第53話 百鬼夜行
『
なにせ直接登場するのは備後の国、今の広島県の辺りで書かれた『
分かっているのは、『山本五郎左衛門』という名の妖怪が数多の妖怪たちを率いる妖怪たちの棟梁、『魔王』とも呼べる存在であること、そして、その正体が天狗でも狐狸の精の類でもないということだけだ。
つまるところ、正体不明。数多の怪異を従える強大な存在でありながら、山本五郎左衛門はその正体や力についてまるで明らかになっていない。
今オレ達に迫っている影、この屋上から見える永遠の夕暮れを夜へと変えている怪異にはその『山本五郎左衛門』の名が与えられていた。
「……固有の名を持ち、あれだけの力がありながら、正体不明とは厄介な怪異ですわね……」
オレが情報を共有すると、リーズが言った。
リーズの言うとおり、強力な怪異は大抵、個体名が与えられている。
名前を持つから他の怪異と区別されより畏れられるようになるのか、あるいは、他の怪異と区別しなければならないほど強力な個体だったのか。どちらかはケースバイケースだが、強力な怪異は総じて個別の名前を持っている。
例えば、平安の世であれば大江山の鬼神『酒呑童子』やその同胞である『茨木童子』。現代であっても悪霊の中でも強力なものは個別の名前、『花子さん』とか『メリーさん』とかそういう名前を持っている。
また、これら個体名を持つ怪異に関しては情報が出回りやすい。どんな方法で襲ってくるのか、どのように誕生したのか、あるいはその撃退方法、弱点なども知られているが多い。怪異が人の認識から生まれる存在である以上、彼らもその情報にあり方を縛られる。
だから、個体名を持つ怪異は強大な敵ではあるものの、対処法は存在している。きちんと情報を踏まえて準備さえしておけば、神域の怪異が相手でも渡り合うことはできるのだ。
だが、この山本五郎左衛門についてはその力の強大さに反して、あまりにも情報が少なすぎる。弱点どころか、その攻撃方法さえオレには見当が付かなかった。
「そもそも、あの影、攻撃してくるのかな? 今のところ、この街を夜にしてるだけみたいだけど……」
凜は影を直接見ないようにしながら運命視の魔眼で周囲を探っている。さすがの学習能力だ。
運命視の魔眼の原理も根本的には情報の集積と解析だ。影そのものに干渉すれば、オレと同じように逆に縁を辿られかねない。
「……向こうから動くの待つのは得策じゃない。だが――」
あの影、『山本五郎左衛門』が先生の言っていた報復機構であることは間違いない。
だが、この山本五郎左衛門にはこちらに対する敵意がない。今のところ、商店街の中心に向けてゆっくりと進んでいるだけ。そんな状態の怪異にこちらから手を出すのはかなりリスキーだ。
半端な攻撃を仕掛ければ、何かのトリガーを引いて即BADENDということにもなりかねない。
ああ、くそ、情報が少なすぎる! 任せると言われて請け負ったはいいが、何をどうしろって言うんだ。
攻撃以外であの影を止める方法なんてないし……いや、そもそも今のところ実体のない相手だ。いくらオレたちが異能者でもできないことはある。攻撃が通じるかどうかさえ今はまだはっきりしない。
実体を持たない相手に有効なのは、リーズの炎や凜の運命視、アオイの概念斬撃、それに先輩の舞。だが、どれも街全体を侵食している影を押しとどめるにはあまりにも攻撃範囲が狭すぎる。
それに下手に攻撃を仕掛けてそれで相手を刺激、あるいは未確認の異能を発動させてさらに状況が悪くなるということも考えられる。カウンター型の即死系の異能なんて持っていたら、オレの呪詛返しじゃ全員をカバーしきれない。
式神で仕掛けるにしても、先ほどの戦闘でオレの魔力は残り半分程度、もう一度、独眼龍を呼び出したらガス欠になる。戦力は慎重に吟味しなければ……、
一方、あの影を商店街の中心にまで到達させてはいけない、とオレの直感は言っている。
やはり、リスクは承知の上でしかけるしかないか……ここはオレが式神を使って――、
「……ようはあれを止めればええんやろ? なら、結界をはりゃええんちゃうの?」
「な、なんやの? みんなして、人の顔ジーっと見て……」
「それだ! それならどうにかなる!」
オレが叫ぶと盈瑠がビクンと跳ねる。
結界術は相手に干渉する術じゃなくて、
どうして思いつかなかったんだ。らしくもなく視野が狭まっていたか。兄貴としては情けない話だが、盈瑠がいてよかった。
「よくやった盈瑠! お前がいてよかった! さすがオレの妹だ!」
「ひゃっ!? な、なんや、兄様!? い、いきなり、う、うち、はずかし――」
テンションが上がって盈瑠に抱き着くオレ。頭をわしゃわしゃとなでてから解放した。
「な、なんやの。一体……う、うちにもこころの準備が……」
頬を赤らめてふらふらしている盈瑠。確かにちょっとやりすぎたか、兄として妹の才能を評価するのは当然だ。
「言っただろ。家族扱いするって。とにかくよくやった」
「そ、そう? ま、まあ、うちの優秀さが兄様にもようやく伝わったようで何よりやわ」
どや顔をしてない胸を張る盈瑠。背後から強烈な視線を感じてオレは振り返った。
アオイがこっちを見ていた。
「浮気ですか?」
「い、いや、こいつも妹なんだ。だからセーフ、セーフだ」
「……まあ、事情は後で聞きます。場合によってはお仕置きです」
……オレ、この場を生き残っても後でやられるかもしれない、いろんな意味で。
だが、まずはこの場を生き延びる。普段のノリのおかげで少し肩が軽くなったし、やれることはやるとしよう。
「ともかく、全員ででかい結界を張るぞ。強力な隔離結界だ。それであの影を止める」
班員全員、アオイ、凜、リーズ、先輩、それぞれに結界用の式符を渡す。一つ一つにはそこまで強力な効果はないが、この人数ならば組み合わせ次第ででかくて、強力な結界を敷くことができる。
「そいつをもってオレの指示する場所に散ってくれ。連絡はS-INEでする」
「う、うちは? この期に及んで逃げろなんて言うても聞かんからな」
「盈瑠はオレの補助をしてくれ。結界はあんまり得意じゃなくてな」
転生してから10年間、みっちり修行してきたが、その中でも結界術の修練は優先度が低かった。
だって、その時はこんな風に隊長になるなんて思ってなかったからな! 式神の運用や占い、そこら辺の生存能力関係ばっかり鍛えてしまった。
その点、盈瑠は結界も含めて陰陽道者としての術はまんべんなく鍛えている。その分器用貧乏ではあるが、総合力で見ればやはり天才的だ。
「……道孝、言うまでもないと思いますが、無茶はしないように。あと、浮気は許しませんよ」
「……………前者はともかく後者はありえないから安心してくれ」
そんなことを言って、街の東側に走っていくアオイ。いろいろ心配しすぎだ。無茶はともかく、オレが盈瑠と浮気なんてありえない。妹だし、原作キャラじゃないし。
「じゃあ、蘆屋君! 浮気はダメだよ!」
「ええ、ミチタカ、これ以上、女性を口説くのはNGですわよ!」
「え、えと、アシヤン! いろいろガンバ!」
……オレを信じてくれるのは先輩だけだ。
信用がない。だが、悲しいことに身に覚えはたくさんあるので抗議もできない。
「なに、兄様、うちとは浮気してくれへんの?」
みんなを見届けて振り返ると、盈瑠がいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
大分調子が戻ったようで何よりだ。実力はあるんだ。発揮してもらわなければ困る。
「なんだ、冗談を言う余裕が出てきたか。だいぶテンパってたから心配したぞ」
「なんのことやら。それで、補助ってうちは何すればええの?」
「オレの背後につけ。結界の補正を頼む」
六占式盤を展開したオレの背に、盈瑠が触れる。彼女の縁がオレへと繋がった。
「……っ」
術の負荷に盈瑠が歯を食いしばる。オレは慣れているが、盈瑠にはそれなりきついだろう。
「大丈夫か?」
「……当然。うちも、蘆屋の娘や」
「ならよかった。覚悟を決めろ。すぐにみんなから連絡が来る」
案の定、S-INEのグループ通話に着信がある。ここから南東の位置に着いたリーズからだ。
「リーズ、位置に着いたか?」
『ええ。ですが妙ですわ。周囲の怪異たちが逃げ出しています。彼らにとって、あの影は味方のはずでは……?』
「……確かに妙だな。異界の報復機構が中の怪異を狙うんじゃ本末転倒だ」
だが、怪異たちが逃げ出している以上は、あの影『山本五郎左衛門』は怪異たちにとっても脅威であることは間違いない。
問題は、どう脅威なのか。物理的な干渉をするのか、あるいは概念的な浸食なのか。どちらでもこの大異界を塗り替えるほどの規模だ、ここで止める必要がある。
『私です。こちらも状況は同じです。慌てて逃げ出していますね。何人か捕まえて話を聞きますか?』
私で分かって当然だろうという態度なのは、東側に向かったアオイだ。東側も南東側と同じ状況らしい。
「……いや、結界を優先する。準備にかかってくれ」
『では、取り掛かります。無茶をするときは必ず言うように」
「……わかった」
あくまでオレの心配をしてくれるアオイに胸を熱くしていると、すぐに南西の先輩、西の凜からも位置に着いたと報告が上がる。
準備はできた。あとは術式を励起するだけだ。
「――『境界式・
刀印をきって、術を完成させる。次の瞬間、異界そのものから魔力が引き出され、透明な力場が眼前の影の前に立ちふさがった。
方々に散ったみんなとオレの位置、つまり、北、東、西、南東、南西、これらの五か所を結んで商店街全体に巨大な五芒星を描き、巨大な結界を形成したのだ。
それに、盈瑠の補助もナイスだった。オレが苦手な結界の組成の決定や範囲設定などの面倒なことは全てこいつがやってくれた。さすが天才児だ。
『成功だよ! 蘆屋君! 影が結界の前で止まった! 空の浸食も!』
すぐに凜から成功の報告がある。胸の一つも撫でおろしたい気分だが、まだ油断はできない。
『五芒ノ備』は強力な結界だが、境界式の名前の通り、物理的な壁を形成しているのではなくあくまで『境界』の内と外を定め、指定した存在の侵入を禁止しているだけ。
つまり、あの影以外の何かならば結界を抜けることができる。例えば――、
『こちら山三屋! 何か結界の向こうで動いてるよ! こっちに来る! あれはたぶん――嘘でしょ。あれって、妖怪の群れ?』
先輩からの報告。それはオレが頭の片隅に置いていた可能性が具現化したものだ。
山本五郎左衛門の影が干渉するのはこの四辻商店街という異界だけじゃない。その力は異界の住人である怪異、妖怪たちにも及ぶ。
考えてみれば当然なのかもしれない。山本五郎左衛門は妖怪たちの王とされている。
ならば王であるならば当然、率いる軍勢が存在するはずだ。
妖怪たちの軍勢、すなわち、『百鬼夜行』こそが山本五郎左衛門の異能。あの影に触れた怪異は全て、山本五郎左衛門の眷属となり果てるのだ。
それはつまり、オレたちが相手しなければならないのはあの影だけではなくこの異界とその住人全てであることを意味していた。
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