第26話 即死攻撃ってだいたいボスには効かないよね

 端的に言えば、この砂漠の異界に取り込まれた時点で、オレは

 異界を解体しようがしまいが関係なく、標的である蘆屋道孝は死ぬ。そういう異界を創られてしまっていた。


 なぜなら、オレはこの『千夜一夜物語』の異界において登場人物としての役割と語り部としての役割の両方を設定されていたからだ。

 登場人物としての筋書きは『探索者たちは奮闘虚しく全滅してしまいました』といったところ。そして、それに抗って物語を壊してしまった語り部に待つのは


「――道孝!」


「大丈夫だ……少し動脈が切れただけだ」


 アオイが血相を変えて走り寄ってくる。彼女らしくないと思いつつも、自分を心配してくれていることに嬉しくなってしまうオタク心が嫌になる。


 呪詛返しには成功したものの、その代償はあった。

 河童童子の秘薬のおかげで出血は抑えられているが、意識がもうろうとする。


 魔力もからっけつだ。呪詛返しを成立させるために魔力のほとんどを使い切った。


 しかし、その甲斐はあった。目の前には首を断たれた死体が一つ、黒いローブで顔は見えないが間違いなく語り部のものだ。

 その証拠に周囲の風景も砂漠からホテル・ヴェスタのロビーに戻りつつある。異界の解体に成功したのだ。


「何が起きたのですか……? あの死体は……」


「呪詛返しだ。斬首の呪いを返してやった」


「斬首の呪い……この異界に掛けられていたものですか?」


「正確には少し違う。この異界がそもそもそういうものだったんだ。よくできた罠だよ、まったく」


「よくわかりませんが」


「この異界は千夜一夜物語を基礎テーマにしている。その千夜一夜物語はそもそも語り部のシェヘラザードがある暴君を諫めるために語った物語だとされててな。その暴君の困った癖っていうのが、朝になると娶った妻の首を刎ねるっていう物騒なもんなんだ」


 そんな王を止めるために語り部シェヘラザードは自ら王のもとに嫁ぎ、毎夜、物語を聞かせた。

 物語は必ず『続きは、また明日』と締めくくられ、物語が続く限り王は語り部を生かし続けた。


 そうして、千日目の夜。王は自らの悪癖を改め、語り部を正式な妻として迎えた。

 つまりは、めでたしめでたしハッピーエンドだ。だが、もし、千夜の内、ただの一度でも語り部が物語を失敗していたら結末は真逆のものになっていただろう。


 それがこの異界の神髄。千夜一夜物語そのものだけではなくまつわる因果さえも再現する『呪い』。

 異界が解体された瞬間に、その呪いがオレへと降りかかった。物語をぶちこわした不埒者は王の刃に裁かれるのだ。


「……異界因が排除され、異界が解体された。つまり、語り部が物語に失敗したからあなたの首が刎ねられそうになった、そういうことですか?」


 オレが頷くと、アオイは怪訝そうな顔をする。まあ、気持ちはわかる。これだけだと納得はできない。


「ですが、それならば異界を解体されて首を刎ねられるのは貴方ではなく語り部のはず。ああ、いえ、結果的にそうなってはいますけど」


「そこが肝でな、原理は呪詛返しと一緒だ。自分が受けるはずの呪いペナルティを他人に移して、確実に相手を仕留める。そういうからくりで殺し屋家業をやってきたってことだろうな」


「……異界に呑まれた時点で我々は負けていたってことですか」


「そうなるな……まあ、だからこそどうにかできたってのもあるが」


 術師としてオレと語り部を比べた場合、オレが語り部に勝っている要素は一つしかない。

 それが『呪詛返し』も含めての呪いの扱い。特に呪詛の対象や経路の変更はオレだけではなく陰陽道を扱う異能者にとっては専門分野だ。


 オレのやったことはようは呪詛返しの呪詛返し。そもそもの呪いの対象に呪いを返すわけだが、普通の呪詛返しよりは多少は難易度が下がる。相手の使った呪いの経路、縁を逆にたどればいいから、新しく縁を作る苦労もない。


 まあ、それでもたった一瞬語り部を上回るために魔力のほとんどを使い果たしてしまった。今のオレには式神を出すだけの余力さえない。


「もう一つだけ。なぜ、呪いの対象が自分だと分かったのです。狙いが山三屋ほのかということもあったでしょうに」


「そこはマジで勘だ。あの時点でのオレの運勢は大凶だったしな」


「………そうですか」


 一つ嘘を吐いた。

 オレは最初から先輩の分の呪いを引き受けるつもりで彼女に形代を張り付けておいた。物理的な攻撃は肩代わりできないが、概念的な罠や呪い、因果系の異能が発動した場合は対象をオレの方に変更するように事前に設定しておいた。だから、先輩は無事なはずだ。


 ぶっちゃけていえば、最初から因果を用いての攻撃が来ると確信していたわけじゃない。

 もしそういう罠があるとすればこうしなければ誰かが確実に死ぬ、そう判断して、その対象を唯一対抗手段のあるオレに絞っただけのこと。臆病さの勝利ってやつだ、スマートじゃない。


 だが、まあ、勝った。どうにかこの難局を乗り切った、そうオレは確信していた。


「別動隊と合流しましょう。動けますか?」


「階段を上がるのはしんどいな。エレベーターが使えるといいんだが――」


 オレたちが今いるのは一階のロビー。先輩たち別動隊がいるのは屋上付近。合流するとすれば中間地点で待ちたいが……、


「――いやはや、見事。呪い返しをされるなんていつぶりかねえ」


 切り落とされた首が声を発した。ありえない、そうオレが思考するより先にアオイが駆けていた。

 一閃。振り下ろされた刃が語り部の首をさらに両断する。しかし、既に声を発する器官さえも存在しないはずの肉塊が笑い声を発した。


「いいね! 血の気が多い嬢ちゃんだ! この国流に言うと、侍ってやつなのかね?」


 どこからか一陣の風が吹く。すると、語り部の屍が消える。砂漠に残された足音がかき消されるように、そこにはもう何もなかった。


「――解体局も侮れないもんだ。学生と侮ってたわけじゃないが、粒ぞろいじゃないか」


 そうして、風の吹く先にそいつは立っていた。

 語り部だ。


「やれやれ、は仕事をしくじったことないってのが売りだったんだが、これじゃ看板下さないといけなくなるね。まったく踏んだり蹴ったりだよ!」


 語り部はおもむろにローブを脱ぎ去る。その下から現れたのは、褐色の肌をした美女。踊り子の衣装に身を包み、左手には古ぼけた本が握られていた。


 殺し屋語り部、やはり、女だったか。凄い美人、ナイスキャラデザだ。しかし、くそ、一体どうやって……、


「どうして、生きてるって言いたそうじゃないか、坊主。なに、簡単な話さ。あんたと同じでおれも用意周到でね、万が一の時の命のストックくらいは用意してる」


「……なるほど。侮ってたのこっちってわけか」


 術師の中には形代や身代わりも含めて、保険として命のストックを持つものも少なくない。そうでもしなければ即死攻撃だらけの怪異の相手などしてられないからだ。

 だから、高位の異能者同士の戦いにおいては相手を殺す手段を複数用意しておくか、あるいはそのストックごと相手を殺す手をもっておかなければならない。実際、語り部が仕掛けてきた斬首の呪いは成立すれば、オレの用意していた形代を突破してオレの首を落としていた。


 オレはその呪いを返した。だから、仮に語り部が命のストックを用意していたとしても問題はない、はずだった。


 しかし、語り部は蘇った。問題はそこにある。


 大抵の場合、形代などの命のストックは本体である術師が『死ぬ前』に発動し、身代わりになることが多い。

 それに対して、さっきの語り部は一度完全に死んでいた。その上で、蘇生している。こうなると術としての難易度は跳ね上がるが、確かにこの方法なら身代わりを突破されても生き返ることができる。七人の魔人以外にこんなことができる術師がいるとは……やはり、この世界は侮れない。


「そうでもないさ。あんたらはやれることをすべてやった。おれの異界を踏破して、その上生き延びたのはあんたが初めてさ。呪い返しでおれを殺したやつもね。おかげで、あんたを殺して、山三屋の嬢ちゃんをさらっていく計画がおじゃんだ」


「死んだ上で、生き返った。そういうわけですか」


「魔法のランプさ。そういう使い方をしたもんでね」


 所有者の願いを叶えるランプの魔神。語り部はおそらくそれを万が一の際の保険として使っている。「自分を生き返らせろ」という願いを事前に設定しておいて、それを死後に発動させているのだ。

 さすがというべきか。死者を呪うことはできない。自分が死ぬことを条件にすれば願望機が願いをかなえる際に必ず要求する代価リスクも踏み倒せる。


「……アオイ、やつの狙いはオレだ。お前だけでも逃げろ」


 オレは言うまでもなくアオイも奥義を放った後だ。相当に消耗してる。

 相手はあの語り部。異界を破られて多少は消耗してるとはいえ、この状況では全滅は必至だ。


「お断りです。よく言うでしょう、死が二人を分かつまで、と」


「誓った覚えはないんだが……」


 なのに、アオイは逃げようとしてくれない。なら、オレも四の五の言っていられない。

 やれることは全部やってやる。死にたくはないが、そのためにこそ足掻く。


「いいぞ。殺すのが惜しくなるほどに若く、無知だ。だが、これも仕事」


 語り部の指が本のページに掛かる。おそらくはそれが術の発動のための準備。今仕掛けなければ本当に勝ち目が無くなる。


「せめて苦しまずに済む物語を――っ!?」


 足音が聞こえる。トンという軽い音、聞こえるか聞こえないかの音量だが、その場にいる全員の耳に届いていた。

 

 瞬間、背筋に寒気が走る。道理も理性もなく本能が予感した。


 そうして、次の瞬間、事象が本能に追い付く。

 周囲を舞っていた砂ぼこりが中空で静止している。ホテルのロビーの噴水の水も同じように止まった。


 死とは『静止』とも定義できる。心理学における行動の定義が『死人にはできないこと』であるように、自発的に動かないものは死んでいるのだ。その定義に則るように、ここでは命を持たない存在でさえも静止し始めていた。


 ……どうやら間に合ったらしい。間に合ったらしいが、いくらなんでもめちゃくちゃだ。まだホテルの敷地に踏み入った程度で、この濃厚な死の気配。一般人がみんな気絶してるからいいものの、下手したらこれだけで死人が出てるレベルだ。


「……時間切れか。やれやれ、おれも焼きが回ったか。でも、あんたの名前は覚えたよ、蘆屋道孝。またどこかで会おうじゃないか」


 待て、という余裕はオレ達にはない。風にさらわれて語り部は姿を消した。

 体の奥底から凍るような寒気に全身が震える。まともに立っていることさえできない。


「…………道孝、これは」


「先生だ。誘先生が来てる。とりあえず助かったが――」


「――道孝っ!」


 視界が黒く潰れていく。呼吸ができない。寒気はすでに冷たさに変わっていた。

 この感覚をオレは知っている。死だ。記憶にある命の消える瞬間がここに再現されていた……!

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