第22話 砂漠と語り部

 解体局に属する異能者は異能の秘匿を義務付けられている。

 これは異能及び異界が人間の認知に強い影響を受ける以上、世間一般に異界の存在や関連する情報が流布した場合の変化を予想できないからだ。


 限られた人間しか異界や異能の存在を知らない現状でも危険な異界は後を絶たない以上、これは当然の措置ではある。解体局が巻き込まれた一般人の記憶を消すためだけの部署を設けているのもこの『現状維持』の考えに基づいてのことだ。


 一方、解体局の『敵』にはそんなルールはない。だから、こういうこともやる。一般人が山ほどいる三ツ星ホテルを丸ごと『異界化』するような真似を平気でやってのけるのだ。


「……温度上がり続けてますね」


「うん。サウナの中みたい」


 上着をぬいで、熱を逃す。スマホの温度計が機能していないせいで、正確な数字は分からないが、おそらくこのレストランの温度は現在35℃以上。ジャケットを脱いだくらいではまだ汗ばむ。


 先輩のご両親とウェイターさんはオレ達が異常に気付いた時点で、意識を失ってしまった。おそらくほかの従業員や一般客も同じ状態だろう。敵がこの異界を発生させる際にそういう条件を設定したのだ。


「ちょっとごめんね。靴貸してもらうね」


 そう言って先輩は自分のヒールとウェイターの履いていた靴を取り替える。ちょうどピッタリとはいかないがヒールよりはマシだろう

 

「ご両親はここにいてもらった方がいいでしょう。暗示が解けない以上、下手に動かさない方がいい」


「わかってる」


 ご両親に掛けられた暗示はかなり高度なもので、専門家ではないオレ達ではこの場で解除することは難しい。強引に正気に戻そうとすれば脳にどんな負荷がかかるかわからないし、今はここにいてもらう方がいい。


 だが、こいつは理屈だ。実際にご両親をこの場に置いていかなければならない先輩の心中は察するに余りある。


 この温度と背筋の怖気からいってこのホテル全体が異界化してるのはまず間違いない。空間が湾曲してる可能性もある。自然発生の異界ではこうも作為的にはならない。相手は術師、相当の手練れだ。

 脱出するには術師を始末するか、この異界そのものを解体する必要がある。今それができるのはだけだ。


「レストランには防護結界を張っておきます。


「人? でも、あーしたち以外にはここに探索者なんて……」


 それがいるんだな。この襲撃自体は全くの予想外だが、襲撃者にとっても想定外の要素はある。さすがにあいつらがここにいることまでは織り込み済みではないはずだ。

 さすがに優秀だ。事態に気付いてすぐにこのレストランに乗り込んできている。そら、もう扉の前まで来ている。


「――道孝! 無事ですか!」


 アオイを先頭に、リーズ、輪、彩芽の4人が部屋に踏み込んでくる。

 アオイに至ってはすでに愛刀を鞘から抜いている。オレの無事を確認すると、少しだけ安心したようだった。それを見て少し顔がにやけそうになったが、どうにか堪えた。


「あ、あなたたち、どうして――」


「――その話は後にしましょう。今はとにかくこの幸運を活かします。おまえら、状況は分かってるな?」


 先輩を勢いで誤魔化して、全員に確認する。彼女たちが頷くと同時に、オレは六占式盤を展開する。

 まずはできる限り正確に状況を把握したい。少なくとも異界因の大まかな場所、異界全体の構造がわかっていなければ戦いようがない。


「アオアオ、レストランの外はどうなってた?」


「アオアオ……? そ、それは私のことですか……?」


 先輩がアオイを混乱させている。ナイスだ。アオイは攻めるのは得意だが、責められるのは弱い。先に困惑させておけば、今は彼氏のフリをしていた一件を引きずらずに済む。


 しかし、困惑していては状況報告にならない。代わりに輪が言った。


「僕達もレストランの周りしか見てないですが、みんな、眠ってました。その、急に電源が落ちたみたいな感じで。少なくとも亡くなってる人はいませんでした」


「……そう、よかった。ありがとう、リンリン」


 不幸中の幸いというやつだ。今回の襲撃者には一般人の被害者をできるだけ減らそうとする良識がある。異界の設定に異能者ではないものの意識を奪うという条件を付けくわえたのがその証拠だ。


 場合によっては進んで一般人を巻き込もうとする『敵』もいる。そういう意味では最悪の状況じゃないし、襲撃者の狙いも自ずと絞られる。

 先輩もオレと同じ考えに達しているはずだ。この襲撃の目的はオレか、先輩、どちらかの暗殺である、と。


「――異界因は二つ。西のロビーの二つだ」


 六占式盤の解析が終了し、測定が終了した。

 予想通りかなり厄介なことになっている。相手の術師は手練れどころじゃない。に変換するなんて並の術師じゃ絶対に無理だ。


 しかも、この二つの異界因、前回の鬼のように一体から分かれたのではなく最初から別々の怪異が異界因として設定されている。どちらも詳細までは探れなかったが、強力な個体であることは間違いない。


「屋上ですか。近い方から片付けましょう」


「そういうわけにもいかない。空間が歪んでこのレストランは今、真ん中にある」


「真ん中……? まさか平面の真ん中にあると?」


 アオイの言葉に頷く。流石に理解が早い。

 真ん中とは文字通りの意味だ。襲撃者はこのホテル・ヴェスタをそのまま別の空間に置換し、巨大な異界を形成。そのど真ん中にこのレストランを配置した。


 しかも、展開しているのはただの空間じゃない。この暑さと強烈な土の属性と火の属性の気配からして、これは――、


「――だ。オレたちは砂漠のど真ん中にいる」


 ガラス張りの窓から見える景色は現実の夜景のままだというのに、このレストラン以外のホテルの内部は広大な砂漠の異界へと作り替えられている。単純な結界とは次元の違う神業だ。


「…………これほどの異界形成能力、いえ、これはもう『』ですわ。相手は神域に指を掛ける術師、なんてこと……」


 リーズも動揺を隠しきれていない。無理もないことだ。


 結界術、異界形成系の異能の極致にして頂点。それが『異界創造』だ。この領域に達したのものは自由に異界因を出現させ、異界を文字通り『創造』することができる。

 人々の認識によって生じる異界を個人の術で出現させるのは並大抵のことじゃない。10年間鍛えて、原作の蘆屋道孝をはるかに上回る実力を持つオレでも異界創造はできない。


 そもそも異界創造は怪異の中でも『神』とか『悪魔』だのと呼ばれる上位の存在にのみできることだ。今回の襲撃者はそのレベルの実力の相手ということになる。

  原作での設定は異界創造を使える異能者は魔人を除けば10人程度。今回の襲撃者はそのうちの一人だ。


 それでも7人の魔人にしてみれば人外魔境の入り口に立った程度のものでしかないらしいが、オレたちのような人間に毛が生えた程度の存在にとって十分すぎるほどの脅威だ。


「敵は異界創造の使える術師だ。手練れどころの話じゃない」


 そう言葉にしながらも、オレの感情こころはそんなことはありえないと叫んでいる。

 だって、こんな襲撃は原作には影も形もない出来事イベントだ。想定外にもほどがある。いっそふて寝したくもなるが、パニックになる余裕さえない。


 その一方で、オレの前世ちしきは冷酷に事実を告げている。この襲撃者の『異界』をオレは知っている。こんな異界を創造し、標的を追い詰める暗殺者をオレは確かに知っているのだ。


「…………『語り部』だ。こんな真似ができるのはやつしかいない」


 オレの言葉に、リーズと先輩が息を呑む。オレと同じで二人とも最悪の想像はしていたが、まだ事実を受け止め切れていないようだ。


「語り部……! 確かに特徴は一致しますが……それほどの大物が動くなんて……ありえるのでしょうか?」


「あーしとアシヤンを殺すためにしちゃ手が込みすぎだよね。本当に語り部だとしたらだけど、他に目的があるのかな……」


「語り部……?」


 事の深刻さを理解しているオレとリーズ、先輩とは対照的に輪、彩芽、アオイの三人はオレたちの会話についていけていない。

 前者二人はともかくとしてアオイが知らないのは意外だ。まあ、相手が何者でも刀でぶった切ればいいという思考回路は原作からしてそうなので、仕方がない。


「語り部っていうのはなんだ、探索者の間での都市伝説みたいなもんだ」


「都市伝説って……僕たちが相手するのはみんなそういう存在なんじゃないの?」


 輪の疑問は当然と言えば当然のもの。怪異はおおむね伝説や伝承、噂話、信仰などから生じるものだ。

 けれど、語り部の場合は意味合いが違ってくる。


「語り部の場合は文字通りの意味で実体のない都市伝説みたいなもんなんだ。正体不明、能力不明で一度狙われたら標的は決して助からない。だから、噂だけが独り歩きしている。誰も語り部が何者なのか知らないんだ」


 これは原作知識のあるオレもそんなに変わらない。

 なにせ、語り部については設定資料集の端の方に砂漠の異界を使う殺し屋としか書いてなかった。持っている情報の量で言えば、この世界の人間と大差ない。


 つまり、神域の術者を相手にアドバンテージなしでの真っ向勝負をするしかない。


 くそったれ、上等だ。こんなところでBADENDなんて光オタクとして、一人の人間としても許容できない。やってやる。


「――相手が何ものでも、状況がどんなに悪くても、ここには一流の探索者が揃ってる。オレ達でどうにもならないなら、誰にもどうにもできない。そのつもりでいくぞ」


 誰にでもなくオレ自身にそう発破をかける。トラブルとは関わらないのが信条だが、掛かる火の粉は払ってやる。


「ふ、さすがは我が許嫁。よい覚悟です」


「そうだね、蘆屋くんがいればどうにかなるよ」


「指揮はお任せしますわ、ミチタカ」


「アシヤン……ありがとう……」


「お兄様……ご立派になられて……」


 そして、何をどう勘違いしたのか、頼れる仲間たちはオレの方を感動した感じで見ている。

 信じてくれるのは男としてもオタクとしてもうれしいが、重たくもある。特に今回の場合は妹まで巻き込まれているとなればなおさらだ。


「語り部か……」


 しかし、一方で、自分でもどうかと思うが高揚してもいる。

 語り部の設定はBABELの設定資料集に文章として載っているだけであり、その見た目やキャラデザ、能力の詳細については原作者の脳内にしかない。


 オレはそんな初公開キャラを見られるかもしれない。死ぬかもしれないってのはよくわかってるし、彩芽のことも心配だが、それらと同じくらいオタク心を疼かせるオレも確かに存在しているのだ。

 我がことながら業が深すぎる……! だが、そのおかげで臆せず戦える。人生何がプラスに働くかわからないもんだ。


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