第30話 何事も予定通りに行くことはまずない

 翌日、動けるようになったオレは朝一番で屋敷に戻ることにした。


 輪、改め、凜は昨夜のうちに一足先に帰したし、昨日のことは二人の間での秘密ということにしたので、まあ、問題は起きないと信じたい。


 今はとにかく安心できる寝室でゆっくりと眠って精神を休めたい。

 昨日はいろいろありすぎた。語り部に襲撃されるし、山三屋さんざや先輩はオレのことが好きだし、土御門輪は女だし、もう原作君は息をしていないどころか、白骨化したうえに、粉骨されてしまった。

 

 オレのプランも完全に崩壊だ。これからの方針を考えるには休養がいる。それこそ、一人で、ゆっくりと――、


「何をやってるのです、そんなところで」


 と、思って屋敷の生け垣を越えた瞬間、アオイに見つかった。

 上着を脱いでワイシャツ一枚なせいで引き締まった身体のラインがよくわかる。ほんのり汗をかいてるせいか、妙に艶かしくて……じゃない、重要なのは抜き身の刀を持ってることだ。


 オレ、不審者じゃないんだけど、いや、やってることは完全に不審者だけれども。


「……なにも」


「生垣をよじ登っておいてその答え。喧嘩、売ってますか?」


 急いで生垣を降りて、佇まいをなおす。こういう時は開き直るのが一番いい。


「オレは、あれだ、この館の主として警備体制をチェックしてただけだ。そっちこそ人の家の庭で刀なんて持ってなにしてるんだ?」


「朝の鍛錬中に、こそこそしている気配があったので確かめに来たまでです。それに、ここは人の庭ではありませんよ。私たちの庭でもあるのですから」


「いや、まだオレの庭なんだが」


 しまった。まだとか言ってしまった。これだと将来的には二人の庭になると認めてしまったようなものだ。

 そのことに気付いているのか、勝ち誇った顔のアオイ。かわいい、じゃなくて、やっちまった。


「というか、なんでここにいるんだ? 寮に部屋があるだろ」


「夜分遅くなったゆえ、彩芽あやめが泊っていけというので皆で客間を借りました。それに、昨日の今日ですからね。貴方の妹を守るのは当然では?」


「……それについてはありがとうと言うしかないな」


「でしょうとも。気の利く妻だと褒めるように」


 語り部が逃走中なうえ、その雇い主が諦めたかどうかも分からない以上、彩芽が狙われる可能性は十分にあった。

 館には最大限の防衛措置は施してあるから大丈夫だとは思っていたが、確かにアオイたちがいてくれたのならより安心ではある。ナイスな判断だ。


「だが、皆っていうのはどういう……ああいや、わかった。君に、リーズに凜、先輩か」


「おや、よくわかりましたね。さすがです」


 まあ、簡単な推測だ。あのホテルにいたメンバーだし、互いを守り合うなら固まっている方が効果的だ。


「しかし、館の主ともあろうものがコソ泥の真似事とはよほどやましいことでもあるのですか? そう、それこそ、不貞行為とか」


「……いや、なにもないが」


「そういえば、土御門輪と山三屋ほのかの様子が随分とおかしかったですね。この二人だけは館に来たのも後でしたし」


「…………そうか。まあ、いろいろあるんだろう」


 こいつ、全部知ってるんじゃないか? そう思いたくなるほどの勘の良さだが、今先輩の告白と凜の秘密について話すのは信義にもとる。できるのは誤魔化すことぐらいだ。


「…………まあ、土御門の方に関しては察しがつきます。私も異能者の家系の出です。事情があるのは理解できます。なので、黙っていることはやぶさかではありません。その程度の信義は持ち合わせているつもりです」


「……助かるよ」


 やっぱり凜の秘密に気付いていたのか。流石は山縣アオイとでも言うべきだろう。

 武人としての観察眼ゆえか、あるいは異能者としての才能か、オレは全く気付いてなかったが――、


「というか、A班は皆気付いていましたよ。貴方だけです、分かっていなかったのは」


「え?」


「佇まいや貴方に対する態度から見ても明らかでしょうに。彩芽に至っては一目で気付いて、私に確認してきたくらいです。あとは、まあ、ウィンカースは気付いても認めるまでに時間が掛かったようですが。ともかく、貴方が鈍いのです。朴念仁」


 ひ、否定できない。マジでオレだけ気付いてなかったとしたら鈍いにもほどがある。

 でも、仕方がないだろ! オレの知っている土御門輪は紛れもなく男だったし、美少年と美少女は紙一重なんだから! 原作でもボイスは中性的だったし!


 だが、そんなことをアオイに言うわけにもいかないので甘んじて受け入れるしかない。


「というか、鈍い貴方が気付いたとは思えませんし、直接本人から聞いたようですね。なにが、何もなかったですか」


 こんな誘導尋問ある? 


「男女が一つ屋根のした数時間、これは浮気では?」


「ま、待て! なにもしてない! 話しただけだ! 早まるな!」


 アオイの瞳に殺気が灯る。

 ヤンデレスイッチの入る速度があまりにも早すぎる。お前そんなんなるのもっと終盤だろ。


「前から思っていましたが、貴方、少し節操がなさすぎます。出会う女性にょしょうを片っ端から口説かれては手が回りません。もう少し後にするつもりでしたが、に入れてしまうのも手ですね」


「待て待て、気が早すぎる! もっとこう普通の過程が必要だろ、いろんな意味で!」


 籠とはアオイの実家山縣家の所有する建物で、一族の人間が変生した場合に閉じ込める檻であり、後継者を作るためのな場所のことだ。

 まあ、牢屋兼子作り用の施設だ。どこが清浄な場所だと言いたくもなるが、一応、呪いを弱めて変生しかけている者であれば正気に戻す効果もあるのでそういうことになっている。子宝促進効果はあくまでついでだ。


 ……ちょっとアオイと閉じ込められてみたいななんて思ってないぞ! オレは光のオタクだ!


「まどろっこしい真似はしません。だいたい今回のほのかとの一件も私はまだ納得していません。人助けのつもりだったのは聞いていますが、言うべきことがあるのでは?」


「……それは、ごめんなさい」


 先輩の依頼を受けた件に関しては、平身低頭で謝るほかない。

 悔いてもいなし、下心も……ちょっとだけはあったけど、間違ったことはしていない。だが、それはそれとして、アオイから見れば浮気だ。怒るのは当然だ。


「……まあ、夫の粗相を許すのも妻の甲斐性ではあります。今回の場合は貴方が安請け合いをしたことで救われた命もあるわけですし」


「そ、そうか、ありが――」


「ただし、二度目はありません。なので、埋め合わせをしてもらいます」


「お、お手柔らかに」


 背筋を正し、こちらを指さすアオイ。大きな胸がより際立つ。可愛いし、色っぽいが、怖い。

 すでにヤンデレの片鱗が出ているアオイのこと。埋め合わせの内容が重くなるのは想像に難くない。覚悟を決めておこう……。


「貴方は今後二度と私の見ていないところで無茶をしてはいけません。命を懸けるなら、貴方だけではなく私のものも懸けてもらいます」


「へ?」


 よく理解できない。オレがアオイの見ていないところで無茶をしないことが行ったどういう理屈で今回の件の埋め合わせになるんだろうか?


「…………貴方は私のことを鉄の女か何かだと思っているのでしょうが、私も女、慕う殿方の身を案じることくらいします」


 頬を赤く染めて、視線を下げるアオイ。彼女らしからぬ奥ゆかしさはアオイという女性の魅力を花の香りのように引き立てる。


 は? かわいすぎるだろ? 女神か、この子。いや、原作ヒロイン女神だ。というか、女神以上だ。

 もし、許されるならこの光景を瞼に焼き付けてオレは死にたい。


「な、なんですか。急に、呆けるなんて。言いたいことがあるならいったらどうです」


「いや、すまん。かわいすぎて思考が停止してた」


「かわっ!?」


 あ、まずい本音オタクが漏れた。


「そ、そうでしょうとも! 私は強く、可憐なのです! 貴方もようやく理解したようで何よりです!」


 大声と豊満な胸を張って、照れをごまかすアオイ。

 なんて愛おしいんだ。こんな姿原作でも見られなかった。眼福どころじゃない、オレは今日死ぬんじゃないかというくらいに素晴らしい表情だ。


「ともかく、これでも心配していたのです。私たちは異界探索者、使命があり、命を捨てる覚悟は必要です。ですが、それでも、私は貴方が一人で死ぬのは許容できない。なので、死ぬときは二人一緒です」


 表情を引き締め、決意に満ちた顔をするアオイ。さっきまでとのギャップもあってか、アオイは本当に美人なんだなと分かる。


 そんな美人で、オレの最も愛する原作ヒロインな山縣アオイが、オレなんかのことを心配してくれている。望外の歓びだ。

 同時に、申し訳ない気持ちも沸いてくる。本当なら想いを受け入れるどころか、自分からプロポーズすべきなのに、今世の蘆屋道孝オレにはそんな自由もない。


「つまり、。そうなれば、死ぬも生きるも一緒です」


 っ!? 今の、今の最後の一言は!? 原作のアオイルートの名言、その2じゃないか! アオイルートのクライマックス、一人ですべてを背負って深異界に飛び降りようとする主人公にアオイが言った言葉じゃないか! このセリフの後に二人は一緒に決戦へと向かうという、BABEL屈指の名シーンに繋がる!

 なんてことだ。まさかリアルで聞けるときが来るなんて。幸福すぎて涙がでてきそうだ。オレは初めてそのシーンをプレイした時は泣きすぎて、翌日学校で結膜炎だと思われたくらいに泣いたんだぞ。


 ちなみに、目釘とは刀の柄の部分に刺す釘のことで、これがなければ柄が刀身に固定されず刀を振るうことはできない。つまり、刀として成立しないのだ。


 そして、アオイは常々自分を一振りの刀だと捉えている。だから、先ほどの彼女の言葉は自分という刀が成立するにはオレという存在が必要不可欠だという意味になる……! そして、自分もまたオレの目釘であるということは、互いにとって必要不可欠な存在になろうと言ってくれているのだ……!

 あのアオイがオレに向かってそんなことを言ってくれるなんて……生きててよかった! まさしく有頂天! これ以上の幸せがこの世にあるだろうか! いいや、ない!


「な、泣くほど嬉しいのですか。それはよかった、うん、私もその、嬉しいですよ?」


 どうやらマジで泣いてたらしい。

 泣いてる理由はアオイには絶対言えないが、でも、嬉しい。最高だ。これでオレが……ああ、思い出してしまった。


 それこそもう人生は悔いはないレベルの嬉しさが半減していくのが分かる。

 オレはあの歩く死亡フラグ、蘆屋道孝だった。そんなオレにアオイがあの名セリフを言うなんて解釈違いにもほどがある。


 くそ! 何でオレは土御門輪主人公じゃなくて蘆屋道孝なんだ! せめてルート分岐で死ぬこのバカじゃなければこの喜びで人生七回は満足できたのに!


「だ、大丈夫ですか? 道孝」


「……ああ、落ち着いた。ありがとう、アオイ。今度から君の傍以外では無茶はしない」


 どうにか正気に戻る。脳みそが煩悶で爆発しそうだが、オレには生き延びて、妹を開放するという目的がある。その目的のためにも今後は無茶を……控えられたらいいなぁ。


「――おや、お兄様。帰ってらしたんですね」


 そんなオレの心中を察したかのように、玄関からひょっこり顔を出したのは彩芽だ。オレを見つけると、少し安心したような顔をする。


「あら、もう戻ったんですのね、ミチタカ」


「え、もう、アシヤン戻ったの?」


「あ、蘆屋君、体はもう大丈夫?」


 彩芽に続いてぞろぞろとリーズ、先輩、凜の3人が出てくる。目に毒、もとい目が潰れそうなほどに幸福な光景だ。

 全員、上着を脱いでYシャツ姿。それも寝起きのせいか全員もれなく胸元やらがはだけて肌色やら色とりどりの下着がのぞいている。


 っておい、凜。お前はもう少し考えろよ! これまで気付かなかった自分をぶん殴りたくなるくらいには女出してるんだけど、こいつ。


「……まあ、籠の件はしばらくは良しとしましょう。私もわざわざ嫌われるようなことはしたくないですし」


 矛を収めるアオイ。問題の先送りでしかない気もするが、原作通りならそれでいいはずだ。

 ルート終盤のアオイはいわゆるヤンデレだが、見境がないというわけじゃない。少なくとも、いきなり仲間に刃を向けるようなことは絶対にしない。


「……で、結局、みんなで屋敷に泊まったわけか。ご苦労だったな、彩芽」


「いえ、楽しゅうございましたよ。失礼ですが、同年代のお友達ができたようで」


「ようで、は不要です。少なくとも、わたくしは彩芽とはお友達のつもりでしてよ」


「……リーズリット様」


 気持ちの良い笑顔を浮かべるリーズ。彩芽の方も本当にうれしそうな顔をしている。

 ……本当なら普通の学校に通って、普通の青春を送ってるはずの年齢だ。同年代の友達だってできただろう。


 なのに、彩芽はこんな館に縛り付けられている。それもこれも、なにもかもくそったれな本家のせいだ。おのれ。


「それなら、僕たちも友達だよ! ね、山三屋先輩!」


「うん! アシヤンの妹さんならあーしにとっても妹みたいなもんだし! あ、その、へ、変な意味はないよ! 本当だよ!」


「聞き捨てなりませんね。彩芽は私の義妹いもうとです。さ、彩芽、遠慮なくお義姉さまと呼ぶように」


 先輩は明らかに動揺しているし、一人だけずれたことを言ってるやつがいるのは気になるが、みんなが彩芽のことを気に掛けてくれるのはありがたい。

 死ぬ気はないが、こういう稼業だ。残されるかもしれない誰かのためにはできることは全部しておきたい。


「そういえば、お兄様。お手紙が届いてましたよ」


「手紙? 今時珍しいな」


 彩芽の手には確かに封をされた手紙がある。わずかに魔力を感じる。おそらく送られた本人にしか開けられないようにしてある。この時点で送り主は一つしかありえない。


 送り主は予想通り、解体局の事務室。なるほど、予想よりも早くについて話が着いたのだろう。


「解体局からの通達ですか。ただごとではありませんね」


 アオイが横から覗き込んでくる。小動物のような愛らしさだが、こればかりは見られるわけにはいかない。


「ああ、見るなよ?」


「失礼な。プライバシーは尊重します」


 ホテルまで尾行してきたくせによく言う。この手紙の内容についてはいずれは話さなきゃいけないが、今はまだ早い。


 手紙の内容はおそらく、オレが具申していた人員転換の件について。オレが近いうちにB班に移動になるという通知だ。


 手紙を開く。そのまま文面に目を通してオレは――、


「――は?」


 我が目を疑った。


「どうしました?」


 皆の視線がオレに向いている。心配してくれているところ悪いが、何かの策略としか思えない。

 

 オレの受け取った手紙には、長ったらしい前置きの後、こう書かれていた。


『――以上の情勢を鑑み、蘆屋道孝氏を再編される特別探索部隊『甲』の隊長に任ずる。全力をもって職責を果たさんことを期待する』


 オレ隊長になってんですけど! しかも、この甲のメンバー今のA班の面子+山三屋先輩なんですけど!


 オレが驚きに固まっている間に、アオイにひょいと手紙を取り上げられる。彼女は一通り目を通すと、目を輝かせながら口を開いた。


「おや、出世ですね。隊長とは。妻として鼻が高いですよ、道孝」


「え、蘆屋君、出世したの? すごい、おめでとう!」


 凜が拍手する。ぜんぜんめでたくない。


「学生のうちに隊長を任されるとは、わたくしの見る目は確かだったようですね……!」


 リーズはリーズで感心してるが、勘弁してくれ。あと、オレはあのどうやっても死ぬ蘆屋道孝だぞ? その時点でリーズの見る目は信用できない。


「てか、学生だと初だと思うよ? え、あーしもいる! なんで!? でも嬉しい!」


 先輩も先輩でぴょんぴょん跳ねている。やがて、凜と一緒にハイタッチを始めた。リーズも巻き込まれている。


 原作キャラたちが原作にはない組み合わせではしゃぐ様は目が幸せになるが、ここに至ってオレのプランは今度こそ完全に崩壊した。


 でも、まだ、何か手段があるはずだ……!


「お兄様、もうあきらめられては? 手ほどきは彩芽がしますよ」


 肩をポンと叩いてくる彩芽。何の手ほどきだよ……てか、まだオレは諦めないからな! 

 もう原作君は土台くらいしか残ってないが、それでも、生き返るかもしれない。そうオレが信じている限り、希望はあるはずだ。

 光のオタクの原作を守る戦いは続く……オレの心が折れるまで……!


 ……でも、一方で、この状況に幸せを感じているオレもいるわけで。認めがたいことではあるが、そんな諦めも今は少しだけ心地よかった。

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