第44話 夕暮れ
異界とは現実の歪みであり、その歪みを生むのは人々の認識だ。噂や伝承、伝説などによって想起された強烈な感情が人々の認知を捻じ曲げ、いずれは現実をも塗り替えてしまうことで異界は生じる。
しかし、強烈な感情とは必ずしもマイナスの感情とは限らない。愛情や友情、あるいは喜びや尊崇、そんなプラスの感情が起源となって誕生した異界もこの『BABEL』の世界には存在している。
目の前にある街もそんな異界の一つ
永遠の郷愁に揺蕩うこの
「――おお」
そんな原作の地の文そのままな光景がオレの目の前にある。思わず自分の立場も状況も忘れて見入ってしまった。
街の南側にある丘から見下ろす商店街は名前の通り巨大な
なんだかこうして街を見ていると故郷に帰ってきたようなそんな温かく、安心するような気持ちになってくる。それはオレがこの街を原作『BABEL』を通して知っているからというだけではない。
この異界の元となった噂、そこに込められた強い感情が内部にいるものに影響を与えているからだ。
その感情とは懐かしさ。どんな人間でも抱く
だから、この異界の風景は誰もが『何となく思い浮かべる懐かしい場所』の最大公約数ともいえるようなものになっている。商店街の賑わいに、ひとりでに揺れる公園の遊具。家路を急ぐ足音。直接経験したことはなくとも、誰もが懐かしさと聞いて連想するものでこの異界は形成されているのだ。
そのため、この異界は異界にしては珍しく時代に応じてその風景を変える。人々の懐かしさの認識が変わるためだ。もう二十年も経てば閑静な住宅街に姿を変えているだろう。
もっとも、ここで暮らす住人たちについては時代がいくら進んでも変わることはない。ここの住人は必ずしもこの異界で成立したものではなく、大半はとある契約に基づいて移住を許された他の異界で生じた怪異だからだ。
この街は世にも珍しい怪異の街だ。古今東西の妖怪がこの商店街では暮らしており、他では手に入らない珍品の類が取引されていたりする。
くわえて言えば、この四辻商店街は1つの巨大な異界に複数の異界が内包された大異界だ。
人の過去を映し出す不思議な映画館や食べたものにさまざまな恩恵をもたらす駄菓子屋、
おお、あの端の方にあるのが原作で訪れていた児童公園か! あの座敷童とのエピソードは短いがとても感動的で――、
「ミチタカ、全員、転移しました。指示を」
「あ、ああ、分かった」
リーズに呼ばれて正気に戻る。浸っている場合じゃなかった。いくら明確な危険はないとはいえ、ここはすでに異界の中。手早く任務を片付けて帰還するとしよう。
「よし、もう一度、任務内容を確認するぞ。よく聞いてくれ」
転移してきた甲と乙両班合わせて7人の前で、不本意ながらこの合同調査任務のリーダーとして振舞う。オレはやりたくないとはっきり何度も先生に言ったが、他に指揮経験があるやつがいないのでどうしようもなかった。
「今回のオレたちの目的は異界の解体じゃなくて、調査だ。その調査の内容はこの異界の内部で行方不明者が続出している件についてだ。これらの事象に対して街の住人に聞き込みを行い、失踪した住人の確認と可能ならばその原因の究明を行う」
そう、今回のオレたちの任務は事件の捜査。解体局が管理しているこの大異界の内部で発生している失踪事件について調べるのだ。
だからこその
「調査時間は今からカウントして3時間、帰還用の扉は先生が維持してくれてるが、時間を過ぎると出口まで曖昧になってくるから気を付けろ。あと、自分の時間感覚は信用するな。気付いたら一日どころか、三日経ってたなんてこともあるから、常にスマホの時間をチェックするように」
なんだか遠足の注意事項みたいだが、本当に気を付けてない原作の主人公たちのようにここで一週間過ごす羽目になる。
だが、オレ達にはS-INEがある。怪異はこの異界の影響を受けないから時間を正確に測れる。
「じゃあ、事前の打ち合わせ通り。オレたち甲は街の北側、乙のみんなは南側だ。担当の場所での聞き取りが終わったら、ここに戻ってくれ。ああ、後、なにか取引を持ち掛けられた時は条件に注意するように。住人には意地が悪いのもいるからな」
注意事項の伝達が終わると、みんな、それぞれ担当の場所に分れていく。
オレの担当は、街の中心部近くの大通りだ。あそこは広いからオレ以外にももう2人、合計3人で担当することになっている。
その肝心の2人だが――、
「じゃ、アシヤン! エスコートよろしく!」
「蘆屋君、僕、お金そんなに持ってきてないんだけど、大丈夫かな? 電子マネーならあるんだけど……」
山三屋先輩と凜になった。きわめて公正なじゃんけんの結果だ。アオイは最後まで粘っていたが、勝負事の結果は重んじる気質でもあるので最終的には引き下がった。まあ、隣の区画の担当だから、きちんと仕事を終えてから合流してくるだろう。
「先輩の方がオレよりここには詳しいでしょ。あと、凛、ここではどっちにしろ金は使えない」
なんだか気が抜けるが、一応、最低限の警戒は解かないぞ、オレは。原作では癒し系のイベントだったが、既に原作からの乖離の激しいこの現実、油断は禁物だ。
◇
原作におけるこの調査任務の結果は『四辻商店街の住人たちの失踪は10年に一度のお祭りの準備のためだった』という微笑ましいものだった。
お祭りの名は『ゴロウ祭り』。ある大妖怪にちなんだ祭りで、この街の住人たちにとっては特別な行事だ。その準備のために100体単位の妖怪が巨大な神輿に変化していた、というのが一連の失踪事件の真相だ。
なので、オレにとってこの調査はすでに結果は出ている。だから、聞き込みをする必要もないのだが、やはり、万が一ということもありうる。そもそも本来のイベント発生時期とずれてるんだ。できるだけ直接確認しておくべきだ。
だからこれは真面目な調査だ。断じて、商店街食べ歩きツアーなどでは、ない。
「あ、先輩、あれ、あのぬらりひょん饅頭美味しそうじゃないですか? あ、こっちの河童印のキュウリの浅漬けもいい感じだし……でも、さっきの黄金蜂蜜もいいしなぁ……」
「お、リンリン、渋い好みしてんじゃーん! いいね、買っちゃおう! あ、でも、このアクセもいいなぁ。えと、血染めのブレスレット? 名前はともかくこの色好きかも!」
そんなオレの決意も虚しく凛と先輩はこの調査を信じられない程エンジョイしている。うーん、陽キャの極みだ、オレもいっそさっき見た豆腐小僧の豆腐ソフトクリームでも食べるか。
商店街の中央部付近だ。ここら一帯では住人達、つまり、妖怪や妖精たちがそれぞれ店を出している。
怪異で彼らには商いをして金を稼ぐなんて行為は何の意味もないが、外的要因か、あるいは人間の記憶から完全に消え去らない限りは存在し続ける彼等にしてみればこういう仕事はいい暇つぶしなのだ。
「二人とも楽しむのはもう諦めるが、気を付けてくれよ。ここの怪異は人間を傷つけないって誓約を立ててるが、売られているものは全部、怪異基準のものだ。だから、結果として害になることはあるから、買うものは慎重に選んでくれ」
「そうなの? こんなにおいしいのに?」
右手にまんじゅうを持ち、左手にキュウリを手にした凜の姿に一瞬気が遠くなるが何とか持ち直す。こいつの抵抗力と魔眼なら外れを引くようなことはないだろうが、なんにしてもすごい神経だ。これが原作主人公の格の違いか……、
「というか、人を傷つけない怪異なんているんだね……まあ、ここの子たちは今までと違って何というか、こわかわいい感じだし」
「珍しくはある。だが、オレの式神と似たようなもんだ。人を傷つけず、解体局の管理下に入る代わりにこの異界で存在し続けることを許容する、そういう誓約の元、彼等はここで暮らしている」
「へー……でも、なんでそもそも、そんな回りくどい、というか、環境保護みたいなことしてるの?」
おお、主人公らしい根本的な問い。こういう鋭い洞察力で、触れにくいところに触れていくのは主人公の特権だ。
「なんか明治から戦後までの間の時期に日本独自の怪異って数がすごい減っちゃったのよね。だから、その時期、日本の解体局の、と言っても、その頃はまだ解体局って名前じゃなかったんだけど、そこのお偉いさんが、日本の怪異を保護するって言いだして、この異界をいろんな怪異と協力して造ったんだって」
オレに代わって先輩が説明してくれる。オレも設定資料集で読んで知っていたが、きちんと勉強している人の方が適任だろう。
まあ、いつのまにかアクセが3個くらい増えてるがそれは気にしないでおこう。呪いが掛かってるのもあるが、あのくらいなら先輩が指で弾けば祓えるだろうし。
「その後、妖怪ブームとかでだいぶ数は戻ったんだけど、そこらへん誓約だからねー。解体局になってからもここの維持管理は業務の一環なんだよね。ちなだけど、あーしの実家、たまにここで公演やってるよ?」
先輩の実家である山三屋家はかの出雲阿国に連なれる家系で、探索者として活動しているが本職は神楽舞だ。しかも、贔屓には人間だけじゃなくて怪異、それも本当の神などが含まれている。
四辻商店街での公演もその一環だろう。あるいは、解体局が管理を円滑に行うために依頼したのかもしれない。
「すごいじゃないですか! 先輩も踊ったんです?」
「子供のころねー。あーしはほら、踊りより殴る蹴るの方が得意だし? アクションスターだし?」
「オレは見たことありますけど、好きですよ、先輩の踊り」
オレがそう言うと、先輩が足を止める。何事かと思ってそっちを見ると、先輩は耳まで真っ赤にしていた。かわいい。
「み、見たの? いつ? どこで?」
「三年くらい前の名家の寄り合いで踊ってたでしょ? 顔は仮面で隠してましたけど、先輩だってわかりましたよ。ほかとは、こう、動きのキレが違った」
「そ、そう? で、でも、忘れろし! そ、その、まだまだ出来が悪くて、恥ずかしいし!」
照れている先輩。本人は出来が悪いと謙遜しているが、あの時の踊りはそれはもう綺麗だった。先輩の踊りについては外伝小説で何度か美麗とか、ひらめくようなとか描写されていたが、実際に目にするとその通りだった。異能なしでも人間はこんな動きができるのだと感動したものだ。
「オレは別に踊りや神楽には詳しくはありませんが、先輩の踊りにはなんていうか、色気があります。こう、見ているこっちも踊りたくなってくるというかなんというか……」
「い、色気!? アシヤン、あ、あーしが色っぽく見えてたの!?」
「ええ。ただでさえ美人なんですから、おまけに踊りもうまかったらそう見えますよ。あ、普段の先輩もオレは好きですよ、かわいいから」
「かわいい……はぅ」
しまった。つい
……気を付けないとな。時々マジでオタクが抑えられなくなってしまう。それもこれも先輩や原作ヒロインたちがオレのストライクゾーンのど真ん中過ぎるせいだが……どうしたもんか。
「……蘆屋君って、朴念仁だけどたらしだよね。質悪いと思うよ、僕」
お前にだけは言われたくないぞ、凛。原作のお前のあだ名、一時期ヤリ〇ンだったんだからな! あいつはルート分岐すると一途だから違うとレスバで名誉回復に努めていたオレに感謝してほしい。
そんなことを話しながら、商店街を歩いていると不意に声を掛けられた。
「お、そこ兄ちゃん! 両手に花だね! ちょっと彼女さん二人にプレゼントでもどうだい?」
声の方に視線を向けると、そこでは烏天狗の露天商が店を出していた。
売られているのは、護符やアミュレットの類。どれもそれなりに効果のある代物のようだが、値段が書いていない。
というか、この店主。この商店街の妖怪にしては少し格が高いぞ。本物の天狗のようだし、この異界にいるのは他の妖怪たちのように生存のためではなく完全な趣味と見た。
「か、彼女かぁ。そ、そう見えちゃうかぁー、あ、あーしがアシヤンの彼女……」
「ぼぼぼぼ、僕彼女じゃないよ! お、男の子だもんね! ね、蘆屋君!」
先輩と凜はそれぞれ別の理由でフリーズしている。
「ははは! おもしれえ嬢ちゃんたちだ! まあ、なんでもいいから見ていってくれや!」
「いや、オレたちは別に――」
「え、このお守り、めちゃかわじゃん?」
「この木刀、なんかかっこいい」
とオレが断るより先に、二人は商品に食いついていた。
「ダメだ。下手に触るな。ぼられるぞ」
仮に値段がついているならまだしも、怪異との取引においては値段がついていない商品なんて怪しすぎて手が出ない。どれだけの品であっても魂と引き換えじゃ割に合わない。
「おっと残念。触った後なら吹っ掛けられたんだが、あんちゃん、なかなか用心深いじゃないか」
オレが2人を止めると、烏天狗は意外にも楽し気に笑いだす。趣味でやっているだけあってどちらに転んでも愉快なようだ。
「……ちなみに聞いておくが、この護符の値段は?」
「寿命二十年ってとこかね。まあ、こいつがあるだけで山の怪異を全部避けられるんだ。見方によっては安いもんだろ! 呵々!」
オレの問いにも動じず楽し気な烏天狗。確かに思っていたよりは安いし、効果も言葉通りなら凄いが、原作ヒロインと外伝主人公の寿命と引き換えにするわけにはいかない。
「ってことだ。こんな風に、どんな店も金で取引するわけじゃないし、吹っ掛けてくる場合もある。だから気をつけろって言ってんだ。わかったか?」
「……うん」
オレが改めて忠告すると凜はさすがに堪えたようで素直に頷く。
原作でも選択肢次第ではアホな買い物をして寿命をとられてBADENDというパターンもあった。数少ない原作の蘆屋道孝が関わらないBADENDではあるのだが、まあ、このENDでも適当な理由で死んでいるだろうことはまず間違いない。
「先輩もですよ。ちょっと気を抜きすぎです」
「……ごめん。ちょっと浮かれてた」
しかし、本気で反省している先輩を見ていると、ちょっとかわいそうな気もしてくる。
凜もそうだが、異界探索者に自由な休みなんて早々ない。
……まあ、2人が気を抜いている分は、オレが注意しとけばいいか。
「ともかく行きましょう。エスコートしますよ」
「う、うん! リンリン! アシヤンを困らせてやろ!」
「そうですね! 蘆屋君、覚悟してね!」
「はいはい」
そうして露店から離れようとすると、背後から声を掛けられた。
「じゃあな、あんちゃん。あんたとはまたどこかで会う気がするぜ」
風の鳴くようなどこまでも響く声。その声に振り向くと、そこにはもう烏天狗の姿はなかった。
……もしかしたらあの店主、妖怪どころか、どこかの神様だったのかもしれない。だとしたら、どこかで会うという言葉もあながち嘘じゃないかもしれないな。
まあ、神様に好かれても大抵、得点よりも試練の方が多くなるもんだが。
そのあと、オレと凜、先輩の三人は聞き込みを行いつつ商店街を見て回った。
不用意に一軒一軒覗こうとする2人を止めるのは中々に骨が折れたが、正直、楽しかった。
なにより原作主人公と外伝主人公と一緒に商店街巡りをできるなんてオタク冥利に尽きる。思わず、オレの足取りも軽くなろうというものだ
そんな風に暢気に歩いていると、別の区画、商店街の南側に差し掛かってしまう。しかも、そこで顔を合わせたのは、あの
「……なんや、女侍らしてあそんどるんかい。いい神経しとるわ」
盈瑠は開口一番、めちゃくちゃあてこすってくるが、完全にその通りなので言い訳のしようがない。
「いや、これも一応、調査の一環でな。こうやって商店街に溶け込むことで――」
それでもどうにか言い訳をしようとするが、すぐに背後で問題児2人が声を上げた。
「あ、ミツルン! こっちこっち! これおいしいよ! 小豆洗いの小豆バー!」
「蘆屋君、このがちゃがちゃ全部集めると『デラックス海坊主』と引き換えてくれるんだって! おもしろい! でも、デラックス海坊主って何?」
先輩も凜も盈瑠の冷ややかな視線を一切気にしてない、というか、気付いてもない。
……これが原作主人公と外伝主人公の鈍感力。オレもほどほどに見習うべきかもしれない。
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