第27話 1人いれば100人くらいはいると思え

 目の前にあるのは、果てしないやみ。その黒の中でオレは微睡んでいる。

 死んだのだ、間違いない。一度経験してるし、断言できる。


 前世のオレは、いわゆるオタクだった。ついでに言えば、早死にだった。

 享年21歳。ようやく大手を振ってエロゲをプレイできるようになったと思ったら、その1年後にはぽっくりと死んでしまった。


 だが、満足はしている。だって、両親よりは後に死ねたし、残される家族も持たなかった。それに、BABELに出会えた。他の人間からすれば小さな幸運かもしれないが、オレにとっては人生の価値そのものだ。悔いはないとはっきりそう言える。


 そう思っていたんだが、何故か目覚めた時には、蘆屋道孝になっていた。最初はあの『BABEL』の世界に生まれ変わったんだと喜んでいたんだが、次の瞬間にはまた死ぬことになるじゃねえかとキレたが少しでも原作に関われたのはこれ以上ないほど幸福だった。


 その幸福の揺り戻しだろうか。あの語り部を撃退したかと思ったのに訪れた突然の『死』。死にたくなくてここまで頑張ってきたが、いざその時を迎えてみると嫌味なほどにあっさりとしたものだった。


 今度は山ほど悔いがあるが、じたばたしても仕方がないのは経験済み。あとは主人公である輪たちに託しすしかない。遺言も残してあるから、彩芽のこともあいつらがどうにかしてくれるはず……。


 しかし、次は何に生まれ変わるんだろうか……できれば人間、それも平穏な世界で、幸せな生涯を送りたいもんだが……、


「――浸ってるところ悪いけど、来世のこと考えるのはまだ早いよ」


「…………もう少し浸らせてください」


「だめ。ぼくがお見舞いに来てるんだぜ? 一秒でも多く味わわないと犯罪だ」


「…………ますます死んでたい」


 死神せんせいに言われて、仕方なく瞼を開ける。そこにあるのは知らないどころか不本意ながら見慣れ始めてしまった保健室の天井だ。ベッドに寝かされているのだ。

 何か騒動があるたびにここに担ぎ込まれてる気がする。癖になる前にどうにかしたいが、今回に関してはオレのせいじゃない、気がする。


 だって、気絶する前に感じたあの感覚は確かに――、


「まあ、一瞬死んだのは死んだんだけどね、君。ぼくのせいで。あ、言っちゃった、黙ってるつもりだったのに。てへぺろ」


「……それ、もう古いですよ」


 そうなの? と驚いている誘命を無視して、半身を起こす。ありがたいことに今回は誰も他にベッドに寝てはいなかった。これ以上の原作ブレイクはキャパオーバーだ、脳が破壊されてしまう。

 

 魔力はだいぶ回復している。身体にもほとんど不調はない。ただ寒い、いや、寒気が残っている。一瞬死んでいたというのはマジらしい。


「生徒の危機だと思ってはりきりすぎちゃってさ、だいぶ漏れちゃったんだよね。いろいろと。それにあてられちゃったんだろうね、君、感度高いみたいだし」


「……それ、褒めてます?」


 ようは、戦闘態勢に入った死神の魔力、その『おこり』にあてられて死に掛けたというわけだ。

 いくら魔力を限界まで消耗してたと言っても、情けない話だ。きっとアオイもそんなオレの姿を見て幻滅してるに違いない。いや、それはそれでいいのか?


 というか、オレの読み通りにホテルの異変に死神が気付いてくれてよかった。もし、彼女が来てくれてなかったらオレたちは語り部の手で全滅させられていただろう。


「ほかのみんな、妹は無事ですか? 一般人の被害は?」


「うん。元気にしてるよ。みんな多少は疲れてるけどぴんぴんしてる。一般人にも被害はなし。とりあえず協力機関の病院に入院してるけど、明日には退院できるだろう。山三屋ちゃんの両親の暗示もぼくが解いといたよ。目覚めるまではもう少しかかるだろうけどね」


「……なにからなにまで先生のおかげですね。語り部の方はどうなりました?」


「語り部に関しては、あれだね、逃げられちゃった。いやー、逃げ足速いね彼女。少し遊びたかったんだけどなー」


「……そうですか」


 本当に逃げられたのか、あるいは逃がしたのか。死神の行動は読めない。

 せめて、語り部を雇ったのが誰かという確証は得たかったが、こうして生き延びただけ善しとすべきか。


「でも、安心して。もう今回の連中から狙われることはないようにしておくから。ぼくの生徒に手を出して、無事で済むなんて噂流されたくないからね」


「わかりました」


 死神が対処してくれるというなら安心ではある。なにせ、この世界における死神の力は最強なんて言葉がなまぬるく思えるほどの水準レベルだ。

 その気になれば全人類を一瞬で皆殺しにできる存在を敵に回すとは語り部を雇った連中も哀れなもんだ。まあ、彩芽まで巻き込んだ相手に同情する気になど一切ならないが。


「今回は突発的な案件だったのにみんなよくやったよ。被害ゼロなんて奇蹟だ。あのホテルにいた人間で重症なのは君だけさ」


「ますます情けなくなってきましたよ。先生は戦ってもいないのに魔力にあてられて意識を失うなんて」


「別に恥じることじゃない。だって、君が経験者だからこそ得られてることの方が多いだろ? 経験や知識はともかく、物の見方だけは身につけられるものじゃないからねえ」


「物の見方って……」


 ちょっと待て、経験者……? どういう意味だ?


「ん? そのままんまの意味だよ? だって、 なら、経験者だ。死を知ってる人間はそうはいないよ? ぼくがいうんだから間違いない」


 瞬間、思考が凍った。言葉が見つからない。否定も肯定もできずに、オレはただ死神の瞳を見返した。

 ダークブルーの光に濁りはない。それだけで冗談やかまかけの類ではないと分かる。


 オレは自分が転生者であることを誰にも話していない。妹である彩芽でさえその例外じゃない。これは信頼がどうとかそういう問題ではなく、危機管理リスクヘッジだ。

 情報は知っている人間が少なければ少ないほど漏れる心配は少ない。


 だから、安心していた。読心の異能者と遭遇しても、心に防壁を立てるのは探索者の基本、簡単に秘密を暴かれることはないだろう、と。

 それが、こんなにもあっさりと――、


「あ、ごめん。秘密にしてたんだ。でも、それくらいの知恵はあったみたいで、君の先生としては安心したよ」


「……どうしてわかったんですか、オレが」


「転生者だって? なんていうんだろうね、匂い? かな。君みたいな転生前の自我アイデンティティを維持してる子の魂は普通と違う匂いがするんだ。自覚してるにせよ、してないにせよ、きっと明確な役割があるからだろうね」


「役割……」


「天命、いや、もっと今の人に分かりやすく言うなら生まれてきた理由的なことかな。まあ、そこまで珍しいわけじゃないから安心しなよ」


 そういって笑う死神。一体何に安心しろというのか。

 

 というか、匂いって何だ、匂いって。そんなんで墓場まで持っていくつもりだった秘密を暴かれたのではこちらとしてはたまったもんじゃない。


「っていうか、珍しくないって……ほかにもいるんですか、転生者」


「まあね。だいたい死んでるけど。こう、二度目の人生だからか、慎重さに欠ける子が多いよね、転生者きみら。でも、君、その口ぶりだと自分だけじゃないんじゃないかってきちんと考えてたんだね。それで隠してたわけか。えらいえらい」


「……それだけじゃないですけどね」


 別に転生者がいる可能性についてはもちろん考えていた。そいつがオレのように解体局側の人間じゃないってことも十分にありうる。もし、そんな相手と対峙した時のためにもオレが転生者であることはできるだけ隠しておきたかった。


 しかし、一番の理由は別にある。

 この世界は『BABEL』の原作そのもの、あるいはそれに極めて近い世界だ。であれば、転生者などというがどんな目に合うかは想像に難くない。


「……オレをどうするつもりですか? に通報しますか?」


「委員会って……解体局の? あんな頭の固い連中に何を通報するの? あ、それか、それを心配してたんだね。まあ、そうか、連中が君を転生者なんて知ったら、捕まえて解剖して、脳みそホルマリン漬けにしたがるもんね」


 保全委員会とは、解体局内にある部署の名前だ。他の部署が異界の解体にまつわる業務を担当するのに対して、この部署だけは別の役割を与えられている。

 その役割とは解体局に所属する異界探索者、ひいては解体局全体の管理監督。探索者としての規則や規定に反するものを裁き、解体局を保全するのがその存在意義だ。


 そんな彼らの規定に照らせば、オレのような転生者は違反者どころの騒ぎじゃない。たんにとして狙われるのもそうだが、オレが原作知識という形で未来のことを知っているのも保全委員会にしてみれば許容できない事態だ。


 約二十年前に流行した終末予言とその予言に基づいて出現した特大の異界、その解体に際して解体局は多大な被害を出し、本当に世界が滅亡しかけたという事件、いわゆる『99事変きゅうきゅうじへん』以来、未来についての予言は解体局内では禁止されている。なんなら、未来について不正確で曖昧な占いを行うだけでもいい顔をされないレベルの規制が今の解体局には敷かれているのだ。


 そんな状況下で、強力な異界を発生させかねないをもつ人間がどう扱われるかなんて目に見えている。

 まず決して未来の情報が外部に漏れないように拘束された後、脳みそから直接情報を取り出される。その後は、魂だけにされて尋問だ。恥ずかしい秘密から忘れていた過去まで何もかもが記録として残されて、最終的にはホルマリン漬けにされる。原作『BABEL』を愛するオレでもこの結末は避けたい。


 そのためには、まず目の前の死神を何とかしないといけないのだが――、


「過去の転生者はどうだったかな。ああ、一人バレバレな子がいたか。結局捕まってどこかの保管庫ロッカーにしまわれてたはずだよ。元気かな?」


「元気なわけないでしょ……ともかく、先生、オレと――」


 今のオレと『死神』誘命には勝負が成立しないほどの力の差がある。であれば、口先でどうにかするしかない。


 幸い、彼女の行動理念は享楽主義だ。その方が楽しそうと思ってくれればこっちの提案も吞ませやすい。


「あ、ぼくが通報すると思って心配してるんだ。それで、ぼくのこと避けてたのか。かわいいところあるね、君。でも、心配しなくていいよ。お気に入りのおもちゃをおもちゃ箱にしまっちゃうほどこの世界に飽きてないさ」


「……そうですか。なら、よかっ――」


「でも、このまま無条件で君のことを黙ってるってのも面白くないなぁ……」


 すごく嫌な予感がする。ものすごくうまくいきかけていたのに、足元に突然巨大な穴が開いたような……、


「いいこと思いついた!」


 余計なこと思いついた、の間違いだろ。


「君、ぼくの弟子に決定! いやー、転生者の弟子は初めてだし、楽しくなってきたぞー!」


 おわた。

 もとい、終わった。


 死神の数ある趣味の一つが、弟子の育成。しかし、彼女自身は探索者、異能者の頂点である『七人の魔人』の一人でありながら、彼女の弟子で大成したものは一人としていない。死神の弟子は一人残らず死んでいるのだ。

 

 つまり、オレも死ぬ。せっかく生き延びたのに、また死亡ルートに突入してるじゃねえか。


「あ、それか、ぼくの恋人でもいいよ? キャー告白しちゃった! 死が二人を分かつまで、だね! あ、でも、もうぼく死んでるからそれじゃおかしなことになっちゃうか。うーん、じゃあ、宇宙の終わりまで一緒にいて? ちょうど一人は寂しい気がしてたんだよね」


 妖艶に微笑む死神。まさしく時が止まるかのような美しさだ。

 原作では見られなかった顔だ。彼女が人間など及びもつかないほどの強大な存在であることさえ、一瞬、脳裏から消え去ってしまった。


 誘いにも思わずうなずきそうになる。弟子はともかくとして、原作の死神には恋人はいなかった。もし、彼女が恋人にしか見せないこんな表情がほかにもあるなら見てみたい、そう思った。


 しかし、直前になってどうにか光のオタクとしての自我がオレを引き戻す。それはダメだ。


「…………弟子でお願いします」


 ちぇーっと残念そうにしながらも、頷く死神。原作をプレイしているときからそうだが、彼女に関しては何が本気で嘘なのか、まるっきりわからない。


 でも、一つだけ言えることがあるとすれば、誘命と普通の人間ではあまりにも価値基準が違いすぎる。彼女を攻略するには自分もになる必要がある。それでようやく第一歩だ。


 …………残念だと思う自分オタクがいるかいないかで言えば、確かにいる。

 誘命は謎の多いキャラで原作では攻略キャラではなかったが、ファンは確かにいた。


 かくいうオレもその一人。まあ原作キャラなら蘆屋道孝を除き全員が好きではあるのだが、ミステリアスでエキセントリックな彼女に振り回されてみたいと思ったことは何度かある。


 だが、オレは光のオタク。原作キャラの恋人になって原作ブレイクするなど許されない。もういろいろと手遅れな気がするが、命惜しさ以上にオレはこの方針を大事にしていきたいのだ。

 ……この発言がフラグにならないことを祈るのみだ。

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