第34話 触らないの?

 凜の水着は一言でいえば、妥協の産物だった。というか、厳密にいえば水着かどうかも怪しい。

 

 なにせ下にはトランクスタイプの水着を履いて、上半身にはパーカーを着ている。こう、体のラインとか、肩幅とか、そういうのを隠すための痛ましい努力以外のものはそこからは感じられなかった。


 ……いっそオレの口からもうお前の秘密みんなにバレてるぞ、と教えてあげた方がいいんじゃないかと思うが、もしかしたら、好き好んでこの格好してるかもしれないし、余計なことは言わないでおこうと決める。乙女心は複雑だろうしな。


「……ちょっと、付いてきてくれる?」


「お、おう。なんだ?」


 やけに真剣な顔をしている凜。思わずこっちまで緊張してくる。

 

 そのままオレを近くにある岩影の方に引っ張っていく凜。なにかあったのか? 

 安心しきっていたが、ここは異界だ。何が起きたとしてもおかしくない。

 

 凜には運命視の魔眼が備わっている、オレ達が気付かないことに気付いている可能性も十分にある。


「で、どうしたんだ? 何か見えたのか? オレ達だけで対処できるといいが……」


「だ、大丈夫。そういうことじゃないから……」


「じゃあ、どういうことだ?」


「……なんでそんなところだけ鈍いの?」


 そう言われても分からないものは分からない。異界絡みじゃないなら、一体なんだ?


 うーん、予測できない。こんなイベント、原作にはないし……、


「……僕、男の子ふりしてるでしょ?」


「ああ、それがどうしたのか?」


「…………だから、水着もこんなのしか選べなくて、海にも入れそうになくて……ほら、濡れたら透けちゃうし……」


「ああ、なるほど。それでオレにどうにかしてほしいってことか」


 ようやく合点がいった。凜の視点だと確かにこの件を相談できるのはオレしかいない。自分でいろいろ考えたが、どうにもならないのでどうにかしてくれってことだ。


 まったく死神も事情を知ってるんだから、もう少しこう考えればいいものを。まあ、そういう細かいことには致命的に向いていないだろうけど。


「認識操作の応用で多少の違和感は消せるが、相手が相手だしな。いっそ、物理的な手段に頼った方がいいかもしれん」


 武器を携帯してても怪しまれないようにする認識操作系の術は異能の系統を問わずに教わる基礎教養のようなものだ。

 そこそこ便利な術ではあるのだが、それは一般人相手の話。異能者相手にはあまり効果を発揮しない。この術だけじゃアオイたちを欺くのは無理だろう。


 まあ、そもそも、全部バレてるんだから本来偽装の必要自体がないわけなのだが……本人はまだ隠せているつもりだしなぁ……どうしたもんか。


「とりあえず、ウェットスーツとかで肌は隠すとして……さらしとかで体形は誤魔化すか。そんな感じでどうだ?」


「う、うん……そうだね……それしかないよね……」


 一方、具体的なアイデアを出せば出すほど凜の顔は沈んでいく。

 気持ちはわからんでもないが、オレにはどうしようもない。凜が自分の性別を隠すのをやめない限りは――ああ、そうか。そうすればいいのか。


「お前、そんな顔になるくらいならいっそ――」


「――ぼ、僕、一応水着選んだんだ!」


「お、おう」


 凜が叫ぶ。まるで意味は分からないが、真剣さだけは伝わってくる。


「今、この下に着てる!」


「そ、そうなのか」


「だから、蘆屋君が見て! そ、そのもったいないから!」


 言ってることが分かるようで分らない。せっかく水着を選んだのにもったいないって気持ちはわかるが、それとオレが繋がらない。


 いや、その、繋げられなくもないのだが、受け入れがたい。オレが知っている土御門輪のイメージが強固というのもあるし、あれだ、これ以上人間関係をぐちゃぐちゃにしたくないし、原作ブレイクもしたくない。かませ犬蘆屋道孝ルートなんて冗談じゃないぞ。


「…………そういうのはもっと別の相手にしたほうがいい」


「僕のこと誰にでもこういう話をする子だと思ってるの?」


「……すまん。失言だった」


 これに関しては間違いなくオレが悪い。

 意を決して言葉にしてるのに、受ける側がそんな態度じゃ侮辱しているのと同じだ。

 

 主要人物と距離を取りたい気持ちはあるが、憧れの相手に軽蔑されるのはそれはそれで嫌だ。例え性別が違ったとしても、凛に嫌悪される人間にはなりたくない。


「…………許すけど、代わりに頼みは断らないで」


 そういうと、凜はパーカーのファスナーに手を掛ける。そのままゆっくりと下ろし始めた。


 途端に、空気が変ったような錯覚を覚える。甘ったるいというか、妙に視界がセピア色っぽいというか……え? オレ、なにかされてるのか?


「どう……? 変じゃない……かな?」


 パーカーの下から現れたのは、ピンクのリボン付きの水着。それそのものは王道な感じで可愛らしいし、主人公らしいと言われればそんな感じの水着だ。


 問題は、その下の中身。日常生活で抑圧されているせいか、その、解放感というか、ボリューム感が凄い。

 一方でお腹の辺りは油断なく引き締まっていて、全体のスタイリッシュさを引き立てている。距離が近いからか、皮膚の下にある筋肉の感触までこっちに伝わってきそうだ。


 あと、普段とのギャップもヤバい。

 いつもはボーイッシュというか、男装してる凛が女性らしい服装をして、羞恥に頬を赤らめている。こう、オタク心が暴走する。

 

 しかも、凛はそれを狙ってやってない。さすがモテ男、否、女。

 誰か助けて、攻略されちゃう……、


 「下も合わせたんだけど……」


 追撃とばかりに、凛はトランクスを少し降ろし始める。止めようと思った時には下の方も露わになっていた。

 

 リボン付きの水着パンツ。やはり、それ自体は普通に水着だが、トランクスからのぞいてるというのがやばい。見てはいけないものを見ているようなそんな背徳的な気持ちに陥ってしまう。


「その、どう……?」


「どうって……いや、似合ってる。ばっちりだ。なんていうか、魅力的だ」


「そ、そう? 変じゃない?」


 ぶんぶんと首を振るオレ。

 こう、他のみんながよくもわるくも堂々としている分、恥じらいに唇を噛み、目をつむる凛の姿は心底、こっちを揺さぶってくる。


 オレは光のオタク。原作を尊重する戦士。オレのようなオリキャラどころかナルシストのカスが原作主人公とカップリングするなど許されない。そう、あってはいけないことなのだ。

 

 ……ふう、落ち着いてきた。やはり、オレは光のオタク、誰が何と言おうと光のオタクなのだ。


「……その、触ってみる?」


「な、何をっ!?」


「何をって言われても……それ、僕の口から言わせる気……?」


 いや、いやいやいや、何を言ってんだ、こいつ。ここ野外ですよ? わかってます? 近くに4人がいるんですけど?


「……触らないの?」


 触る! 触っていいなら! じゃない! 何考えてんだ、オレは!?


「僕は、いいけど……」


 誘うような視線に、理性が揺さぶられる。もはや据え膳どころではない。

 膳の方から口に飛び込もうとしてくる。こちらに選択肢はあるようで、ない。


「……いいよ、蘆屋君なら」


 凛の方から一歩間合いを詰めてくる。端正な顔が近づいてきて、瑞々しい唇が否応なく視界に入る。互いの吐息さえ嗅ぎとれそうだ。

  

 理性がゴリゴリ削られていく。だが、もういい。こんなに迫ってきてんだからオレは悪くない。前世も含めて青春している暇なんてなかったんだ、これくらいの役得はあってもいいかもしれない。


 というか、あれだ。女体化してる原作主人公なんてオリキャラか、オリキャラじゃないかで言えば、オリキャラだろ。

 だから、光のオタクとしてもセーフだ。問題ない、問題ない。いけるいける、いけばわかるさ。


「本で読んだよ? 親友同士なら、その、お互いの体を触り合ったりするって……僕、蘆屋君の親友になりたい。だから、お願い」


 どこの世界線の親友の話だ! もう関係持ったらセフレだろ! みたいな突っ込みさえ今のオレからは出てこない。完全に知性と理性が目の前の少女の色香に蕩かされていた。


「ほら、こことか、その、いいよ?」


 右手を凜にとられる。そのまま彼女はオレの手をトランクスの中に導こうとして――、


「――ほう」


 瞬間、強烈な殺気に煩悩が即殺される。反射的に背後に振り替えると、そこには修羅が立っていた。


「……浮気、ですね。現行犯ですね」


 修羅、もといアオイが言った。殺気と魔力で背後の空気が揺らめいている。このままだと、確実にオレは死ぬ。

 助けてくれそうな先輩とリーズも今回に限ってはそっぽ向いているし、彩芽は驚きに口元を抑えるフリをして笑いをこらえている。完全にこの状況を楽しんでやがる。


「ち、違う! 誤解だ! いろいろ誤解だ! な、凜!?」


「あわ、あわわわわわわわわ!」


 ダメだ。凛はパニックになってて役に立たない。慌ててパーカーの前を締めようとしてるがいろいろ引っかかってる。

 胸が揺れる。このままだと水着だけが外れてしまいそうだ。


「――まあ、そっちのはいいでしょう。さて、何が誤解なのか説明してもらいましょうか、道孝」


 アオイの鋭い視線がオレへと向けられる。詰んだ、いろんな意味で。


 ~BAD END 痴情のもつれ~ 


 

 …………にならないといいなぁ。




 

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