第54話 神呼びの儀

 山本五郎左衛門の異能が影に触れたものを己が『百鬼夜行』に取り込む能力ならば、オレたちは詰んでいる。


 なぜなら、影以外の怪異はオレの敷いた結界を越えられるうえに、この異界において『百鬼夜行』が途切れることは絶対にないからだ。仮にこの異界に存在する怪異を皆殺しにしたとしても、今度はあの影の中で怪異たちが蘇生され、オレたちの敵になるだろう。


 この四辻商店街が作られた時に結ばれた約定のせいだ。あの約定には人間はこの異界の中の怪異を傷つけてはならないとあった。これを破るのものは裁きが下るとも。

 今もその約定の効果は有効。そして、百鬼夜行を形成するのはこの異界の怪異だ。

 

 つまり、怪異を倒せば約定を破ったと判定され、裁きの効力だけが強まっていく。

 だから、詰んでいる。戦わなければ影を押しとどめている結界を守れないが、戦えば戦うほどこちらは不利になる。


 どうする。どうすればいい。今度こそ解決策が思い浮かばない、原作知識ももはや役に立たない。オレにできることなんて――、


『――道孝!』


 アオイの声がオレの意識を引き戻す。

 両手で顔を叩いて、気合を入れなおす。この屋上で全体の状況を俯瞰できるのはオレだけだ。そんなオレがヘタレていたら、皆がどうしたらいいか分からなくなってしまう。


 思考を止めるな。今のオレはどれだけ不本意でも、この探索小隊『甲』の隊長なんだ。その責務を果たさなくてはならないし、光のオタクとしてこんなBADENDは許容できない。


「各自応戦してくれ! でも、できるだけ殺すな! 無効化に留めるんだ! 時間を稼いでくれれば、オレが何とかする。信じてくれ!」


 通信越しに叫ぶ。

 解決策のない遅滞戦闘に加えて、何とかするなんて言う具体性のない言葉。最後の信じてくれにいたっては命令でさえない。


 我ながら隊長失格だ。だが、彼女たちは――、


『OK! こっちは任せて、アシヤン!」


 先輩の声が聞こえ、


『うん! 僕らで時間を稼ぐよ! 蘆屋君!』


『各地点への支援はわたくしがやります! ミチタカ、貴方は解決策に集中を!』


 凜とリーズが続く。背後から戦いの音が聞こえる。彼女たちはオレに言われるまでもなくオレを信じてくれていた。


『今更ですね。貴方こそ、私たちを信じなさい、道孝』


 最後には、アオイの言葉がオレを奮い立たせる。

 全員が全員、オレのことを微塵も疑っていない。こんなかませ犬で、オタクで、優柔不断なオレのことを心の底から信頼してくれている。


 オレはその信頼に応えたい。今だけは何もかも忘れて、そのことだけに全てを注ぐ。みんなが百鬼夜行を押しとどめ、時間を稼いでくれている間に何としても解決策を見出すのだ。


 そのためにも改めて思考を巡らせる。強大かつ正体不明の怪異とはいえ、対抗手段は存在するはずだ。


 それに、先生はオレに対して「君なら倒せる」と言った。

 死神は適当人間だが、探索者、異能者としては頂点に位置している。そんな彼女がこの状況で根拠のないことを言うとは思えない。


 となれば、オレはすでに対抗手段を備えている。問題は、それが何かだが――、


「……妖怪たちの王、実体のない影、百鬼夜行。影ができるのは――っ!」


 思考を口に出して整理して、前方の空を見上げる。そこにはすでに影によって浸食され、夜を迎えた天がある。

 そして、夜空には星がある。


「――くそ、そういう定めか」


 迷いはなかった。

 切り札をすべて晒してしまえばかませ犬フラグが立ってしまうが、それに関しては後で考えればいい。


 大事なのは今この時。おあつらえ向きに、もう陣はできている。あとは呼ぶだけだ。


「盈瑠。オレが嫌いなのは分かっているが、今はオレを信じて、力を貸してくれ。お前が必要だ」


「――そっちこそ、うちを信じられるん? 後ろから刺すかもしれへんよ」


「もう背中を預けてるんだ。今更な問いだろ、そいつは。お前のことは信じてる」


「…………あとでピーピー言っても知らんよ」


 盈瑠とオレの縁が再び繋がる。互いの魔力が混じり合い、精神と記憶に一瞬の混濁が生じた。


 夏の蘆屋の里。燕が澄んだ空をまっすぐに――、


「――接続完了だ。そっちも問題ないな」


「……うん」


 すぐに正気を取り戻す。これでオレの行う術式を盈瑠共共有して補佐してもらえるし、魔力も二人分だ。これならどうにか術を完遂できるだろう。


「で、どうするつもりですのん? 兄様」


。後のことは神頼みってやつだ」


「は!? んなことできるわけないやろ! 本物の神降しなんて500年は誰にでもできてないんや! うちのとと様、今代の道摩法師もそんなことは――」


「いや、できる。この状況で、この面子なら」


 刀印を結び、改めて六占式盤を展開する。大きさは最大、結界を形成している五芒星の上に重なるように陣を敷いた。


 強烈な魔力消費と情報の奔流に脳の神経が火を噴く。耳の中で寿命がゴリゴリ削れる音が聞こえた。


 これでまだ準備段階。前回、この式神を呼んだのは今から三年前、その時は万全の状態で短時間の顕現にも関わらず、魔力切れで気絶して三日も寝込むことになった。


 今度はそんなもんじゃすまないだろう。死にかねない。なら、その前にやっておくべきことが一つある。


「アオイ、聞こえるか?」


 アオイに対して個人通話を繋ぐ。死ぬかもしれないが、だからこそ、約束は破りたくない。


『聞こえています。忙しいんですが』


「悪い。だが、約束してたからな」


 通話の向こうからは戦いの音が聞こえる。かなりの数の百鬼夜行を相手していることは間違いない。


「これからかなり無茶をする。君には伝えておかないといけないと思ってな」


『…………そうですか。では、安心してください。いざという時は彩芽のことは任されます。再会は少し遅くなるでしょうから、浮気せずに待っているように』


「了解だ。待つのは得意じゃないから死なないように気張るよ」


 アオイの言葉がオレに勇気をくれる。

 通話を切ると同時に、全身に魔力をたぎらせる。式盤が回転を始め、オレの誓願コマンドを待つ。


「――『太陰化生たいいんけしょう水位至精すいいしせい。我は願い奉る』」


 誓願を口ずさむ。今回ばかりは省略も短縮も、誤魔化しもない。一つでも手順を間違えば祟られるのはこっちになる。


「『急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう奉導誓願ほうどうせいがん。我が願いいずくんぞ成就あらんや』」


 第一段階が終わり、式盤と五芒陣が繋がる。先ほどぼ五芒の備えとS-INEで繋いだ縁のおかげでここまではスムーズだ。


 五点を光の線が結び、その輝きが天の星にこちらの位置を知らせた。

 誓願とはすなわち誓いであり、願い。だから、重要なのは理屈よりもこちらの心持。心底から誓い、願い、そこに一切の穢れがなければ『神』は聞き届けたまう。


「『上真垂祐じょうしんすいゆう災害不生さいがいふしょう』」


 星呼びの儀は第二段階へ。六占式盤の方位が定まり、五芒星が鏡面となって星空を映し出した。


 これで道は開けた。あとは星神を呼ぶだけだが――、


「――っ!」


「兄様! くっ!?」


 魔力を一気に吸い上げられて、オレのダメージが盈瑠にまで伝播してしまう。神経を焼かれる痛みに意識が飛びそうになるが、今気絶すれば祟りが降り注ぐ。だから、歯をくいしばって耐えるかしない。


 それに、今は負荷の半分を盈瑠が引き受けてくれている。これならどうにか保つ。呼んだあとの制御もどうにかなる、はずだ。


「『凶星招来きょうせいしょうらい破邪顕正はじゃけんしょう』」


 鏡面から一つの星が浮かび上がる。それはオレの頭上へと昇ると、まばゆい光で視界を満たした。


「『羅睺星将らごうせいしょう日月黄幡神じつげつおうばんしん』」


 そうして、星の光は一つの容を取る。強大にして霊験あらたかなる霊体、まさしく『神域』の怪異がそらから降りてきた。

 

 現われたるは、空を覆うほどに巨大な鎧武者。面頬の奥に顔はなく代わりに星の光が覗いている。

 両手にあるのは、二振りの七支刀。右の刀の柄には太陽の紋章が、左には月の紋用が刻まれていた。


 この神の名は『黄幡神』。

 かの素戔嗚尊すさのおのみことと同一視される牛頭天王の八人の王子、八将神の一柱にして、凶星『羅睺星』を司る神。その来歴はインド神話における阿修羅アスラの一体である『ラーフ』ともされる。


 異界で遭遇するようなまがい物や零落した神とは違う、正真正銘の星神。この黄幡神こそが蘆屋道孝の先祖、初代『道摩法師』蘆屋道満が契約した神であり、オレの持つ最強最大の切り札だ。

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