第二章 かませ犬の原作蘇生計画
第31話 望まぬハーレム部隊
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彼は必死で逃げていた。
文字通りに命が掛かっている。足を止めればその瞬間に彼の命数は尽きるのだから。
ここはとある県境にある廃病院。割れた窓と罅割れたコンクリートの床はここで過ぎ去った年月を物語っているようだった。
十数年前に放棄され、行政により何度も取り壊しが試みられたが、そのたびに不幸な事故により中断されてきた。
「ハァ……ハァ……」
病室の一つに身を隠す。ベッドの下に潜りこみ、鼠のように息を殺した。
足音が近づいてくる。彼を追っている者たちの一人だ。
その足音が病室の前で止まる。古びたドアに手が掛かり、ゆっくりと開いていく。
もう終わりだ、そんな諦めが彼の脳裏を過る。しかし、足音が部屋に踏み込んでくることはない。ゆっくりと遠ざかっていった。
安堵の息を漏らし、ベッドの下から這い出る。そのまま出口のある一階へと続く階段に向けて彼は進んだ。
この廃病院の歴史は戦前にまで遡る。戦時中は国軍の療養施設として使われたが、それゆえ、心のないうわさも立った。
曰く、この病院では人体実験が行われていた、と。
階段には死体が転がっていた。刃物で切り付けられ、炎に焼かれている。どれも無残な死に方だ、彼は恐怖を堪えながらそれらをまたぐ。
立ち止まっていては彼も彼等に仲間入りしてしまう。その前に出口に急がなければ――、
一階へとたどり着く。そこには上階とはまた違った意味での奇妙な光景が広がっていた。
壊れている。ただでさえ荒れ果て、崩壊しかかっていた病院のロビーは爆撃でもあったのかのような有様だ。床には大穴が空き、何枚かの壁には何かが爆発したような跡がある。
まるでここで何かの戦いでも起こったような――、
「――こんな場所で何をしてるんだ?」
無人なはずのロビー、外と内側を繋ぐ封鎖された扉の前に男が立っている。
彼は男が声を発するまでその気配さえ感じることができなかった。
彼には男が笑っているように見えた。何もかもを嘲笑うかのような悍ましい笑みだった。
「こんなところにいては危ない。さあ、こっちへおいで」
男の声は優しく、彼を誘う。だが、男の影に立つ何かに彼は気付いている。
怪物だ。巨大な怪物が、それも複数体、男の傍には侍っていた。
「ああ、そうか。警戒してるのか。大丈夫だ、オレは敵じゃない。
男の声は変わらず優しい。子供をあやすように彼を手招く。怪物の気配も今は消えていた。
彼は男の方へゆっくりと近づく。確かに従えている怪物はともかく男自身からはここに来るまでに遭遇したものたちのような恐ろしさは感じられない。
こいつなら殺せる、彼はそう思った。
彼の姿が本来のものへと変わる。哀れな
「ようやく牙をむいたか。助かったよ、いつまでも逃げ回られると面倒だったからな」
そうして、次の瞬間、彼は消滅した。
消えゆく怪異、その目が最後に目撃したのは拳を振りかぶった巨大な
◆
SIDE かませ犬こと蘆屋道孝
「――異界因の排除完了。全員、一階ロビーに集合」
オレが念話で集合を掛けると、全員からそれぞれに返事がある。五人分の念話を一人で中継するのはなかなかしんどいが、そうも言っていられない。
異界の崩壊も始まっている。とりあえず隊長としての初任務はどうにかこなせた。今はそのことに安堵すべきだろう。
そう、隊長だ。オレこと蘆屋道孝は 特殊探索小隊『甲』の隊長としてその初任務を完遂した。
三組の探索者を退けた深度Cクラスの異界の探索、及び解体。それがオレ達、特殊探索小隊『甲』の初任務だった。
探索の結果、異界因が実験の末、誕生したとされる変幻自在の怪異『シェイプシフター』だと特定。姿を変えて逃げ回るこの怪異を一階のロビーまで狩り立てて、仕留めた。
シェイプシフターは化けたものに生物、無生物問わず魂レベルで擬態するため、位置を特定するのが難しい。そのため、上からしらみつぶしにして確実に追い立てる作戦をとったのだが、作戦立案者兼隊長としてはうまくいってよかったと心底安堵している。
「ああ、くそ、これじゃ思うつぼだ」
そこまで考えたところで、いやになってため息をつく。この調子じゃ死神に『隊長らしくなって僕もうれしいよ。推薦した甲斐があった』とか言われる。誰もなりたいなんて一言も言ってないし、思ってもなかったのに。
特殊探索小隊『甲』とは原作『BABEL』の高難易度ルートにおけるストーリー中盤で発足される部隊の名称だ。
隊長を務めるのは、『主人公』土御門輪。学生の身ながら高難度の異界をいくつも攻略したことで、特例として任命されることになる。ちなみに、このルートに分岐するのは二週目以降のことで、二週目解禁要素の例に漏れず攻略難度は高い。
そんな輪の元に集うのは、『ライコウ流』山縣アオイ、『半神の少女』に『生ける都市伝説』、『交信者』といった輝ける才能を持つ
だから、この探索小隊に
なのに、実際はこうして指揮を執ってる。誰のせいか? 決まっている。死神、誘命のせいだ。
もともとオレは隊長になるどころか
そこに横やりを入れたのが死神だ。
『彼、ボクの弟子になったし、功績も上げてるからそこんとこよろしく!』という本人からすれば年末のあいさつ程度の気軽な報告に上層部は過剰に忖度することを決定した。
その結果がこのざまである。上層部の連中は解体局での出世=名誉だと思っている精神異常者が大半なのでオレは隊長にさせられていた。
拒否権はなかった。死神に転生者であるという弱みを握られてるし、解体局は基本的にブラックだし。
だが、転んでもただでは起きないことに定評があるのがオレだ。
オレはこの一ヶ月で危険人物リストを一時的に忘れ、もはや、リュックの中に半年間くらい入れておいたクッキーくらいバラバラにブレイクされた原作をどうにか蘇生することに専念することにした。
真面目に隊長業をこなしているのもそのため、功績を立てたところでうまいこと本来の隊長である凛に職務を譲る。そうすれば、原作というクッキーは輪郭を取り戻すはずだ。
そのための準備の一つが新たな式神の調伏。今までは部隊単位での行動を想定してなかったからあまり魔力の消耗が大きかったり、動きの鈍い式神を使うのは避けてきたが、隊員のフォローがあればこの通り十全に働いてくれる。
「おまえもご苦労だったな、
その新しく調伏した式神の一体が、この七尋童女だ。
本来は山陰地方に出現する歴史ある妖怪で、そこまで危険な怪異ではなかったのだが、近年では急速に広まったネット怪談と同一視されたせいで狂暴化して暴れることも多くなってしまった。
見た目は、言ってしまえば女巨人。身長が最大で
それになによりこいつのパワーはすさまじい。巨体に相応しい膂力とため込んだ魔力で中級くらいの怪異ならワンパンで粉砕できる。同じく土属性の塗壁童子が守りの要なら、七尋童女は攻撃の中心になりうる。
問題があるとすれば、ある程度は縮小可能とはいえ巨体ゆえの動きの鈍さだろうか。他に強いて言うなら……、
「ご、主人、あたい……がんばった、よ?」
「ああ、分かってる。よくやったな」
「う、ん」
屈んで頭を差し出してくる七尋童女。最小サイズでもオレの半分くらいはありそうなその頭を優しくなでる。
この通り、七尋童女の精神性は幼い。人間で言えば小学生低学年くらいだろう。そんな感じだから複雑な指示もあまり理解できない。今回のように敵が襲い掛かるまで待って殴る、くらいが限界だ。
「ご主人、優しい……好……き……」
「わかった。わかった。オレもお前たちのことは好きだぞ」
「うれ……しい……」
オレの体を巨大な両手で優しく包もうとする七尋童女。すると、その間をすり抜けるようにして、偵察に出していた鉄犬使たちも戻ってきて、意味ありげな目をしてこっちを見てくる。
「なんだ? お前たちも褒めろって?」
吠える代わりに頷く獅子と狛犬。ペットじゃないんだがな、と思いつつも、二匹のごつごつした頭も並行して撫でた。
まあ、こいつらはオレが十二歳の頃から付き合いのある古参の式神だ。たまにはねぎらってやる義務がオレにはあるだろう。
そんなことをしていると今度は袖に隠しているほかの形代までもがかさかさと動き始める。こいつらだけずるいと、そう言っているようだった。
「わかった! あとで全員褒めるから落ち着け!」
そう言ってなだめる。懐かれてるのはいいが、これじゃどっちが主かわかったもんじゃない。
というか、確かにオレの待遇は式神や使い魔を使い捨ての道具くらいにしか思ってない術師よりはかなりいいと自負しているが、懐かれすぎるのも問題だ。
「浮気ですか?」
ほら、どこからかアオイの声の幻聴まで聞こえてくる。辺りを見回すが、上階にいる彼女はまだロビーに到着していない。
「しかし、やっぱり念話以外にも通信手段が欲しいな。開発を急ぐか」
隊を率いる隊長としては、異界内での通信手段は多いに越したことはない。この異界のように念話が使える異界はまだいいがそうでない異界のことも考えておかないと――、
……ああ、くそ、また隊長として考えちまった。もう辞めたいのに! 誰かオレをクビにしてくれ!
しかし、これも原作君を蘇生するため。がんばれ、オレ、諦めるな、オレ。まだオレの原作蘇生計画は始まったばかりだ!
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