第24話 千の夜

 異界が異界として成立するためには必ず元となる人の認識の歪みが必要となる。

 歪みを生みだすものは人の感情を伴ったうわさや伝承、あるいは物語。これらが広く人口に膾炙することで、認識の歪みが生まれて異界が生じる。


 ゆえに、異界にはそれぞれに特性があり、そこに出現する怪異にもある程度の法則性テーマが存在する。特にこの法則性は異界が自然発生のものではなく人為的なものであればあるほどはっきりとしていく。人間が物事を知識や経験というを通して理解する生き物である以上、異界もまた物語と切り離せないのだ。


 だから、目の前にある広大な砂漠、怪異が潜むばかりで異界のモチーフやもとになった噂や伝承を特定する手がかりはないように思えるこの場所にも必ずもとになった物語がある。


 それが掴めさえすれば、この強力な異界も攻略可能。そして、オレはこの数時間でこの異界が一体どんな伝承によって成立しているのかを理解し始めていた。


「……少し掴めてきたかもしれん」


「この異界のことですか? それとも私のことですか?」


 討ち取った怪異、巨大な白い翼をもつ鳥型の怪異の死骸の上からひょいとアオイが降りてくる。

 この怪異の正体は、おそらく『ロックちょう』だ。ただでかいだけの怪鳥ならほかに候補はいくらでもいるが、砂漠でその上、白い翼をもつとなればまず間違いなく中東近辺に伝わるロック鳥と見ていい。


 異界としては中級クラス、その中でも上澄みレベルの相手だが、アオイに掛れば一撃だ。というか、原作より強くなってないか、こいつ。


「異界についてだ。お前、そんなキャラだったか?」


「おやおや、『お前』と呼び始めましたか。もう亭主関白とは、躾甲斐が、ああいえ、夫婦としては進展ですね」


「……もういいよそれで」


 アオイが原作より強くなっている理由は彼女が一度変生し、その力を無意識に取り込んでいるからだ。普段の生活では気付かなくとも異界に入ると鬼の力がより顕著に表れる。

 原作でも同じ事象は起きていた。ただし、時期はもっと後、今年の冬ごろ。これもまた原作ブレイク。なんか、バグを利用してrtaしてるみたいな感じだが今はよしとしよう。


 そんなリアルタイムアタックRTA仕様のアオイがほとんど一撃で怪異どもを切り捨てているおかげで、オレたちは驚異的な速度で砂漠を進むことができている。

 オレたちの担当する南側の異界因はもう目の前。だが、その前にこの異界そのものと語り部について分かったことを共有しておく必要があった。


「ちなみに、今回の一件について私はまだ納得していませんからね。事情はおおむね察せますが、埋め合わせはしてもらいますから」


 アオイが突然、そんなことを言い出す。今回の一件というのはまず間違いなくオレが山三屋先輩の彼氏のフリをしてこのホテルに来たことだ。


「……今それ言うか?」


「今だからこそ言うのです。生きて帰ってからの話ですから」


 当然でしょう、というアオイの表情につい嬉しくなってしまう。

 やはり、最高だ。この状況下でアオイは何一つとして諦めていない。この強さ、気丈さがオレに力をくれる。


「それでこの異界について何かつかんだんですか?」


「ああ、大分な」


 もったいぶらずに続けろという態度のアオイ。切り替えが早すぎて戸惑う。


「ここまでに遭遇した怪異は、喰人鬼グール、半人半蛇の蛇女ラミア。で、このでかい鳥はたぶん、だ。これらの怪異をつなぎ合わせると、一つの物語が浮かんでくる」


 オレはそこで言葉を切り、自分の考察をかみしめる。前世から温めていた考察がおそらく的中しているとなると、不謹慎とはわかっていても興奮を隠しきれなかった。


「――千夜一夜物語アラビアンナイトだ」


 千夜一夜物語とは、中東で成立し、翻訳を経て欧州にまで広く伝播した一連の物語群のことだ。この極東日本においても原典には馴染みがなくとも、そこから派生した作品や一部には誰もが一度は触れたことはあるはずだ。


 喰人鬼も蛇女も、そしてロック鳥も千夜一夜物語に登場する怪異だ。知識さえあれば推測はできる。

 暗殺者の『語り部』という異名とも符合している。千夜一夜物語はそもそもが語り部の女性、シェヘラザードが暴君を鎮めるために毎夜閨にて語ったもの。千夜一夜物語に関連した異界を操るものが語り部と名乗るのは自然なことだ。


「……魔法のランプとか絨毯とかのあれですか?」


「そうだ。可能性は高いと思う」


「…………貴方を信じます。それで、どうしますか?」


 アオイからの信頼に思わず胸が熱くなるが、これはオレだけの手柄ではない。半分は我が光のオタクの同志の一人、PN《ペンネーム》ゴールデンひまわりさんのおかげだ。


 オレは前世でファンサイトに掲載されていたゴールデンひまわりさんの『語り部』の異界が千夜一夜物語に関するものじゃないかという考察を目にしたことがあった。この発想に至ることができたのもその考察を読んだおかげだ。

 オタクでよかった。ありがとう、ゴールデンひまわりさん。


 そして、ゴールデンひまわりさんのおかげで気付いたことがもう一つある。一連の考察が正しいとすれば、この異界は解体した後にこそ危険があるかもしれない。


「……やること自体は変わらない。この異界を解体する。だが、注意しなきゃいけないのはその後だ」


「後? 異界を解体した後に何か起こると?」


「その可能性が高い。対策はしとくが、まずは――」

 

 進行方向、南側に向き直る。感知していた強烈な炎の属性の気配がこちらに向けて動き出した。おそらく異界因の感知範囲に入ったのだろう。

 

 蜃気楼が近づいてくる。熱に揺らめく陽炎、その中心に異界因それは立っていた。

 炎を纏った黒い巨人。暁星のような二つの眼がこちらを睨む。


「――炎の鬼神。なるほど、斬り甲斐があります」


「イフリートだ。油断するなよ」


 イフリート、炎より生じた魔神ジンの一種。個体名こそ持たないがそれでもBランク、つまり、第三等級『禁域』に属する上級の怪異だ。容易い相手じゃない。


 だが、今オレの隣にはあの山縣アオイがいる。彼女の力を十全に活かすことができればオレたちに負けはない。


 心配なのは、北側に向かった先輩たちだ。こっちは強力だが、分かりやすいのが出てきたけど、向こうもそうとは限らない。

 もし、搦手で攻められた場合、鍵になるのはリーズだ。オレとやった特訓が役に立つといいのだが……、


SIDE 山三屋ほのか


 怪異とは理不尽で、不可解なもの。それはあたし達、異界探索者を志す者がいろはのいとして叩き込まれる鉄則だ。

 山三屋ほのかあたしだって学園の二年生、単独探索を許されるだけの経験を積んできた。問いかけにどう答えても即死の呪いをかけてくる悪霊とも、目撃者を執拗に襲撃する西洋出身のネット怪談ロアの怪物とも戦った。

 それなりの数の怪異をこの拳足で屠ってきたし、並の怪異ならば蹴散らせるだけの実力があると自負している。でも、今この砂漠の真ん中で遭遇したこいつは――、


「――先輩! 上!」


「っ!」


 輪くんからの警告を信じてその場から飛びのく。肌を掠めた『何か』の感覚にギリギリのところでかわせたことが分かる。


 だが、見えないし、聞こえない。さっきだって攻撃がすぐそばを掠めたはずなのに、見えないどころか、音もしなければ、何の気配もなかった。

 

 こんなの初めてだ。明確な実体を持たない悪霊でも完全に視覚で捉えられないわけじゃないし、寒気として気配を感じられる。

 だっていうのに、この『透明な怪物』からは何も感じられない。明確な実体があるにも関わらずそこにいるという実感を何一つ発さないのだ。

 

「サンキュー! リンリン!」


「すいません! 直前まで僕、見えなくて……」


 それでもどうにかあたしたちが生き延びられているのは、土御門輪この子のおかげだ。

 輪君の魔眼、本人からは未来視に近いものだって言ってたけど、のおかげで辛うじて攻撃の直前で感知することができている。それがなかったら、あたしたちはとうの昔に全滅してた。


「それでも、見えないよりはマシ! リズリズ、そっちは大丈夫!?」


「ええ、なんとか!」


 問題は、リズリズの作戦。彼女の魔術がこの敵に通用しなかった場合、あたしたちは全滅する。発動前にリズリズがやられた場合も全滅する。

 つまり、すべてリズリズに掛っている。情けない先輩だけど、今は後輩を信じるしかないけど、そこは信じられる。


 この怪異の正体に最初に気づいたのもリズリズだ。

 千夜一夜物語に登場する、正体不明にして不可視の怪物、その名を「アー・バオ・アクゥー」。涅槃、つまり天国へと続く勝利の塔に住まう怪物であり、塔を登るものへと訪れる人生という苦難の象徴。それがあたしたちの今戦っている怪異だ。


 なんでもリズリズはここに至るまでに戦闘した怪異の種類からこの異界が千夜一夜物語に関わるものでないか、と予想できていたらしい。だから、不可視の怪物の正体にも気づけた。といっても、こいつは千夜一夜物語の英語版の注釈にのみ登場する怪物らしいけど、そんな細かなところまで拾ってくるのも正体不明の殺し屋が自分の異界の正体を隠すためにやっているのだとしたら納得だ。


「来ます! 僕が引き付けます!」


「OK!」


 輪君と同時にその場から飛びのく。

 幸いにも、この『不可視の化け物』はあたしと輪君を優先して狙っている。いつまでもは無理だけど、あと数分なら時間を稼げる。


「――『座標指定、条件設定、測定開始』」


 リズリズの魔力操作は術者じゃないあたしでもわかるほど洗練されている。

 前の決闘で見た時はここまでじゃなかった。蘆屋君と特訓したって言ってたけど、その影響だろう。


 蘆屋道孝。次期道摩法師候補筆頭、彼と同世代の探索者でその名前を知らない人はいない。

 本人は所詮しがない分家の出とか言ってるけど、それほどまでに彼の才能は知れ渡っていた。


 10歳で相伝の式神すべてを調伏し、15歳で神域の式神、それも既存のものではなく独自オリジナルの式神をも創造してのけた。

 あたしは言われなかったけど、お前もあの子のようになれと説教された同世代は数知れない。


 だから、初めて会う前は一体どんな傲慢なやつなのかと警戒してた。きっと名家の天才児だって自負が服を着て歩いているタイプなんだろうと。


 でも、違った。隣のメイドさんと楽しそうに談笑している彼を見て、あたしは一目惚れをした。


 そう、一歳年下のどこか大人びた彼をあたしは一目で好きなってしまっていたのです。

 優しくしてくれたことも、まだへたくそだったあたしの踊りをほめてくれたのも全部後付け。一目見た瞬間に、あたしの運命は決まっていたんだ。


「センパイ!」


「了解!」


 リズリズからの合図。術が完成した、なら、次は指定の場所まで怪物を追い込む。それはあたしと輪君の役目だ。 


「――リンリン!」


「右から来ます! 今!」


「――『十八番ぜっしょう・流れ』」


 瞬間、あたしは五感のうち四つを閉じる。

 どうせ見えないのだから視覚は必要ない、どうせ聞こえないのだから聴覚もいらない。味覚と嗅覚も今はいらない。


 必要なのは触覚と反射。何千何万と繰り返してきた鍛錬は、あたしの身体を完璧に動かしてくれる。


「――はっ!」


 左肩に食い込んだ爪を、掴む。同時に腰から姿勢を落として、上から掛かる力を別の方向へと。そうして、流した力は元の力ではなくあたしの力、それも怪異にとっては毒となる清なる力に変わっている。


 これが三つある阿国流の十八番ぜっしょうの一つ、『流れ』。極めればどんな強大な怪異の、どんなに強力な一撃も投げられるようになる。


 この不可視の怪物は異能こそ厄介だが、等級は精々Cランク、『反転域』程度の怪異だ。まだまだ未熟なあたしでも投げられる。


「行ったよ! リズリズ!」


 相変わらず見えないし、聞こえないが、投げた時の感覚は間違えない。不可視の怪物は今間違いなく宙を飛んでいる。


「――『開門・炎の道、贄の十字架』」


 投げ飛ばした先にあるのは、リーズちゃんの編み上げた設置型魔術の地雷原。その真髄が今炸裂する。


 炎の十字架が次々と立ち昇る。それらはまるで道を作るように不可視の怪物を貫き、焼き焦がす。

 怪物は逃れようと暴れまわるが、周囲に隙間なく設置型の魔術が仕掛けられているせいで逃げ切れることはできない。


伝承によれば。この不可視の怪物は塔を登るものの影に潜む。だから、影を生じないほどの大火力で覆って、逃げ場をなくす。それがリズリズの立てた作戦だ。


 だが、怪物もしぶとい。炎の中に僅かな逃げ道を見つけるが、それも含めてこちらの作戦の通りだ。


「ツチミカドリン! そこです!」 


「応!」


 輪が駆ける。その目は怪物の未来を捉えている、ならば、刃も届く。

 

 剣が煌めく。次の瞬間、鈍い音が響いた。

 見えないけどわかる。の刃は怪物の首を確かに刎ねた。


 同時に、異界全体が揺らぐ。異界因が切除されたからだと経験でわかる。どうやらあの不可視の怪物こそが二体存在する異界因の片割れだったらしい。


 これで一つ、残りは一つ。頼むよ、道孝くん。

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