門はそう言うと、懐から取り出した何かをこちらに投げ渡してくる。
慌てて受け止める。片手に収まる程度のサイズのそれは大きさに比して、ずしりと重たかった。
「これは……」
五郎左衛門の投げ渡してきたものを陽の光に照らして、よく観察する。
片手に収まる黒い木槌。見た目はただの古ぼけた木槌だが、よくよく見れば異質な魔力を秘めていることが分かる。
おそらくこれは神域の『魔具』だ。使い方はわからないが、おそらくは権能の一部さえ宿しているかもしれない。
「恩人を手ぶらで返しちゃ儂の名に関わるからな。なに、本物の神さんを呼び出せるんだ、それくらい難なく使いこなせるさ」
軽い調子でそういう五郎左衛門だが、これだけの力は簡単には使いこなせない。
というかこれ、どう考えても厄ネタだ。即クーリングオフを――、
「おっと、目覚めが近いな。じゃあな、あんちゃん。お前さんが儂を呼び出す日を楽しみに待ってるぜ」
「ちょっと、待ってくれ! オレは――」
五郎左衛門の姿が歪んでいく。足元の畳が消えて、落下が始まる。身体に重さが戻って、地面に激突する直前意識が戻った。
「――道孝! 道孝!」
誰かがオレの名を呼んでいる。重たい瞼を開くと、涙に潤んだ紫色の瞳が目の前にあった。
アオイだ。オレは彼女に膝枕されている。やべえ……アオイの膝枕なんて、蘇生したのに、幸せでまた死にそうだ。
ほかにも凜、リーズ、先輩、ついでに盈瑠がオレを見ている。みんな一様にオレの心配をしてくれたらしく、何人かは涙目だった。
……もしかしたら天国なのかもしれないと思ったが、さらに頭上の空を見て違うと気付く。
四辻商店街の夕暮れだ。原作ブレイクしまくっているダメなオレだが、ああ、どうやら思い出はちゃんと守れたらしい。
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